転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



そろそろ何かあるんじゃないか、と危ぶんでいた通り、
昨日は、実家の母が「実は、脚が痛くて寝とる」と電話して来た。
去年の秋頃から、母の右脚の痛みは断続的にあって、
整形外科で診て貰い、座骨神経痛であることはわかっていたのだが、
寒さのせいか年齢のせいか、この一週間で急激に痛くなり、
先週12日から、ほとんどベッドに寝たきりで過ごしているのだ、
ということだった。
困ってはいたが、うちの娘がセンター試験の時期だとわかっていたので、
終わるまでは言うまいと思って、我慢していたのだそうだ。

それですぐ、昨日の昼に、主人とふたりで、
当面の食料を買い出しして、実家に行ってみたら、
母はいつものベッドに横になって、テレビを観ており、
上半身も頭も口も(爆)完全に元気だったが、
右脚の痛みだけがひどく、ロキソニンでどうにか凌いでいる有様で、
起きたり立ち上がったりするのにも、かなりの不自由がある様子だった。
幸い、整形の先生が往診もして下さっていて、
注射や投薬などの手当は、途切れず受けることが出来ていたが、
ヘルニアの悪化など考えられるので、総合病院で検査をしたほうが良い、
と言われているとのことだった。

昭和ヒトケタ生まれで料理などしたことのない父は、
転舅じーちゃんとは比べものにならない(爆)無能ぶりだったが、
なんとか、最低限の家事は母のかわりにやっているようだった。
既に介護保険のほうの申請はしたのだそうだが、
認定まで日数がそれなりにかかるらしく、
また、整形外科の先生のお話では、母の現状だと、
要支援か介護度1あたりだろう、という話だったそうだ。

両親と主人と私とで話をして、とりあえず、
母が家の中で動けるように、車椅子を手に入れること、
舅宅にある、姑の愛用していた介護ベッドを実家まで運ぶこと、
それに当面の生活のため、ヘルパーさんか家政婦さんのお願いをすること、
の三点を実行に移そうということになった。

まず、車椅子については、こんなときこそ、例の「無料貸し出し」だっ、
と私は思い出し、きょうは朝から中区社会福祉協議会に電話をし、
わけを話して、早速、昼前に出向いて自走式の車椅子をひとつ借りてきた。
そして、それをタクシーに積んで貰って、実家に行った。
行ったついでに、母の着替えや洗面などを手伝い、
衣類の入れ替えや、台所の片付けなどを簡単にやったあと、
また市街地まで戻って、夕方、フランス語のレッスンに行き(爆)、
さきほど帰宅して、介護ベッドの配送・設置の依頼を、某運送会社に、した。
今、日取りと料金の設定に関して、先方からの返答を待っているところだ。

このあとは、舅姑がお世話になった事業所に電話をして、
ヘルパーさんの派遣について尋ねてみようと思っている。
介護保険の申請に時間がかかるなら、当面は自費になってしまうので、
費用とも相談ではあるのだが、娘の受験にカタが付くまでは、
私が実家に泊まり込むことは出来ないし、かと言って、
80歳過ぎの老老介護になっては、長続きしないことは明白だ。
また、検査のために病院に出かけることになった場合も、
通院介助があると無いでは、本人の苦痛も家族の負担も大違いだ。

主人も私もきょうだいが無いので、
こういうとき、誰にも相談できず協力も得られない、というのは、
確かに、普通の人より恵まれていないかもしれないのだが、
しかし反面、基本的に私が何もかも決定して良い、という意味では、
随分と気楽だし、助かっている、といつも思っている。
ああしろこうしろ、あれはどうなっている、こうすべきなんじゃないか、
等々と自分の意見を言う人の数が多いほど、話はややこしくなるし、
互いに善意ではあっても、結果的に衝突して不愉快になることもあり得る。
係累が少なければ、責任の所在が明らかで、指示系統も単純明快であり、
話はなんでも一発で決まる、という良さがあるのだ。

とにかく、なんとかして3月が終わるまでは繋いで貰わなくては(^_^;。
娘の身の振り方が決まって下宿に行ってくれたら、
私も今よりずっと、介護に専念できる(^_^;。

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転妻「もう退路は断った!」
転夫「こうなったときのヤツの強さは、半端ねぇ!」

