転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



胃腸炎が一応おさまった一昨日と昨日、
まだ体力的には万全ではないしと布団でごろごろしながら、
私が楽しんでいたのは、例の如く読書だった。

今回読んだ中で一番面白かったのは梶原一騎伝(斎藤貴男・著)

『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』
『愛と誠』『空手バカ一代』『夕焼け番長』等の、
伝説的な劇画の原作者だった、本名高森朝樹氏の、
むちゃくちゃな人生を、克明に記録した名著だ
(ここでは繰り返さないが、本当に破壊的な人生だった)。

実は、私は、梶原氏が87年に亡くなったときまで、
上に挙げた人気漫画のすべてがひとりの作家の原作によるものだとは、
恥ずかしながら全く知らなかった。というか、思ってもみなかった。
作画がそれぞれ違う漫画家によるものなので、
全然別の作品だと思い込んでいたのだ。
どの作品も結構好きで、特にテレビで放映されたものは、
かなり熱心に欠かさず観た世代だったというのに。

これほどのヒット作を手がけた文字通り巨人のような作家であったのに、
ましてや、梶原氏本人には飽くなき上昇志向があったというのに、
彼の世間的な評価は不当なまでに低かったのだ、ということが、
この本の中に繰り返し書かれているが、
それは、私自身の認識を振り返ってもよく理解できた。

同時に、彼の超一流のヒット作は、どれも、極めて限定された時期に
立て続けに生み出され、その絶頂を越えた後は破滅の後半生だった、
ということも、今回初めて知った。
私の印象では、結構長い期間に渡って、これらの作品は知名度があり、
テレビで見ることができたように思うのだが、
それは作品としての支持が続いたとか、再放映等の機会が多かった、
ということに過ぎなかったらしい。

梶原一騎というと私が忘れられないのは、
82年の『アントニオ猪木監禁事件』で、
これはどういう事情だったのか後々まで判然としなかったのだが、
とにかく梶原氏が猪木を呼び出して大阪のホテルの一室に監禁し、
部屋には暴力団関係者もいて拳銃がどうとかこうとか、
……という事件だった筈で、そのことは
この『梶原一騎伝』でも少し、触れられていた。

ただ、私の記憶では、このとき猪木と一緒に監禁された、
当時の新日本プロレス専務取締役営業本部長・新間寿氏が、
確か、先に梶原氏のはからいで猪木が解放されたので、
「ああ、これで猪木さんが助けを呼んできてくれる」
と思ったのに、猪木はそれっきり姿を見せないどころか、
ホテルのどこかですっかり和んでいたとかなんとかで、
新間氏のほうは、更に孤立無援で監禁され続けて死ぬ思いをした、
……とどこかで明かしていた筈だと思うのだが、
それは『梶原一騎伝』には載っていなかった。
おかしいな、猪木のヒトトナリがよくわかる良い話だったのに(爆)。

まあ、それはともかくとして、
梶原氏の原作は、絶頂期を過ぎると荒れて、
どんな話を始めても最後には必ず、
格闘技か暴力団が出て来るようになってしまい、
彼に書ける話のパターンはそれだけか、という状況だったそうだ。
だが、私はそれでも、彼が天才であったことは間違いないと思った。
大リーグボールの秘密が明かされるとき、我々世代は皆、
固唾をのんで連載を(次回放映を)待ったのではなかっただろうか?
矢吹丈は勝つか負けるか、力石徹が生きるか死ぬか、
それを考えて誰もが夜も眠れぬ思いになったのではなかっただろうか?
あんな興奮を、あれ以降一度でもほかで味わったことがあるだろうか?

スポ根というジャンルを築き上げその頂点に君臨しているのは、
今もなお梶原一騎だと私は強く思った。

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