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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



(備忘録的、練習記録。3月26日現在)

本番まであと一ヶ月ほどになったのだが、
技術的課題がまだまだいくつも残っている。
冒頭4小節、まずここが最初にして最大の難所だ。
特に、2小節目の二拍目から3小節目にかけての中声~低声の部分に、
F#―E―D#と、「下がって」行く旋律が隠されていると思うのだが
(これを私に聴かせ、感じさせたのはポゴレリチなのだが・汗)、
技術のない私がそれを音型として表現しようとすると、かなり聞き苦しい。
……いっそ、無かったことにして高音だけ聴いて弾こうか(爆)。
こういう序奏のついたものは、ベートーヴェンの32曲のソナタの中には
ほかに見当たらないのではないかと思うが、どうだろうか。

ここが済めば、音楽的には多少気楽になれる気がするのだが、
ハズすのではないかという箇所が次々と出て来るのは、勿論このあとだ。
33小節目の右手の上行アルペジオ、35~36小節目の下行アルペジオは、
「次、気をつけてちゃんと弾く箇所だ」
などと思ったら最後、途端によけいな音を触ってしまう(汗)。
39小節目の左のスケールも同様で、「臨時記号だ注意しよう」、
と考えるとかえって違う指が出てしまって、そこから転ぶ(大汗)。
日頃、漠然とした感覚優先で、
構成など考えずにやっているからこういうことになるのだろう。
最近は毎日、できないフレーズばかりを抜き出して左右別々に弾き、
速度を変えたりリズム練習をしたりしているのだが、
練習の方法として、手に覚えさせることと頭に覚えさせることの
バランスをもっと取らなくてはと思っている。

45小節目からは、アナリーゼができない素人の弱みが露呈して、
自分でも何を弾いているのか、実はほとんどわかっていない(殴)。
右手のスケールと変形アルペジオみたいな流れに乗っかって、
左手のタンタタン・タンタタンが展開している、
……という程度の理解で弾いている。申し訳ありませんん(T_T)。
一方、これの次に、両手ユニゾンのスケールになだれ込むところは、
私なりに弾きたいものが一応あるので、気持ちは入るのだが、
それゆえ、途中で突然に確信に満ちた弾き方に変わる、
みたいな変な具合にならないように、
もうちょっと(←ちょっと、かよ!)勉強して弾かなくてはと思っている。

66小節目からは、コード進行としてちゃんと把握しきれていないため、
これまた、自分の中で一瞬でも何かが狂ったらワケわかめだ。
子供の頃に、和音の転回形など多少は習ったことがあるのだが、
極力、そういう学習も反復練習も避けて通ろうとしていたので、
そのツケは今シッカリ残ってしまっている。
あの頃は、今週のレッスンを叱られないで乗り切るのが最大の目標で、
まさかテレーゼみたいなものを将来弾くようになるとは、
思ってもいなかったんだよね(殴)。

95小節目後半からは、10小節ほどずっと左手16分音符が続き、
転調に継ぐ転調のスケールとアルペジオの連続になっているので、
半端なエチュードより私にはずっとキくという感じがする。
これだけ黒鍵を多用するのも、普段の私にはあまり無いことだ。
私は最近では、全音ハノンの4ページ5ページを開いて、
出ている22種類の『変奏の例』に従ってここを練習している。
ハノンは果たして、そういう使い方をするものだったかどうか不明だが、
私にとっては、いくつになっても頼るのはハノン先生なのだ。
16分音符で刻む4分の4拍子、ってハノンの21番以降と同じ絵ヅラだし。
このあたり、右手はほぼ、拍の頭の和音だけなので
左手がどういうリズムになろうと、左右一緒に弾くことが可能で、
そうするとテレーゼがなんと、
8分の6拍子とか4分の3拍子になったりして、なかなか愉快だ。
っていうか全然別の曲だ。
この練習は我ながら結構気に入っている(爆)。

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既に十日以上前の話になってしまったが、
2月28日に、西区民文化センターで行われた、
『魚住りえ&魚住恵 リーディングコンサート~朗読と演奏が奏でる詩情の世界~』
を聴いて来た。
魚住姉妹共演による朗読ピアノコンサートに関しては、
私は初回(2007年)から聴きに行っているファンで、
続編が企画されることを最初から希望していたら、
翌年に地元広島での再演(2008年)があり、
更に今回は、弦楽器ゲストも加えての発展版を聴くことができて、
当初の予想以上の可能性が開けてきたことを知り、とても嬉しく思った。

