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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日、寺島隆吉『英語教育が亡びるとき』(明石書店)を買った。
この本には実は12月31日に梅田の某書店で出会って、
店頭で目次を見てとても心惹かれたのだが、
旅行中だったし荷物が増えるのがいやで、即座には購入しなかったのだ。
(ちなみにその本屋の店先で立ち読みしていたとき、別行動中だった主人が私にメールで
『(三十三間堂での目撃に続き、きょうも)また手を洗わないオッサンをハケーン。しかも
などとわけのわからないことを、わざわざ知らせてきたものだった(--#)。
近くにいた娘にメールの文面を見せてやったら、
「えっ、同じヒト?」
と素っ頓狂なことを彼女が言い、
「京都と大阪だぞ。んなワケねーだろ!!」
と私は呆れた(--#)。)

この本は、世間で信じられている、
「小さい頃から英語をやらなかったから日本人の英語力は貧弱で使い物にならない」
「英語の先生なんだから英語で授業をするのは当然でしょう」
という俗説に、英語教育の各種現場を経験済みの、専門家の立場から反論したものだ。
新高等学校学習指導要領で唱えられている「英語の授業を英語で行う」という部分が、
一般の高校生にとっては、どれほど無意味な、
それどころか、どれほど有害な考え方であるかが検証されており、
またロシアの心理学者レフ·セミョノヴィチ·ヴィゴツキーの近年の論文から、
「母語と外国語の習得過程は逆ベクトル」であるという説得力のある箇所を引用し、
読解や文法を二の次にして「せめて日常会話くらいは英語でできるように」、
というのが、外国語習得過程の本来のあり方に逆らった無茶な発想であることも、
大変きめ細かく述べられている。

さらに、英語を母語とする人がフランス語を習得するのは比較的早いが、
同等の時間数ではロシア語習得は無理で、
日本語となると更に長い学習時間を要する、という事実から、
日本語と英語の言語的な「距離」がかなり遠いことがデータ的に裏付けられており
(日本語より中国語や韓国語のほうが、英語への「距離」はもう少し近い)、
したがって、TOEFLなどにおけるアジア諸外国の実績と比較して、
「日本人に英語力がないのは、英語教育が間違っているから」
と結論づけるのは早計であることも、この本を読めばよくわかる。

私も著者の主張に概ね賛成で、外国語として英語に取り組むときには、
まず読解、それには土台となる「文法」の知識をないがしろには出来ないこと、
次いで英語作文の力を時間をかけて養うのが実用面からも有用であること、
これらは同等以上のことがまず母語(日本語)で出来てから始めるのが良いということ、
読解と作文の力さえ高ければ、英語の口頭表現力はあとから磨けばついて来ること、
等々を、日頃から考えていたので、全く、溜飲の下がる思いだった。
私自身の考えを言うなら、更に理想的には、
日本語と英語の発想の違いも、折に触れて学習すべきだと思うのだが、
こういうことでさえ、対立概念としての日本語が最低限身についていないと始められない。
その意味でも私は、幼児や小学校低学年での英語学習には意義をほとんど見出していない。
むしろ、母語による抽象的思考力が高まる十代前半以降、
具体的には中学入学時、または小学校高学年くらいが、
英語学習の第一歩には適した時期ではないかというのが私の考えだ。

しかし、勿論、山の頂に至る道はたったひとつではないし、
人の能力や適性にも違いがあり、また登りたい山の種類も人によって違うものだろう、
ということも私は想像できる。
母語の習得過程同様に、理屈抜きで英語漬けになるのが有効だ、
天気や買い物の話題で気軽に雑談できる英語力がまず必要だ、
と信じる人が、その道を選択する自由はあって良いだろう。
たがその実現を、公立学校の英語の授業に対して求めるのはかなり無理がある。
私は昔ながらの40人以上が、「学級活動」の場としては適切だという感覚を持っているが、
それは、語学、とくに口頭表現力を磨くときのサイズとして考えるならば不適切だと思う。
先生と1対1で逃げ場もなくイジメ抜かれる(笑)のが、「慣れ」優先の語学習得には最適だ。
生徒が教室に20人もいたら、他の人たちが喋っているときにサボるから、
何時間かけたって「普通の日常会話」など上達しようもない。