……と昨日は二人で、さんざんはやし立てて待っていたのだが、
娘のセンター試験は、良くも悪くも大した意外性なく終了し、
ほぼ、本人が予測していた通りの結果になったようだった。
奇跡は起こらなかったが、そのかわり大事故も無かったので、
結果は結果として粛々と受け止め、あとはお祈りして待つのみだ。

このセンター得点の評価がどうなるかは、全体の平均点次第なので、
数日後に出る判定を参考に、心の準備をしなくてはならない。
そして、もしそれが良くなくても、もう済んだことには拘泥せず、
今は何より、マークシート化した頭をサッサと切り換えて、
今度はいよいよ本命の私大入試のために、最後の勉強を頑張るのだ。

ちなみに昨日、娘が帰ってきて言うことには、
今回は、英語と国語が難しく感じた・リスニングは割と素直だった、
『フエーヤ…チョッ!』『スピンスピンスピン』
がとてもとても心に残った、……とのことだった。
センター試験の現代文「フエーヤ?フエーヤ…チョッ!」
「スピンアトップスピンアトップ」が受験生の中で話題に
(Togetter)

それと、娘は日本史のとき、時間が余って余って困ったそうだ。
そんなによく出来るのか!と思って頂けそうだが、そうではなく(爆)
ああいう暗記ものは、わかっているところを埋めてしまえば、
あとは長く考えたからって解けるものではないので、
勉強していない箇所・覚えていない事柄に関しては、
適当にマークする以外に、やることがないのだった。
日本史Bは全部で36箇所しか塗るところがないにも関わらず、
試験時間が60分もあり、娘は30分以上、余らせてしまった。

それで、所在なく、まず日本史Aのほうの問題を覗き、
それから問題冊子の先頭に戻って、世界史Aのページを開いてみた。
……途端、娘は噴出しそうになった。
そこには、『会議は踊る、されど進まず』の風刺画が載っており、
ウィーン会議(世界史の窓))
あまりにも脳天気にお遊戯する皇帝たちの姿に、
試験中にも関わらず娘の腹筋は激しく震えた。
中でも、がに股でエメリウム光線を出そうとしている、
フリードリヒ・アウグスト1世の姿は圧巻としか言い様が無かった。
娘は、すべてを捨てて呵々大笑したいのを必死で堪えた。
……ということだった。

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娘が朝からセンター試験に行った。
通っている女子校の系列女子大学が試験場で、
これまで体育祭や英語キャンプのときに行ったことがあり、
そういう意味では下見は必要ない場所だったのだが、
やはり天気がどうなるかは、親子ともども、一応の心配はしていた。
朝起きてみたら、幸い、きょうの広島は何も降っておらず(^_^;、
交通ダイヤの乱れなどもなく、助かった。

私が受験生だった頃には、センター試験に相当する共通一次は、
国公立大学を受けるための一次試験でしかなかったが、
今は、多くの私大が、センター試験の得点で合否を判定する、
「センター利用入試」を募集枠の一部として採用しており、
娘のように、英国社のみが受験科目の私大文系の受験生も、
センター試験に参入するようになった。
そうした大学の、センター利用入試枠に出願しセンターを受験すれば、
このあとの一般入試の日に各大学の会場に出向かなくても、
きょうの得点をもとに書類のみで合否判定されるので、
私大併願のためには、そこそこ有り難い方法だと思う。
一般入試より募集枠が少なく、狭き門になるのが難点ではあるけれど。

また、もうひとつ昔と大きく違うのは、
かつては、共通一次やセンター試験後の自己採点と言うと、
翌朝の新聞に載る正解・配点の一覧を見るか、
各予備校から配布される正解を学校で貰うかが、主な手段だったが、
今時は、試験当日の夜にはもう、大手予備校がインターネット上で、
正解と配点、解説などを発表するようになっている、という点だ。
だから受験生は、やろうと思えば試験当日夜にも、
その日受けた科目の自己採点が出来てしまうのだ。
娘も多分、今夜自己採点をするだろう。

ただこれは、娘の場合はきょうしか受験しないから、即日採点するのだが、
明日のセンター試験科目も続けて受ける予定のある人は、
敢えて、今夜は解答速報を見ないほうが得策だと思われる。
私でもそう思うくらいなので、学校や塾の先生方も同様に仰っている筈だ。
点が良ければウかれるし、悪ければ落胆が大きいしで、
いずれにしても急激に平常心を失ってしまうことになりかねないので、
明日を控えた身での自己採点は、良いことが無いように思う。
勿論、結果を調べようと思えばできるのに、二日目が終わるまで我慢する、
というのは、それはそれでイライラすることだろうとは思うのだが……。

