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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



全体として、「戦記もの」としてではなく、
「友情・恋愛もの」として構成されているという印象だった。
宝塚歌劇なのだから、それはそれで良いのだが、
帝国軍と同盟軍の位置づけに、中途半端に触れられる箇所が多く、
原作を知らないと、初見ではかなりわかりにくかっただろうと思う。
例えば冒頭の、「同盟軍は、帝国の二倍の兵力を持ちながら敗北した」
というアスターテ会戦の逸話など、よほど注意深く聞いていないと、
ヤンの(本当は天才的な)働きが、一体何であったのかがわからず、
負けた側の彼がなぜ、自由惑星同盟の英雄と言われるのか、謎だと思う。
「ラインハルトが褒めていたから、ヤンの闘い方は見事だったらしい」
程度のことだけでも観客に伝われば御の字、…だと思った(汗)。

同様に、イゼルローンでの興亡についても、説明がほとんど無いので、
オーベルシュタインはどういう状況で逃亡して来たのか不明だし、
ヤンは、まだ同盟軍のものになっていないイゼルローンに
なぜか悠々と?滞在していたかのように聞こえる箇所もあり、
「どうも何やら、両国間でこじれて戦争が続いているらしい」
という曖昧な状況しか、わからないようになっていた。
そもそもイゼルローン回廊の存在意義についても一貫した解説がなく、
両軍が何を争ってどこで戦っているのか不明瞭なまま、流されていた。
わからなくてもいい・大事なのは登場人物の心象風景のみ、ということなら、
イゼルローンの名だけを意味ありげに繰り返し出すことは止めて、
もっと話を整理したほうがよかったと思う。

総じて、限られた上演時間で、ラインハルトの物語に焦点を当てるのなら、
もっと徹底して欲しかったというのが、私の感想だ。
三日間くらい連続上演できるのならともかく(^_^;、
今回の内容は、宝塚歌劇の一回の公演時間で説明できる量を超えている。
ラインハルトは、帝国軍の上級大将(のちには元帥)として、
ヤンのいる自由惑星同盟軍と対峙しなければならない上、
帝国内での地歩を確立するため、国内の貴族連合軍とも敵対しており、
更に、一度は手を組んだ帝国宰相リヒテンラーデ公とも
実は利用し合っているわけで、かなり込み入った対立構造の中にいる。

更に舞台では、同盟側のヤンも、同盟軍の司令官でありつつも、
最高評議会議長のトリューニヒトの操る憂国騎士団から付け狙われ、
更に、クーデター組織の救国軍事会議とも闘わなければならなくなるという、
これまた前門の虎・後門の狼という状況で苦慮していることが描かれており、
こうしたことがすべて同時進行で、そのうえにフェザーン自治領が、
両国を傍観しつつ漁夫の利を得ようとしている、…という話まであり、
とどのつまり、誰が誰と戦闘状態にあるのか、何のために闘っているのか、
容易にわからないようになってしまっていた。

いっそ同盟側の話は無いほうが良かった。
ラインハルトとヤンは、帝国×同盟の激突する戦場で出会えば十分だったし、
ジェシカの社会運動や選挙活動など、完全に同盟側の国内事情なわけで、
今回のラインハルトにはどうでも良い逸話であり、触れる必要はなかったと思う。
ユリアンも、物語に影響を与えないので、居なくても全く構わなかった。
また、ヤンの副官フレデリカにしても、原作では重要な人物だが、
今回の舞台ではほとんど何の役割も果たして居なかった。
元カノとしてジェシカを出すのなら、宝塚的にもフレデリカは必須ではないし、
ましてや彼女の父親グリーンヒル大将が、同盟のクーデターの首謀者、
という設定などはもう、触れたせいで話がややこしくなっただけだった。
ラインハルトの放ったリンチ少将が居さえすれば、
グリーンヒル不在でも、同盟のクーデターは起こったのよ(爆)。

私がこうした「よけいな場面」について残念に思うのは、
枝葉を広げ過ぎて、物語全体がわかりにくくなっただけでなく、
これらのために、「もっと大事な場面・台詞」が入らなかったと感じたからだ。
せっかく、帝国の双璧であるミッターマイヤーとロイエンタールが居るのに、
彼らは小綺麗な背景と化していて、アンスバッハのほうがよほど良い役だし、
私の愛するファーレンハイトは居ないし(殴)、……は、まあ良いとしても、
何より、最大の「がっかり」は、キルヒアイスが死ぬ場面が簡単過ぎたことだ。
あそこだけは、どれほど物語がわかっていなくても感動できるのに(爆)、
原作と較べて、キルヒアイスはあまりにもあっさりと死に過ぎ、
ラインハルトもまた、とても短時間で容易く立ち直ってしまって、
結局大したことなかった的な決着に見え、実に拍子抜けだった。

キルヒアイスを失うということは、無二の親友を失ったレベルの話ではなく、
ラインハルト自身の死をも意味するに等しい、決定的な打撃だった筈なのだ。
原作でキルヒアイスの遺体を抱いて、ラインハルトが異様に光る目つきで言う、
「嘘をつくな、ミッターマイヤー。卿は嘘をついている。
キルヒアイスが、私を置いて先に死ぬわけはないんだ」
という言葉、およびそのあとに出てくる廃人同様のラインハルトの描写が、
今回の舞台で割愛されていたのは、どう考えても勿体なさ過ぎた。
これらは彼の特異性を観客に印象づけるために、不可欠だったと私は思っている。
この段階を経て、心を閉ざし無機的な覇王となるラインハルトの姿こそ、
自身の半身を永遠に失った彼の着地点だったのではないか。
ラインハルトには、物語の最初と、キルヒアイスを失った後とでは、
明確に別の面を打ち出して貰いたかった。
凄いショックだったけど元通り立ち直れたから良かった、では困るのだ。
ちょっと自暴自棄になって散らかしたあと、ヒルダと甘いデュエットをして、
なんだか元気になっちゃったラインハルトには、私は、
「ちがーーーう!!」と叫びたい心境だった(逃)。

