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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



きょうまで半世紀、ほとんど日本から出たことなく暮らしてきた私が、
東欧のクロアチアという国に興味を持つようになったのは、
ひとえに、イーヴォ・ポゴレリチの存在があったからなのだが、
近年は更に、クロアチアで音楽を学ばれた日本人演奏家の方々が、
とても意欲的に活動していらっしゃることを知るようになった。
留学先として、西欧やアメリカとは違いクロアチアを選択された方々が、
彼の地で若々しく個性的な演奏家へと成長し、
国際的に活躍の場を広げられてることを
私は日本の音楽愛好家のひとりとして、本当に嬉しく思っている。

そのような活動の一環として、今月末には、
日本クロアチア音楽協会(代表:ピアニスト安達朋博氏)
の主催するサロンコンサートが行われる由、
先日、出演者のおひとりである高橋若菜さんからお知らせを頂いた
(本当にありがとうございました!)。
残念ながらこの時期、私自身が広島から出向くことは難しいのだが、
こちらをご覧下さっている首都圏やその近辺の方々が、
この機会に関心を持って下さったら嬉しいと思う。

日本クロアチア音楽協会主催 クロアチア音楽サロンVOL.1(PDF)
2014年10月31日(金)19:00 南麻布セントレホール
(以下のチラシ↓は、クリックで拡大します)


ちなみに高橋若菜さんは、以前こちらでご紹介した通り
かのマリーナ・アンボカーゼ女史の薫陶を受けられたピアニストで、
このほど女史の理念とメソッドを受け継いだピアノスクールを開校された。

Marina Piano School(千葉県八千代市)

アンボカーゼ女史は、アリス・ケジュラッゼ女史の親友で、
90年代半ば以降、ポゴレリチの師としての役割を引き継ぎ、
長くクロアチアにあって、彼の音楽を支えて下さった方だ。
二人の師を得た経験について、かつてポゴレリチは、
「別の金のスプーンで、同じ飲み物を飲むような体験だった。
若い頃には妻から、そして成熟したのちにはマリーナから、
同じ純粋な知識を学ぶことが出来て幸運だったと思う」
と語っていたものだった(2005年11月27日 NHK芸術劇場)。

現在、アンボカーゼ女史は高齢になられたので教授職を退かれ、
故国グルジア(来年度以降国名表記は『ジョージア』に変更される見込み
に戻られているのだが、前述のMarina Piano Schoolのサイトでは、
クロアチアでの在職当時の、アンボカーゼ女史の写真や
そのご指導の様子について知ることができる。
また、女史が流れを汲むリスト・ジロディ楽派についてや、
演奏家・教師としての彼女の楽譜の扱い方等についての興味深い記述を、
若菜さんのブログで読むことができる(ポゴ氏ファンの方は必見です)。

リスト・ジロティ楽派とは?(Marina Piano Schoolのレッスン日記)

ポゴ氏ファンの方や、クロアチアに関心がおありの方にとっては、
今月のクロアチア音楽サロン、そしてMarina Piano Schoolは
非常に魅力的な企画ではないかと思う。
お時間おありの方、ご興味を持たれた方は、
この機会に是非、お問い合わせ・お出かけになりますように。

……そして私に、おみやげ話・体験談・ご感想等を
あとで教えて下さいましたら嬉しいです(^_^;。

以上、お知らせまでに。

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去る7月29日にNHK BS-1で放映されて反響の大きかった、
ジェームズ・ローズの番組が、近々、再放送される。

