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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



宝塚大劇場花組公演『ファントム』本日13時公演を観てきた。

宝塚の『ファントム』は2004年に宙組の和央ようかが主演したものが初演で、
私はそれを大劇場まで観に行き(2004年5月20日)、
更に東京公演も、和央の会のお茶会に合わせて観に行った(2004年8月7日)。
私が心密かに「宝塚一のマザコン役者」と断じていた和央ようかに、
これほどぴたりと似合う役もほかになかった。
ファントムの幼児性、クリスティーヌとの異性愛とは思われぬ不思議な心の交流、
母親への敬愛、父親への屈折した思慕、などは、
私はたかこさんの表現したものが非常に好きだった。

そういう意味では、今回のファントムらんとむ(蘭寿とむ)くんには、
私はもう少し距離をおいて観ることが出来た。
らんとむくん自身、たかこさんのようにマザコン全開で演じてはいなかったし、
私から見れば、幾分硬く、熱さも激しさも、ほどほどなファントムだった。
そのぶん、穏やかに悲劇的で、彼の孤独は静かに私の心に染みた。
ちなみに私は2006年に花組の春野寿美礼が演じたファントムは観ていない。
今回の花組公演で、初演の宙組とは演出の違うところがいくつか目に付いたが、
それは2006年再演時に改定されたものなのか、それともらんとむくんのために
新たに書き換えられた部分なのかは、私には判然としなかった。

らんとむくんのファントムは、実年齢は大人でも心は少年のままで、
しかも本質的にはかなり素直な人だということが感じられた。
多分、そのまっすぐな愛らしさが、彼女のファントムの魅力なのだと思う。
そしてクリスティーヌ(蘭乃はな)との声の相性がとても良いことに感心させられた。
めいめいの歌唱も勿論悪くはないが、それ以上に二人揃ったときのパワーは圧倒的だった。
初めてふたりの声が合わせられる『Home』の場面など絶妙だったし、
クリスティーヌがビストロで歌うところも、ファントムの声が重なると、
彼女の内に力がみなぎるのが、ふたりの声が響き合うことでズバリと表現されていて、
これはコンビとしてなかなか得難いことなのではないかと思った。

ジェラルド・キャリエールは、いっぽ(壮一帆)くんだったが、
これがまた、年齢が的確に表現されていて、素晴らしかった。
私は全くオペラグラスを持たずに一階20列で観ていたのだが、
いっぽくんの立ち姿からも、声からも、キャリエールの年齢がよくわかり、
ファントムとの距離感も過不足無かった。
今回のいっぽくんのは、二枚目でありながら適度に年配に作っていて、
その加減が正確だったと感じた。
歌も、悪くなかった。
安定感を欠くところもあったが、ちゃんと踏みとどまって(笑)
芝居歌としては申し分なく聴かせてくれたと思う。

初演の宙を観た当時のファンとしては、演出の変更点のうちでは、
『おまえに選択権をやろう』とカルロッタを襲うファントムの衣装が改善されたこと
(たかこさんのは、巨大なピエロみたいな赤いもこもこで意味不明だった)、
そして、ファントムの素顔を知ったクリスティーヌが恐怖で逃げ出してしまったあと、
一人になったファントムが歌う場面の背景画が、これまた美しく改善されたこと
(宙のときは、デッサンのおかしい少女漫画みたいな母子像で、笑えて仕方なく、
私はなるべく背景を見ないようにしてたかこさんの歌だけ聴いていたものだった)、
の二点が、特に気に入った。

総じて、久しぶりに生で見た宝塚版『ファントム』は、やはり良かった。
演出も綺麗だし、女性ばかりで演じる『ファントム』として、
これは良く出来た舞台だと改めて思った(ツッコミどころは多いが・殴、それでも)。

もっと書きたいことはいろいろあるのだが、今夜は時間がないので、とり急ぎ。

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雪組全国ツアー公演が広島に来ていたので、観た。
お芝居が『黒い瞳』、ショーが『Rock on!』。

『黒い瞳』がプーシキンの『大尉の娘』だというのはわかっていたのだが、
私の中ではこれは80年代の宝塚の演目のような気がしていて、
さて誰が演った何組のヤツだっけなと思いながら、調べないまま会場に行ったら、
見始めてから、「おお!これはリカちゃんのプガチョフ!!」と思い出した。
『ステンカラージンの子供たちよ!』、ってヤツだ。
初演は98年月組で、主演は真琴つばさ、相手役が風花舞、
そして私の記憶に鮮やかに残っていたのが、二番手リカ(紫吹淳)ちゃんだった。
彼女の演じたプガチョフは、私の中では今でも、
非常に魅力のあった男役として、大変ランクの高いところにいるのだ(笑)。

きょうの配役は、その98年に初舞台を踏んだキム(音月桂)とまっつ(未涼亜希)が
それぞれトップと二番手の男役で、娘役はミミ(舞羽美海)ちゃんがヒロインを演じていた。
98年月組版と比べたら毒々しさは全くなくて、褒めて言えば洗練された舞台だった。
若々しくて、主演クラスも脇も皆それぞれに芸達者で、
地方公演ならではの大きな役がまわって来た生徒さんもあり、
全体としては、とても楽しく見せて貰った。
見終わった私の気分としては、95パーセントは「良かった♪」だった。
だから以下に書くことは、私の感想の残り5パーセントの部分についてだ。

ロミオとジュリエット』を観たときにも書いたことと重複するのだが、
私のイメージでは、キムは何でも出来て、綺麗で、そつがなくて、
全く文句のつけようのない主演者で、……だからこそ、ちょっとだけ困ってしまうのだ。
宝塚というのは元来がとても「ヘン」なもので、そこに魅力があると私は思っているので、
それを全く「ヘン」でなくスラリと演ってのけられると、
どうにも落ち着かない気がしてしまうのだ。
幾度観ても、私としては、注文をつけるところがない・ツッコんで笑える要素がない、
というのがキムの凄いところでもあり、困ったところでもあると思わずにいられない。

