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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



朝から良い音楽を聴き続けて夜になった。
ピアノ、弦、管、室内楽に協奏曲、晩には声楽。
LFJをこれだけ正しく(笑)堪能したのは初めてかもしれない。
何しろ前に来たのはポゴレリチのときだったから、
ほかのことをする余裕が一切なかった。
今年は穏やかな気持ちでひたすら心地よく音楽に浸っている。
残るはあと1日。
真打ちエル=バシャ、明日ついに登場(笑)。

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朝から晩まで、良い音楽を聴き倒して(笑)
文字通りゴールデンウィークを満喫中♪

前売りでチケットを買っていたものもあるが
こちらに来てから気の向くまま、当日券に並んだり、
半券で入れる交流ホールのイベントに行ったり
屋外の無料コンサートを覗いたり。
安価で短い演奏会ばかりなので、
限られた時間でたくさんの演奏を聴くことができる。

きょうは朝から今まで四つの音楽会を楽しみ、
ただいまホテルに帰って小休止。
夕方から夜まで、多分あと三つは聴く予定だ。
極楽だね♪

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アンヌ・ケフェレックのモーツァルトが絶品だった。
聴けて良かった(T_T)。

昼からピアノオーディション合格者による「ピアノの日」、
続いてカンマーアカデミーポツダムの室内楽を聴き、
一息入れて夜にはピアノとフルートを楽しむ予定。

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今年も『闇鍋会』、…じゃない、Sound Bouquet@Musicaで弾いて来た
今回は、ベートーヴェンの『ロンド』作品51-1。
毎日忙しすぎて、丹念に譜読みをするのは到底無理だったので、
ラクそうなヤツで行こう、と思い選んだのがこの曲だったのだが、
自分の想定より現実の私は更にピアノの技術が無かったのと、
やはり小品でもベートーヴェンだけのことはあった(爆)のとで、
曲として仕上げるのは決して容易ではなかった。
しかし、とにかく今年も、なんとか弾きたいものを弾いて、
発表の場に参加することができた。
それだけで、現在の私にとっては十分過ぎるほどの成果だった。

この会は、音楽が専門の方や指導者の方々も参加されているが、
多くはピアノその他の楽器の愛好家で、腕前も様々だ。
私のように、技術が無くても弾いてみたい人はどんどん来て良い。
各自の力量に応じて、まとまった演奏を披露できることが理想だが、
急にアガったり元々アカンかったり(爆)等々の事情で、
発展途上を聴いて貰うための本番になってしまう場合だってある。
けれども、それゆえにこそ、ここには普通の演奏会とは全く違う魅力がある、
ということを、きょうもまた強く感じた。

国際的な芸術家の演奏は世界最高水準だが、彼ら・彼女らは、
「数あるレパートリーの中から」
「契約上、弾くことに決まっている曲を」
「否応無しに演奏している」
というケースがほとんどだろう。
しかも、彼らは仕事としてそれで報酬を得るのだから、
聴衆にとって期待外れのデキであればブーイングが出る。
一方、我々の『闇鍋会』は、そのような世界にはほぼ無縁だ。
大半の人が、
「自分本意に選んだ曲・今それしか弾けない曲を」
「誰に頼まれたわけでもないのに」
「自分が弾きたいから出て来て弾いている」
のだ。土壇場でどうしても嫌なら弾かない自由だってあるし、
目覚ましい出来映えで弾ければ勿論のこと、
意味不明な解釈で弾いても、途中でつぶれてしまっても、
客席は好意を持って、そこから必ず何かを聞き取ってくれる。

こういう愛好家たちの演奏会は、
「頑張る素人の姿が微笑ましい」から素晴らしい、だけではない。
弾けているかどうか以前に弾きたいから弾いている、という音楽には、
どんなプロフェッショナルも叶わない破格の威力があるのだ。
誰でも知っている超有名曲をこういう場で聴いて、
「なんと!この箇所に、こんな綺麗な音が書いてあったのか!」
と目からウロコが落ちるような思いになったことが、
私はこれまで幾度もある。
アナリーゼや技術を蹴飛ばす、巧まざる表現のパワー(^_^;!
その根源にあるのは、「愛」と「道楽」!!