*******************

以上、教科教育法としての英語という側面においては、著者の見解に、
私はほぼ同意するし、大いに説得される部分が多々あったのだが、
筆者の主張する「メディア・コントロール」と「ことばの教育」に関する部分には、
必ずしも全面的に賛成できないところがいくつかあった。
平和教育や民族教育、護憲か改憲か、などの問題について、
教育がメディアによる操作から自由になり、生徒には多様な考え方と現状について教え、
最終的には生徒自身が選択できるような土台を与えていく、
という方向性そのものには賛成なのだが、
「多様な考え方を教える」過程で、完全に「メディア操作から自由になること」が、
実態としてどのようなことを指すのか、私にはまだ見えてきていない。

主立ったメディア操作から自由になったあと、
別のマイナーなメディアや主義主張に取り込まれてしまうとしたら、意味がない。
そうなる危険性は教師側にもあるし、若い生徒たちには尚更あると私は思う。
世の中の大勢の人間が騙されているが自分は違う、という発想は、
中身が何であれ、それ自体が若い人にとって魅力的だからだ。
思想信条は自由だから、生徒たちは最終的にはそれでも良いかもしれないが、
公人としての教師は、そうならないよう自分を戒める必要があるだろう。
コントロールするメディアが入れ替わっただけ、というのでは何も改善していない。

また、誰しも自分の学び得た範囲で自分なりの正しさに辿り着いているのだから、
生徒や子供たちに、世の中の多様性について、なんら偏向することなく、
純粋な知識としてのみ、様々な考え方を教えることは、
教師にとって、本質的にかなり難しいことではないかと私は感じている。
著者の姿勢そのものは、そうしたことを探求する際の、
手本のひとつだとは心から認めるけれども。
思い返せば私などは「頭のおかしいみたいな先生も、おったな」という経験から(殴)
逆に学ぶところはあったし(逃)、……いや、話のレベルを落として、すびばせん。

それと「英語のみで授業(講義)を行う」のはいかに無理があるかの証言として、
なんと私の母校の大学の卒業生の話が出て来るのだが、
たったひとりの述懐をもとにして結論に結びつけられるのは、
私には、あまりにも強引な我田引水であると思われた。
少なくとも、もうひとりの卒業生である私の知っている母校の講義は、
書かれているような雰囲気とは全く違ったものだったので、
「こんなことを思っていた人もいたのか?へ~、ホントに??」
と、読んで俄には信じられないような気がした。これまた、すみません(逃)。
ダグラス・ラミス先生の講義は実際に受けましたので(「現代文明とエコロジー」)、
久々に御名前を拝見し、思い出して懐かしかったですが。

*******************
(以下は、特に、この母校の件が気になる方のために補足)

私の母校の大学の話が出てきた箇所は、次の通り。
『また私の知り合いで、英語教育で有名な○○大学の出身者がいます。当時の○○大学でも英語で授業をする外国人教師や日本人教師がいて、その先生はAFS奨学金をもらってアメリカ留学をした学生のみを相手にして得々と英語のみによる授業を進めていたそうです。しかし、その他の多くの学生はその会話についていけず、授業も非常に白けた雰囲気が漂っていたと聞きました。彼女はこの授業で英語が嫌いになったと語っていましたが、英語ができることで○○大学を目指した学生でも、このような思いをしていたとすれば、一般の公立高校では生徒がどのような思いをするであろうかは、想像するに余りあるものがあります。』(p.164)