まっつも、全く破綻なく、とても巧みに演じていたし、
「こんないい曲だったのか!」とびっくりするほどの歌唱も聴かせてくれたし(逃)で、
キムとのバランスも素晴らしく、この上なく巧い二番手だったと思う、
……のだが、やはり、リカちゃんの、妖気の漂うような色気ある男役ぶりとは違い、
毒気を大半そぎ落としたような、実にスッキリしたプガチョフだった。
濃い男役が観たい私としては、幾分、物足りない思いは残った。
上手だなあ、と心底感心はするが、未涼プガチョフなら私は狂うところまでは行かない。
勿論、キムとの釣り合いの問題があるから、彼女のほうも自分勝手な造形はできない、
という事情だって十分に察せられたのだけれど。

主役・準主役がこれだけ洗練されていると、その分、脚本の強引なところとか、
ご都合主義的な展開が、悪目立ちしてしまうという問題も、正直なところ感じた。
そういう脚本的に無理矢理な部分というのは、だいたいが、
演技者の「芸」を際立たせるために構成された箇所なので、
再演などで出演者が違って「芸」の質が変わってしまうと、もはやそれらは不要になり、
ただの脚本的な「ほころび」になってしまう場合が少なくないと思うのだ。

折しも、会場で配られていた次回全国ツアーの案内には、
12月に月組が『我が愛は山の彼方に』を持って来ると書いてあった。
初演の峰さを理のは、映像では観たが生ではさすがに観ていなくて、
後日記↑壮大な勘違い。初演は峰ちゃんではない。71年で鳳蘭だった!)
そのあと99年だったか、星組の稔幸が大劇場で演ったものが、私のいちばん近い記憶なのだが、
うぅむ……、あれは『黒い瞳』どころか、きっともっと凄いぞ(汗)。
まともに演じたら、ダサくて、ド演歌で、大変なことにならないだろうか。
冗談でなく、猿之助の「俊寛」並に大仰に演らないと脚本に耐えられないと思うぞ(逃)。

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宙組バウホール公演『記者と皇帝』11時公演を観てきた。
ほっくん(北翔海莉)が主演であるうえ、
ソルーナ(磯野千尋)さんが重要な役でご出演だったので、
私にとっては一回で二度美味しい布陣だった。

現在の宝塚で私の思い描く『スター男役』として最も典型的なのは、
多分、星組トップのれおん(柚希礼音)くんなのだが、
一方で、今の私を切なくさせる要素を一番持っている男役は、
きっと、この北翔海莉だと思う。
私にとって、彼女の何が、ほかの男役と違うのか
我ながら定かでないところもあるのだが、
とにかく、ほっくんの何かが心の琴線に触れて来るのを、
私は、彼女の舞台を観るといつも感じるのだ。

ほっくんに初めて注目したのは、2002年月組『ガイズ&ドールズ』のときだから、
考えてみるともう、十年近く前のことになる。
あれから、彼女のバウ主演はずっと気をつけて観るようにしており、
2003年月組バウホール『恋天狗』、
2005年月組バウホール『BourbonStreet Blues』
2006年月組バウホール『想夫恋』、
の三本は生で観劇をしたのだが、
2007年宙組バウホール公演『THE SECOND LIFE』だけは見逃してしまった
(ほかに月組宙組の大劇場公演・東宝公演では観る機会が幾度かあった)。

というわけで、今回は私にとって実に久しぶりに、
ほっくんを堪能できる機会だったのだが、
どう言ったら良いのか、何か発散しきれないものが残った公演だった。
ほっくんは、歌も芝居も踊りも言うことがなく、スタイルも良いと思ったし、
男役の型もあるし、顔立ちも整っていて、表情豊かでコメディセンスもあり、
悪くない、どころか相当高い水準の舞台だったと思うのだ。
が、……何か、とても重要なところで「惜しい!」と思えてならなかった。

恐らく、それはビジュアルの問題だという気がした。
以前から、その傾向はあったとは思うのだが、今回特にそれを強く感じた。
メイクか髪型かがもう少し違っていれば、全体として格段に良くなっていた筈なのに!
という点が、あまりにも、かつてなく、残念に思われたのだ。
ほっくんの雰囲気は、例えば宝塚大劇場で3000人をウットリさせるものとしては、
路線が僅かにだが大事なところで違っているのではないか、と私は思った。
脇役だったらさほど気にしないところだが、ほっくんは紛れもない、主役をやる人だ。
下級生の頃からそのように育ってきたのだし、今もそれは続いている筈だ。
雰囲気づくりとか、ムードの出し方というような、高度で荒唐無稽な話ではない。
もっと基本的で表面的な、……つまり「顔の仕上げ方」(汗)の問題ではないかと。

くどいようだが、全体としては及第点どころか、素晴らしい出来映えだったと思うのだ。
声が良いし、歌など余裕で歌えてしまうし、芝居の呼吸も見事だった。
脚本の不備がほっくんの力量で救われている箇所も多かったと思ったくらいだ。
今回特に努力が要った箇所は、強いて言えばタップダンスか?とは思うが(笑)
それだって体のキレも良いし、背丈もあるし、何も注文などなかった。
昔から、ほっくんに注目して来た者としては、「萌え」ポイントもたくさんあった。
だからこそ、あのビジュアルのちぐはぐな印象は、どうにも惜しいと思ったのだ。
素材として「あかん」というタイプ(逃)なら、諦めようもあろうが、
ほっくん本人には、とりたてて難はないと思えるだけに、よけいに残念だった。

一方、私のもうひとつのお目当てであった「皇帝」役のソル(磯野)さんは、
期待以上に見事だった。
主役コンビのふたり以外では唯一、ポスターにも登場する役で、
劇中での意味合いもとても味わい深いものだった。
今のソルさんに、こういう役が回ってきたことを、ファンとしてとても嬉しく思った。
ソルさんは、チェンバレン役の風莉じんを従えて主役の両脇を固めていて、
このふたりのそれぞれの充実ぶりも、観ていてとてもとても豪華だと感じた。
終盤の、力のある歌のソロも、存在感とともにさすがはソルさん!だった。

そう考えると、北翔・磯野・風莉と言った鉄壁の実力派たちに演らせるには、
今回のは若干、脚本のほうが軽すぎたかもしれない、という気もした。
もっと重い手応えのある話であっても、この面々なら十分に応えただろうと思う。
しかし、時期的に今は私のほうが、重い話を観たい気分ではなかったから、
こういう明るく後味の良い演目を楽しむことが出来たこと自体は、
決して、悪くなかった、とも思った。