ああした出会いがあればこそ、私はきっと次回もまた、
皆の演奏を聴くことを楽しみに、『闇鍋会』に参加すると思う。
そしてどんなに忙しくても、私もまた、そこで何かを弾くほうが、
ただ聴きに行くだけであるより、二倍以上楽しい筈だ。
私のピアノなど、一般的な「演奏」という観点から見れば
聴くに堪えないものであることを、他ならぬ私自身が知っている。
ダテに50過ぎまで遊んで生きてきたわけではない。
私は聴き手として、既に良い音楽も美しい演奏もたっぷりと聴いてきた。
自分自身の実現している演奏など、芸術どころかカス以下だとわかっている。
しかし、巧くないのは承知の上で、私はそれでもなお、
弾き手としての自分のことも、まだ断念したくはないのだ。
このオバちゃん、こういうふうに、ベトベンが好きなのねん(^_^;、
と皆様に笑って頂ける演奏を、これからも目指したい。

ともあれ、本日弾いて下さった皆様、本当にありがとうございました。
御陰様でまた、幸せな一日を過ごすことができ、
これまで知らなかった各曲の魅力を、たくさん、感じることができました。
主宰して下さいました仮装ぴあにすと様、会場ムシカのマスター、
ほか、お世話下さいました皆様に、心より御礼を申し上げます。
また来年もよろしくお願い致します<(_ _)>。

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3月11日に、ミシェル・ダルベルトを聴きに行った(@広島文化学園HBGホール)。
広島交響楽団との共演で、ベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第4番』。
広響 第358回定期演奏会としての公演で、指揮はアンドリス・ポーガ。
震災の3月11日からちょうど5年目にあたる日であり、本プログラムに先立ち、
広響によりバッハ管弦楽組曲第3番 BWV1068 第二楽章『アリア』が
祈りを捧げるという趣旨で演奏された。

そのあと、改めてピアノが中央に出され、
プログラム一曲目のベートーヴェンの演奏になった。
ダルベルトを聴いたのは私は初めてだったのだが、
この人は実に繊細な感性を持った演奏家なのだということを、強く感じた。
私はもともと、第4番の魅力が今ひとつ感じられないことが多く、
特に第2楽章は、聴き手として持てあましてしまうことがよくあったのだが、
ダルベルトの演奏で全楽章を聴いて、私はほぼ初めて、
この曲がどうなっているのかが、わかった。

第1楽章では、穏やかな夢の中をたゆたうように主題が提示され、
第2楽章になると、そこに幾度も小さな揺らぎが起こって、
様々に色合いの異なる哀調が描かれ、
それらが皆、最後には慰めを見いだして、終わる。
そして第3楽章で一転して、初めて迸るような力が前面に押し出され、
高まり満開になり、フィナーレを迎えるのだ。
私の愛する、ベートーヴェンならではの「神様は、いるんだ!」節が、
この曲では第3楽章の壮麗さの中で語られているのだと思った。
曲の開始時は、ダルベルトの音が予想外に細く、スケール感に乏しい気がして、
私は少し違和感を覚えたりもしたのだが、
それは第2楽章、第3楽章と展開して行くために、
非常によく考えられ、選ばれた音色だったのだと、
全体を聞き終えて納得が行った。

拍手は鳴り止まず、カーテンコールで三度、舞台に呼び出され、
ダルベルトは最後にアンコールとしてドビュッシーを弾いた。
これを弾く前にダルベルトは客席に向かって礼を述べ、
今夜が特別の日であるということを考えていた、
最初からアンコールを弾くつもりではなかった(?)
(↑違うか。あまり聞き取れず)、
これから弾く一曲を皆様に楽しんで頂けたらと思う、
等々と英語で語りかけてから、ドビュッシー『映像』第2集より、
『金色の魚』を弾いた。
これが非常にダイナミックな演奏で、
内省的なベートーヴェンとは全く違う躍動感があった。
ドビュッシーの色合いや和音の妙、リズムの楽しさが聴き応え十分で、
終わってしまうのが勿体ない気分にさえなった。