英文学科や国際関係学科の話だとすると、私にはこういう状況は想像しにくい。
私の知らない、非常に独善的な先生が大学の一角にいらした可能性はあると思うが、
ここに書かれているのは、ひとつの、不運な個人の体験談ではないだろうか。
『英語で授業をする外国人教師や日本人教師がいて、その先生は』
と、特定の先生だけが独自にそういう「変わったこと」を試みていたかのように書かれているが、
英語で行われる必修科目は一年次からいくつでもあり、誰でも普通に受けていたし、
そのことが発端で白けていた人というのも、私の記憶の範囲には居なかった。
この話の場合、問題があったとすれば担当教員の「態度」や「姿勢」のほうであって、
「英語だけで授業をすること」とは関係がなかったのではないかと私は思う。

母校では入学すると、正規の講義が始まる前に「認定テスト」の案内と告知があり、
英語圏での生活経験のある人たち、或いは英語力に最初から自信のある学生は、
志願して受験し、これに合格すれば、会話や作文などは受講免除になった。
だから実際の授業は、学校英語(だけ)がたまたま得意だったから英文に来た学生、
つまり私のような、公立学校で受験英語ばかりやってきた生徒が主な対象だった。
学生は、1年次は確かにモタモタとしか話せず、全く流暢ではなかったが、
著者が後半で奇しくも述べているように、
『頭の中で英作文をしながらゆっくり喋る』(pp.256-257)
という次元のことは、ほとんどの学生ができたから、
先生方は耳を傾けて聞いて下さったし、授業は普通に成立していた。

一方、英語だけで行われる授業が日常的にあったのは確かだが、
かと言って、日本語を排除することが英語を学ぶ上で有効な方法だとも、
私は全く教わらなかったし、大学にも学生にも、そのような雰囲気はなかったと思う。
英語を使う環境に学生を押し込んでおけば、自然に英語がうまくなる、
という発想を私は授業内容やカリキュラムに対して感じたことはなかった。
卒論は英文学科では英語で書くことになっていたが、指導は日本語で行われたし、
私の場合だと、専門基幹科目の英語学概論・言語学概論・英語史・音声学など、
テキストは英語で書かれたものが多かったが、講義はほとんど日本語だった。

私の受講した専攻科目の範囲では、このほか、形態論と談話分析は、
担当者がアメリカ人だったため、英語による講義だったが、
これらはこの本の益川敏英氏の例と似て、科学的概念が優位となる分野だったので、
理論の理解や仮説の独自性のほうに評価の重点があり、日常会話とは直接関係がなかった。
上級生になれば学生は、英語の講義に出て英語で発言することは日常的にあったし、
ペーパーもゼミ論も英語で書き、海外の論文を英語で読むことも当然だと思っていたが、
その段階になってもなお大半の学生は、いわゆる「日常会話ペラペラ」ではなかった。
自分の論文のテーマでなら、アメリカ人教授と何時間でも話し込むことが出来ても、
映画スターのゴシップでアメリカ人の女子高校生と喋り倒す種類の英語力は
ほぼ誰も、持っていなかったのではないかと思う。

この本の中では、大学名を明記された上、ただ一人の『出身者』の話が、
著者の結論を支持するための例として、上記引用のように紹介されていたのだが、
彼女と等しく一人の卒業生である私が、母校で経験したことは
この話とはかなり違うものだったので、記述内容には違和感を覚えた。

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赤毛のなっちゅん―宝塚を愛し、舞台に生きた妹・大浦みずきに
を昨日、買った。
なーちゃん(大浦みずき)の実姉、内藤啓子さんの書き下ろしだ。

なーちゃんが亡くなったのが、ほぼ一年前、
2009年11月14日の朝のことだった。
その前年の秋に、胸膜炎の診断で出演予定の舞台を降板し、
数ヶ月後、3月末に肺癌であることをご本人がファンの前で公表、
以来、ときおり更新される、ファンクラブの電話メッセージだけが
私の知ることのできた、当時の、現在進行形のなーちゃんの姿だった。