さて、娘の場合、第一志望と第二志望の私大はセンター利用ではないので、
きょうの点数次第で即、最終的な合否が占えるようになるのは、
センター利用のみの方式で出願している、二校分の私大だけだ。
そのほか、センター利用と一般入試の併願で出しているところが更に二校あり、
これらはセンターが不振でも、まだチャンスは残されている。
今夜の自己採点のあと、
「よしっ、とりあえず確保できそう(^^)」、となるか、
「もういい、自ら退路は断った!」、となるか(爆)。


追記:さきほど、某私立大学から受験票が速達で来た。
これも、1月9日に簡易書留で願書を発送した大学のひとつだ。
志望学部・学科、選択科目、それに本人の性別など(笑)、
何ひとつ間違いのない情報が、印字されていた。
出願書類作成に関してのここまでの娘の仕事は、
とりあえず間違っていなかったことが、またひとつ確認できた。
デメタシ。

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・このたびの出願手続きで、受験料+郵便料金も結構なモンだな~、
と私は勝手に感慨にふけっていたのだが、
昨日、たまたま出会ったブログを読んでいたら、
我が家の倍ほどの受験料をちゃんと支払っていらっしゃる親御さんが、
普通にあちこちにいらしたことを知り、私は恥じ入った。
また、今回、受験のための東京旅行で一週間くらいは宿泊する予定で、
なんか長すぎるんじゃないかな~と思ったりもしていたのだが、
「シングル2部屋×17日間」と書かれているお母様があり、
私はまた、考えを改めた。
親たるもの、やるときは、やる!と腹をくくるべきであった。
すみません、今まで思いっきりナメてました(逃)。

・「東京では雪を溶かすのに水をまく人がいる」
という書込を見かけて、「釣り」だろうかと思って検索したら、
案外そうでもないようだった(汗)。また、
「雪を溶かすなら、水よりお湯をまいたほうが効果的なのではないか」
という意見もあり、そう来たか!と感じ入った。
多分、東京は基本的に温暖で、しかも冬場は乾燥しているから、
目の前にある雪を水にして、かたちがない状態にしてしまえば、
そのあとは太陽が照るので、昼の間に水分は十分に蒸発する、
という発想なのではないだろうか。
雪国なら尚更だろうと思うが、うちの実家の村程度でも、
さすがに水をまくことは、積雪の対処にはならない(汗)。
それがすぐまた凍って、ただの雪よりもっと恐ろしいことになるからだ。
私の感覚では、しんどくても「雪かきをしてどける」のが最善だが、
それが無理なら「塩をまく」のが次善だと思われる。
私も昔、家にある塩の袋を持って出て、玄関横にまいたことが幾度もあった。
調べてみると、今時は凍結防止剤もいろいろと売り出されているようだ。

・雪と遊んで成長した筈の私も、今ではすっかり駄目人間になり、
このところ真面目に、心から、毎日が寒いと感じている。
どうしてこんな寒い寒い時期に、センター試験があるのだろう。
身にも心にも財布にも、凍てつくような寒さが染みいるではないか(爆)。
しかし瀬戸内の山陽側なのだから、私が寒い寒いと言ったって、
所詮そんなもの、最低気温がぎりぎり氷点下になるかどうかのハナシで、
国内でさえ、もっとずっと寒いところはいくらでもあるのだ。
やはり私は甘いのだった。
そういえば以前、仕事でヘルシンキに滞在して、戻って来た人が、
むこうでは11月から3月くらいまではずっと氷点下だから、
そんな中で、ごくたまに0度を超える日があると、
「うわ~温かいなあ!」としみじみ思う、と言っていた。
となると、今の私の生活環境なら彼らには十分過ぎるほど温かいし、
寒さの緩んだ日など、暑くなったと感じられるくらいかもしれない。
私はかねて、縮景園の近所ですれ違う白人観光客たちが、晩秋に、
なぜタンクトップや半袖で歩いているのかと不思議だったのだが、
察するところ、彼らは元気自慢をしているのではなく、
「着たら負け」なのでもなくて、多分ごく普通に、
晩秋でもこの界隈は、夏の気温と同じだと感じているのだろう(^_^;。