ダルベルトは、私が思っていたよりずっと小柄なピアニストだったが、
素晴らしく懐が深く、感性の豊かな演奏家であることがわかった。
次回は、是非ソロリサイタルを聴いてみたいと思う。
一夜で、ベートーヴェンとドビュッシーと、
全く異なるふたつの顔を見せてくれたダルベルトだったが、
リサイタルとして2時間を構成するなら、
一体どのようなものを聴かせてくれるのだろうか。
ベートーヴェンの後期ソナタや、シューベルトのソナタも聴きたいし、
ドビュッシーだけでなくラヴェルを弾いても面白いだろうなと
様々に想像をさせられた演奏会だった。

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(写真は、日曜日に歌舞伎座ロビーで撮影した繭玉飾り)

早速手配
月曜の夜に東京から帰ってきたばかりだというのに、
水曜日の本日、早速、来月の道楽のための手配をした。
2月21日(日)の『日本舞踊協会公演』昼の部の最後に
あらしちゃんが藤間勘右衞門として出て『うかれ坊主』を踊るので、
ひっそり応援しようかと、三等自由席を一枚買ったのだ。
第59回 日本舞踊協会公演(日本舞踊協会)

それから、同じ日の歌舞伎座夜の三階席も取った。
歌舞伎座二月大歌舞伎『浜松風恋歌』に、
あらしちゃんが尾上松緑として出演するからだ。
ちなみに二月大歌舞伎の昼は『通し狂言 新書太閤記』で
音羽屋の旦那さん(菊五郎)が主演なさるので、
翌22日(月)に観てから帰る、という段取りにするつもりだ。
2月下旬は、娘が春休みで広島に帰ってきているのではないかと思うが、
昨今の私はもう、「娘の様子を見に」東京に行っているのではないので、
今更何が問題ということもない(^_^;。
私は東京に、専ら、松緑や菊之助の様子を観に行っている。
音羽屋の旦那さんの場合は、御尊顔を拝し奉るために。
二月大歌舞伎(歌舞伎美人)


ベートーヴェン:ロンド作品51-1
最近は忙しいのもあってピアノの優先順位が下がっているのだが、
もともと、私は弾くことに対してはさほど愛着を持っていないので、
こういう、つかず離れずの関係が自分にとっては程よいのではないか、
と思っている。
目下、練習しているのはハノンの第51番と、ツェルニー40番の第10番、
それに春の発表会用にベートーヴェンの『ロンド作品51-1』だ。
モーツァルト風に始まり、次にバッハか何かへのオマージュみたいになり、
変奏がどこまで行くのかなと思っていると、突然ベートーヴェンの地金が出る(爆)、
……という展開が面白いと思って、これにした。
勿論、この忙しさの中でしんどいことをする気には到底なれないから、
「この程度の曲なら、さほど苦労しなくてもなんとかなるだろう」
というサボリ根性もあって選んだことは否定しない。
しかし私は自分で想定しているより、本当は更にピアノが下手なので、
いざ弾くとなると実に不格好な演奏にしかならず、毎度のことながら腹立たしい。
Beethoven Rondo in C Major Op. 51 No. 1 performed by Allen Yueh(YouTube)

ちなみに、普段は全音ソナチネに収録されている楽譜を使っているのだが
(段組が良くて自分で譜めくりできるのが理由)、
弾いていて「ワタシの聴きたいロンドと違うね??」
と違和感を覚えた箇所を、ヘンレ版で確認してみると、
どれも全音版にあるような指示は全く書き込まれていないので、
そういう部分については、自分が良いと思う通りの表現で、
ある程度自由に弾かせて頂こうと思っている。
こういう、自分本位に落書きするみたいなやり方で演奏を楽しむのは、
どシロウトのオバちゃんだからこそ、許される喜びだろう(^_^;。