この本には、姉妹の幼い頃の思い出や、
少女時代のなーちゃんのこと、宝塚在団中の出来事、
退団後の舞台や私生活の様子、などが記録されているのだが、
これまでなら、周囲への差し支えを考慮して、
はっきりと触れられることのなかったであろう逸話も書かれている、
と私には感じられた。
例えば、『蜘蛛女のキス』の主演を熱望していたが叶わなかったことや、
個人事務所ゆえに独り立ちには苦労をしたこと、
女優になってから、ファンクラブの更新時期になるたびにファンが減ったこと、
また決してファンに見せることのなかった、ご両親の介護の問題のことなども、
淡々とだが明瞭に記述されていた。

しかしそうした、決して甘くはなかった現実の中で、
なーちゃんが、そのときに可能な限りの仕事を、
ひとつひとつ、自分にとっての最善のかたちで積み重ねて行ったことや、
かけがえのない出会いに数多く恵まれたこと、
思いがけない高い評価を外部から与えられたこと、
また、なーちゃん自身が努力を重ねたり工夫をしたりして、
家族との温かい時間を作り出していたことなども、ごく率直に書かれていた。

私は普段だと、著名人が亡くなったときに近しい人が手記を発表するのを、
必ずしも、良いことだとは思っていないのだが、
阪田家に限っては、これは本当に必要なことだったのだと感じた。
作家であったお父上の阪田寛夫氏の遺志をつぐという意味でも、
自身も書くことをしばしば仕事の一部にしていたなーちゃんのためにも、
最も身近であったお姉様が、一冊の本をまとめられることは、
どんな追悼にもまして、意義のあることだったのだと思った。

理知的で、かつ秀逸なユーモアを随所に交えた、あたたかな文体で、
お姉様の目を通して描かれたなーちゃんは、
やっぱり、私たちファンの知っていた通りのなーちゃんだった。
最後の闘病の日々の記述は痛々しいが、なーちゃんの言動から、
彼女のしなやかな感性を印象づけられる場面も多々あった。
一周忌を前に、これだけの文章を書かれるためには、
どんなにか、お姉様としておつらいことも多くおありだったと思うが、
ファンとしては、このような記録を世に出して下さって、本当に感謝している。
お姉様の精神力に、心からの敬意を表したいと思う。
ありがとうございました。

そして、表紙の帯にある阿川佐和子さんの言葉の通り、
なーちゃんご本人がこの本を読まなくてどうする!と私も思った。
読んで、「姉ちゃん、かしこい!」と感心し、
そして恥ずかしそうに、「へへへ」と笑ってくれなくては!

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漢詩の会に通い始めて、頼山陽のマザコン三部作を知ったわけだが(笑)
その後も、山陽の漢詩を先生がいろいろと取り上げて下さっていて、
次回もまた、彼の作品を続けて読むことになっている。
それで、こういうつながりが、せっかく持てたのだから、と思って、
先日、見延典子氏の歴史小説『頼山陽』(上)(下)を買ってみた。
今、ちょうど上巻を読み終わったところなのだが、
大変読みやすい文体で、しかも非常に詳細に調べて書かれていて、
漢詩の会で取り上げられた詩のうち、いくつかについては背景もよくわかり、
今の私にとっては、まさに『出会い』の本だった、と大変感謝している。

頼山陽は母方の実家のある大阪で生まれ、後に京都で活躍した人ではあるが、
幼少時から青年期の初めまで広島城下で育ち、父方の生家は竹原市にあり、
広島県内には、彼の関連のある場所が今でもたくさん残っている。
運良く、今私は広島市内に住んでいるので、
そのうち時間のあるときに、いくつか見て回りたいと思ったりしている。

さしあたり、天気の良い平日に気軽に行ってみられそうなのは、これ↓だ。
頼山陽を知るなら、ここから始めるべきだろう。
頼山陽 史跡資料館
ちょうどこの秋には、頼山陽の「書」が多数、展示されているそうで、
日によっては学芸員さんの解説を聴くこともできるようだ。
……「学芸員」に憧れる娘を誘って、行ってみようか(^_^;)。

頼山陽の父親の生家は今の竹原市にあって、紺屋を営んでいたそうで、
今も、その一部は史跡として見学できるようになっている。
安芸の小京都 きてみんさい竹原(竹原観光案内)
頼惟清旧宅
重要文化財 「春風館」
「復古館」頼家住宅