<第1部>~名曲コンサート~
ショパン:幻想即興曲
ショパン:小犬のワルツ
フォーレ:夢のあとに
サン=サーンス:白鳥
カザルス:鳥の歌
ファリャ:スペイン舞曲
J.S.バッハ:ガヴォット
ハイドン:ピアノトリオより「ジプシー風ロンド」

<第2部> ~朗読と演奏が奏でる詩情の世界~
宮沢賢治作「セロ弾きのゴーシュ」


第1部は、りえさんの司会、恵さんのピアノ&解説、
ゲストの熊沢雅樹(チェロ)さん、甲斐摩耶(ヴァイオリン)さんの
演奏が順に加わっての、豪華な名曲コンサートだった。
私はどうしてもピアノ寄りに聴いてしまうので、
ピアノが、ソロから始まり、伴奏になり、三重奏の一員になり、
……と役割を変えて行く様が、音色の多彩な変化と相まって、
とても興味深く感じられたのだが、
客席では、身を乗り出してチェロやヴァイオリンを聴いている、
小学生くらいのお子さんの姿もあちこちに見えたので、
それぞれ、各自の興味や楽器経験などに応じて、
聴きたいところが聴ける演奏会になっていたということだと思う。
各楽器のソロ曲から入って、最後にハイドンで三者の共演になる、
という流れは、とても楽しい構成だった。

第2部は、りえさん朗読による宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』に、
ピアノ、チェロ、ヴァイオリンが絶妙に絡む朗読劇だった。
朗読劇、という言い方が適切かどうかはわからないが、
楽器がジングルや効果音的な役割を果たす部分もあれば、
物語の一場面として演奏そのものが前面に出る部分もあり、
そのつながりが全く自然で、完成度の高い舞台になっていたと感じた。
原作では、冒頭の第六交響曲が誰の作品であるか触れられていないし、
ねこの言う『トロメライ』はともかくとしても(笑)、
題名がありながら実は架空の曲というのが複数登場するので、
この作品を上演する際に、それらをどういう曲目にするかは、
演出担当者や演奏家の、選曲のセンスが問われる部分だったと思う。
今回演奏された曲目は、以下の通り。

ベートーヴェン交響曲第6番『田園』第一楽章より
プロコフィエフ:『つかの間の幻影』より第1曲
ショスタコーヴィチ:チェロコンチェルト1番より
シューマン:『子供の情景』より「トロイメライ」
プロコフィエフ:『つかの間の幻影』より第10曲
ブラームス:子守唄
プロコフィエフ:『子どものための音楽』より「マーチ」
シューマン:『子供の情景』より「見知らぬ国々と人々」
ポッパー:ハンガリアン・ラプソディー

りえさんの朗読で私が感銘を受けたのは、
登場人物を演じていながらも、一貫して「朗読」の範疇を
逸脱しないものだったという点だ。
「朗読」の場合、読み手は読み手であって、声優や俳優ではなく、
声色を作ったり演技したりすることは朗読本来の役目ではない、
と私は常々思っているのだが、りえさんの朗読もまた、
実に生き生きとしていながら、飽くまで、
「感情をこめて読み上げる」芸術表現を目指したものだったことが
強く印象に残った。

恵さん・りえさんは姉妹、熊沢さん・甲斐さんはご夫婦、
ということで、家族的なつながりが舞台の温かさとなって現れた面も
おそらくあったのではないかと思う。
『セロ弾きのゴーシュ』の素朴な世界とそれはよく調和して、
最後には私は、主人公ゴーシュの感激や満足、感謝に思わず同調し、
なんとなく涙ぐみそうにさえなった。
とても幸せな空気で満たされた公演だったと思う。

また次の公演が企画されることを願っている。
魚住姉妹も熊沢・甲斐ご夫妻も、それぞれお忙しいこととは思うのだが、
機会を見て、今後も是非よろしくお願い致します(^^)。



追記:今回の公演は来月、東京でも行われるようだ。
魚住りえ&魚住惠 リーディングコンサート
2014.04.19(土) 第171回よくばり音楽館
港区立高輪区民ホール 午後2時開演(午後1時30分開場) 
≪問い合わせ先≫
事務局 電話・FAX:03-3778-5424 Eメール:tmatanokura@yahoo.co.jp

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(備忘録的、練習記録。2月7日現在)

