転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



のちほど拙サイトのほうにリンクを貼らせていただく予定なのですが、
ポゴレリチに興味を持って下さった「しろ」様が、
ご自身のブログに、『スカルラッティ ソナタ集』のCDに関して、
記事を書いて下さいました。

スカルラッティ/ソナタ集をポゴレリチでLandscape and portrait ver. 2

ポゴレリチの楽曲へのアプローチは、
『作曲当時とは楽器そのものも、世の中の状況も、
人々の感覚も、すべてが異なっている現代において、
現代ピアノを用いて古典を演奏する意味は何か』、
という点から始まっているものだと私は考えています。
そして、彼自身の使った言葉で言えば
『reporoductive art(再生芸術)』というのが
その根幹にある概念だと思います。

しろ様が、かつて同曲がチェンバロで演奏されるのを聴かれて、
そのときに受けられた印象と、
今回ポゴレリチのCDで同じ曲に接して、改めて感じられた事柄とを
比較するかたちでレビューを書いて下さっているので、
私はポゴレリチ流のアプローチについて、今一度、考えながら
自分でもこの曲を楽しんでみたいと思いました。
しろ様、ありがとうございました。

ほかに、しろ様のブログには、旅行の話題、科学のこと、
お読みになった本のご感想、その他様々なテーマの記事があります。
皆様もどうぞご覧下さい。

しろ様のプロフィール

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宝塚で言うなら昨日が前ラク、今日が大ラク。
トップの退団公演千秋楽は、その場に居合わせるために
ファンも一般人も(ダフ屋も)いつもとは全く気合いが違う。
会場前で完徹しようが、席がなくて3時間立ち見になろうが、
「観られる」と「観られない」とでは天地以上の差。
だから皆、きょうの、このたった一回のために体を張るのだ。
泣いても笑っても、これ限り。もう、明日は、無い。

今、広島市民球場は、まさにその、サヨナラ大ラクを迎えている。

今朝、姑の病院に行くために、城南通りを歩いていたら
(とてもローカルな話題です。すみません)、
合同庁舎から空鞘橋を渡るまでの間に、私は、
市民球場から伸びる人々の列を、三本、見た。
市民球場の一塁側・三塁側・外野側のゲートから始まって、
いずれも球場外周を半周以上する長さになっていた。

病院の帰り、試合開始ちょっと前に原爆ドーム前まで戻ってきたら、
並んでいた、自由席の人たちはほとんど入場し終わっていたが、
市街地の、あちらにこちらにも、まだまだ赤い人たちが歩いていて、
中国新聞がさかんに号外を配っていた。

で、私は、ちょっと思ったのだが。
大阪の「くいだおれ」じゃないが、
終わると聞いてそんなに惜しむ人たちが多いのであれば、
常日頃から、もっと支援しようと思えば出来た筈なんだよな、と。
イザとなったらこんなに大勢の市民やカープファンが行動するのだ。
幸い、カープそのものは終わるわけではないので、今度は、
引き続き、みんなで新球場へ出かけるようでなくてはなぁ、
……と、思ったことだった。


追記:きょうの試合は観客数30609人だったそうだ。
狭い市民球場としては、ぎりぎりまで目一杯入った超満員状態だった。
朝から赤い人たちでごった返し、大混雑した市街地は、
午後2時に試合が始まる頃には、今度はどこもかしこも静まり返った。
今の広島市で、カープ以外の、ほかの誰が何をしたとしても、
こんなことは起こりようもない。
繰り返して言うが、首長も地元財界も、
このことは、もっと重大に受け止めないと駄目だ。
思い出多い市民球場の最後を、快勝で飾ったカープは素晴らしかった。
同時に、ヤクルトファンの温かい声援ぶりを偶然にもテレビで観て、
私は、広島の人間として、大変嬉しく思った。
ありがとうございました!

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