心の旋律に耳を澄まして 音楽家ジェームズ・ローズ(再)
NHK BS-1 14年9月29日 月曜深夜 火曜午前 0時00分~0時50分

際だって個性的なピアニストである彼の物語は、
演奏自体に直接の関心を持たない人にとってさえも、
きっと、印象的なものと感じられることと思う。

ローズの公式サイトJames Rhodes My Official Websiteによると、
この人は14歳になるまで正規の音楽教育は受けていなかったとのことだ。
ギルドホール音楽演劇学校に学んだが、
1993年、精神疾患のために奨学金が打ち切られ、一旦はピアノを断念、
以後十余年に渡り、健康面での問題のために過酷な日々を過ごした。
しかしその後、2000年代に入って現在のマネジャーと出会い、
2008年に最初のCDを世に出したことが大きな契機となった。
以来次々と、従来的な演奏会スタイルに捕らわれない、
ジェームズ・ローズ流アプローチを確立して現在に至る。
彼の演奏会がどのようなものであるかは、今回の番組内で紹介されるだろう。

ちなみに彼は以前、『BBC MUSIC MAGAZINE』が
ピアニスト100人が選ぶ「ピアニストBest3」という特集をしたときに、
三傑のひとりとしてポゴレリチの名を挙げていた人だ。
ポゴレリチの演奏のどこが、ローズの心の琴線に触れるのか、
ローズの前半生の物語や演奏に耳を傾けてみると、
ポゴレリチファンとして漠然と感じられるような気がする。

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暑さと忙しさと己のテクニック不足ゆえに『テレーゼ』を敬遠し、
このところクーラウのソナチネ作品20-3を弾いているのだが、
クーラウはなかなかベートーヴェンっぽいではないかと、
弾けば弾くほど感じるようになり、愉快になってきた(笑)。

クーラウについて、不勉強な私は全く何も知らないに等しいのだが、
1786年生まれのクーラウはベートーヴェンより16歳若いので、
時代感覚は大なり小なり共有していただろうし、
音楽家としての活動時期も重なっている部分がかなりあり、
おそらく、ベートーヴェンの活躍ぶりやその作品のことは、
常にクーラウの意識の中にあったのではないかと
私は勝手に楽しく想像している。

私の弾いている作品20-3を練習する人は多くないと思うが、
同じ作品20でも第1番は、ソナチネアルバムを勉強する人なら、
ほぼ全員が必ず弾く曲だろう。
この曲にもベートーヴェンみたいな箇所がいくつかあるので、
クーラウの作風の何を私が笑っているか(爆)
おわかり頂けるのではないかと思う。
Kuhlau: Sonatine No.1 in C-Dur Op.20-1(YouTube)

例えば、第1楽章の13小節目、動画でいうと0:21のあたりで出て来る、
無駄にドラマティックなハ短調アルペジオ(^_^;、
こういうコンセプトはベートーヴェンでも大いにあり得そうな気がしませんか。
しかし、この三連符でいきなり怒濤の何かが沸き上がり、
……そうになった割には、結局それ以上何も起こらないで、
しゅるーと第2主題に入ってしまうところが、惜しいのだ、クーラウ教授。
これじゃただの、こけおどしで終わってるみたいじゃありませんか(爆)。

展開部の途中、39小節目あたりから再度ハ短調になり、
スケールで畳みかけて行くところなんかも実に格好イイのだが、
忙しく動き回ったあと再現部につながると、私は途端につまらなくなってしまう。
めくるめくようなスケールから、可愛らしい第1主題に流れ込むかたちで
主題が再現されるのは、モーツァルトにもある手法だが、
しかしこれはモノが違うよな、という残念さを、私は否定することができない。
いずれも、斬新な何かを思い切って振り上げたところまでは良かったのに、
そのあとに、聴く者をオオ!と唸らせる着地点を与えることが
できてないような気がするんですが気のせいですか(逃!)。

私の弾いている作品20の第3番第1楽章にしても
Kuhlau Sonatinas No.3 F-dur Op.20-3他(YouTube))
こういう小規模なソナチネにしては頑張り過ぎというか、
意欲的にあれこれ試みすぎた面があるのではないかという気がしてならない。
もしかしたら、クーラウ教授はもっと大きなソナタとか舞台音楽とか、
このとき既に別の構想があって、アイディアの数々をそこで活かすため、
このソナチネは習作として作曲したのかもしれない。
そう考えなかったら、37小節目からの摩訶不思議な分散和音なんてもう、
一体全体、どうして出てきたのか何がしたかったのか、不明です(爆)。