およそ4月の後半までになんとかせねばならないことになり
こうなったら独善的でもなんでもいいから弾きたい通りに弾く、
と決めたことも相まって
、このところテレーゼ第一楽章を
ある程度真面目に練習するようになった。
曲以前に、まず嬰ヘ長調のスケールとアルペジオを稽古しなくては、
ベートーヴェンなんか弾けたものではないので、
ハノンの39番と41番を開き、……と言っても嬰ヘ長調は無いから
変ト長調で代用することにして、先週から毎日弾いている。

そういえば中学生の頃だったと思うが、
私は、黒鍵だけのアルペジオというものが苦痛でならず、
先生の前ではやむをえず「そっと弾く」ことでミスタッチを避け、
どうにかごまかして、この調を合格させて貰ったものだった。
これは姑息な手段として、大いに理にかなっている。
黒鍵は幅が狭いので、速くしっかり弾こうとして勢い余ると、
途端に指がズレて違うキーに触れてしまうからだ。
その点、そっと弾けば勢いで落ちることが最大限、避けられるし、
変な打鍵をしていても、音が出ていないのでバレにくい(殴)。
今回、弾いていてそのことを頭でなく手で思い出した。
勿論、こんなのはベートーヴェンの弾き方として、
いや、何の弾き方としても、駄目駄目に決まっている(爆)。

一方、本体のテレーゼ第一楽章で描かれるものは、私の中では、
娘が昔好きだった『ちびっこ吸血鬼』の、アンナの話に似ている。
もう少し育ってミステリアスになったアンナではあるが、
私にとってのテレーゼは、朽ちかけた洋館に棲む女の子で、
愛らしくて可憐だが、その肌はロウの色をしており、
かびくさい時代遅れのドレスを着ている。
なぜなら、彼女の体は、数百年前に死んだものだからだ。
夜中、時計が鳴ると彼女はゆっくりと姿を現し、
主人公の少年と秘密のデートをする。
彼女はくるくると踊り、少年の手を取り、ときにしんみり語ったりもする。
少年は、この娘が普通の人間でないことはわかっているのだが、
なにしろ可愛くて放っておけないし、結構愉快なことも多いので、
彼女との友情を大切にしたいと思っている。
一緒に吸血鬼になろう・一緒に行こう、と、
時々ねだられるのだけが困るけれど……。

……という、私の前提を細かく語ったわけではなかったのだが、
「可愛いテレーゼ、というのでない、『あの世』版テレーゼやります」
と言って弾いたところ、ひととおり聴いてくれた友人某氏いわく、
「谷崎潤一郎の、西洋館でマゾに目覚めるヤバい少年の話を思い出しました」。

畏れ入りました。

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アクセス解析を見ると、昨日の検索語の1位は『ヴィルサラーゼ』だった。
私が彼女を知るようになったのは、友人のU女史のお蔭で、
その演奏を初めて聴いたのは、多分91年の八ヶ岳高原音楽堂だった。
ヴァイオリンのオレグ・カガンが亡くなった翌年か翌々年で、かつ、
もうリヒテルも居なかった、という記憶があるので、
少なくともこの時期だったことは確かだ。
カガン未亡人となったチェロのナターリア・グートマンと組んで、
ヴィルサラーゼが室内楽の公演として演奏会を行ったのだ。

今になって悔やんでも遅いのだが、曲目等このときのデータは、
私のかつての愛器であった東芝RUPOのフロッピーディスク(爆)
の中に眠っていて、もはや、取り出すことが相当難しい。
二十代だった私にとって、印象的な演奏会であったことは間違いないが、
どのような言葉で何を記録したか、思い出すことができない。
当時U女史の書かれた文章が、実家の自室に残っている筈なので
次に帰ったときに探してみたいと思っている。

U女史は感覚的に極めて優れた方で、日本では全く知られていなかった頃の
バシュメットやアファナシェフ、エル=バシャらを
80年代の終わりから90年頃にかけて次々と見出し、
地道な執筆活動の中で次第に彼らの名を周囲に広めて行かれたのだが、
ヴィルサラーゼもまたそうした芸術家の中のひとりだった。
私はU女史から教えられなければ、彼女の名をあのような時期に
知ることは決してなかったと、今にして思っている。

今回のヴィルサラーゼは、日本では11年ぶりのリサイタルだったそうだが、
私にとっては、99年?に京都で聴き損なって以来だった。
そのときヴィルサラーゼは、協奏曲のソリストとして京都に来ていて、
この日はマチネだったので、神戸在住だった私は一応出かけてはみたのだが、
3歳だった娘を預ける場所がなく、連れて入ることも不可能で、
どうしようもなかった。
会場は、京都の動物園の近くだった記憶があるので、
京都市国際交流会館のホールだったのではないかと思う。
結局、東京から聴きに来られたU女史とホール前で会ってお喋りしたのみで、
外でしばらく娘を遊ばせてから帰ったものだった(^_^;。