やはり一番問題となるのは、ラインハルトは本当はヒルダを愛していない、
にも関わらず、宝塚としてはトップコンビの物語にしなくてはならない、
という点だったと思う。
ラインハルトはもともと、異性・同性を問わず恋愛や肉欲とは無縁で、
彼が心底打ち込んだ相手は、キルヒアイス(と、姉)だけだったのに、
ヒルダが重要な人物になってくれないと、宝塚としてまとまらない(汗)。
凰稀かなめの演技を見ていても、彼女が主演者として、
この矛盾になんとかして「落としどころ」と見つけようとしていることが
私には感じられるような気が、幾度もした。
そういう点でも、凰稀かなめのラインハルトへの理解には、
私は共感を覚える点が多々あった。

転夫ころもんは(私にも同様の案が無いことは無かったのだが)、
「キルヒアイスは女っちゅうことにして、トップ娘役にさせたら良かったのに」
と実に大胆なことを言っていた(爆)。
確かに、そういう設定にしていれば、
原作の、男×男の萌え要素は無くなってしまうにしても、
コンビの立ち位置と恋愛の方向性だけは、ぴたりと合っていただろう(汗)。
小池修一郎先生は、原作の田中芳樹氏から、
「原作に忠実な舞台は既にあるので、宝塚は独自のものにして下さい」
という意味のことを言われ、ある種の「許可」は得られた由、
プログラムの先生の挨拶文の中に書かれていたので、
転夫案くらいのことは、やっても良かったかもしれない。
しかしそれだと、お披露目なのにトップ娘役が死んでしまう展開になるし、
何より今後の続編が作れなくなってしまうから、やっぱり駄目だよなあ(爆)。

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昨日の、宝塚大劇場宙組3時公演を観てきた。

いろいろ言いたいことは、あるのだが(^_^;、それはおいといて、
まず、出演者には私は大変満足した。
ラインハルト、オーベルシュタイン、キルヒアイス、ヤン、ヒルダ、
等々、主なキャストについては予想以上だった。
特に凰稀かなめのラインハルトは、素晴らしい出来だと思った。
声の端々や、椅子に座ったポーズ、マントの翻し方など、
男役の型に関する部分でも、私はなかなか感銘を受けた。

しかし脚本に関しては、あまりにも詰め込みすぎで、
原作を読んだことのない人が初見で理解できる内容だとは、
到底、思えなかったのだが、どうだろうか。
ラインハルトが主演なのだから、彼の覇権に直接関係のないこと
(特に同盟側のジェシカに関する逸話、ヤンとユリアンの絡みとか!)は
敢えて入れないほうが良かったのではないかと思った。

そうでなくても、宝塚歌劇という都合上、原作には全然無い、
ラインハルトとヒルダの出会いや文通(笑)などトップコンビの見せ場とか、
本編後の20分間のショーなどが必須で、時間的足かせになっているのに、
そのうえ、同盟側の話にあれだけ場面数を割いてしまっては、
ラインハルトの敵が、どの段階で誰と誰であるのかさえ、不明瞭だったと思う。
原作を全く知らない人で、例えばイゼルローン要塞が、
あの物語中、帝国側のものなのか同盟側のものなのか、
芝居を観ただけで説明できるようになった人、いますか!?
(本来ここは破格に重要なポイントだぞ。ラインハルトにもヤンにも)

誰某に、番手やポジションと釣り合った出番を与えなくてはならない、
という、宝塚ならではの人事の都合があるのはわかるのだが、
あれだけ登場人物の多い原作なのだし、
帝国側だけでもいくらでも活躍場面は作ることができた筈なので、
本当に、同盟側の話がよけいだったと私は感じた。
緒月遠麻のヤンや、純矢ちとせのジェシカは本当に魅力があったし、
彼女たちの健闘を否定するつもりは、毛頭、ないのだけども。

……と、それはともかくとして、
昨日、私は(主人もだが)いつものようにB席で観ていたのだが、
あれほど男性客の多い二階席は、自分の宝塚観劇歴の中で初めて経験した。
お兄さんからオジさんまでの年齢層の、ごく普通の(笑)男性客が、
女性の連れもなく、ひとりで、あるいは男性複数名で観劇に来ていた。
原作の知名度と、その愛読者層の傾向とが、察せられるような気がした。

『いろいろ言いたいこと』の詳細については、多分、またのちほど(笑)。

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・宝塚宙組の大劇場公演『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』(宝塚歌劇団)、
本日チケットぴあで先行販売が始まったので、某日B席を二枚取った。
なぜ二枚か?実は、転夫ころもんも観たいと言ったのだ(^_^;。
彼は独身時代、田中芳樹による原作『銀河英雄伝説』の熱心な読者で、
私は結婚してから、官舎の本棚に置いてあったそれを勝手に読み、
一方、私は若い頃から宝塚歌劇を見続けていて、
結婚時にビデオや『歌劇』、FCグッズなどを官舎に持ち込んだので、
主人も徐々に宝塚というものを学習し、
……というわけで、我々は互いの趣味を偶然にだが教え合った格好になり、
それが今回コラボを組んだので、一緒に観に行くことになった。
主人は宝塚そのものは新婚時代から観ており、日比谷の旧東宝さえ知っている。
しかし案外最近のものは観る機会がなくなっていたので、
宙組にも縁が無く、もしかしたら今回が初めてかもしれない。
見終わったら、彼はきっとシヌほどツッコミを入れることだろう。
用意しよう心の耳栓。
私は悠未ひろのオーベルシュタインが楽しみなのだがね。

・たかこ(和央ようか)さんが、蜷川幸雄演出作品に出演するそうだ(O_O)。
トロイアの女たち』(東京芸術劇場)
 公演期間:2012年12月11日(火)~20日(木)
 会場:プレイハウス
 作:エウリピデス 演出:蜷川幸雄
 出演:白石加代子、和央ようか 
  ほか 日本人+イスラエルのユダヤ系、アラブ系俳優
 発売日:一般発売 2012年10月13日(土)
 お問い合わせ:東京芸術劇場ボックスオフィス 03-5391-3010(平日10:00~18:00)
いつぞやの音羽会新年会で、しのぶ(寺島しのぶ)ちゃんが言っていた話では、
蜷川先生は最近は丸くなられて、灰皿を飛ばすというお稽古ではない、
とのことだったが、しかし、たかこさん、うんと鍛えられそう(逃)。
作品そのものも問題作のようだし、このあとイスラエル公演も予定されていて、
政治的・国際的に公演としての立ち位置も、結構微妙であると思われる。
このようなストレートプレイに関わるたかこさんを観たいけども、
私は今年の暮れともなると、さすがに東京というのは、なぁ……(^_^;。

