転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



主人と私の、それぞれの携帯電話の番号を書いた紙片を、舅に渡し、
常に財布の中に入れて持ち歩いて貰うことにした。
去年、我々が携帯を変えたときに、番号は舅にも伝えたのだが、
舅はそれをノートか何かに書き留めて、普段は部屋に置いたままにしているので、
そうではなく、外出先でも連絡先がわかるように、
小さい紙に書いたものを持っていて貰うことにしたのだ。

先日みたいに、急に食べ物が食道に詰まって大学病院に行く、
というときなど、もし舅が出先でひとりだったら、
そこから我々に連絡をする必要があるだろうし、
また、あってはならないことだが外出先で突発的に何かが起こったとき、
周囲の人が舅の持ち物を調べて、連絡先を探すようなことも、あるかもしれない。

数年前、実際に姑が、これのお陰で助かったことがあった。
痴呆が出始めた頃だったが、
ある日、姑はひとりで留守番していたときに、
何を思ったかふらふらと外に出て、バス停で転び、救急車で病院に運ばれた。
姑は自宅の電話番号は言えたらしいが、
舅がパチンコに行っていて留守だったので(^_^;)、かけても応答がなく、
病院の人が困って姑の所持品を調べたら、
家のものとは違う電話番号を書いた紙切れが、財布の中にあった。
それが、当時今治に住んでいた我々夫婦宅の電話番号だったのだ。
病院は、それがどこの番号か定かでないまま、連絡して来た。

しかしあのときは驚いた。
日曜日の昼下がり、電話が鳴って私が出たら、いきなり、
「○○病院ですが、これは、どちら様でしょうか」
と先方が言ったのだ。
自分でうちにかけてきたくせに、開口一番、「どちら様でしょうか」なんて、
フザケろよ!と私はもうちょっとで一喝するところだった(^_^;)。

ところで、外で事故にあうとしたら、一番危ない人間は実は私かもしれない。
ちょくちょく話題にしたことだが、私は血液型がRhマイナスなのだ。
『赤い疑惑』で異母兄の光夫さんしか輸血に協力できなかったアレである。
日赤から、検査部輸血検査室作成による「血液型カード」を発行され、
私はそれを常に携帯するようにと言われている。
にも関わらず、もう長い間、
私はこれを母子手帳に挟んだままにしていて、取り出したこともない。
私が将来、徘徊老人になったら、何をおいても血液型だけは、
ゼッケンのように背中に大書しておいて貰わねばと思っている。

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