何調が何調になり、これから何調になりに行くのか、
捕らえる暇もないほど入り組んだ和声の進行ののち
(先生に伺ったところ、ナポリの和音というものが試されているそうだ)、
41小節目から展開部に入るのだが、このあとも調性が定まらず、
うにょうにょと展開して、結局、69小節目からもう再現部。
弾き手としての私は、随所で盛り上がりかけては、落とされることの繰り返しだ。
何かこう、すべてが寸足らずというか、えらく野心的に取りかかった割には、
どれもこれも実らないうちに、サクサクとお片付けの時間が来てしまう(^_^;。
ベートーヴェンにも、和声進行には個性的な試行錯誤の跡が見えるが
(何かというと減7度多用とか・爆)、それにしても100小節余りを費やした以上、
ベートーヴェンなら、初級ソナチネと言えどもう少し何とかなったのではないか、
と思うのは、私がベトベン好きだからなのか(汗)。

……と、笑ってはいるが、私は実のところクーラウを大いに敬愛している。
子供の頃にソナチネアルバムを貰ったとき、最初に学習したのは、
クーラウの作品55-1のソナチネで、私はいたくこれが気に入った。
初級曲ながら華やかさがあり、リズムも斬新で、かつ端正な構成になっており、
私はこの曲を弾いていると爽快で、しばらくは毎日の練習の終わりに、
必ずこのソナチネを第二楽章まで通して弾いて、悦に入っていたものだった。
Kuhlau: Sonatine no.4 in C-Dur Op.55-1(YouTube)

そのあと、クレメンティの作品36の1~4をやったが、
次に私がソナチネアルバムで心打たれたのは、クーラウの作品55-3だった。
小学校の高学年か中学生くらいの頃のことだから、語彙も知識もなく、ただ、
「なんてキモちいい曲なんだろう!」
と思っただけだったのだが、それからは作品55-3が第二のお気に入りになった。
Kuhlau: Sonatine no.6 in C-Dur Op.55-3(YouTube)

作曲者が誰で、どういう時代背景の作品で何が表現されているかなど、
学習開始時に確認されても興味がなく(殴)ほとんど頓着していなかったので、
子供の私は、ただ単純に、曲としてクーラウの作風が好きだったのだ。
いわばクーラウは、私にとってソナタ形式の原体験というべきものだった。
今回も、ソナチネアルバムで残っている曲をやるとなったとき、
私は真っ先に、クーラウの作品20-3と20-2のことを考えた。
これらは、是非決着をつけたい二曲として長らく私の記憶にあったからだ。
この年になってこういう機会に恵まれたことに感謝し、
クーラウ教授の作品を愛でつつ、その向こうに垣間見えるベトベン先生の姿も、
確認してみたいと思う、きょうこのごろです(笑)。

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岡山シンフォニーホールで、ヴァレンティーナ・リシッツァを聴いてきた。
リオール・シャンバダール指揮のベルリン交響楽団との共演で、
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番『皇帝』。

南斗の女・リシッツァの音は、予想以上にエッジが効いていたが、
反面、私がCDから想像していたのより些か線が細いように感じられた。
私は重量感のある厚い音のほうが好きなので、その点にやや不満が残ったが、
もしかしたら今回はホールや席のほうにも原因があったかもしれない。
リシッツァのリズム感は良くも悪くも極めてシャープで、
『皇帝』にこんなフレーズがあったのか、
と新鮮に聞こえた箇所がいくつもあった。
並外れて反射神経の優れたピアニスト、という印象を受けた。

リシッツァは、深紅のベアトップドレスに金髪が映えてとても華やかで、
ステージ袖から笑顔で小走りに出てきたり、
(宝塚の娘役のように!)サっと膝を曲げてお辞儀したり、
両手を顔の高さ以上に上げてオケのメンバーに幾度も拍手したりして、
実に陽気で愛らしい感じのするステージマナーだった。