終演時のほっくんの挨拶が、今回の震災に言及したものになっていて、
こんなときだから尚更、心を込めて演じたい・出来る限り幸せな気分を届けたい、
という彼女たちの思いが、私にもひしひしと伝わってきた。
一見するとたかが娯楽かもしれないが、実は平時とは言えないときのほうが、
彼女たち舞台人の果たす役割は、いつも以上に切実な意味があると思うし、
今も、そしてこのあとも、彼女たちでなければ務まらない仕事が、
まだまだ続くことだろうと、きょうのような日だからこそ、強く思った。

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私は最近の宝塚に関しては、以前のたかこ(和央ようか)さんのように、
入り出やお稽古待ちをしてまで見るような、贔屓の男役さんはもう居ないのだが、
長年応援している専科のソル(磯野千尋)さんがご出演になるときには、
できる限り、宝塚大劇場や宝塚バウホールまで遠征することにしている。
ソルさんは、なーちゃん(大浦みずき)と同期の入団で、
なーちゃんトップの花組時代から現在に至るまで、ソルさんの舞台を、
私は本当にたくさん見せて貰い、今となっては、とても思い出深い生徒さんなのだ。

それで、きょう改めて宝塚公式サイトで、これからの公演予定を見てみたのだが、
ソルさんはなかなかにご活躍で、出演予定公演が続いており、
私にも結構、聖地巡礼(笑)の機会がこの先もありそうな感じだった。

まず宝塚バウホール宙組『記者と皇帝』(3月17日(木)~3月27日(日))、
同じくバウホール雪組『ニジンスキー』(4月28日(木)~5月8日(日))
の両方にソルさんは出られるそうなので、私も必然的に期間中のどこかで
宝塚まで出かけることになると思う。
バウホールというのは、大劇場の横にある500席程度の小ホールで、
若手や二番手までの男役にも主演のチャンスが与えられる劇場だ。
上記二作品も、前者は宙組三番手北翔海莉、後者は雪組二番手の早霧せいな、
がそれぞれ主演し、出演者も総勢30名ほどの規模の公演になっている。

そして、そろそろ季節も良くなることなので、バウまで出向いたついでに、
大劇場や梅田のドラマシティでやっているほかの公演も観ることができないものか、
と私はさらに欲を出して調べてみた。

梅田ドラマシティ宙組『ヴァレンチノ』(3月8日(火)~3月20日(日))
昔々、雪組のカリンチョ(杜けあき)が主演したのを私は覚えている。
あれをゆうひ(大空祐飛)くんで観られるなんて、実に面白そうだ。
宙組バウを初日かその直後に観れば、期間的にこのドラマシティと重なっている。
しかし、宝塚から梅田に移動するのにはそれなりの時間をみておかねばならない。
バウを平日午前中に観るとなると、梅田は平日午後は18時半しかないから、
全部終わってから新大阪に移動し、新幹線に乗るとすれば、深夜帰宅だ(汗)。
これは難しい。

一方、4月下旬からの雪組バウのときは、隣の大劇場の公演が私にとっては魅力的だ。
宝塚大劇場星組『ノバ・ボサ・ノバ』『めぐり会いは再び』(4月15日(金)~5月16日(月))
これは同じ建物の中で動くだけだから、移動時間のロスは考えなくて良い。
大劇場11時公演を観て、即座に移動してバウ14時半を観ることが可能だ。
演目はノバ・ボサ、しかも、れおん(柚希礼音)くんがソール、
更に二番手オーロがトリプルキャストだと!観ないでどうする!

そう考えていて、私はハっとなった。
そうだ、5月!大阪松竹座で團菊祭が、あるじゃないかっ!!
バウを17時に終わってからなら、松竹座の夜の部の、
最後の演目か、巧くいけば最後から二番目の演目に間に合うのではないか。
音羽屋の旦那さん、一体いつから拝見していないのだ私は!!
宝塚から道頓堀、行って行けないことは、ないだろうが!!

………あ、いや、駄目か。もちつけ。
そんなことをしたら、やはり深夜帰宅になってしまう。
私は、どこまで性懲りもないことを考えているのだろう。
それに、午前様になるより何より、こんなん、ほんまにやったら鼻血出る。
バウ、大劇場、松竹座、三本立てなんてシヌ(爆)。

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宝塚大劇場雪組公演『ロミオとジュリエット』本日11時公演を観てきた。

いきなりで恐縮だが、私は昔から『ロミオとジュリエット』が喜劇のように思える。
だいたい、16歳の娘が、夕べ初めて会ったどっかの男と数時間で結婚を決意し、
翌日教会に行って勝手に式を挙げて来たら、そりゃどこの親でも逆上するだろう(笑)。
壮大な恋愛のように描かれているが、あの、結婚するの死ぬの生きるのという騒動は、
全部でわずか二日半くらいの出来事だ。
死ぬところまで入れても五日間?
そして、その若い二人の命がけの恋に打たれたからとはいえ、
仮死状態になる毒薬をジュリエットに与えておいて、見守ることさえ怠った神父は、
どう考えても計画力・思考力・判断力すべてが欠如している(爆)。
うろうろせんと、ちゃんと最初から霊廟に貼り付いて見張っとらんかオノレは!!
事件発覚時、家族は細かい事情を知らないから、怒るどころか改心などしていたが、
本当は、ふたりが死んだのは、神の怒りに触れたとかなんとかではなくて、
単に、神父の間抜けな計画のせいだったのではないだろうか。

……いや、そんな興ざめなことを言っては、いけないのだ。
この物語のすべては、ファンタジーだ。大事なのはリアリティではない。
一瞬で何もかも燃やし尽くすほどの、激しい一途な恋、
そこにある若い二人の純粋さのみを、真実だと考えれば良いのだ。
恋の美しさが弛緩せず力を発揮し続けるためには、結末は悲劇しかないのだ。
理屈を言いツッコミを入れて悦に入っているほうが、よほど無粋なのだ。

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この雪組公演は新トップのキム(音月桂)の大劇場お披露目という位置づけだが、
雪組では現在、トップ娘役が固定されておらず、
今回の公演期間中もジュリエットは、みみ(舞羽美海)ちゃんと、
研1の夢華あみちゃんのダブルキャストとなっていた。
私の見たきょうの公演は、みみちゃんジュリエットのほうだった。