また、頼山陽が若い頃に身を寄せた、菅茶山の邸宅が
福山の神辺にあって、こちらも見学可能となっている。
菅茶山の詩も、漢詩の会では既に数多く取り上げているので、
こちらはこちらで、頼山陽とはまた別に興味深い漢詩人でもある。
郷土の誇り 菅茶山(神辺町観光協会)
廉塾ならびに菅茶山旧宅
菅茶山の墓

頼家の墓は、広島市内南区比治山の多聞院にあり、
山陽の両親や叔父・長男などの墓がある。
戦後に再建された山陽文徳殿も多聞院に隣接した敷地にある。
比治山多聞院

ほか、山陽の父・頼春水が、浅野長晟(ながあきら)の命により、
『縮景園』の園内名勝に、漢籍の素養をもとに様々な名をつけたことが、
今も記録されているので、これらももう一度、味わう機会が欲しいと思っている。

縮景園
縮景園造園の際、藩主・浅野長晟は、
文化元年(1804) 頼春水らに園内名勝三十四景の名称を付けさせる。
文化3年(1806) 頼春水に「縮景園記」の執筆を命じる。
文化4年(1807) 頼春水「題縮景園詩五首」を詠ず。

広島市内にはこのほか、至るところに頼家由来の史跡があり、
また宮島や鞆の浦など、山陽の立ち寄った場所として知られたところも、
今後、訪ねる機会が得られたら、今までとは違う感慨を持って、
その風景を眺めることができるのではないかという気がしている。
特に、仙酔島と海の風景を、できれば時刻を変えて眺め、
その色彩の変化を楽しみ、山陽の詩の世界に心合わせてみたいものだ。

鞆の浦・仙酔島(福山市)

****************

頼山陽は、最初から、三都(江戸・京・大坂)のいずれかに出て
文筆で名を上げたい、という夢を持っていて、
若い頃には命がけの脱藩を企て、それを実現しようとしたほどだった。
大風呂敷を広げると、しばしば非難された山陽だったが、
どれほど周囲の不興を買おうとも、彼はまた有言実行の人物でもあって、
彼はやがて京都に居を構えて『山紫水明處』と名付け、
歴史書『日本外史』を世に送り出すことになった。
京都観光の中心と言えるような史跡とは違うが、
山陽の書斎のあったこの家にも、私はいつか行ってみたいと思っている。

山紫水明處
京都市上京区東三本木の山陽の書斎。

頼山陽の墓所は、本人の遺言により京都東山の長楽寺にある。
京都東山 黄台山長楽寺

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突然の死に備える「オタクの逝き方」、さまざまな“オタク層”を想定(ナリナリドットコム)
『本書は、いわゆる“オタク層”と呼ばれる人々が、突然の死に見舞われた場合を想定したハウトゥー本。遺族に「恥ずかしい」コレクションを見られてしまったり、価値の高いコレクションをゴミ同然に捨てられてしまったりといった“悲劇”を未然に防ぐための整理方法や、遺言の作成方法を教えてくれる一冊だ。』

私には大いに関係があると思い、amazonで注文しようとしたら、
早くも在庫切れで、2~4週間待ちと表示された。
世の中、恥ずかしいコレクションを所有する人は多いようだ。

私の場合、やはりイーヴォ・ポゴレリチ関係資料が膨大だが、
これは幸い、家族や周囲が見ても、その「恥ずかしさ」の度合いは、
理解できないだろうと思うので、
『このワタクシが、人様からどう思われるか!』
という観点からの心配は、さほどしていない。
彼に関する記事も写真もディスクも、自作の文章も、
私にとっては、私が生きていた間だけ、価値のあったものだから、
あとは破棄して貰っても資源ゴミに出して貰っても、私自身は構わない。

厳密に言うと、彼の演奏に関して私が折に触れて書いた文章は、
公開していないものもパソコン内には眠っているので、
家族がもし丹念に読んだとしたら、「けっっ」と思うに違いない(笑)。
ファンが思いのたけを綴ったたぐいのものは、
ファンでない人が見れば「イタい」だけだ。
これは世の常だから、仕方がないと思う。