拍手に応えてアンコールでショパンの『革命』と『黒鍵』を弾いてくれた。
この二曲に関しては、技巧的には達人級だったと思うのだが、
私の感覚では、音の質に対して彼女の弾き方は速すぎるという気がした。
ある程度以上のものを内包した音を味わうには、
私のようなトロい(笑)聴き手には、もう少し時間が必要だったのに、
一瞬で流されて、見事さには畏れ入ったものの、欲求不満が残った。
例えて言うなら、一粒一粒に異なる色合いを持つ宝石が、
大量に、次々と目にも止まらぬ速さで通り過ぎて行くことが繰り返され、
結果、ただのネオンの洪水にしか見えなかった、
というふうな勿体なさがあった。
演奏者のスピードについて行けていないのだとすると、
リシッツァは依然として若く、一方、私は既に老化しているということか(爆)。
次回はできればソロ・リサイタルで、更に様々な曲を通して、
じっくりと彼女を聴いてみたいと思った。

オケは、シャンバダール指揮のベルリン交響楽団で、
スケール感があり、かつドラマティックな演奏だった。
『エグモント序曲』で始まり、『皇帝』を挟んで後半が『交響曲第7番』と、
本プロはオール・ベートーヴェンだった。
欲を言えば『田園』のほうのプログラムを聴きたかったのだが、
それのあった土曜日の三原公演は仕事のために行くことができず、
きょうの岡山公演のほうになってしまった。
7番も別に嫌いではないが、どの楽章もリズムが独特で
聴き手としての私は根本のところで安らぐことが許されず、
どうしても『田園』ほど浸ることができないのだ(汗)。

こちらのアンコールは、グリーグの『ペール・ギュント「朝」』と
ブラームス『ハンガリー舞曲第5番』の二曲。
緩急のある選曲でコントラストも鮮やかだったし、
誰でも知っているメロディで演奏会の締めくくりとして楽しく、
客席の様子を見ながら自然に手拍子を誘導したりする、
シャンバダール氏の洒脱なステージマナーも、素晴らしかったと思った。

ちなみに岡山シンフォニーホールは、
私にとって25年ぶりくらいではなかっただろうか。
JR岡山駅東口からまっすぐ、というのは記憶にあった通りだったが、
ホール内部のことはもう、全く覚えていなかった。
私が二十代だった頃に、チェロのロストロポーヴィチを
ここで聴いて以来だったような気がする。
いや、ロストロ氏のは大阪のシンフォニーホールだったかな??
とすると、前回の岡山シンフォニーホールは、誰のときだっただろう。
およそ四半世紀ぶりというのは、間違っていないと思うのだが…。

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4月下旬に某ホールでCFⅢSを試弾したときに
座席に置いたLINEAR PCM RECORDERで録音した、
ベートーヴェン『テレーゼ』第一楽章の練習を、
さきほどなんとなく思い出して聴いてみたら、
自分の拙い演奏ながら、なかなか良かった(爆)。

いや勿論、本当の意味での「演奏」という次元で語るなら、
全くもってどうしようもないほどヘタな出来であることは明らかなのだが、
素人なりに、自分として弾きたいと思った通りに弾いているというのが、
今、録音を聴いてもよくわかり、
私は本来、こういう『テレーゼ』が聴きたいのだよなあと改めて思った。

私は常日頃、ハノンやツェルニーには固執していても、
「曲」を弾くことに関してはほとんど熱意を持たないのだが、
それは、自分の演奏など聴くに堪えないものであると
聴き手としての私が感じているからだ。
筋トレとして、以前はできなかった動きが気持ち良くできるようになることには
私なりの手応えも喜びもあるので、エチュード系はとても好きなのだが、
一方で、音によって自分を表現したいという意欲は、私にはほとんど無い。
(これは昔、なんちゃってバレエ教室に通っていたときも同様だった。
やってみてわかったのだが、私が好きなのはバーレッスンだけだった)。