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・市街地はさほどではないのだが、予報としてはきょうは
広島も「雪」となっていて、天気は既に下り坂だ。
今年は、どうも寒さの厳しさが例年以上だという気がする。
夏に猛暑でのたうつことが無かったかわりに、早く寒くなり、
冬になってからは、冷えのこたえる日が多いという感じがするのだ。
一時期やたらと血圧が上がったのや、先日急に背部痛に見舞われたのも、
もう若くないせいで、寒さに負けたのが原因だったのではないか、
と自分では思っている。
現時点では血圧は高くなく、背中の筋肉痛も日々改善しているのだが、
きょうからまた寒いので、今後また何が出るか(汗)心配ではある。
主人も今年は、低気圧が来て気温が急に下がると、決まって、
肩凝りがひどい・眼精疲労を感じる・頭痛がする、と苦情が多い。
……以上、来年の今頃、参考にするために、記録しておく(^_^;。

・フランス語教室は、体験レッスンを申し込んだ教室のひとつに、
プライベートレッスンの体験という位置づけで、
「2レッスン受講・6400円」という設定があり、
ビジターとして、ひとり一度(2レッスン)のみ、
これを利用できるというので、やってみることにした。
とりあえず、来週の仏検2次のために、
今は付け焼き刃でも良いから、経験を増やすのが良いと思ったからだ。
あとはもう、合否判定基準次第だねぇ………(涙)。

・きょうの午後、某私立大学から受験票の速達葉書が来た。
これにより、とりあえず一校は無事に出願できていたことがわかり、
また、少なくとも1月9日に簡易書留で発送した出願書類に関しては、
先方に昨日までに届いたであろうことが確認できた。
しかし、この届いた受験票の大学は、センター利用だけなので、
この受験票を使って、当該大学で本試験を受けるわけではないのだった。
『センター利用の人は、合格発表や入学手続の際に受験番号が要るので、
それまで各自保管しておくように』、と受験票に印刷されていた。
これを使って入学手続きできる日が、来るように祈るべきか、
いっそ、この葉書が良い意味で不要になるように祈るべきなのか……!

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一校だけコンビニ振り込みを認めていなかった大学の
出願手続きをようやく完了した。
昨日、中区役所に行くついでがあって、
その近くに都市銀行が並んでおり、やっと送金できたのだ。

しかしそれも、すんなりとは行かなかった。
まず、昨日の午前中、とある銀行に行って、番号札を貰って、
さんざん待って、呼ばれて窓口に向かったのに、
そのときは書類不備で返されてしまったのだ。曰く、
「(銀行使用票の)受験型の欄が未記入になっていますので、
申し訳ありませんが、このままでは手続きできません。」

ったく、やっぱりそういうヤツなんだ、うちの娘はっっ(--#)!!
全部自分でやれと言ったら、この有様だ!!
そうだよ、わぁってますよ、育てたのは私だよっっっっ(--#)(--#)!!!

不幸中の幸いというか、昨日娘は、センター対策授業があって、
自分の選択した科目の時間だけ出席すれば良かったので、
午後から一旦、帰宅し、改めて7限だけまた登校するという予定だった。
それで娘を捕まえて、苦情のありったけを言い、未記入欄を埋めさせた。
娘もさすがに平身低頭していた。
頼むでホンマに。
ほかの大学の出願手続きは、それで大丈夫なんやろね(T_T)!???

それで、午後からまた朝と同じ、都市銀行界隈へ行った。
しかし今度は、区役所の帰り道ではなく、家から行ったので、
道順が異なっており、朝とは違う某銀行に入ることになった。
別に私の口座があるわけでなし、どことも取引は無かったから、
基本的にどの銀行でも良く、そのとき一番近いところにしたのだ。

今度はうまくいった。
何も言われず、段取り良く送金手続きは終わり、
「お待たせ致しました。寒い毎日ですのでお風邪などお気をつけ下さい。
ご健闘をお祈りしております」
と窓口の女性は女神様のような微笑みで送金控えを手渡して下さり、
さらに、『合格祈願』と書かれた鉛筆セットも下さった。
ありがとうございます~~~!!
なるほど、銀行だと、こういうサービスがあるものなのね。