さすがにイケコ(小池修一郎)先生の演出なので、舞台は見応えがあった。
題材も設定も古典的でありながら、現代風の芝居運びと音楽とで、
観客を最後まで引きつける内容だったと思う。
ただ、残念なのは、台詞のある役が大変限られたものだったということで、
大劇場で、この人数で、上演する必要のあるお芝居なのか?
という疑問を、ついつい感じてしまった。
この内容なら、まあバウホールではさすがに小さいだろうとは思うが、
大劇場の半分くらいの大きさの場所でやってちょうどではないだろうか。

キムは綺麗で洗練されていて、歌も巧いしお芝居も自由自在だし、
見る前から「きっと見事にできるのだろう」と思っていた通りの舞台姿だった。
歌もあれだけ歌えれば文句はないし、宝塚が初めての団体客に見て貰うにも、
キム主演なら全くなんの心配もないと感じた。
しかし、欲を言えば、そのあまりに見事にまとまっているところが、
かえってキムの弱点でもあるかな、という気もした。
「変なところ」が全然ないというのは、つまらなさとも紙一重で、
宝塚という「かなり変」なジャンルで真ん中に立っている人として、
キムの上手さ、綺麗さ、は果たしてあれで良いのだろうか、
と、どこかで物足りなく思ったのも本当だ。

みみちゃんもジュリエットに関する限りは良かったと思う。
声も綺麗だったし、16歳というジュリエットの若さも無理なく出ていた。
キムが際だって生々しさのない男役なので、ジュリエットとして添うのは
なかなか難しいことだったのではないかと想像するのだが、
みみちゃんは可憐で、ファンタジーとしての娘役をうまく演じていたと思った。

今回、ロミオとジュリエットのデュエットダンスが、
お芝居のラストのほうにしかなく、ショーで見られなかったのが、
もし役替わりという制約のためだとしたら、残念なことだと思った。
やはり宝塚を観る者として私は、ショーのクライマックスで
トップコンビのデュエットダンスが観たいし、
ふたり揃って銀橋で拍手を受ける演出のほうが、納得感があったと思う。
今回は特に、ロミオとジュリエットの魂が、ひたむきにお互いを見つめ合う、
というようなお芝居であるだけに、尚更、主役コンビのデュエットダンスは
いつにもまして、重要な意味合いがあった筈だと思う。

ちぎ(早霧せいな)ちゃんのマーキューシオは、ロミオとの対比が鮮やかで、
キャラが立っていたのは魅力的だった。
しかし御免なさい、私は私なりに原作からのマーキューシオのイメージがあり、
それは今回ちぎちゃんが演じたものとは、かなり違っていたので、
新鮮な驚きもあったし、正直なところ失望もあった。
私が思っているのより、ちぎちゃんのは若くて軽いマーキューシオだったため、
ティボルトの刃に倒れた場面で、ロミオの大事な友人が死んだ、とは感じたが、
物語の支え手である重要な人物がここでひとり失われた、
という手応えまでは、少なくとも私には伝わって来なかった。
ちぎちゃんは最初から、そのようには演じていなかったのかもしれない。
私が勝手に自分の前提で観たのは申し訳なかったと思っている。

まっつ(未涼亜希)のベンヴォーリオには、畏れ入りました。
私はきょうは主役以外誰が何をやるか全く知らずに行ったのだが、
最初の第一声から、まっつには「誰!?」と圧倒された。
二階席から観ていても胸のすくような舞台姿と、冴え渡る口跡が素晴らしかった。
ショーのダンスでも、まっつには宝塚らしい男役の型があり、実に見事だった。
ある意味、今の雪組の布陣は大変面白いことになっていると思った。
優等生的で白い王子様であるキム、明るいやんちゃな持ち味のちぎ、
そして男役度が高く柔軟な力量で彼らを支えるまっつとが、
とても良いトライアングルをつくっていると感じられたからだ。

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フィナーレナンバーの最後のほうで、キムを真ん中にして、
ドレス姿のふたりが絡む場面があって、私は初め漠然と、
そのふたりはダブルキャストのジュリエット二人なのかと思っていたのだが、
あとでプログラムを見たら、沙央くらま×大湖せしる、なんと男役二人だった。
ジュリエットの乳母(沙央)と踊って楽しいか、ロミオ(爆)。

しかし大湖せしるは、さすがに男役なので体つきは大きかったが、
芝居の中で演じていた『愛』を象徴するダンサーの役は素晴らしかった。
もうひとり『死』を踊った彩風咲奈とともに、このダンスの配置は、
宝塚らしいエッセンスを物語全体に加味していたと思うし、
どちらも適役だったと思った。
彩風咲奈は大湖せしるとのバランスのためもあったかもしれないが、
パレードからあと銀橋でも非常に良い立ち位置にいて、
まだ研4くらいだと思うのだが、男役であの若さで、
少しも位負けしていなかったのが立派だった。

トップが交替し、上級生が卒業して行くのは寂しいものがあるが、
こうして急に大きな役に挑戦することになった生徒さんの姿や、
思いがけない若手の活躍を見ることが出来るのは、やはり良いものだな、
ときょうはしみじみ思ったりもした。
雪組は新たに、良い組カラーが出来つつあるのではないか、という気がした。
またこれから別の演目でも観てみたいと思っている。

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某掲示板で紹介されていたので、読んでみたらウケたウケた。
はるな檸檬『ZUCCA×ZUCA(講談社MORNING)

宝塚に熱中しファンライフの何たるかを知っている人なら、
ここに取り上げられていることの多くは身に覚えがある筈だ。

第33場 不動産、アパートではないが観劇のためのホテル探しが毎回コレだった。
値段以外の縛りは「日比谷の東宝に一本で行けるか」、ただこれだけ
(西の宝塚大劇場のほうは最初からホテルが限られるから問題ない)。
有楽町か日比谷、銀座、悪くしても東銀座(←歌舞伎座にも行くから・爆)。
舞台そのものを見るばかりでなく、贔屓の生徒さんの楽屋入りと楽屋出にも
行かなくてはならないので、行き帰りに便利な立地のホテルでないと困るのだ。
部屋の綺麗さや設備の内容、レストランの善し悪しなど些細な問題だ。
あとは部屋で自由にビデオが観られると、ポイントが更に高かったものだ。