しかし『テレーゼ』第一楽章は、自分で弾いてまで聴きたいと私が感じる、
かなり例外的な一曲だった。
しかも、このように聴きたい、というのが自分の中でとてもハッキリしていた。
それでその通りに弾かせて貰ったのが、このときの録音だ。
この曲だけは、いくら巧い人に弾いて貰ったとしても、それだけでは駄目で、
どんなに覚束なくとも、やはり自分で弾く以外になかったのだよなあと、
録音を聞き直して、改めて思った。

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これからプレトニョフ@西宮を聴きに行く(笑)。
さっきまで仕事をしていたのだが、
西宮なら日帰りできるので、決行することにした。
写真は、むこうでお会いできそうな某氏に、おみやげ♪
(カープファンではない某氏に対し、妙に挑戦的(笑)な選択になってしまったが
しかしホンマに『カープかつ』は美味くて評判が良いのよ~(^_^;。
夏の広島土産はこれと宮島ビールをセットで、どなた様もいかがでしょう(^o^))


後日記:行って良かった。
ちょっと経験できないような演奏会だった。
プレトニョフがピアノに戻って来てくれて本当に良かったと思った。
楽器の選択、プログラムの組み方、今回のリサイタルのすべては、
あの弱音の中にある、究極の美を描くために用意されたものだった。
プレトニョフの研ぎ澄まされた感性は、あまりにも素晴らしい。
そして、彼は、孤独で、かつロマンチストなのだと思った。
バッハを聴いていて、特にそれを感じた。

(↑『カープかつ』の下に書く話じゃないんだけどもよ(^_^;)。

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・数日前、娘がスマホを洗濯機に水没させ、ショップに相談に行き、
5000円で新しいものと交換することを決めてきた。
それで、その新端末が本日夕刻、名義人である主人宛に届いた。
開いて確認したら、ちゃんと、元のと同じ型・同じ色のが来ていた。
娘は3日から四連休で、明日の夜遅く帰省する予定なので、
スマホはこのまま、家の机の上で主を待つことになった。

・ベートーヴェンのテレーゼの第一楽章を一応最後まで弾いたので、
引き続き、第二楽章に取りかかることにした。
一見、単純な譜面なのだが、演奏するにはかなり技術を問われる内容で、
実質的に私がVivaceで弾くのは無理だろうと思っている(汗)。
とりあえず、今の力でできるところまでやるのみだ。
やはりソナタというのは全楽章揃ってこそソナタだと思うので…。
そのほか、和音の勉強をしたほうが良いという先生のご指示で、
ショパンのプレリュード作品28-20もやることになった。
これまた、譜読みはともかく表現があまりにも難しい曲だ(大汗)。
ハノンは現時点で第48番、ツェルニー30番は第29番と第30番。

・IE(インターネットエクスプローラ)の脆弱性について
ヤバいヤバいとさかんにニュースで言っているので、
このところ、主人も私もGoogle Chromeを使っている。
先月くらいから、facebookへの書き込みがしづらいなあと思っていたが
(要らないところで改行するなど、入力しづらかった)、
Google Chromeに変えたら完全に解決した。
ブラウザのせいだったのか……(^_^;。
そのかわり、…かどうかはわからないが、Google Chromeにしてからは
一部のサイトでマウスでのスクロールが効き過ぎるようになった。
ハードはどこもいじっていないし、マウスパッドも変えていないのに、
ちょっとホイールボタンを動かしただけで、
モニターに出る部分が急激に下がったり上がったりして、
ちょうど良いところで止めることが難しくなった。
面倒でも、設定しなおしたほうが良いってことか……(--#)。
ったく次から次へと、更年期のオバさん(=飼い主)同様に難しいヤツ。

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(備忘録的、練習記録。4月23日現在)

西区民文化センターの『ピアノお試し演奏会』に申し込んであったので、
朝10時から弾きに行った。
これは、ホールにあるYAMAHAフルコンサートピアノCFⅢSを、
ひとり1時間2000円で借り切って、自由に弾かせて貰えるという企画だ。
以前も幾度か応募したことがあり、その都度何かと遊ばせて貰ったものだが、
今回はテレーゼの本番が日曜にあるので、その練習をするのが目的だった。
ちゃんとコンタクトレンズを入れて、本番用パンプスを持ち、
録音のためにLINEAR PCM RECORDERも持参した。

