転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ノロかロタか、アデノかエンテロか知らないが、
私の体内ウィルス定義ファイルがいい加減なもんだから、
ウィルス最新版がすっかりダウンロードされてしまい、
あわてて医者で貰って来た駆除ツールも万能ではなく、
ウィルスは結局、ほぼ実行されて、あちこち不調になった。
今、静かに修復を行っているところで、半分くらいは戻ったが、
まだ、新しいデータを入れる容量は充分には回復していない(T.T)。

・・・ということで、一応、一昨日から見れば
きょうの私は別人のように元気になったのだが、
通常の私を基準に考えると、別人としか思えない食欲の無さで、
ならば、ちとは痩せたかと体重計に乗ってみたが
なんのことはない2キロしか減っていなくて、ムカっ(--#)とした。

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某氏の御陰で(本当にありがとうございます!)、
和央ようかに関する小倉千加子氏の論評が掲載されている、
朝日新聞社の「一冊の本」3月号を読むことが出来て、
それだけは、ここ数日の大きな収穫だった。

小倉千加子氏というと、私の印象は80年代で止まっているので、
「フェミニズムと結婚は両立しない」
「すべての異性愛性交は強姦」
「男は敵。結婚は欺瞞」
「男を愛することは理論上は可能。現実にはほとんど不可能」
みたいなことばかり仰っている先生かと思っていたのだが、
和央ようかの体現するジェンダーというものについての、
今回の文章はなかなか面白く読めた。

私が、和央ようかに長らく感じていた「男装芸」、
そこから最終的に到達した彼女ならではの「男役芸」、
また、相手役としての花總まりが演じる、
「虚構としての女性」である「娘役」との位置関係、
そういったものをフェミニズムの視点から見ると
こういうことになるのか~、という納得感があった。
「『男』と『女』はグラデーションのように連続している。
その記号性を解体したい」
などという小倉氏の発言も80年代にあったっけ。

きょうは体力がないので、詳細は、またのちほど。

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