・娘はきょうから夏休みだが、朝は、受験向けの補習が学校であり、
そのあと、今度は友人達と、何とかいう行事の影絵制作をするということで、
午後も引き続き、学校から直接作業場所へ出かけてしまって、帰って来ない。
この暑いのに、どんだけ勤勉なんだ(--#)。
本人の話では、期末試験の英作文では平均点が取れなかったが、その一方、
昨日、先に生徒向けに開示された通知表では、美術の段階点が「10」だったそうだ。
誰しも良いところはあるものだなぁ。しみじみ。
……ぢゃなくて!!良いのか、そのままで!?
今週末の保護者懇談会で、何を言われることだろう(T_T)。
美大進学は自分で断念し、学校では私大文系の進路を取っているのだが、
張り合いがあって良いと言って中高生絵画教室は続けて通っているし、
同時に大学受験の予備校にも行っており、結局どうしたいんだ、という(^_^;。
いえ、勿論、BASARA絡みで戦国史を専攻したいんですねわかります。
ちなみに、先日の七夕のときには、学校でクラスごとに、
願い事を書いた短冊を各自で笹に吊す、という行事があったのだが、お友達が、
『大学入試がうまく行きますように』『東京大学 文科一類 合格!!』
等々と進路に関することを書いているのを尻目に、娘ひとり、
西川貴教が紅白に出ますように
と書いていたそうである。
はははは、さすがにワタクシの娘だよ。もう好きにして(T_T)。

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『エリザベート』ガラ・コンサート、キャスト発表(チケットぴあ)

宝塚OGをキャストに、『エリザベート』ガラ・コンサートが行われる。
東京公演が11月6日(火)~21日(水)@東急シアターオーブ
大阪公演が11月25日(日)~12月3日(月)@梅田芸術劇場メインホール、
チケットは10月8日(月・祝)に一般発売開始とのことだ。

宝塚歌劇を観る人で、『エリザベート』に接点を持っていない人は、
最近では皆無に近いだろうと思われる。
それほどにこの演目は評価が高い。
普段の宝塚が「恥ずかしい」人も、エリザなら大丈夫だと思う(笑)。
私自身は、今となっては、さほど熱い思い入れは持っていないのだが、
それでも、初めて観たときは夢中になったものだった。
ファンなら、『ひとりエリザベート』を上演できる人も結構いるだろうし、
相方がいれば、延々とエリザの台詞で遊べるのがヅカヲタというものだ。
第406場『憂鬱 2』(はるな檸檬『ZUCCA×ZUCA』))

私の遙かな記憶では、96年に雪組で初演された頃、
少なくとも初日前からこの演目に多大な期待をしていた人は、
そんなに多くなかったように思う。
一路真輝のサヨナラという意味では、重要な公演ではあったが、
タイトルロールは娘役の花總まりのほうだったし、
銀髪ロンゲの黄泉の帝王が、最初から物凄く素敵だと考えていた人は、
当初は、(出演者のファン以外は)少数だったのではないだろうか。
これは覚悟しないと生半可なことではチケットは買えない、
というほどの緊張感は、発売前にはなかった気がする。違うだろうか。
少なくとも私自身は、いくらサヨナラとは言え、暗そうな演目だなと思い、
松江で育児中だったせいもあり、観に行かなかった。
ところがこれが、フタを開けてみたら、日を追うごとに評判が高まり、
宝塚空前の大ヒットになってしまったのだ(O_O)。
つまりこの公演は、海外人気作品の潤色という話題性や、
トップの退団という付加価値以上に、舞台そのものの魅力が強烈だった。
実際に観たことにより虜になった、という観客が多かったと思うのだ。

私は、宝塚の本公演としては、続演の96年星組版が破格に気に入っているのだが、
ミュージカルに詳しい方々からは、あれはあまり支持されていないようで残念だ。
麻路さきトートは私の中では宝塚男役の最高傑作に近いもので、
白城あやかシシィとのバランスも絶妙で、リカちゃん(紫吹淳)ルキーニも妖しくて、
どこを観てもシビれるような魅力に溢れた『エリザベート』だったと思うし、
何より、初演の雪組とは演出も細かいところで違っていて、
イケコ(小池)先生の手腕にも、ひれ伏したい気分になったものなのだが、
この件で意見の合う人には、これまであまり出会ったことがない。
どれほど総合的な出来映えが良くても、やはり音程がヤバめな公演は、
なかなか一般的には許されないものなんですかね~~(逃)。

このエリザが、宝塚歌劇として上演されるときは、
ミュージカルであり、全編、女性キャスト・女声コーラスで彩られるのだが、
衣装や舞台装置のないガラコンサートとして、音楽だけを取り出しても、
宝塚の範疇での上演に耐えられ、かつ非常に魅力的であるのが、
この演目の素晴らしいところだ。
宝塚の人気演目というだけなら、ほかにもいくつもあるが、
ガラコンサートが成立するほどのものは滅多に無いし、
興行的に毎回これほど成功するのは、『エリザベート』だけと言って良いと思う。
特に今回のは過去の出演者から選りすぐりと言って良いOGキャストに、
シメ(紫苑ゆう)さんの特出まであるとなっては、これ以上ない豪華版だろう。

今回もまた、いずれ劣らぬ名歌手揃い、純粋に歌唱を楽しめるキャストだし、
チケット争奪戦は大変なことになりそうなので、私が聴けるかどうかはわからないが、
私のファン歴を考えると、やはり、シメさんのご出演になるときに、
大阪に行ければ良いなあと今は願っている。
シメさんはこの演目が宝塚に来る前に退団してしまったのだが、
退団後のコンサートや、ディナーショーでトートの歌はたびたび取り上げ、
トート×ルドルフをひとりで演ったりなんかもして(笑)、
本当に思い入れが深い様子だったので、
このようなかたちで実現するのは素晴らしいと思う。