さすがに弾きやすいピアノだった(^_^;。
自分のコダワリのある音・ココが聴きたいと思う音が、
うちのアップライトなどとは比較にならないほど自由に
出したり引っ込めたり(笑)できるという感触だった。
楽器の反応が良いと、腕前が上がったような錯覚ができて
なかなか幸せだなと思った。

ただ、このホールとピアノの組み合わせだからこうなるのか、
思っていた以上に響き過ぎて、残響が大きかった。
大半の箇所はペダル無しで弾いても丁度だった。
特に95小節目からは、左の低い音が動き回るので、
ペダルがあると全部の音が混ざってしまい、難しかった。
しかし私の技術上の限界で、ペダル皆無にしてしまうと
99小節目からの右手のレガートが出来ないので(汗)、
気持ち程度は踏まないと格好にならない感じがした。

だがそんなことよりも何よりも今更だったのは、
102小節目の左手のE#を自分は#無しでずっと弾いていたと、
きょうになって気づいたことだった。
後半一緒にホールで聴いてくれた友人某氏の指摘で判明した。
98小節目からついていた♮(ナチュラル)記号は
101小節目までで終わっているのに、
私はいつかどこかでそれを見落としたようだった。
1音だけだが、これでは調性が変わってしまっているではないか(^_^;。
間違いも百回聴いているうちにはそれが当たり前になるという……(大汗)。
速度の出ている箇所で、矢継ぎ早に1番の指を使う指定になっており、
音がひとつ違っても感覚的にはかなり変わって来る。
と言って、まさか今更、音連続に合わせて指使いを変えるのも無理だし、
本番は注意してやるしかない(汗)。

ということで、あっという間の1時間が終わった。
きょうは天気がとても良かったので、
帰りには買い物をしたあと、久しぶりに公園でまったりした(^^)。
イイ昼下がりだった。

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(備忘録的、練習記録。4月18日現在)

午前中、某楽器店のレッスン室を1時間借りて練習した。
家のアップライトは小さいために、
出せる音色の種類が極めて限られており、
工夫を懲らそうが乱暴に弾こうが、結局どれかの音になるしかないが、
グランドは、私の弾いたものをまるで拡大表示するかのように、
最大漏らさず反映するので、油断がならなかった。
ホンモノを知る方々によれば、YAMAHAとスタインウェイを較べても、
もっと高度な次元でこういうことを感じられるものなのだそうだが、
私はYAMAHAの、ある程度のクラスのグランドを触っただけでも、
いきなり、12色クレヨンから60色水彩絵の具に変えた、
というくらいのショーゲキがあった(^_^;。
楽器が、たくさんの選択肢を提示して助けてくれる面は確かにあるが、
それらを使いこなすには、弾き手の力量も厳しく問われるのだ。

勿論、こうなるというのは以前からわかっていたけれども、
やはり時間をかけて練習して来た曲で、改めて体感するのは格別だった。
楽器が良くなったお蔭で、例えば冒頭の四小節はかなり弾き甲斐があった。
どの音を際立たせたいかとか、左手の和音はどのくらいの音量にしたいか、
等々、こちらのやり方次第で、ピアノはどのようにも応えてくれそうだった。
残念ながら、私は完全にきょうの楽器を扱いきれたとは言えなかったが、
少なくともそのような手応えは感じた。
また、8小節目~10小節目、60小節目~64小節目のleggiermenteの表現も、
家のアップライトでやるより遥かに私の要求に近い音になった。