見れば、私のほかにも何人もの中年女性たちが、
なんだか見覚えのある雰囲気の、マークシートっぽい書類を抱いて、
席で順番を待っていた。
同じような用向きで来られた方々が、ほかにもあったようだった。
皆さん、お互いに元気で最後まで頑張りましょう~(T_T)。

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・2月に予定されていた、ザグレブのリシンスキ・ホールでのリサイタルは、
4月16日に延期。プログラムはオール・ベートーヴェンの予定で変わらず。
IVO POGORELIĆ, klavir : odgođeno 16/4/13

以前もやられて未だ改善がないのだが、このブログは、なぜか、
クロアチアの国別コードのドメイン(『hr』の前にドット)を含む文字列を、
ことごとく『不正な書式』として拒否するので、私には不便でしようがない。
上記演奏会へのリンクが貼れず、URLをここに載せることさえできず、
大変迷惑している(--#)。

必要な方は、Lisinski Hallで検索して頂けましたら、
一次情報としてご覧頂けると思います。


・10月29日、スペインのマドリード国立音楽堂にてリサイタル。
こちらはプログラム未定。
Ciclo Scherzo de Grandes Intérpretes 2013(PDF)
この催しでは、ポゴレリチのほか、ルガンスキー、ソコロフ、
内田光子、ゾルタン・コチシュ、アンデルジェフスキ、
ヴォロドス、ブレハッチ、ヴィルサラーゼ、
という物凄い面々が、一連のリサイタルを行うことになっている。

・詳細不明なのだが11月20日はエストニアでリサイタルを行うようだ。
やはりベートーヴェンを弾く予定だろうと報道されている。
Для музыкальных гурманов: Иво Погорелич лишит слушателей сна!
(BUBLIK DELFI)
旧ソビエト領内での演奏会は、割と珍しいのではないだろうか。

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<文科省>学校の週6日制導入を検討(毎日新聞)

ミもフタもないことを言うようだが、我が家の場合は、
週5日制の有り難さが身に染みたのは、中学受験の頃だった。
土曜日に塾へ行き、定例テストで一日がつぶれても、
なお翌日の日曜日に休養することが出来たので、
娘にとってはすべての土曜に学校が無かったことは本当に良かった。
学校が週6日あった時代に中学入試を志した人たちは皆、
土曜日まで学校に行ったうえに、『日曜テスト』に一日を費やし、
休みなしでまた月曜から学校に行かねばならなかったのだ
(と主人が体験談を語っていた)。

しかし、そもそもどうして中学入試を目指したかというと、
娘が「女の子の学校に行きたい」と言ったのも理由ではあったが、
それ以前に、公立小学校があまりに暇で、授業も宿題もなさ過ぎ、
娘が勉強しないので親が呆れた、というのが大きな切っ掛けだった。
うちの場合は、学校が週5日制だったことの効果は、
ほとんど本末転倒だったような気がする。
「ゆとり教育」の目指したものは、こんなことではなかった筈だ。
親の不見識が災いした例かこれは。すみません(爆)。
ちなみに、娘の入学した私立女子校は、現在土曜日にも授業がある。
これがとても興味深いことなのだが、この学校はかつて、
私自身が小学生だった頃には、土曜日は礼拝とクラブ活動だけで、
授業の無いのが特徴だと聞いていた。
いつの間にか、変わっていたようだ。

それにしても、記事の中で驚いたのは、
『教職員の勤務時数が法律で週40時間と定められているため』
という箇所だ。こんな法律があったとは。
これは一日8時間労働が5日間、という計算だと思うが、
この法律なるものを遵守している学校なんて、存在するのだろうか?
私が生徒だった時代も、娘が小学校から高校まで通学した間も、
夕方5時や6時で帰宅なさる先生など、ほとんどなかった。
今だって、家の近所にある小学校中学校を眺めてみると、どこも、
毎日遅くまで校舎には電灯がついており、先生方の(だろう)車が停めてある。
その分、翌朝ゆっくり来られる先生方が多いかというと、それも無いだろう。
朝のSHRや1時間目の開始時刻は決まっているのだから。

