転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



団十郎、海老蔵復帰は「まだ白紙」(日刊スポーツ)
『歌舞伎俳優尾上菊五郎(68)と市川団十郎(64)が7日、都内で行われた「団菊祭5月大歌舞伎」(5月2日~26日、大阪松竹座)発表会見に出席した。』『東京・歌舞伎座の閉場で、昨年に続いての大阪公演。東日本大震災について、菊五郎は「被災地で公演したことを思い出してやり切れない」と気遣い、「阪神・淡路(大震災)を乗り越えた関西パワーをもらって、難局を乗り越えたい」と大阪公演の意義を強調した。』『団十郎は「震災に遭われた方には心からのお悔やみを申し上げたい。これからはそれを乗り越えて、次のステップへ進むことが必要。関西の協力がなければ東日本の復興はない。お力添えをお願いしたい」と力を込めた。また、日本俳優協会としての義援金を、NHKを通じて寄付したことも明かした。』『傷害事件に巻き込まれたた市川海老蔵(33)について、団十郎は「一応の決着を見たので、みなさんと相談しながら(復帰を)模索したい。話し合いはまだです」と明かし、復帰時期についても「白紙です」と語った。』

音羽屋の旦那さんと、なつおちゃん(笑)のツーショットは嬉しいが、
やはり海老蔵の復帰は具体的でないとのことだ。残念だが仕方がない。
チケットぴあのプレリザーブで希望日が取れたので、
今年こそ松竹座の團菊祭に馳せ参じよう、せっかくだから昼夜観よう、
と今から楽しみにしている。
関西の力添えなくしてはと、なつおちゃんも仰っているではないか。
はい、心得ました、微力ながら、できる限りのことは、させて頂きます
(って道楽してるだけ)。


六月博多座大歌舞伎(博多座)
こちらはきょうプレリザーブで申し込みをしたのだが、さてうまく取れるだろうか。
昼の部に『加賀鳶』があって、一瞬、うほ~~♪と舞い上がったが、
ファンとしては残念なことに、竹ヤブ医者(笑)の道玄は音羽屋ではなかった。
高麗屋(幸四郎)だから、これはこれで大層面白いだろうなと想像はつくのだが、
私にとって、一昨年5月の歌舞伎座で見た音羽屋が印象的過ぎて、
自分の中での音羽屋名舞台の、もしかしたらナンバーワンか、
というくらいだったのものだから、楽しみだけれどちょっと複雑だ(苦笑)。
一方、『身替座禅』の奥方・玉の井が左團次というのは、観る前から笑えてしまう。
腹筋震えて窒息しないよう、気合い入れて行こう(笑)。
そして夜の部の音羽屋は『魚屋宗五郎』だ。これが観ずにおらりょうか。
こっちもできたら昼夜通しで制覇したいと思っている。
いくら博多なら近いとはいえ、やはり期間中一度しか行けないだろうから。

Trackback ( 0 )




日本人は礼儀正しい・これほどの非常時に暴動ひとつ起こらない、
と震災以来、海外のメディアから賞賛されており、
ある面ではそれは確かに正しく、日本人として誇るべきことだと思う。
衣食足って礼節を知るどころか、
命の瀬戸際でも本能のように秩序を失わない集団など、
日本以外の国でそうそう多く見つかるものではないのだろう。

しかし一方で、特に原発事故を巡っての政府・東電の態度や対処に、
これまでのところ国民が全く満足できているとは言えないのに、
日本の主要都市で、大規模なデモなどがほとんど起こっていないのは何故だ、
ということも、海外では疑問に思われているようだ。
日本人は従順過ぎるのではないか?と。
現に、小規模な活動は企画されているが、民意を反映したと言えるほどの、
国民による大規模な意思表示は、現在までのところ、行われていない。

その理由は、ひとつには、日本人が大人しいという以前に、
デモという形態が、日本人の価値観の中であまり重要な位置を占めていない、
ということが言えるように思う。
デモ行進などは、市民運動の次元で行われるマイナーなものであって、
一般の人が日常するものではない、という感覚が世の中にはあると思う。
だから言いたいことができたとき、さあデモをやって訴えよう、と即座には考えない。
過去、デモによって言い分が通り、幸福になった、という実感を持つ人は少なく、
一般的に、多くの人はそこに自分を賭けるほどの意義を感じていない。

更に、今の状況では、何を求めてデモをやるのか、がそもそも見えにくい。
「原発反対!」「積極的廃止を!」という程度のことは漠然と言えても、
それでどういう将来図が描けるのか、について意見がまとまっているとは到底言えず、
あるのは「とにかく放射能被害のない安全な生活がしたい」というイメージだけだ。
「一刻も早く福島を救え!」ということは皆が思っているが、
政府も東電も思っていないわけはないから(汗)、デモとしては弱いだろう。

また、内閣総辞職や政権交代を求める、と言うにしても、
そのあと、どうなれば良いのかというビジョンは、明確でない。
自民党に政権を戻せ、という意見も一部にはあるが、
メディアで発表される支持率を見る限り、多数意見とまでは言えないし、
さりとて、昨今さかんに言われる「大連立」が良いという同意もない。
革命のための、新たな指導者が出てきたわけでもないし、
そのような人がいても多分、日本ではそういう登場の仕方は警戒されるだけだろう。

そして最も重要な問題は、今、被災地は勿論のこと、非被災地にいてさえも、
国民は身の安全が確保されている気がしていない、ということだ。
規模の大きな余震が続いており、原発事故処理問題も先行きが見えず、
極端に言えば、もう我々は明日をも知れないのではないか、
という気分を、今、被災地を中心に日本中が共有している。
大地震の最中、東電の前で叫びながら死んでもいい、
というほど決意のある人たちならともかく、
大半の人間は、目下、自分の大切な家族や家を守るのに精一杯で、
社会運動など、企画する勢いも参加する余裕もない。
個人の命がつながるかどうかもわからず、将来がないかもしれないときに、
「より良い社会」などを求めて行進している場合ではないだろう。
すべては、この一連の地震・余震と、それに付随する現象が一段落してからだ、
と思っているのに、どれだけ待てば一段落するのかも見えない、この恐怖と言ったら。
これは地面が揺れることなど稀な国の人たちには、わからない感覚かもしれない。

そういう意味で、都知事選挙で現知事が優勢と言われる理由も、
私は想像できるような気がしている。
利権がらみのドス黒い背景があると主張する人もいるが、
そういう話があるかどうか以前に、まず素朴な都民感情として、
甚だ非建設的な考え方だとはわかっていながら、
「もう新しいことなど御免だ。ただただ、今より悪くならないことだけが望み」
という気分があっても、無理もないと思うのだ。
かつて変化を第一に望み政権交代を実現させた結果が、この現状であり、
国民が政権交代によって明らかに幸福になった、と言える部分が
未だにほとんど見出せないところが、本当につらい。
民主党の失態続きに、今回の地震災害が重なり、
様々な意味で日本の有権者は今、自信を失い途方に暮れていると思う。

Trackback ( 0 )