楽器店には先生に来て頂き、30分ほどレッスンもして頂いたのだが、
(解釈はともかく・爆)技術的な課題としては、
和音の弾き方について注意をされた。
特にフォルテの和音に入るときは、呼吸を整えて腹筋を使って弾く、
という感覚を、もっと体に覚えさせる必要があるとのことだった。
この呼吸については、よくポゴレリチがやっているように(^_^;、
狙った音の始まる前から息を十分に吸い込んで準備をする、
というタイミングを体得することが必要なのだった。
67小節目から72小節目くらいにかけて、いかにもベートーヴェン的な、
pとfの交替のような音型が繰り返し出て来るのだが、これらを弾くには、
pの小節が終わるまでに、体のほうは既に次のfに備えて、
息を吸い始めていなくてはならない
(という規則は無いが、譜面としてはそれが可能なように書かれている)。
私はそういう連動が出来ていない、もしくは開始が遅くて、
準備の足りないまま腕だけをアテにして和音に入るから、
腹から出す音(!)にならず、響きが良くないのだった。

ポゴ氏がいつぞや、呼吸のトレーニングをしていますと言っていたが、
ワタクシもこれから本番まで、鼻息の特訓です(爆)。

もうひとつ、弾き終わってレッスン室を出ようとしたら、
右膝から太腿にかけて痛くなっていることに気がついた。
無段階に表現できるグランドのペダリングをやっていたら、
脚の使い方にも格段に微妙な力の出し入れが必要になり、
家のアップライトではそのようなことはしたことがなかったので、
筋肉痛になったのだった(汗)。

こりゃもう、鍼にでも行こうかね(T_T)。

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舅姑のお墓へ行ったら、山のほうはまだ桜が綺麗だった。
市街地の桜は既にほとんど終わってしまっているのだが、
墓のあたりは桜の種類が違うのか(山桜?)、
それとも、少々気温が低いために、花の盛りが若干遅くなったのか。
何にしても、去年も思ったが、墓所の桜は穏やかで良いものだった。
明るく温かく、静かで、私は墓での花見が結構気に入っている(笑)。

*****************

(備忘録的、練習記録。4月11日現在)

それで、テレーゼなのだが(^_^;。
弾き続けていると、自分の聴きたいテレーゼ
(弾きたいテレーゼ、ではない。厳密には)が明確になってきて、
しかもそれは、譜面に書いてあるものとどうも違っていて、
練習すればするほどストレスが溜まってきたので、
きょう、心の中でベトベン先生にゴメンナサイをしながら、
譜面(コピー譜だ・汗)の、特に自分が違和感を覚えた箇所の、
強弱に関する記号や標語を、すべて修正液で消した。
そして自分の思う通りに、f、p、cresc.などを書き直し、
自分の頭の中で鳴っているフレージングになるように、
スラーのかけかたもあちこち変えてやった(殴)。
要らないスタッカートやアクセントも消滅させた(爆)。

こういうことは、例えばサンソン・フランソワがやれば
「天才の燦めき」そのものの演奏になると思うし、
イーヴォ・ポゴレリチがやれば「楽曲の破壊と再構築」だったりするのだが、
ワタクシの場合は単なる「タワケ」だ(爆)。
しかし私はド素人のオバちゃんであり、自分の楽しみのためだけに弾くので、
今ひととき、得手勝手を見逃して頂きたいと願っている。
残念ながら、私にはあまりに技術がなさ過ぎて、実際の演奏は、
自分の聴きたいものとは、これでもまだ相当に隔たっているのだが、
そこは弾きながら(=聴きながら)、自分の想像力で補うほかはない。
少しも良いと感じないまま、譜面に書いてあるから弾く、というよりは、
我流でも納得感のある弾き方を追求したほうが、まだ良いと思うのだ。

こんなものを聴かされることになる方々には、本当に申し訳ない。
独りよがりの上に、ちゃんとお聴かせできるカタチになっていない、
というのは最悪の演奏ではないか(大汗)。
本番までの間に、せめて自分のテレーゼ像の輪郭だけでも伝わるように、
時間の許す限り、更に練習を続けたいと思っている。
例えて言うなら、「発音があちこちおかしいし文法も間違いだらけだが、
何が言いたいかはよくわかるよ」、という路線を目指したい。

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