さて今年は、ファンには有り難いことに、
ヴィルサラーゼは夏にもまた来日することが決まっている。
『霧島国際音楽祭』(2014年7月16日(水)~ 8月3日(日))で
マスタークラスを担当することと、演奏会としてはシューマンの協奏曲と、
今回と同じ曲目でのリサイタルを行うことが予定されているのだ。
私は、できることならこのうちのどれかを聴きに行きたいものだと、
今、画策中である(逃!)。
リシッツァが帰ったあとヴィルサラーゼとは、
今年の私は信奉する女性ピアニストたちの演奏会に恵まれているようで
なかなか幸せな予感がする(^_^;。

なお、先日のすみだトリフォニーでのヴィルサラーゼの演奏は、
NHK-FMでも3月に放送されることになっている。
エアチェック(死語)必至だ。
ご関心がおありの方は、この機会をお聞き逃しになりませんように。

3月21日(金)19:30~21:10 NHK-FM「ベスト・オブ・クラシック」

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昨夜のエリソ・ヴィルサラーゼは、まさに圧巻だった。
90年代初めに八ヶ岳で聴いて以来、彼女は
私にとって「巨大なるミューズ」という印象のピアニストで、
今回も彼女が弾くからこそ、迷うことなく東京まで聴きに来たのたが
私の記憶にあった彼女の音は、このリサイタルのお蔭で、
完全に良いかたちで鮮やかに塗り替えられた。
自分の人生における最重要の演奏会のひとつを逃さず聴けた、
という幸福感に、私は昨夜以来、満たされている。

2013年の最後がポゴレリチで、2014年の最初がヴィルサラーゼだとは
我ながら奇跡みたいな組み合わせになったものだ。

ヴィルサラーゼの、楽器としてのピアノの扱い方の中に
私はポゴレリチと同じ匂いを感じた。
リストの高弟アレクサンドル・ジロティがロシアに遺したものを
どんな説明より明白に「音」を通して見せてもらったと思った。

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4月下旬に友人某氏主宰の音楽会があり、
いつものピアノ仲間の方々も参加なさるということで
私も誘って頂いたのだが、依然としてピアノをヤル気になれず、
どうしたものかと考え続けて、結局、
ベートーヴェンのソナタ『テレーゼ』第一楽章をやることにした。
それも、これまでずっとして来たような、
「こうすべき」と言われる弾き方を習得しようという姿勢は捨てて、
今の自分の何も変えず、ひたすら我が儘に、
自分の弾きたい通りに弾くことにした。
指がまわらない箇所があっても、妥協せず弾きたいテンポで弾き、
「おかしい」「独りよがり」と言われる演奏になろうとも、
私が良いと思う『テレーゼ』を忠実に再現しようと決めたのだ。
私は、伝統的な解釈だの歴史的な位置づけだの、楽曲分析だの、
全部「知りませんでした」で通るド素人のオバちゃんだし、
そもそも上達したいかどうかすら、自分で決められる趣味の弾き手だ。
ひとりで勝手に破綻していたとしても、笑って見逃して貰えるだろう(^_^;。
これでようやく、積極的にピアノに向かう気分になった。

……という話をもっと書こうと思っていたのだが、時間切れ。

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さきほど、ふと思いついてリシッツァの公式サイトに行ってみたら、
来日予定が掲載されていたっっっ!!!
Valentina Lisitsa(公式サイト)

Tuesday 24 June 2014
Concert Hall Kitara, Sapporo, Japan

Wednesday 25 June 2014
Performing Arts Center, Hakodate, Japan

Friday 27 June 2014
Acros Fukuoka Symphony Hall, Fukuoka, Japan

Saturday 28 June 2014
Mihara Performing Arts Center Popolo, Mihara, Japan

Sunday 29 June 2014
Symphony Hall, Okayama, Japan

Thursday 3 July 2014
Civic Cultural Hall, Musashino, Japan

Saturday 5 July 2014
Symphony Hall, Osaka, Japan

Sunday 6 July 2014
Aichi Prefectural Arts Center, Nagoya, Japan


昨年末にポゴレリチが帰って以来、久しく忘れていた、
体中の血が躍動するような興奮を、今、私は感じている(^_^;。
今度こそ、追っかけたいっっ、リシッツァ!!
前に来たときはヒラリー・ハーンの伴奏でツアーをし、
リシッツァ本人のリサイタルは、
ついでのように一回だけ、トッパンホールで開催されたのだが、
今年のは堂々の日本ツアーだ。
福岡、三原、岡山、大阪、名古屋と
やけに、私の行けそうなところが並んでいるではないか!!