ちなみに、「聴く」ほうのピアノに関しては、
なんとか機会を捉えて演奏会に行きたいと、いつも思っている。
歌舞伎や宝塚のように毎日やっていてくれると、日を選べるのだが(^_^;、
演奏会は大抵一度きり、しかも夜が中心なので、逃すことが多い。
今の私の生活だと、自信を持って動けると言えるのは、
夜だと日曜か水曜、昼は日曜と月曜で、
その他は出勤日なので会社次第、土曜となると昼も夜も駄目だ。
しかし3月11日(金)のミシェル・ダルベルトの広響客演は
発表があったときからかなり楽しみにしていて、チケットも買ってある。
金曜夕方6時45分、……仕事が予定通りに終わり、かつ、
お客様からもマネジャーからも、新たな用事を言いつけられなかったならば、
私はこれを聴けるだろう。
第358回定期演奏会 『祈り、不死鳥の如く』(PDF)(広島交響楽団)

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夕方、近くを通りかかったので世界平和記念聖堂を覗いてみたら
教会の庭に、聖家族の人形(イタリア語でプレゼピオと言うらしい?)が飾られていて、
……と言っても、まだクリスマスになっていないので、救い主は降誕されていなかった。
(補足・12月25日記:クリスマス・イブのミサが終わると、このようになった。)
クリスマスに向かう時期の教会の空気は、とても良いと毎年思う。
主の降誕を祝う気持ちや喜びの気分が、普段より更に、
教会周辺を明るくしているという感じがするのだ。

ところできょう、聖堂の近くに出かけた理由は、エリザベト音大で行われていた、
ピティナ・ピアノステップを聴きに行ったからだった。
ピアノを弾く人たちの目標もレベルもそれぞれあるものだが、
この『ステップ』というのは、どのような弾き手にも、
等しく舞台で演奏する場を提供してくれる催しだ。
日頃から専門に学び、試験やコンクールを控えた弾き手もいれば、
全くの趣味で弾くアマチュアもあり、年齢も経験も曲目も様々だったが、
誰にとってもこういう場はひとつの節目であり、
晴れがましい「本番」であることが伝わって来て、
プロやセミプロの行う「リサイタル」とは全く違う聴き応えがあった。
私自身は人前で弾きたいという気持ちはあまり持っていないが、
本番に向けて練習を積み重ねる日常は、私なりに想像できるし、
各自追求するものがあって迎えた、このステージなのだと、
聴きながら共感を覚えるところが多々あった。

今回は更に、ピアノだけでなくチェンバロ体験も組み込まれていて、
このステージでは、同じ曲をチェンバロとピアノの両方で弾かれた方や、
それぞれの楽器で異なる曲目を演奏された参加者もあり、
これまた、なかなかに興味深かった。
大半の弾き手にとってチェンバロは不慣れな楽器であった筈で、
本番で短時間で切り替え、ピアノと両方で弾きこなすことは、
大きなチャレンジであったことと思う。

特に、バッハの『インヴェンション』『シンフォニア』『平均律』などは
もともと演奏楽器の指定が作曲者によってなされていないらしいので
(合ってます?(笑))、
何で弾いても作曲者の意図に反するわけではない、と考えて良いと思うのだが、
そうした曲を、チェンバロで弾いたり、グランドピアノで弾いたりして
それぞれの魅力や可能性を比べたり、体感したりできるのは、
現代の我々ならではの特権ではないだろうか。
プロもアマチュアも、そして私のような近所(笑)の聴き手も、
日常の中でこのような世界に近づく機会があるなんて、
とても恵まれたことだなと、きょうは聴きながら、思った。

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以前から仲良くして下さっている、ピアニストの高橋若菜さんが、
来月、ご出身地である仙台でリサイタルをなさるとのことだ。

高橋若菜ピアノリサイタル『音のミュージアム』
2015年8月21日(金)19:00 仙台シルバーセンター交流ホール
チケット 一般3000円、学生1500円
お申し込み・お問い合わせ
Tel. 070-6454-3280(高橋)
E-mail wakana.klavir@gmail.com
マリーナピアノスクール、イープラス