エリザベート スペシャル ガラ・コンサート(梅田芸術劇場)

涼紫央のフランツ・ヨーゼフ、というのも地味に楽しみだったのだが、
これは東京公演しか無いキャストのようで、残念だ。
すずみんのルドルフは、大阪でもあるので、そちらが観られれば(^^ゞ。
シメさん・すずみん、で大阪公演、となると私の場合、
狙い目は11/27(火)夜か、11/28(水)昼、ということか。
シシィは、ハナ(花總まり)ちゃんで観たいけれども、
回数的には、私は彼女のシシィは生でも既に結構観ているので、
ここは、一度も観たことのない、大鳥れいバージョンにも興味がある。
ほか、バックのキャストも葛城七穂・美郷真也・嘉月絵理・風莉じん、等々、
私に思い出を語らせたら長くなりそうな面々が名を連ねていて、素晴らしい。 

しかし、それにしても、だ。
この演目を一度でも観ようものなら、それからしばらくは、
 ♪ 顔は洗ったの~
 ♪ なまけては駄目よ
 ♪ シツケが悪いわ (♪悪い~~)
と、なぜか日常生活の鼻歌が、顕著にゾフィー皇太后になってしまうワタクシである。
初演時には赤ん坊だった娘も、既に高3、きっとこの冬は、
 ♪ おかあさまがー いじめるのー
と遊んでくれるのではないかと期待している(笑)。

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【女性編】行列に何分までなら我慢して並ぶ?ランキング(マイナビニュース)
1位 30分 23.8%
2位 行列には並ばない 16.6%
3位 60分(1時間) 14.4%
4位 15分 10.9%
5位 目的のためなら何時間でもOK 10.6%

私は、気持ちはシツコいのだが身体的には耐久力がないので、
基本的に、ものごとを並んで解決するというような根性は無い。
買い物や食事のためだったら、「込んでるね。やめよう」で終わりだ。
つまり『行列には並ばない』が私の初期設定だ。

しかし、例外はある。
チケット購入と楽屋待ちだ(殴)。
家庭持ちになってからはさすがにやっていないが、
欲しいチケットのために夜明け前から並ぶ、場合によっては徹夜、
というのは二十代の頃には別に非常識なこととは思っていなかった。
並ばないと目的のチケットが手に入らないのであれば、
それが最善かつ唯一の手段だったからだ。

特に、チケットぴあに宝塚のチケットが下りて来ていなかった頃は、
「並び」がすべてだったので、そりゃもう皆さん劇場で並びました(^_^;。
その頃は勿論、インターネットもヤフーオークションも無かったのだ。
トップスターのサヨナラの千秋楽や前楽なんて、何日も並ぶのが普通で、
その挙げ句にチケットが手に入らず、なおも思い切れぬ我々を尻目に、
ありがたみもわかってない(爆)団体の修学旅行生なんかが悠々と観劇していて
「許せん(T_T)」と思った経験は、当時のファンなら皆あるはずだ。
ロビーで、そうした高校生に万札を持って近づいていって、
そのチケットを譲ってくれと頼む宝塚ファンもいたが、それは絶対あかんって(^_^;。

逆に、RCサクセションの広島公演は、競争率が低かったがゆえに(爆)、
早朝一番に行けば、最前列が取れる可能性が高かったので、
これまた、友人が私のアパートに合宿し、翌朝は日の出前から
10時開店の某プレイガイド前に行って、待ったものだった。
武道館や野音が定例化していた当時でも、広島になると、
忌野清志郎といえど、そんなに一般的な存在ではなかったのだ。
あれは頑張りがほぼ必ず報われて、並んだ経験のうちでは
最も後味の良いもののひとつだった。

そういえば昔、歌舞伎座で、何の公演のときだったか忘れたが、
私が行くと特定の人たちがいつも座席券売場の前にいて、
小規模に並んでいたことがあった。
何をしているのかと思ったら、翌月に売り出される「俳優祭」の
チケット購入のために、集団で場所取りをしているグループの人たちだ、
……と、これは友人が言っていたのだが、本当だったのだろうかな。
「俳優祭」なら争奪戦が厳しいから、アリかもしれないな、
とは思ったのだが、確かめるまでには至らなかった。

行列に耐える、という意味では、楽屋待ちも、
多くの場合、並んで待つことなしには参加できない。
システム化された楽屋待ちの筆頭は宝塚で、
各生徒さんごとのファンクラブ主導で
「入りのスタンバイ」「出のスタンバイ」時刻が決められており、
ファンクラブ会員であれば携帯にメールで案内が届くようになっている。
そういう情報を持っていない一般ファンでも、
大劇場・日比谷ともに、公演中は、開演時間のだいたい2時間前までに行けば、
ほとんどの生徒さんの「入り」が観られる。
「出」は終演後すぐから始まるが、結構待たされることもある。
舞台化粧でないので、誰なのか不明な顔をした生徒さんも多いですが(逃)。

大劇場のほうでは、公演中でなくお稽古中の生徒さんの、
入り出を待つことも、ファンクラブを中心に行事化しているが、
特に「出」のほうは、都合が変わりやすいので待ち時間が長くなることが多い。
携帯が普及する前は、公衆電話からファンクラブの録音メッセージを聞いて、
生徒さんの予定を確認したものだった。
今でもなんとなく思い出すのだが、十年以上前のある年の冬、宝塚大劇場で
大勢で並んで、たかこ(和央ようか)さんのお稽古の出待ちをしていたら、
先に終わったと思われる専科の上級生の生徒さんが出て来られて、
「寒い中、皆さん、ご苦労さんでございますね♪」
ととてもよく通る声で労って下さったことがあった(爆)。
まったく、本当にご苦労さんな話だった。
素面になって考えてみると、私達は一体、何なのだ(汗)。

