転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日、ふと思いついて、今まで使っていなかった検索エンジンで、
『Pogorelic』と「h」をつけないクロアチア語風の綴りで、
ポゴレリチの記事や画像を検索してみたら、
随分と新しいものがいろいろとヒットした。
見たことのない写真も多かったので、そのうちのいくつかを
こちらでも紹介しておきたいと思う。

まず、ひとつ目は、2007年3月のワルシャワ公演の記事、
ポーランド語なので読めないのが残念だが、
リサイタル中の写真が複数あって、どれも良いと思った。
私は2007年1月の大阪公演を聴いているので、
記憶にあるポゴレリチの雰囲気や演奏内容が蘇ってくる感じで、
自分の中の「現在」に最も近い記事だ。

Irytujący Ivo Pogorelich w Warszawie (1)
Irytujący Ivo Pogorelich w Warszawie (2)
Irytujący Ivo Pogorelich w Warszawie (3)

ポゴレリチは最初にワルシャワで有名になったから、
ポーランドは彼にとって実質的なデビューの地だったと言えるが、
80年のショパン・コンクールの3次で落選したことに関して、
彼は28年後の今日も、決して心から納得しているわけではなかった。
そのわだかまりが、この夏になって再度、噴出して来たことが、
8月下旬以降、各国複数の記事で報じられている。

Ivo Pogorelic trazi odgovore nakon 28 godina
Pogorelić želi znati zašto je izgubio na Chopinovu natjecanju prije 28 godina
Пианист оспаривает итоги конкурса через 28 лет(画像なし)
28 ans après, un pianiste conteste sa défaite au Concours Chopin(画像なし)

今年の8月15日から、ポゴレリチは、ワルシャワで開催された、
CHOPIN AND HIS EUROPEというタイトルの、第四回国際音楽祭に招かれ、
それには"From Pogorelich to Tchaikowsky"という副題までつけられていたが、
なんと当日になってポゴレリチは、予定されていた演奏曲目のうち、
ショパンの曲目(夜想曲とソナタ)の演奏を拒否し、
ラフマニノフの2番の協奏曲のほうだけ出演した、という悶着があった。

旧ユーゴスラヴィア国内だった地域では、
しばしば、ポゴレリチの動向が報道されているが、
クロアチアのSEEbizはこのような若いポゴレリチの写真を載せて、
2008年8月のワルシャワでの騒動について報じている。
『28年後にして、また新たなスキャンダル』と。

Pogorelić želi znati zašto je izgubio na Chopinovu natjecanju prije 28 godina

おそらく1970年代終わり頃に撮影された写真だろうと思う。
ファン歴が結構長くなって来た私も、この写真は今回初めて見た。
ポゴレリチ19歳時にザグレブで録音・発売されたレコード
(後に『Young Pogorelich』のタイトルで再発売されたCD)の
ジャケット写真とアングル違いか、同時期の撮影のものではないだろうか。

私は常に現在進行形のファンなので、演奏でも発言でも、
とにかく「今」のポゴレリチに最も興味があるのだが、
こうして、昨年のワルシャワ公演、今夏の騒動の記事を見たあと、
不意に、三十年前の、20歳前後のポゴレリチの写真を目にし、
とても深い感慨があった。
20日の日記に自分で書いたとおり、まさに、
「野性的な東欧少年が妖しいラマ僧になるまでに」起こった、
筆舌に尽くしがたい事柄を、一度に見せられたような、
そんな気分に、なったからだった。

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