第28場 面接、私も昔、仕事で某放送コンクールの審査員をしたとき、
エントリーしてきた高校生の中に、そりゃ宝塚の芸名ちゃうんか、
と思える名前があって悶絶したものだった。
悶絶の理由を同僚の誰にも言えないし、ましてや本人には訊けないし。

第21場 全国ツアー、めちゃめちゃわかる(爆)。
独身時代の私は、こういうことのために仕事をしていたようなものだった。
旅行の趣味は元来全然なかったのに、旅公演を観るためだけに各地へ行った。
地域の美味しいものも名所も何も知りゃしない。行ったのは劇場ばかり。
初めての場所へ、地図を頼りに電車を乗り継いで行き、宿を取って泊まる、
ということに慣れたのは、ひとえに宝塚(とその他)関連の「道楽」の御陰だった。
私はこの活動を通して、知らない土地へ行っても、顔見知りの人間が居なくても、
目的のためなら大抵のことが、ひとりで解決できる人間になった(爆)。

第11場 用事、これは本当に身につまされる。
贔屓の生徒さんがいるときは、彼女の出ている公演期間はこちらも超多忙だ。
舞台は観られる限り何度でも通い、遅い日はショーだけでも観るようにし、
それができない日でも、「入り」と「出」には行けるように、
こちらの仕事の内容や時間を調節する必要があった。
初日や千秋楽などの大事な日(笑)は、特に早くからスタンバったものだ。
また、長い公演期間中には、えてして様々なことが起こる。
贔屓が風邪ひいたり怪我したり、場合によっては代役騒動になったり。
その都度、ファンは安穏としてなどいられない。現地に駆けつけなくては!
断っておくが、どれほど贔屓にしていても、こちとらは生徒さんの身内じゃないし、
多くの場合、顔見知りでさえないのだ。
「忙しいのよ、今、公演中だから」
は、ファン同志なら問題なく通じる説明だが、一般人には絶対に理解できない。
もしも言おうものなら、
オマエが出演するわけでもないのに、何が「公演中」だ?
と呆れられるのが関の山だ。

第10場 夏のイベント、これまた一般の人には意味不明なものが
宝塚ファンには非常に価値がある。
男装して目の上を青くしているお姉ちゃんたちが好きだ、
というところまではわかって貰えても、
なんでそんなおじーさんの作品まで必死で聴きに行かねばならないのか、
普通の生活をしている人たちには理解できまい。
どの生徒さんがどの時期の何に出演して、その役名がどうで主題歌が何で、
だから、この人が今の時期にこれを歌うのが、思いがけない豪華さなのだ、
等々と把握している者同士でないと、こういうものの価値はわかり合えない。

第8場 お誘い、宝塚ファンの大事な心得のひとつに、
『見られる舞台はすべて観る』というのがある。
声がかかったら、贔屓組でなくともとりあえず『行く』と返答する。
行けるかどうかなど考える必要はない。都合をつけるのは、それからだ。
どの公演でどんな出会いが(←舞台上の生徒さんとの)あるかわからないし、
更に、往々にして「あのとき、あの舞台を観ておいて良かった!」
としみじみと思い知る瞬間が、数年あとにきっと訪れる。請け合ってもよい。

第2場 カレンダー ①、これも本当に大切なことだ。
各組の公演お稽古が始まる日を「集合日」というのだが、
退団予定者があるときは大抵、その日に発表される。
ファンクラブに入っていれば、前日や当日朝に会員向けには、
「卒業させて頂くことになりました」等の封書が郵送されて来るが、
そういうツテがないときは、劇団発表、または仲間からの速報、がすべてだ。
気に入った生徒さんすべてのファンクラブに入ることなど、普通できないだろう。
「集合日」は仕事をしていても朝から落ち着かない(笑)。
携帯というツールができてから、私は仕事中も携帯は机の上に出しておいていたものだ。
○○ちゃん退団!の知らせが仲間から来ると、仕事部屋から走り出て、建物の外で、
「どうする!もう今度の○○の公演が最後だよ!お稽古待ち、とりあえず、この土曜日!」
みたいな打ち合わせをしたものだった。


それにしても、なんだか、とても懐かしい気がしてしまった。
今、私はそこまで必死の思いで熱中する贔屓の生徒さんが居ないので、
もはやこういう生活も、しなくなって久しい。
宝塚歌劇は見方もわかっているし楽しいので、今でも機会があれば観るが、
以前のように、「各公演一度は観る」という熱意はなくなった。
これは私が宝塚ファンとして終わったということなのか、
それとも、ファンとしての「モラトリアム」の時期に入っているだけなのか。
前者であることを祈りたい。家族のために(爆)。

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月組ドラマシティ公演、29日12時を娘と一緒に観た。
主演がきりやん(霧矢大夢)だったので、見応えはあるだろうと思った通り、
破綻がなく随所に楽しい見どころがあって、良い舞台だった。

きりやん扮する若手ジャーナリストのホーリー・アシュレイは
温かみもあるし野性味もあるしで、男役らしい所作もごく自然だったし
なんの不安もなく観ていられた。
声も良いしダンスもキレがあるし、きりやんは本当に実力ある主演者だ。
私の思うこの人の魅力は、登場人物との距離の取り方がその都度、適切だという点だ。
ジゼルに対して徐々に接近するときの心のあり方、彼女の正体を知ってのちの気持ち、
身近にいる仲間への態度や、逆に敵対する人への向かい方、等々が、
観ていて快感があるほどよく伝わってきて、実に的確だと感じた。
きりやんの演技を観ていると、物語の中での、そのときのホーリーの立ち位置、
彼を囲む人々の動きや距離感が、本当に生き生きと表現されていたと思う。

相手役の蒼乃夕妃は女優ジゼル・モーガン役。
ブロンドの似合う大人っぽいヒロインで、
台詞声が低めなのも役柄に似合っていて良かったと思う。
少女のままの、真っ直ぐでナイーブな部分が、
これまでの苦しい日々によって、ほとんど封印されかけていた、
という現在の彼女の境遇を、大変にわかりやすく巧く演じていたと感じた。
だが最後に、ボストンに行くと言い、「さようなら」と川のほうを向いたときには、
私は『身投げか!』と誤解し、あとで娘も『死ぬんかと思った』と言っていて、
果たして問題は、演技にあったのか演出にあったのか、
それともこちらの見方が間違っていただけか(汗)。