例外的に歌舞伎は、役者さん全員が開演前に楽屋入りするわけではなく、
出演のある演目に間に合うように、各自の都合で来ることが多いので、
後援会に問い合わせをしてみて、待っていて良いと言われれば、
その役者さんの都合に合わせて楽屋口付近に行く、という段取りになる。
「出」のほうも同様だ。
普通は限られたファンしか来ないから、行列にはならない。
しかしこれは役者さん次第だと思う。
舞台以外は完全オフと捕らえ、楽屋待ちを嫌う役者さんもあるし、
人気俳優だと多忙のため、入り出でさえ急いでいることがあるからだ。

モラルの問題として、楽屋待ちは「しない」ことになっている業界もある。
ジャニーズなどはその典型ではないだろうか。
しかしライブの楽屋待ちは駄目でも、公開録画とかラジオ出演のときには
なんとなく入り出待ちOK、というジャンルもあるので、
これはもう、郷に入っては郷に従え、だ(^_^;。
やみくもに並んどけば目的が達成される、というものではないのと同時に、
その世界でのお約束事に対して、納得できないとか不条理だなんだとか、
自分の一般常識をタテに文句を付けるのはヤボというものだ。

そういえば、先月ポゴレリチの公演があったときに、
東京でも名古屋でも、終演後にサインをして貰うことができたのだが、
今回、初めてご一緒させて頂いた方々の中には、
そういうことが可能だというのを全くご存知なくて、
楽屋口にお誘いしたことを、とても喜んで下さった方々があった。そして、
「転妻さんは、宝塚で鍛えて、こういうことに強くなったんですか」
と訊ねられたりした(^_^;。
いや……、どうなんだろう、それは。やはり、そうなのかな。
並んで待ってみると、良いことがあるかもしれないという感覚は、宝塚由来か。
たかこさんを待つより、ポゴ氏を待つほうが百万倍ラクなのは確かだが。
ポゴ氏の楽屋出は早いし、こちとら、会服もスクワットもないしね(謎)。

ただ、私の印象では、クラシック音楽は「出待ち」には比較的寛容で、
演奏家がサインをしてくれるというのも、普通によくあることだ。
ポゴレリチだって80年代から、結構よくサインをしてくれていたし、
私としても、彼のときだけ突撃していたわけではなくて、
ほかの演奏家でも、時間が許せば楽屋口に行って並んでみることは多い。
それに、演奏が良かったときには、拍手をもって「見送る」ことのほうが、
むしろ私としては主目的なので、サインはして貰えなくても全く構わない。
はい終了!とばかり、潮が引くように皆が居なくなってしまうよりも、
演奏会の興奮さめやらず、大勢のファンが拍手で送ってくれるというほうが、
一般的には、やはり良いものではないかと思う。
勿論、演奏家によっては、そういう社交を一切嫌う人もあるし、
同じ人でも、日によっては疲れていてNGだったりもするから、
そこは心得て、臨機応変にしないといけないとは思うけれども。

基本的には、興行なんだからファンたるもの景気よく行動し、
しかし同時に、アーティスト・招聘元・会場などに迷惑はかけないように、
……といったあたりでしょうか(^_^;。

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今朝は、ほぼ一ヵ月ぶりに墓掃除・墓参りに出かけた。
まず、花を買おうと思って広島バスセンターに寄ったのだが、
いつも贔屓にしていた生花コーナーが、
売り場のリニューアルに伴って消えてしまっており、、
同じフロアの別の場所に花はあったが、きょうは何故かバラばかりで、
いわゆる「仏花」と言えるものがなかった。
出足で、いきなり躓いた気分だった。

それで、センター街地下の花屋さんまで降りてみたが、
ここはブーケやアレンジ、胡蝶蘭○本立てを売る、とても綺麗なお店で、
切り花の中のひとつにあったのが「大菊(白) 1本158円」、……うぅむ。
それで仕方が無いから外に出て道を渡って、サンモールまで行った。
ここでようやく、色とりどりのスプレー菊に巡り会うことができて、
白・黄・赤紫などがバランス良くなるように三束買った。
……ったく、きょうは花だけでえらく手数がかかったことだ。
もう今度からバスセンターをアテにするのは、やめよう。

それからバスに乗って、舅姑のお墓まで行った。
前回の花は漏れなくドライフラワーになっていた。申し訳ありません。
掃除して花を取り替え、お灯明を上げてお線香をつけた。
おとーさん おかーさん
お陰様でワタクシ、楽しいツアーが終わりました。
本当にありがとうございました。なむなむ。
きょうから6月なので、心を入れ替えて頑張ります。
仏検があるので、どうかお守り下さい。よろしくお願い致します。

********************

例によってアクセス解析を見ていたら、昨日の検索語の中に、
『命の限り貴女を熱く熱く愛したい』
というのがあって、どこの同志(爆)がいらしたかとウケた。
拙ブログでお役に立てるところがありましたでしょうか。

これは宝塚歌劇の94年星組作品『ラ・カンタータ』で歌われた、
『熱愛のボレロ』の歌詞の一節だ。
初演時に歌ったのはシメ(紫苑ゆう)さんで、
このときの公演は彼女のサヨナラ公演でもあった。
(のちに2003年宙組公演『テンプテーション』でもこの曲は使われ、
場面単位での再演となり、たかこ(和央ようか)さんがこれを歌った。)

以前も書いたことがあるが、この歌詞はスゴい。
 ♪愛している 愛している 愛している ああ~
という歌い出しが、既に十分に臆面も無く濃いのだが、
その心から愛している相手の女性の描写というのがまた、
 ♪闇に舞う女豹 そのかぐわしさは媚薬
と、およそ普通のヒトではない。
そして主人公は、そんな彼女を恋い慕い、追い求める心情を語り、
彼女の一挙手一投足に強く魅せられていることを切々と歌ったうえで、
 ♪命の限り あなたーーーーーーーを!
 ♪熱く熱く 愛した~い
で最高潮となって、曲の締めくくりは、
 ♪アイラブユー アイラブユー アイラブユー
と連呼したあと、なななんと、
 ♪ジューー、テーーーーーーム!
と高らかに歌って終わるのだ(O_O)。
三カ国語っ。