また、部活の試合について行くなどで休日出勤なさる先生方だって、
その代休を取られている例は、決して多くないと思う。
労組が強ければ(日教組はどんな感じなのだろうか?)
管理職側から「回復措置をとって下さい」という発言はあるかもしれないが、
現実に代休など取ることは難しいのではないか、と私は想像している。
事前の振替をあまりやると、相手の先生や生徒の時間割がいびつになるし、
そうせずに回復措置だけをとるならば、その時間の授業は自習になり、
進度の遅れたクラスは、定期考査前の自分の負担になるだけだからだ。
教職員同士はともかくとして、対・生徒の面では、先生方の勤務条件は、
事実上、ほとんど柔軟性が認められていないし、
代休や回復を取る先生方は、保護者からはきっと、歓迎されないだろう。

学校週5日制の恩恵は、うちの娘の塾通いには大きかったが、
現場の先生方には、必ずしも関係が無かったのではないかと思う。
友人が某公立高校教諭なのだが、彼女は週5日制はキツい、とよく言っている。
私と同学年だった彼女は、採用時にはまだ学校は週6日あって、
それが途中から第2土曜だけ休業になり、やがて4週6休になり、
最後に完全週5日制になり、そのすべての過程を現場で経験したのだが、
土曜授業が全部あった時代が「一番マシだった」という意見だ。

先生方でも、独り暮らしとか、元気な親御さんと同居、主婦の妻を持つ男性、
という境遇の方だったら、週5日制度の有難みはそれなりにあるかもしれない。
平日が毎日とても忙しくても、土曜日曜になればまとめて自由時間が取れ、
寝坊したり休養したりも適宜、可能になるからだ。
或いは、出張(対外試合、遠征等)の多い部活の顧問をなさっている先生にも、
土曜は朝から出張で、日曜は休み、となれば大きなメリットかもしれない。
これで土曜授業があったらたまらんワ、と仰る先生もあることだろう。
しかし私の友人のように、家庭を持っていて子供もいて、老親の心配もある、
という状況だと、休日は基本的に家事労働に費やされるしかないし、
そうでなくても月~金に疲弊しきって、しわ寄せが一気に週末に来るのは辛い、
ということではないかと思う。

友人のようなケースだと、「もっと薄めて」仕事ができたほうが、
心身の負担感が軽減されるのではないだろうか。
現状は月~金しかないので、どの日も限度一杯の仕事内容になっており、
授業後も、生徒が質問に来ているのに、学年会や分掌会議が始まるし、
保育園のお迎え時間は迫るしで(今はようやく末子も小学生になったが、
学童保育のない学年になる頃には、お稽古ごとや塾の送迎に縛られ始めるのだ)、
時間に追われて追われて、気が狂いそうだと彼女はよく言っていた。
夕闇が迫り、採点しつつ時計を見ながら心拍数を上げている最中に、
受け持ちクラスの生徒が万引きで捕まり、警察から電話、
……などという展開になったりすると、本気で卓袱台(事務机)返しをしたくなる、
と彼女が言っていて、私はウケたが、勿論笑い事ではないのだ(汗)。

いっそ、土曜日の半日勤務まで込みで望む先生は「薄めに」週6日勤務、
そうでない先生は「濃いめに」週5日勤務で、月~金を違う勤務条件にして、
授業も、土曜日に入れて良い先生とそうでない先生に分ければ、
……などと、つい素人考えでは思ってしまったが、
しかしそんな時間割は組めない!と教務係の先生がシヌ思いをなさるだろうか。
それに、そうなると主任以上は必然的に週6日労働になるのだろうね(^_^;。
やっぱり駄目か(殴)。

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本日のカツァリス演奏会@西宮、遠征断念しました(T_T)。
理由は、背中の筋肉痛(多分)のため(T_T)(T_T)。

痛くなったきっかけは、よくはわからないのだが、
昨日フランス語教室のグループレッスンに出たあと、
途端に背中の下半分(右寄りの場所)が筋肉痛になり、
動くと痛みが出る、という状態になってしまった。
感じとしては、ぎっくり腰の軽めの痛みのようだった。
フランス語の授業中、物凄い緊張で全身を強ばらせて、
しかも板書を見ようと変な斜め座りになっていたのが
もしかしたら悪かったのかもしれない。

かっつぁんには私は未練たらたらなのだが、
既に、このあとの来日公演も予定されていることだし、
私自身、今は家の状況を考えても無理はできないので、
きょうのところは、遠くから演奏会に思いを馳せることにする。