みりお(明日海りお)くん扮する歌手Z-BOYも好演で、
冷たさや傲岸さと同時に、皆に愛される側面も良く出ていたと思うのだが、
ビジュアルが、昔の浅倉大介みたいで(爆)、娘と大ウケした。
赤いジャケットなんて本当に大ちゃんが着るようなデザインだった(笑)。
その美しいZ-BOYに絡む、ディスコSTUDIO 54の支配人スティーヴ役が、
私の大好きなコシリュウ(越乃リュウ)様だったので、もう萌え萌えだった。
なんと艶やかで妖しい大人の男性なんだろうか!
私の「余裕あるオジサマ」を好む性癖は、年々、拍車がかかっていると思った。
宝塚だから押さえてあったが、スティーヴとZ-BOYは長く深い関係にあったことが明白で、
この二人の間はかなりドロドロしていたのだろうなと想像してしまった。

相変わらず麗しい花瀬みずかがシスター・パメラを演じていて、
かつてはトップ娘役も間近かと思われた彼女が、
こんな母性のある、しっとりした大人の女性役を演じるようになるなんて、
この十年の月日の流れを、なんだか実感してしまった。

青樹泉がカメラマンのバド・ブーンをやっていて、力演だったとは思うが、
脚本的には存在感が薄く、彼がいなくては物語が動かない、
というほどの役割を与えられていなかったのが、どうも残念でならなかった。
彼女の、演技者としての力不足ではなくて、場面構成の関係上、
記者のホーリーがここぞというときに写真を自分で撮ってしまうので、
バドのほうはせっかく写真を本業にしていながら、しどころがなかったのが理由だ。

そういう意味では夏月都のアンナ・マリーも、洋風の黒柳徹子みたいだった割には、
別に物語に決定打を与えるような役柄でもなく、私は観ていて消化不良だった。
彼女はホーリーを外側から大変よく観察してくれていた人だった筈で、
夏月都の演技もそうなっていたと思うのだが、
結局のところ、物語のカギを握る人物とは関係なかった。
飼い犬も含めて、最初から最後まで、とても意味ありげな存在なのだから、
彼女のツルの一声で何かが決まるとか、運命が分かれるみたいな一瞬でもあれば、
観客として欲求不満が残らなかったのになあと思った。

HOT WEEK編集長のルーシーは憧花ゆりのが演じていたが、
私から観ると、これはまさに、デス・レコーズの社長(爆)。
『デトロイト・メタル・シティ』で煙草片手に根岸をいたぶっていた、
あの社長(映画では松雪泰子)の雄姿を、まざまざと思い出してしまった。
これまた宝塚だからこそ、ペプシコーラのラッパ飲みで代用されていたが、
本当はもっとヤバいものを愛飲していたに違いない(笑)と思った。
それにしてもクライマックスのクリスマス・パーティの登場場面での、
「待たせたな、カメラ屋!」
の一言の呼吸は素晴らしかった。私も思わず笑った。

ほか、娘が大変気に入っていたのは、そのルーシーにコキ使われる、
HOT WEEK編集部の若手三人組だった。
細かい芝居をあちこちでしていて、大変愉快だった。
それと、孤児院の子供達の縄跳び場面は、一体どれほど練習したことだろうか。
東京公演になったら更に上達して、達人の領域に達していそうだ(笑)。

全体にとても楽しく観ることができ、ラストも納得できるものだったが、
物語の舞台が1979年ということで、ショー部分の選曲が、
1979年の日本の歌謡曲中心だったのには、困った(笑)。
『ヤング・マン』と『イン・ザ・ネイビー』は洋楽から来たものだからまだいいが、
『銀河鉄道999』『美・サイレント』『ヒーロー』など純然たる日本産音楽が
何か当たり前のようにショーナンバーとして出てきたときには、
あの頃の「ザ・ベスト・テン」がいやでも蘇って、どうもこうも違和感があった。
さきほどまでNYの西54丁目の話を観ていた筈だったのに、
ここからハッキリ「昭和54年」になったものだから。

それと、そうそう、Z-BOYは全米一のロック・シンガーだった筈だが、
彼がジゼルのために作曲したという『My Little Lover』のテーマ曲は、
まさに正真正銘、くっきり宝塚調に染め上げられた一曲だった。
私はこれにも、かなりウケた。アメリカ人にこんな曲が書けてたまるか。
その曲、ニッポンの宝塚の芝居からパクって来たやろZ-BOY?と。
すみません。

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花組全国ツアーが広島に来ていて、本日昼の部を
友人某氏が誘って下さった御陰で観ることができた。
演目は、お芝居が『メランコリック・ジゴロ』、ショーが『ラブ・シンフォニー』。
私は93年に、このお芝居の初演を観ている。大劇場まで観に行った。
それまで贔屓だったなーちゃん(大浦みずき)が退団した直後の花組だったが、
ヤン(安寿ミラ)×ミキ(真矢みき)が、まるで男役コンビのように人気があり、
とても良い雰囲気で盛り上がっていて、嬉しかったことを覚えている。

そして、私の記憶に間違いがなければ、これの東京公演のとき、
主演のヤンちゃんが途中で肺炎か何かで休演せざるを得なくなり、
数日間だけ新人公演主役のチャーリー(匠ひびき)が主役を務め、
そのあと、本来の代役だったタモ(愛華みれ)が代演を引き継いだ、
というアクシデントがあったはずだ。

しかし、そのような周辺の出来事を除くと、
今回、私は肝心の物語のことは、さっぱり思い出せなかった。
とても愉快な展開で、後味が良かったような、微かな記憶はあったが、
誰が誰をだまして?誰の正体が何で?等々はキレイに忘れてしまっていた。

それを、きょう、改めて観て、終わって、いろいろと思い出して。
そして、つくづく思ったことは。
すみません。正直に言います。
『昔の正塚先生の脚本は、本当に素敵だったんだなあ』ということだった(逃!)。