〈曲目〉
バッハ:フランス組曲第5番
ショパン:ノクターン作品55-2、幻想即興曲、小犬のワルツ、舟歌
ヨシポヴィッチ:ガラス玉演戯
ムソルグスキー:展覧会の絵

(以下のチラシ↓は、クリックで拡大します)


以前もご案内したことがあるのだが、若菜さんはポゴレリチと同じく、
マリーナ・アンボカーゼ女史の薫陶を受けられたピアニストで、
リスト・ジロティ楽派の流れをくむ演奏家のおひとりである。
アンボカーゼ女史の快諾のもと、ご自身のピアノ教室も
『Marina Piano School』と名付けられている。

高橋若菜さんのお教室:MARINA PIANO SCHOOL(千葉県八千代市)
レッスンブログ:♪Marina Piano Schoolのレッスン日記♪
高橋若菜さんのブログ:PIANIST高橋若菜 クロアチアと私
若菜さん&聡子さん姉妹とアンボカーゼ女史(写真数点あり)

また、以前ご紹介した『クロアチア音楽サロン』の第二弾が、
来週の日曜日に行われることになっており、
これにも若菜さんほか、クロアチアゆかりの演奏家の方々がご出演になる。
こちらは都内港区南麻布セントレホールで(NYスタインウェイLがある!)、
パーティーつき、クロアチアワインも用意されているとのことだ。
クロアチアの芸術・クロアチアの味覚に関心をお持ちの方は、是非。

クロアチア音楽サロン vol.2---クロアチアの音楽と世界の音楽
日本クロアチア音楽協会
7月12日(日):南麻布セントレホール
13:30開場/14:00開演 チケット全席自由5,000円
〈出演〉
ソプラノ・松木貴子 ピアノ・高橋若菜 バス・大海大
ジプシーヴァイオリン・古館由佳子 案内人・池田卓夫
〈曲目〉
ヨシポヴィッチのピアノ曲、ペヤチェヴィッチの歌曲、
クンツの歌曲、日本の歌ほか

(以下のチラシ↓は、クリックで拡大します)



演奏会のご成功を、心よりお祈り致しております。
お出かけになった方から、あとでお土産話をお聞かせ頂けましたら、
とてもとても嬉しく思います<(_ _)>。

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実はきょうは、私にとっての1年に1度だけの、
ピアノの「本番」の日だった(汗)。
趣味でピアノを弾く大人を中心に、ピアノの先生や、
若い人や専門家を目指す人や、弦など他楽器を演奏する人まで集まって、
どこの門下だとか一切関係なしに、各自弾きたいものを弾く、
という通称『闇鍋』会が毎年一回開催されていて、
私はそれに、第一回の2011年から毎年参加しているのだ。
今年はもうもう、過去最高に練習していなかった(爆)ので、
いっそ出るのをよそうかと思ったこともあったのだが、
随分前に「出ます」と言ってしまっていたし、
発表会の場を失ったら、このままピアノから遠ざかってしまいそうだったので、
やはり出るだけは出ようと思って、決行した(大汗)。

正直に言って去年の秋頃から、私の中で、
(自分の弾く)ピアノの優先順位は、かつてなく下がっていた。
仕事の日は家事以外のことをする時間が取れないのも理由だったし、
道楽として歌舞伎が面白くなり過ぎたことも、原因のひとつだった。
それで過去数ヶ月、ずっとピアノの蓋の上には仕事関係の書類が乗っていて、
一週間の大半はピアノに触れることさえないまま過ぎていたのだが、
さすがにここ半月ほどは、目の前の本番から逃れられないことがハッキリしたので、
その書類束を床にどけて、数日に一度くらいは練習をするようにした。
先週の木曜日には西区民文化センターの『ピアノお試し演奏会』に行き、
出勤前の午前中に1時間ほど弾いたりもした。