何であれ不調が起きるというのは、疲れているときなので、
きょうは安静にして寝ます(T_T)。

************

そのフランス語教室、昨日は前回とは違うスクールの、
グループレッスンの無料体験をさせて貰ったのだが、
普通の生徒さん同様に当てられて、とても緊張した。
二日連続してフランス語を聞いていると、
ある程度の慣れは出てきて、理解するのは早くなったが、
自分の語彙力の無さは急には改善されないので、
発言にはやはりエラく大変な思いをした(^_^;。
しかし期せずして、プライベート・レッスンの学校と
グループ・レッスンの学校を体験できたのは、なかなか良かった。
今まで英語教室にしか縁が無かったが、
世の中にはフランス語学習中の、巧い人たちがいて、
授業の上手な先生方もいらして、
大袈裟だが「こういう世界があったんだ!」という感動があった。

……本式に入会するかどうかは、今後の私自身の意欲と、
何より、月謝と相談なのだけども(^_^;。

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フランス語会話

昨日は、予約したフランス語教室の体験レッスンに行き、
ほぼ、生まれて初めて、フランス人と50分間、
サシで、フランス語で(!)話をした。
17のトシにNHKラジオでフランス語講座に出会って、30年。
ようやく迎えた、初・生・フランス語会話(^_^;の日だった。

私が初歩の学習者であることを、事前に改めて(日本語で)説明したので、
レッスンでは、聴き取りやすいように、短い文のみで、
日常的な話題限定で、あまりツッコまずに、話を振って貰うことができた。
そして、答える私のフランス語はというと、
もう完全に英語が土台になっているので、語順は五文型のどれか、
話はほとんど全部現在時制、過去の話題なら複合過去一本槍、
中性代名詞が登場することは皆無、……というテイタラクだった。
何より、しばしば、何を尋ねられているのか瞬時にはわからず、
相手の質問を自分でもう一回反芻してから、ようやく答えを考え、
言いたいことは決まっても語彙が容易に出てこないので、また考える、
という、「会話」にはあるまじきリズムになった。
うぅむ、千里の道も一歩から(^_^;。
それにしても、フランス人講師の先生の日本語は巧かった。
私の英語よりも百万倍、上手そうだった(爆)。


YouTubeで発掘

このところ、YouTubeで続けて、私にとっての「お宝映像」を見つけた。
ひとつは、美輪様の歌の中でも私が一番気に入っていると言って良い、
『ボン・ヴォワヤージュ』だ。
美輪明宏 ボン・ヴォワヤージュ(YouTube)
まさに、変幻自在の美輪様の面目躍如、これぞアーティスト!
私は、深く・丁寧で・重厚で・密度の高いものこそを愛している。
さらさらと気楽に薄く流れるものは、娯楽や芸ではあっても、
私にとっては芸術とは言えない。
美輪様の舞台には、そういう意味で、真の「芸術」を感じるのだ。

もうひとつは歌舞伎で、初代辰之助の『鳴神』。昭和60年の顔見世だ。
彼の短い生涯においては、これでも晩年の映像ということになってしまう。
倒れる2年前くらいだと思うが、声が掠れていて痛々しい箇所がある。
しかしそれでも、台詞の迫力はやはり辰之助ならではだ。
私の見果てぬ夢は今も昔もこの辰之助(現・松緑の父)で、
菊五郎に対しては私は、いつも、ご本人の魅力とともに、
辰之助の思い出を重ねて、舞台を拝見しているという自覚がある。
思えば、私に歌舞伎を教えた母方の祖父母、特に祖母の贔屓は先代團十郎で、
その早逝を長く悼んでいたものだったが、
辰之助は私にとって、祖母にとっての團十郎みたいなものなのだと思う。
辰之助は先代松緑の長男であり、先代團十郎の甥でもあった。
共通して流れているものが、やはりあったのだろうなと思っている。

先日読んだ團十郎の話(『海老蔵そして團十郎』)からも、
辰之助が、人に見せない弱さを持った破滅型の人間であったことが伺えた。
そういう、自分を痛めつけるぎりぎりのところで演っていたからこそ、
辰之助の舞台は、私にとってあまりにも強烈だったのだろう。
短く激しい燃焼の中で結実したものには、
ほかのどのようなものにも代え難い輝きがあった。
鳴神 1鳴神 2鳴神 3鳴神 4鳴神 5鳴神 6(YouTube)

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