笑いのセンスが洗練されていて、どうかすると吉本新喜劇並みにテンポが良く、
一方でさりげなく切ない台詞も用意されていて、ラストはお洒落な余韻が残って。
何より素晴らしいのは、小さな役でも隅々にまで血が通っていて、
短い場面や台詞ひとつさえもが、印象的に書かれていることだった。
そういえば80年代終盤からの何年かは、
私が宝塚で一番好きな作家は正塚先生だったよな、と今頃になって思い出した。
89年『ロマノフの宝石』、91年『銀の狼』のあたりなんて最高だった。
なーちゃんファンの面々は勿論、これらの前に83年『アンダーライン』を
書いて下さった先生として、正塚先生のことはほとんど神格化して見ていた筈だ。

これがどうして、いつからおかしくなってしまったのだろう。
1998年『ブエノスアイレスの風』や1999年『Crossroad』の頃には、
作品的にはどっかで聞いた雰囲気の台詞が多いな、という飽きた感じが出始めていて、
でも主演者の魅力は最大限に出ているのだから、これもアリかなと
観客としての私にはまだ、肯定感が残ってはいた。
しかし2004年『BOXMAN』で、どう観れば良いのかわからず私は道に迷い、
2005年の『ホテル・ステラマリス』になると、
もう全然、正塚作品のどこが良いのか理解できなくなっていた。
依然として観客動員は良かったのだから、
変になったのは多分私のほうだったのだろうけれど。

今回の出演者については、のちほど書く気になったらまた改めて書きたいと思うが、
とにかく久しぶりに文句なしに楽しい宝塚歌劇を観ることができて、
きょうは本当に良かった。
初演時に主演したヤンちゃんが幾度か言っていたことだが、
お芝居とショー、という二本立てこそ、やはり宝塚の王道だと私も思うし、
楽しいお芝居と華やかなショーをこうして見せて貰うと、
本当に宝塚はイイなあと、忘れていたものを思い出させて貰った気分になった。

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最後に、会場で見聞きした小ネタ。

・『緊急告知!』と会場に大きな貼り紙があり、
来年5月雪組公演決定!14日広島文化交流会館!と大書してあった。
「文化交流会館ってどこ?」「ここか!」
と私の背後の人々が会話していた。
そうなのだ。
きょうの、この会場はつい最近、「厚生年金会館」から「文化交流会館」へと
名称が変わったばかりなのだが、未だに市民の間で全然定着していないのだった。

・ショーの中のご当地ネタで、
まとぶん(真飛聖)『広島と言えば?』
花組生『もみじまんじゅう~!!』
まとぶん『おいしいよね♪』
というのがあったが、私の背後では、あちこちから、
「違う!」「お好み焼きじゃろ!」とツッコミが入っていた(^_^;)。

・私は例によって二階の後ろのほうにいたのだが、
少し前のほうには、どこかのファンクラブの一団がまとまって座っていた。
彼女たちは、舞台の展開を熟知していて、スターの登場場面になると、
一斉に、揃った拍手をカンカンカンカン!と行い、
次の瞬間、拍手をやめ、今度はサっと全員でオペラグラスを上げていた。
一糸乱れぬ動きだった(笑)。
私もあれをやる側にいたことがあるので、とてもよくわかった。

・ショーになると、私の斜め後ろのあたりの女性客が俄然、元気になった。
私語をやめず、ショーの音楽は賑やかなので、負けじと声を張り上げ、
観ながら活発なお喋りを続けていた。よく聞いてみると、
「見て!足が長~!」等と、身の毛もよだつほどしょーもない(爆)話だった。

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11時公演を観てきた。

れおん(柚希礼音)くんがもともと巧いうえに貫禄がついてきて
なんとも見事な男役姿だった。
現役の生徒さんの中で、私の望む傾向の男役度が最も高いのは
多分、れおんくんだなと観ていて思った。
型ができていて、そこに演技の奥行きが備わっていて、ムードもあり、
こう言ってはナンだが、まさに「歌えて踊れる麻路さき」で(爆)、
私のイメージの中では、れおんくんは宝塚トップの決定版に近いと思った。
こういう人こそ、若くてもトップを任せていいし、またそうするべきなのだ。

更に、今の星組はトップ男役の上に上級生が何人もいて、
その中にはすずみん(涼紫央)のように、純然たる星組系の
男役のたたずまいを身につけた人までいるので、本当に見応えがあった。
上級生が充実していてこそ、舞台は豪華になるし下級生も育つのではないだろうか。
過去の組や現在のほかの組でも起こっていることだが、
組長のすぐ下がトップ男役、という配置は私にはあまり良いこととは思われない。

『花の踊り絵巻』は、日舞の素養がない私にはよくわからない演目だったが、
出演者の生徒さんも、裾捌きや立ち居振る舞いに苦労している様子が
客席で観ていてもときどき感じられた。
しかし花道にずらりと和装の生徒さんが並んで、チョンパ!で幕開き、
というのは、やはり日本物ならではの華やかさで、良いものだと思った。

『愛と青春の旅だち』は映画を踏襲した内容で、
演技的にも、皆のキャラが際だっていて、見応えがあった。
ただ、書割が高校美術部の製作みたいな慎ましさで(爆)
よほど予算が無かったのか、とも、つい思ってしまった。
すみません(逃)。

芝居で、軍隊用語のまま出て来る『DOR』が何の略なのか
(士官学校を中途で『希望退学』する、という文脈で使われる)、
途中から気になって、困った(苦笑)。
DはDrop、それともRがRetire?と悶々とした。
帰宅して検索したら、「Drop by Own Request」らしかった。

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昨日13時の、花組大劇場公演千秋楽を観てきた。
行こうか行くまいかと相当迷ったのだが、
やはり『麗しのサブリナ』だから観てみたいと思ったし、
前日の通訳案内士試験で玉砕したのでキレた面もあり、決行(笑)。

『麗しのサブリナ』は、主演クラスに関してはとても良い出来だと思った。
映画の『麗しのサブリナ』やリメイクの『サブリナ』のどちらと較べても、
まとぶん(真飛聖)のライナスは若々しくて、設定に無理がなく、
しかも彼女らしい温かみがよく出ていて、魅力があった。
ただ私がひとつだけ疑問に思ったのは、このライナスは、
少なくとも私の目には、最初から少女のサブリナを優しく見守り、
意識はせずとも心のどこかで深い愛情を抱いていたように見えたのだが、
それは、まとぶんの計算なのか誤算なのか?という点だった。