しかしシメさんが歌うと、これがシヌほど格好いいのだから困る(爆)。
シメさんは観客を異次元に連れて行く魔術師だ。これぞ男役の極み。
私は、こういう魔法こそ、宝塚の男役の究極の姿だと思っている。
観客に心の片隅にせよ
「けっ、なんだそれ……(^_^;」
と気恥ずかしい思いをさせるようでは、
まだまだ、男役として極めていないと思う。
私はシメさんのような、男役ならではの力業を見るのが大好きで、
それ見たさに宝塚に通っていた(やや過去形(^_^;)と言っても過言ではない。

リアルで辻褄の合ったものなんか、そのへんにいくらでも転がっているが、
「現実に絶対あり得へん格好良さ」は宝塚に行かないと観せて貰えない。
それは、目が覚めてみるとかなり笑える種類の「格好良さ」であることが多いが、
宝塚を観ている間は、現実から乖離し別世界に行っているので、陶酔できるのだ。
というか、「行ける」ような舞台でないとアカンやろ、と私は思っている。
実生活の常識で言ったら矛盾だらけの脚本でも、どれだけ非現実的な結末でも、
きらびやかな夢があって、最後は笑顔でシャンシャン振って強引に大団円、
うわ~綺麗~!やっぱ素敵だった!!
……ということが出来ないようでは、宝塚ではない。
と思うよ(^_^;。

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・朝5時に腹部不快で目が覚め、腹痛までは行かなかったがグルグルで、
しんどくてたまらず、きょうの諸々の用事は中止にさせて貰った。
ブスコパンとアドソルビンを飲んだが、完全に良くなったとは言えず……。
去年詳しく検査したことで、精神的安定は得られたけれども、
状態が改善したわけではないので、やはり何かと困ることは多い。
この変テコな腹部症状さえ無ければ、私の毎日はもっと平穏になるのだが、
と、つくづく残念に思った。
とは言え、かつての月イチ大出血に較べたら、この状態のほうが、
百万倍ラクで安心なものであることは言うまでもない。
また、腹部手術を受けると必ずこうなるということはないので、誤解なきよう。
私の場合は、内膜症で左卵巣が大腸に癒着していたのが悪かったことに加え、
そもそも若い頃から、体調不良というと大腸炎・鼻炎・扁桃炎が定番だったのだ。

ジャパン・アーツによると、エル=バシャが10月に来日するそうで、
全国ツアーの予定が既にUPされていた。
広島からだと、7日(日)大阪公演か、10日(水)の岡山公演あたりか。
大阪は昼、岡山は夜のリサイタルらしい。
秋なら、私もさすがにポゴ氏来日公演の打撃(爆)から
心身共に立ち直ってエル=バシャを聴けるのではないだろうか。
どうやら大阪と岡山ではプログラムが違うようだし、
両方聴ければ最高なのだが、……そこまで欲張らないほうが身のためか。

宙組トップに凰稀かなめさん 宝塚歌劇団、8月お披露目(朝日新聞)
トップ決定についてはお祝いを申し上げたいと思いますが、
なななんと、お披露目の演目が『銀英伝』だとは(^_^;!
原作を初めて読んだ頃から、これはいつか宝塚でやるんじゃないかと思い、
友人と妄想キャスティングに萌えたこともあったのだが
(ヤンに真琴つばさ、ユリアンに大和悠河、ミッターマイヤーに香寿たつき、
ロイエンタールに紫吹淳、キルヒアイスに和央ようか、とか、組など無視で)、
ついに来たか、しかも脚本演出がイケコ(小池修一郎)先生。
あの長大な作品のどこを取るのか、既に勝算あってのことだろうけれど、
私の予想としては、話はきっと銀河帝国が主体で進むのではないだろうか?
だって、自由惑星同盟側の物語で構成したのでは、服装が辛気くさい(爆)。
で、その仮定の上に仮定を重ねて申し訳ないのだが、ラインハルト主人公なら、
もうトップ娘役にはキルヒアイスを演らせるしか、ないんでないの!?
だってラインハルトは、ちゃんとした恋愛をしないんだもの。
娘役の男装、いや、そうだ、もうキルヒアイスを女にしたらいいんだ(逃)。
それにしても、『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』ってタイトルはどう読むのだろう。
やはり開演アナウンスは
「銀河英雄伝説アット宝塚、二幕を、開演致します」
って、男役声で言うわけか(汗)。

・……というような具合で、なんとか楽しいことを考えてはみたが、
やはり腹具合芳しくなく、これからもう一度布団に戻ろうと思う。
きょうの療養の友は、既に何度も読んだ中村光『聖☆おにいさん』。
昨夜寝るときに、ひろさちや『釈迦物語』を読んでいたので、
なんだかブッダの愉快な地上ライフを思い出したくなったのだ(^_^;。

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きりやん(霧矢大夢)の月組が来ていたので、昼公演を観に行った
(@広島市文化交流会館)。
お芝居は『我が愛は山の彼方に』、ショーは『Dance Romanesque』。

私は断然、『我が愛は―』のほうに馴染みがあって、
99年に宝塚大劇場で星組のノル(稔幸)さんが演ったのも観ているけれども、
それ以前に、シメ(紫苑ゆう)さんにとっての、
新人公演主演の思い出の役のひとつだという認識があり、
長らく、私の中ではこれは「そもそも、峰さを理」という印象が定着していた
(星組・峰さを理が主演したのは1984年)。
しかし、きょう会場でプログラムを買って、今更思い出したのだ、
そうだ、もっと前があった、初演は鳳蘭だった!と。