ホール名から各会場のサイトに行って公演スケジュールを調べたら、
ベルリン交響楽団との協奏曲の予定がいくつか見つかった。
わかった範囲では、アクロス福岡ではリシッツァは『皇帝』を弾くようだ。
これが聴かずにおられようかっっ!!
協奏曲ばかりでも良いが、更にどこかでリサイタルもないだろうか。
一度にそこまで望んではいけないか(^_^;。

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22日に、広島流川教会で松本和将(ピアノ)と
上里はな子(ヴァイオリン)のデュオ・リサイタルを聴いた。
プログラムは、

グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ短調
バッハ:無伴奏パルティータ第2番 ニ短調『シャコンヌ』
ブラームス:間奏曲作品117
フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調

アンコール
 マスネ:タイスの瞑想曲
 クライスラー:美しきロスマリン

全体として、私にとって絵画的なイメージが浮かぶ音楽会だった。
グリーグは、牧歌的で穏やかな光景から始まり、
日が射しても外気が冷たく、透き通っていて、
終始一貫して、屋外の自然が目の前に描かれている気がした。

『シャコンヌ』では一転して、静かな礼拝堂にひとりでいる情景が見えた。
私は常々、「祈る」というのは無言であっても実に能動的なことだ、
と感じているのだが、上里はな子さんのシャコンヌを聴いていて、
全身全霊を挙げて神との対話を試みることの厳しさ・過酷さを、強く感じた。
傍目には微動だにせずに静かに祈り続けているように見えても、
その霊的世界には激しい葛藤があり、命がけの献身があるのだ、
というような……。

後半の一曲目はピアノのソロで、ブラームスの間奏曲作品117。
これの、特に一曲目の『子守歌』を聴いていて、
私は5年くらい前に聞いたイェルク・デムスの解釈を
不意に、まざまざと思い出した。
デムスは、この子守歌はマリアがイエスを抱いて歌っているものだ、
と語っていた。
だからテンポは、母親が赤ん坊を抱いてゆったりと歩くペースだ、と。
真夜中、暗いけれども穏やかな空に、月が出ている。
若い母親は赤ん坊を抱いて子守歌を口ずさむ。ささやかな、静かな幸福。
そこにだんだん、黒い雲がかかってくる、
それは赤ん坊の運命を暗示している
(我々も、この赤ん坊がこのあとどうなるかを知っている)。
若い母は窓からそっと空を見上げ、我が子の行く末を漠然と感じて、
平凡なひとりの親としての苦悩に胸をしめつけられる。
しかし何が起ころうと、すべては神の御旨のままにと彼女は真摯に祈る。
曲の終盤、空の雲が切れて、神の恵みのまなざしのような月が出る。
神様、どうか、この子をお守り下さい……。

今回の演奏会は、全体でひとつの物語になっており、
最後のフランクのヴァイオリン・ソナタに辿り着いて、
魂の救済のかたちが示されることになった。
素朴な人間として祈り続け、惑いの中で手探りを続けた者が、
このソナタの最終章で、ついに歓喜の中、天国への道を見つける、
……というのが、物語の結末だった。

通常、松本氏の出演される演奏会では、
合間に解説を交えたトークが入ることが多いのだが、
今回はアンコールの前までは、そのような雰囲気には全くならなかった。
私も、この音楽会には言葉は要らなかったと思うし、
教会という場所柄とも相まって、ただ音だけを捧げることが
もっとも相応しかったと思っている。
アンコールでは、『タイスの瞑想曲』で癒やしを与えられ、
最後に『美しきロスマリン』で温かく包んで貰って、
私にとって、実に満たされた気持ちになることのできた演奏会だった。

場所と、演奏者と、演奏曲目が、どれもピッタリと調和した、
素晴らしい2時間だった。
松本氏、上里氏、そして企画運営ほかの皆様、
本当にありがとうございました<(_ _)>。