その点、彼に関する記事やディスクは、ここまで集めるためには
四半世紀以上の年月がかかっていて、海外まで出向いて入手したものもあり、
ファン仲間であれば、その稀少価値を理解して下さるものも多いはずだ。
なので、私がこの世から居なくなるときに、
私自身はもはやそれらに執着を持たないとしても、
私と同じようにポゴレリチを愛する、どなたか(複数の方々でも)に
引き取って戴ければ、再びこれらの資料がお役に立つことになるだろう。
家族に手間をかけさせないカタチで、それが実現できるものだろうか。
『オタクの逝き方』が手に入ったら、ちょっと研究してみよう(笑)。

一方、皆が笑うだろうと思うのは、私の、宝塚関係のコレクションだ。
特に、98年から近年まで熱狂的に追っかけた、たかこ(和央ようか)さん関連は
カセットテープやビデオテープから、MD、CD、DVDに至るまで、
媒体の歴史的変遷が観察できるほど、映像・音声だけでもかなりある。
公式グッズ、FCグッズ、会服、お茶会記念品、写真、ブロマイド、切り抜き、
公演チラシとプログラム、歌劇・グラフ、等々、正気の沙汰ではない分量だ。
モノによったら、消費用・保存用・布教用と同じものを三つ買ったりしている。
そもそも、なーちゃん(大浦みずき)時代の品々でさえ私は未だに持っているのだ。
目の上が青い濃い化粧して男の格好をした女が大好きだった、
ということは、ワタクシの遺品から明白だ。

しかし考えてみると、突然死したときに、
恥ずかしいモノが残る心配などまったくない、
という人は、果たして普通に多いのだろうか?
以前から闘病中で万が一に備えていたとか、覚悟の自殺をした場合を除き、
死ぬ予定がほとんどなかった人ならば、各種、未整理のものが
身辺に散らばっているのが、むしろ一般的なのではないかと思う。
片付けていない私室を一般公開できないのと同じように、
こっぱずかしい日記とか手紙、書きかけの創作めいた文章やイラスト、
公開予定のない演奏その他の音声、人には見せられない衣類、
こんなの読むのか!と思われるような蔵書、・・・などなど、
人によるだろうが、様々あって当然だと私は思っている。

少なくとも、なんらかの趣味がある人ならば、一応は、
このテの逝き方研究を、時間のあるときにしておいたほうが良いかもしれない(笑)

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中川右介著『昭和45年11月25日』を読んだことから、
土曜日このブログに、三島由紀夫の霊の話をUPしたのだが、
昨日、その記事に、ちょっと新しい情報を付け加える気になって、
一旦「下書き」設定に戻し、未公開の状態にした。

そしてきょう、改めて作業しようと思ったら、
問題の記事は、一段落目と二段落三行目まではそのままだったが、
ちょうど霊の話題になった箇所から、残り全部の文章が消えていた。
保存や設定に関して、よけいな操作をした記憶はなかったのだが、
知らずに何かやってしまったのだろうか。

もしかしたら、この話は「書いてはいけない」ということかもしれない。

私はほとんどスピリチュアルな世界に関わりは無い人間なのだが、
さりとて、その種の話を強く否定するつもりもない。
私の誤操作にせよ、そうでないにせよ、
私の意志に反して失われたものなら、抵抗するのはよそうと思った。


10月9日の日記が空欄になったのは、以上のような事情による。

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漢詩の会に行くようになって、私は頼山陽の詩を知った
それ以前に、彼の名前だけは歴史で習ったことがあったし、
娘が中学受験をするときに塾で使っていた問題集の中にも、
『日本外史を著したのは誰か』などという問いが出ていた。
しかし頼山陽が私人としてどういう人であったかは
私はこの漢詩の会で習うまで、全く知らなかった。