私も、その1971年の星組初演は、さすがに録画すら全く観たことがないのだが、
74年のベルばら初演時代にスターだった生徒さん達のことはわかるから、
初演のキャストは、朴秀民が鳳蘭、万姫が大原ますみ、チャムガが安奈淳、
と聞けば、「そうか、なるほどなぁ」と腑に落ちた感じがした。
宝塚の演し物の多くは座付作者が当て書きをした作品だし、
原作の存在する小説等の舞台化や、海外舞台作品の潤色版をやる場合にも、
どれも、演出家がそのとき演じる生徒に合っているものを選び、
出演者の特性が最大限にいかせるように構成しなおしたものばかりだ。
そういう点から見て『我が愛は―』も、確かに初演の三人にはぴったりだったのだ、
ということが、今回観ていて、とても納得できた気がした。
舞台姿が大きく、カリスマ性で観客を虜にする朴秀民、
主演者としての品格と、細やかな演技力で見せる万姫、
女性客の母性本能に訴える魅力を持っている繊細なチャムガ。

再演キャストは、初演キャストとの持ち味の違いを、努力で埋めるほかないが、
本来が演技者独特の「芸」を際立たせることを目的として構成されている脚本なので、
再演で出演者が変わって「芸の質」が(←「実力が」ではない)違って来ればその分だけ、
そうした初演キャストのための、作者・演出家による工夫が、
ことごとく、ただの脚本的な「不備」や「ほころび」になりかねない、
と、前に思ったことを、またきょうも思った
(以前、雪組公演で『黒い瞳』を観たときも同様に感じた)。

きりやんは、現在の生徒さんの中では、こういう「宝塚歌舞伎」に耐えられる、
芸というか抽出をきちんと持っている人だと私は思うので、
『我が愛は―』を誰かが演らなければならないとしたら、
きりやんが一番適役だっただろう、という点は認める(←偉そうに。すみません)。
しかし、『エリザベート』や『スカーレット・ピンパーネル』を知ってしまい、
それらを宝塚の演目として高く評価する観客が多くなった今、
このような芝居を再演キャストで成立させることは、やはり無理があると思った。
どこを観たらいいかわからず、ひたすら大仰な主題歌と、じれったい展開と、
最後の「まんひめー!」の絶叫ばかりが印象に残って、全体として困惑した、
……という若い人が多かったのではあるまいか?違うだろうか?
そうだとしても、それはきょうのキャストの責任では、ほとんどないと私は思うし、
また単純に「脚本が悪い」という話でもないと思っている。

事実、きりやんは巧かった。
理屈っぽい芝居もできるが、こういう柄優先の演し物のやり方も知っていて、
きりやんは本当に実力のあるトップさんだと感じ入った。
主人公でありながら、脚本的には朴秀民はあまり書き込まれていないし、
活躍の場も、実はほとんど与えられていない。
二番手チャムガのほうが、演り甲斐という意味では、よほどオイシイ役だし、
ヒロイン万姫のほうが、物語を動かすという点では、ずっと能動的だろう。
初演の鳳蘭なら、きっと「居るだけで別格、堂々たる主役」だったと思うし、
だいたい宝塚のトップというのは、二番手以下の周囲が力演すればするほど、
自身は何もせずとも、その真ん中にいて輝きを増していくのが真骨頂なのだ。
これは本質的に大変難しいことだと私は思っている。
今回のきりやんは、その役目に負けていなかった。
ちゃんと主役の位取りになっていて、
……大きかった、というのはいささか語弊があるが(殴)、小さくなかった(汗)。
それはきりやんの芝居の輪郭が、適切に、濃いものになっていたからだ。
きりやんの積んできた舞台経験と、修練、執念のようなものを感じた。

龍真咲のチャムガも、なかなか好演だった。
私が想定していたのよりも、ずっと純粋で一途で、線の細いチャムガだった。
そしてそれは、きりやんとのバランスから言っても、決して悪くなかった。
私が覚えているのは99年に絵麻緒ゆうの演じたチャムガなのだが、
あれはもっとワイルドな感じだったと思う。……記憶違いだろうか(^_^;?
あのときは彩輝直とダブルキャストだったので、
私の記憶が変な風に混乱している可能性もあるのだが。

堂々として何一つ欠けるところのない太陽のような朴秀民に較べると、
チャムガには、懐の深い人間的な魅力がありながら、どこか孤独な陰がつきまとい、
このような男性を放っておけないとヒロイン万姫が思うようになるのは、
観客から見てもよく理解のできるところだと思う。
蒼乃夕妃の万姫は、二人の男性の間で揺れ動く気持ちを演じながら、
最後まで清楚だったので、良かったと思った。
この役は、ヘタをするとただの「よろめき」になってしまうが、
蒼乃夕妃は筋の通った万姫の美しさを、ちゃんと演じて見せてくれた。

ちなみに、私のこよなく愛する越乃リュウ様は、チャムガの副官エルムチ役で、
ダンディな役もヤサグレ入った役も、いつだってコシリュウ様は素敵、
と目ハートにして見入っていたのだが、帰宅してから調べてみたら、
初演のエルムチは但馬久美さんだったのですね。これまた納得の配役だった。
知名度高い先輩方の演じた初演が存在し、しかも相当に古くなってしまった作品を、
今になって手がけることになったきょうの再演メンバーは、
本当に苦労し工夫を重ねて、今回の舞台があったことだろうと、改めて思った。

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『ノバ・ボサ・ノバ』は、カーニバルの熱いひとときを描いたショーで、
ストーリーの流れはあるが、込み入った芝居内容ではない。
ダンス場面の大半が激しい振付で、それを出演者のほとんどは素足で踊らなくてはならず、
衣装は普段と違い、男役でも体の線や脚のラインが出てしまう簡素なものが多い。
しかも場所は八百屋舞台(舞台前面から奥に向かって高くなった傾斜のある舞台)だ。
あの条件で、見せ場を意識しつつ男役の立ち姿を要所要所で決めていくのは、
客席で観ていて感じる以上に、実際は大変な技術を要することだと私は思っている。

実際、過去の公演でも、(主演クラスとは限らないが)出てきた途端に
「そりゃ女の子まるだしだろう(^_^;」
と内心でツッコミたくなるような、無防備な立ち姿の男役が何人かいたものだった。
その点、れおん(柚希礼音)くんの安定感は素晴らしかった。
彼女は、衣装も靴も特別なものは何もなくとも「男役」だった。
更に、れおんくんは台詞や歌がなく立っているだけのときでも、主演者だった。
あの位取りこそ宝塚のトップであり、ノバ・ボサのソール(=太陽)だと思った。

