転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



・シャア再び
昨夜、唐突に『赤い水洗のシャア』攻撃を受けてしまい、
通常より十倍速くトイレ往復するハメになり、悶絶した。
発作は台風一過のように終わったが、そのあと自律神経が変になった感じで
寒いのか暑いのかわからなくなり、深夜まで寝付きが悪く、困った。
仕方ないから、布団の中で、有吉佐和子『一の糸』を読み終えた。
少女の頃から熱く思い焦がれた、文楽の神懸かり的な三味線弾きの男性と、
中年になってから不思議な縁で結ばれる女性の話で、
道楽の数多い私としては、空想の面では、なかなか感情移入できる物語だった。
ゲージツ家の男と一緒になるなんて、わたしゃ現実には絶対に御免だと思っているけど。

・選挙
もうじき統一地方選挙なので、毎日、近所を選挙カーがまわっているし、
電話やビラ、ポスティングなどの選挙活動も積極的になってきたのを感じる。
きょうの午後も、インターフォンが鳴って、宅急便かなんか?と思い、
応答しつつモニター画面を見たら、選挙活動のヒトだった。
「日本共産党です。市長は○○、県議は○○、市議は○○、をよろしくお願い致します」
私はもともと共産党が嫌いでないうえ、昨今の原発事故のことを思うにつけ、
一貫して反原発で、福島のことも以前からずっと指摘していたのは共産党だったよな、
と思い至り、ついつい、「頑張って下さいね」と言った。
調査用紙に『反応◎』と記入されているのではなかろうか(汗)。
しかし真面目な話、野党としての共産党には、
一定の議席数を確保して粘っていて貰いたいと、私はいつも思っている。

・原発の今後など
私自身は現状を全く楽観しているわけではない。しかし悲観もしていない。
何より私が思うのは、父たち被爆者が戦後、将来に絶望して後ろ向きになっていたら、
こんにちの広島はなかったし、私自身も恐らく存在していないということだ。
75年は草木も生えぬと言われた当時、もし、病んだ被爆者たち自身までもがそう思い、
「放射能を受けた以上、広島の将来はもうないし、子供を持つわけにも行かない」
などと考えていたなら、広島はそこで終わっていたのだ。きっと長崎も同様だ。
今の頭デッカチの我々だったら、逆に広島は復興できなかったかもしれないと思うくらいだ。
各自が生きて力を尽くしてみないことには、将来のことなど誰にもわからないではないか。
考えることをやめてはいけない、というのは私の座右の銘だが、
考えた結果、解決方法を模索する以前に、絶望感が深まり生きる力がなくなるだけなら、
考え無しでも元気よく暮らすほうが、まだマシかもしれない、と思う昨今だ。
それにしても、原発事故現場から遠いほど精神面でのパニックが深刻、
という英語記事を読んだが、案外当たっている面もあるようだ。
仙台より首都圏のほうが悲壮感があり、更に大陸に『被曝者』が多いという記事だった。

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