台詞や歌詞の中では、脚本としてのライナスは、
『初めはなんとも思っていなかった。途中から恋に変わった』
という意味のことを言っていたのだが、まとぶんライナスは、
周囲が言うような仕事一筋の固い男には全然見えず、
最初からサブリナに心惹かれていたように見えた。
パリから戻って美しい女性に変身したサブリナを見たときも、
デイヴィッド(壮一帆)が、彼女の現在の美貌のみに惹かれたのとは違い、
まとぶんライナスは、以前のサブリナを思い、その成長も含めて胸を打たれた、
つまり、もう愛していた、……というふうに見えた。
ただ、彼は仕事のできる、理性的な男だったから、
こんな恋などあってはならないと思い、自分で自分を相手にしなかった。
だから、弟の代理と称してパーティーの夜、サブリナに近づき、
弟のかわりにと、彼女と乾杯し、ふたりで踊り、キスを交わす場面も、
ライナスが自分を制御しつつ、言葉にできない思いを遂げている、
と私には思われてならなかった。

そうなってしまうのは、まとぶんの持ち味のせいもあったかもしれない。
彼女は何を演じても、「華やかな、イイ人」が出てしまうからだ。
ある意味、正しい「宝塚の二枚目スター」だとは思うのだが、
それは『サブリナ』のライナスとして良いのか悪いのか?
というのが、私は見ながら終始、疑問だった。
映画のボギーも、このあたりは曖昧な演じ方だったように私は思うのだが、
オリジナルな意味でのライナスは、大人になったサブリナを目にして、
果たして、恋心が最初からあったのか、なかったのか。
あったとしたら、その恋の始まりは、
サブリナが少女だった頃まで遡れるものだったか、どうか。
映画より、まとぶんライナスのほうが、物語としての筋は通っていたと思う。
まとぶんが脚本を自分の演技の範囲で改定して、確信犯的にやったことなら、
もう、畏れ入りました、と言うしかないのだけど(笑)。

デイヴィッド(壮)は、格好良くて頭が軽くて楽しく、好演だった。
サブリナが子供っぽい恋心を抱いた気持ちにも、観ていてすんなり共感できた。
もしデイヴィッドがあまりに「顔だけ」の、調子の良い男に見えたら、
夢中になったサブリナも、幼すぎて愚かだったということになってしまうが、
このデイヴィッドには、ちゃんと性格的な裏付けがあった。
兄ライナスのように優秀ではないが、デイヴィッドはそのぶん素直で奔放、
かつ、性根のところでは大事なものを見失わない感性も持っていることが
いっぽ(壮)くんの演じ方からはよく伝わってきた。
「抜糸したー!新品同様だー!」
といきなり舞台下手から出て来る場面が私はとてもツボにハマって、
かなり笑わせて貰った。
この時点のデイヴィッドは、もうサブリナとの別れを予感しているのだ。
にも関わらず、やっぱり表面はいつものカルさ、明るさ。
巧い(笑)!と思った。

サブリナは大抜擢の蘭(蘭乃はな)ちゃんだが、なかなか美しかった。
少女時代が既にスタイルが良く、洗練されているので、
こんなコに、どうしてデイヴィッドは目を留めないのか?
とツッコみたくなったほどだ。
パリから戻ったあとの、生まれ変わったサブリナも本当に綺麗だった。
声が落ち着いているのも良いと思ったし、破綻のないサブリナだった。
当初デイヴィッドに夢中で、それが急激にライナスに惹かれるようになる、
という過程も若い女の子ならではの動揺を無理なく表現していたし、
そんな自分が恥ずかしいと言って、ライナスの前で泣く場面も自然だった。
父親フェアチャイルド(夏美よう)がまたなんとも素敵なオジサマで、
見目麗しいサブリナとふたりで並んだ姿も雰囲気も、とても良かった。

この作品で残念なのは、スター候補生である若手男役達に、
さほど、しどころのある役が無いことだった。
華形ひかる真野すがた朝夏まなと、と言った綺麗な男役たちが
デイヴィッドの学友というか取り巻きの、上流階級の息子たち、
という程度の「その他大勢」的な役柄に甘んじているのが、
豪華といえば豪華なのだが、勿体ないという気はした。

****************

ショー『EXCITER!!』は、ノリも良く普通に楽しかったが、
すみません、正直に言うと、あまり細部は意味がわかりませんでした(爆)。
2009年に同じ花組でやった『EXCITER!!』の再演だそうで、
私は初演も観ていないので、再演の内容的な位置づけも不明だったのだが、
同じ作品をこんなにすぐ再演するというのは、最近では普通なのだろうか?
公演期間が以前より短くなってサイクルが早まったために、ネタ切れでは?
と要らないことを考えてしまった。申し訳ありません。
まとぶんの演じる「(冴えない時代の)Mr.YU」は可愛くて印象に残ったが、
しかしこういうキャラは、途中で何かがあって劇的なイケメンに変身する、
ということが、私のように前提のない客でも最初から予想できることなので、
そこに至るまでのギャグ場面が、ちょっと長すぎたようにも思った。

****************

宝塚の千秋楽公演は、毎回、組長とトップ(主演男役)による、
千秋楽挨拶がつくので、通常でも少し終演時間が遅いが、
昨日はそのうえに、10月に雪組へ組替えになる未涼亜希と、
この公演が大劇場での卒業になる絵莉千晶の、紹介と挨拶があった。
絵莉千晶への「同期生からの花束」贈呈に登場したのは、
月組のコシリュウ(越乃リュウ)で、これまた素晴らしく格好良かった。
コシリュウは花束を渡すと、拍手の中、控えめに一礼して下がったが、
私は「きょう来て良かった(T.T)」と本当に嬉しく思った。

ちあき(絵莉)さんの挨拶に、
『胸を張って宝塚が大好きですと言える自分の青春に、ひとつの悔いも無い』
という意味の箇所があって、私も胸が熱くなった。
劇団での日々は、つらいことも、理不尽なことも多かったと思うが、
それでも、シメ(紫苑ゆう)さんがいつも言っているように、
大好きで憧れて入った宝塚を、愛して愛して卒業できる、
というのはタカラジェンヌにとって本当に幸福なことだと思った。
そういう人の舞台生活こそが、私たち観客をも幸せにしてくれるのだ。
ちあきちゃん、ありがとう。貴女の新しい人生に幸多かれ。

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