昭和の初演では安奈淳の演じたルーア神父を、叶うことならかつての花組で、
朝香じゅんに演じて貰いたいと、私は密かに、見果てぬ夢を見続けていたものだったが、
今回のすずみん(涼紫央)のルーア神父は、その延長上にあるかのような、
私の想像以上の出来映えで、本当に嬉しく思った。
すずみんは星組系のキザな男役が板に付いていて、研ぎ澄まされたように綺麗で、
しかも技術的な安定もあり、実に心地よくうっとりと見せて貰うことができた。
ルーア神父は清潔感も大事だし、狂言まわし的な技術も問われるけれども、
同時に、物凄く二枚目でないと駄目だと私は思っている。
すずみんは、どの場面でも決してそこを外さないでくれたのが良かった。

ほかに印象に残ったのは、紅ゆずるの演じたメール夫人で、
彼女はヒロイン・エストレーラ(夢咲ねね)の母親なのだが、
大柄な美人で、母親の情もありながら、祭りの一夜にハメを外す面白さもあり、
とても好演だったと思った。
酔っ払って少年ボーロ(音波みのり)に絡むところはユーモラスだが、
浜辺の夜が明ける頃には、彼女はすっかりもとの大人の分別を取り戻していて、
このあたりの変化も少しも唐突でなく、メール夫人のキャラクターがよくわかった。

(多分、続く)

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どうしても『ノバ・ボサ・ノバ』が観たくて、博多まで行って来た。
私はこのショーが、宝塚の演目の中でも特に好きなのだ
本当はこの公演を、4月のKISS神戸公演に合わせて大劇場で観るつもりだったのに、
KISSが突然に来日を中止したものだから(涙)、私の計画も台無しになった。
それで、コレは「観んでええ」という天の声かと、一旦は諦めかけたのだが、
なんと有り難いことに、今回の演目には博多座公演というチャンスがあった。
おお、これぞ天の助け(涙)。

たかこ(和央ようか)さんが退団して以来、私は宝塚の誰にもハマってはいないが、
宝塚歌劇というジャンルは、自分なりの見方もあるし、今でも大好きだ。
そして現在5人いるトップの中では、私は今回主演の、
れおん(柚希礼音)くんが一番気に入っている。
若くて、ダンスが熱くて、歌を聴かせることが出来て、なおかつ男役の型もある、
という意味で、れおんくんは私が久しく待っていた「男役らしい男役」だからだ。

私はこの人を初舞台から知っている。
彼女の初舞台こそ、99年雪組の『ノバ・ボサ・ノバ』だった。
そして続演の月組『ノバ・ボサ・ノバ』のときには、れおんくんは、
新人公演ではあったが出世役と言われるドアボーイ役を務めた
(大昔には麻実れいや寿ひずるなどが貰った役だ) 。
そもそも彼女は、入団前の音楽学校文化祭のときから名前を知られていて、
「あれは凄い、きっと何かになる」と私の周囲でも何人かの人が早くから言っていた。
だから私は彼女がスターになることを疑ったことなど一度もなかった。
けれど、よもや彼女が、『ノバ・ボサ・ノバ』で主演する日が来ようとは!

……と、これだけ熱く語っていながら、実は私は今回、主演者以外のことは、
配役も何も確認せず、予備知識一切ナシで博多に行ってしまった。
特定生徒さんのファンでなくなって久しいので、私は彼女達のポジションにも興味が無く、
むしろ自分の知っている作品・好きな作品を観ることのほうが、近年は楽しいのだ。
それでも、相手役のエストレーラが夢咲ねねちゃんだというのはわかっていたのだが、
二番手格のオーロは誰?マールやブリーザ、メール夫人は役替わり?というあたりは
全く確かめずに出かけた。
それで、見始めた印象として最初に思ったのが、
ソールは予想通りだから良いとして、オーロの存在感があまり濃くない、
ということだった。

私は、スータン(真帆志ぶき)初演で伝説になった昭和の公演はどれも観ていなくて、
知っているのは99年の雪組と月組だけなのだが、
雪組のタータン(香寿たつき)も月組のリカ(紫吹淳)ちゃんも、
それはそれは濃いオーロを見せてくれて、私は大好きだった。
特にリカちゃんのオーロは、登場時の立ち姿も素晴らしかったが、
それとともに一瞬、まぶしげに顔をゆがめて視線を上げるところにシビれたものだ(笑)。
熱い太陽の降り注ぐ様が、魔法のように再現されて感じられたからだ。
……つまるところ私は、リカちゃんが相当好きだったのだねぇ(苦笑)。

そうした印象からすると、今回のオーロは実に綺麗だったけれど、
私の求めるオーロの基準からすると、とてもおとなしいものに思われた。
あとで配役を見たら、この公演でのオーロはダブルキャストになっていて、
きょうは夢乃聖夏、もうひとりのオーロは紅ゆずるだった。
れおんくんとの学年差から来る遠慮があったのか、
それともああいう一見地味なところにこそ、夢ちゃんの持ち味があったのか、
そのあたりのことは、きょう一度見ただけでは私にはわからなかった。

一方、期待通り、いや、それ以上だったのがルーア神父のすずみん(涼紫央)で、
私は彼女については、配役など見ていなくても出てきた瞬間にわかった。
そして、ルーア神父は「ユーモラス、でも正統派の二枚目のつくりでいて欲しい」、
という私の密かな願望にぴたりと答えてくれていたすずみんに感動した(笑)。

**********

書きたいことが多すぎて、今夜は時間切れだ。
また明日、続きを(笑)。

きょうたったひとつ残念だったのは、隣の席の人が、
キョーレツにサロンパスのニオイを発散していたことだった。
香水よりは100倍耐えられたが、しかしまるで、
さながらサロンパスを三枚ばかり、鼻の前につきつけられたかのような状態で、
「リオのカーニバルに中国の旧正月が混ざった」みたいな舞台を、
延々と見せられるのは、かなり厳しいものが、あった(笑)。
今もまだ、なんだかニオイが目の前に漂ってきている気がする。

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