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束の間
久しぶりに何も無い日だった。
というより、意図的にそういう日にしたのだ。
なんぼなんでも、ここで一度くらい休暇(笑)を取らないと
脆弱なワタクシはシヌと思って。
来週はまた、1月から勤務する某社の採用時研修がある予定で、
1週間ばかり、本社研修施設で泊まり込みの生活をせねばならない。
それを終えて戻って来たら、もうポゴレリチ来日公演の週が来る。
なんと早いのだろう。
この調子では、老後なんかすぐだね(爆)。

『テレーゼ』
ベートーヴェンのソナタ第24番『テレーゼ』の第1楽章は、
テンポを落とせば最後まで通せるようになった。
もちろん課題はまだまた多すぎてどうにもならないのだが、
音の在処を指が覚えた、という段階までは来た。
かつて、『死ぬまでに弾きたい曲』にあげていたテレーゼを
まがりなりにも本当に弾くようになったのだなと感慨深いものがある。
この曲は世間では「愛らしい曲」という位置づけなのだと、
先日、友人某氏に伺い、私には結構意外だった。
いや確かに、史実としてはベートーヴェンが幸福だった時期に書いた曲、
ということになっているのだろうと思うのだが、
私はこれは、どうも、死んだ人間が死人語で喋っている音楽だと思えるのだ。
別に、ポゴレリチのケッタイな演奏を聴いたからそう言うのではなくて、
私は昔から、最初の和音だけでもう「あの世だね…」と感じていた。
ちなみに私は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の中では5番が一番好きで、
交響曲では6番が破格に気に入っている。
それぞれ、作曲年は『皇帝』が1808~1809年、『田園』が1808年、
そしてこの『テレーゼ』が1809年、ということで、
つまり私は、39歳当時のベートーヴェンと、大変気が合うらしいことが、
今更だがよくわかった(^_^;。
余談だが、森雅裕『モーツァルトは子守唄を歌わない』の舞台も、
設定は1809年だったっけ……。

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YAMAHAの店舗でグランドピアノの試弾会があり、
30分でS4BとC5Xの二台を弾かせて貰った。
……それぞれ、値段だけのことは、あった(爆)。

私程度の、趣味で弾くオバさんでもそう思うのだから、
これから音楽をやって行こうと思う若い人は、
やはりグランドピアノ、それも自分に合った楽器で
日々、感性を磨くべきだとつくづく思った。
アップライトの中にも良くできた楽器は勿論あるが、
やはり一般的に言って、グランドの音色は段違いに奥深いし、
音の立体感や彩りの点でも比較にならないほど優れている。
日常的に良い楽器に触れるのと触れないのとでは、
近い将来の到達点にさえ、相当な開きが出ることだろうと思う。

グランドピアノがあのように巨大で場所塞ぎな楽器でなければ、
私は大借金してでも主人をだまくらかしてでも(殴!)
こっそり買ったかもしれないが、
あのサイズでは買ったことが一目瞭然、
……どころか、楽器が入ったその日から、
我が家の居住スペースの事情が一変してしまうので、駄目だ。
たとえ価格が1万円であったとしても、あの大きさのものを、
我が家に新しく買い入れることは極めて困難だ。
独身だったら、グランドピアノの下で寝起きする生活になっても
私が良ければそれで良いのだが、何しろ今は家庭持ちなので(汗)。
そして家庭内でピアノが趣味なのは私ひとり、という……。

やはりここは、主人に十億円ころころっと入ったら、
そのうち一億円だけを私が貰い、
もうひとつマンションを買うか、舅宅をリフォームするかして、
一部屋に防音を施し、グランドを購入して専用のピアノ部屋にする、
……という解決が最善だろう。
これなら主人の生活にも影響がないし、
娘が帰省しても部屋が無いなどということにならずに済む。
そして、実家のアップライトU3Eも持って来てその防音部屋に置けば、
あの幼少時からの愛器をも手放さず、再び手元に置くことができる。
一方がアップライトでも、同じ部屋にピアノが二台あれば、
レッスンを受けるときにも便利だろうし、
二台ピアノの練習をする必要があるときなどにも使えるかもしれない。

…………ころころっと入れば、ねぇ……(^_^;。


追記:試弾会のあと、友人3人と一緒にランチに行ったのだが、
そこで友人A氏が「シマノフスキのマズルカ」を話題にしたとき、
B氏が聞き間違えて「下関のマズルカ!?」。
どんな踊りなんだ、どんな(笑)!赤毛ものの平家踊りかっ!?
「2拍目か3拍目に揉み手が入ってる…」
などと更にC氏が言うので、シヌかと思った。

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