もともと全然巧くないド素人ピアノなのに、練習までサボっておいて、
それで上辺だけでも何とかしようなどと、全くムシの良い話だった。
どちみち下手なのだから結局は似たようなものなのだが、
今回は、本番に向かって日々、密度と精度を高めて行くような、
「真摯」な部分がほとんど無かった。
こんなテイタラクで発表会に出るなんて、本当は駄目だ。
それもこれも、今年もまた昨年と同じベートーヴェンの『テレーゼ』1楽章を
弾かせて貰うことにしていたからこそ、どうにか格好になったのだ。
というか、「譜読みの途中」という状態ではないものを、弾くことだけは、
かろうじて出来た。
あああ、申し訳ありません、ベトベン先生(泣)。
泥縄ピアノで、珠玉のソナタ24番を使ってしまいました。

しかし、何であれ出ることができたのは本当に良かった。
不出来でも人前で弾くことには、ある種の「けじめ」としての意味があったし、
ほかの方々の演奏を聴かせて頂いたお蔭で、また新たな刺激も受け、
来年もこの場にいられるようでありたいと、心から思った。
休憩時間のお喋りのときには、次回は何を弾こうかという話題も出た。
ここで久しぶりに聴いた曲や、初めて知った曲がヒントになって、
自分でもその曲や、関連のジャンルのものを手がけてみたくなる、
というのは、他の方々も私も、これまでよく経験していることで、
そのような影響力を互いに大なり小なり持っているというのも、
『闇鍋』演奏会ならではの、素晴らしいことだった。
きょう聴かせて下さった、たくさんの方々に、心からの賛辞と感謝を!
(遠くから応援して下さった某氏にも!)

…それにしても、きょうはマツダスタジアムでカープ×DeNAがあったので、
私の発表会の会場の付近は、朝も夕方も凄い人出で真っ赤になっていた。
特に帰りは、ちょうど試合が終わって帰る人たちとかち合ってしまったので、
まるで神戸のルミナリエで歩いているみたいな混み具合だった。
広島駅前を過ぎるまでずっと、前後左右を人・人・人に固められて
全体のペースに合わせて歩く以外にどうしようもなかった。
陸橋の上からその大混雑光景を写真撮影している人も、いた(^_^;。
この中で私だけカープ帰りではない!と思うと、何か可笑しかった。
ときに、皆の着ているカープのユニフォームやTシャツを見ていたら、
前田(18番)・黒田(15番)・大瀬良(14番)が多いのは当然として、
菊池(33番)が大勢いるのには感心した。
やはりあの華麗な守備は、カープファンの間で絶大な支持があるのだな。

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私にとって本当に残念なことに、ヤマハミュージック広島店が、
今月から演奏会チケットの取り扱いを全面的にやめてしまった。
会社帰りにちょっと立ち寄って、
「何か面白いコンサートは無いかな」
と探すのを楽しみにしていたのに、それができなくなってしまい、
私は今、かなりがっかりしている。

私にとって広島のヤマハというのは、
地域の演奏会情報を提供してくれる、とても大事な場所だった。
広島県民文化センターやエリザベト音大、区民文化センター等で
地元の演奏家によって行われる音楽会の情報やチケットは、
チケットぴあやイープラスで探しても手に入らないから、
これまでずっとヤマハのプレイガイドに頼ってきたのだ。
掘り出し物が多く、随分と楽しい思いをさせて貰って来たのに、
よもやそれが失われるとは、少し前まで予想もしていなかった。
こうなると、残る手立てはカワイミュージックショップ広島とDeoDeoか。

私の日常生活では、普段、楽器はそうそう新調しないし(爆)、
CDはamazonで探せば済むし(殴)、
これまでヤマハの何に用事があったかというと、
どう考えても一番はプレイガイドだったと思う。
その次に、雑誌や楽譜を探しに、というのが多かっただろうか。
書籍類はやはり一般の書店よりはずっと専門的な品揃えだと感じていたから……。

このご時世なので、楽器店の経営もなかなか厳しいのだろうし、
事業縮小や人員削減みたいなことはどの業界でも考えるだろう。
まさか儲かって仕方が無い部門を閉めるということはないだろうから、
終了が決まったところを見ると、プレイガイド運営は
ヤマハ広島店においては過去、プラスになっていなかった、
と考えるしかないが、それにしても実に惜しいことだ。


……1時の仕事が一件、キャンセルになったのでこれを書く時間があった(^_^;。

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