頼山陽の漢詩は、反哺の孝のカラスもビックリの親孝行ぶりで、
特に母との旅路を描いた、マザコン三部作は圧巻だ
(『冑山歌』『侍輿歌』『送母路上短歌』)。
自分には見慣れた風景も、母には初めての場所だからと
母の問うことにひとつひとつ細やかに答え、
母の見るものすべてを自分も見なくてはと、母の視線を追う、山陽。
母を輿に乗せて、自分はその傍らを歩いての旅で、
疲労が甚だしくとも、願うのは母の旅の快適さだけ。
これって一体、何歳のときの話なのかというと、
最初の詩でも山陽は既に家庭持ちの四十歳、母は還暦、
最後の詩など『五十の児に七十の母あり』という組み合わせだ(汗)。

息子も息子だが母も母だ、と私はある意味、シビれてしまい、
頼山陽の母親とは、一体どのような女性だったのかとネットで検索した。
すると、山陽の母・静子というのは、和歌に長け、芝居好きで、
酒も煙草も嗜み、なんと84歳まで長生きした女性だったとわかった。
それで、そのうちなんとしても頼山陽史跡資料館に行ってみなくては、
縮景園ももう一度見直してみなくては、等々と思っていたところ、
先日、仮装ぴあにすと様から耳寄りな話を聞いた。
作家の見延典子氏が現在は広島在住となられ、
頼山陽を研究なさっていて関連の御著書も多い、というのだ。

見延典子氏と言ったらアナタ、私ら世代にとっては
『もう頬づえはつかない』、コレだ。
私は高校1年生のときこの小説を買って読んだのだが、
それまで興奮すると言ったらコバルトシリーズくらいだったので、
結構、本質的なところでショーゲキを受けましたね(苦笑)。
桃井かおり主演で映画化され、私はそれのテレビ放映も観た。

あの見延氏が広島に、しかもどうも我が家から
さほど遠くないところにお住まいで、
現在は頼山陽関連の小説や評伝を書いていらっしゃるなどとは
私にとってなんとも不思議な巡り合わせだった。
自分の人生が46歳のきょうまで続いていた御陰で、
ほとんど30年ぶりに『頬づえ――』の作者に巡り会い、
漢詩趣味の御陰で、頼山陽をキーとして繋がることになったのだ。
見延氏も漢詩も頼山陽も、私にとっては、それぞればらばらに出会い、
数十年を経て自分の中で接点を見出すなどとは、考えもしなかったのに、
本当に人生とは面白いものだなと、ささやかながら思った(笑)。

というわけで、買ったのが、写真の本だ。
頼山陽の母・梅颸 八十四年の生涯 すっぽらぽんのぽん
(見延典子 南々社 2000年)

今、半分ほど読んだところだが、大変面白い。
歴史小説ではなく日記評伝のかたちを取っているので、
梅颸(「ばいし」。「し」は、へんが「風」で、つくりが「思」。静子の雅号)
の書き残した文面がそのまま掲載され、夫の日記(『春水日記』)との比較もあり、
山陽本人が語ることのない側面からの、
様々の事情がわかるようになっている。
当時、女性として妻として母として生きた静子の人生を知るとともに、
山陽の、マザコン三部作への私の見方も、また違うものになりそうだ。


追記:読了して思ったことは、梅颸は必ずしも、
現代の我々が思うような次元での自由奔放な女性ではなかったということだ。
むしろ彼女の人生の大半は、家庭を守り夫の言に従い、子を育てるという
当時の女性としての分をよく守ったものだった。
未亡人となった後、彼女には長い後半生が偶然にもあったために、
旅に出たり、芝居見物をしたり、買い物や、酒や煙草を楽しんだり、
という日々も許されたが、その反面で、
長寿ゆえに、身内の死などの不幸にも次々と遭遇せねばならなかった。
実り多い晩年ではあったが、実に堪え忍ぶことの多い生涯だったと思う。

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・主人は仕事があり、娘はお友達と待ち合わせということで、
それぞれ昼前から出かけ、私はきょう、自由な半日を手に入れた。
なんの予定もなく、何もしない・しなくていい休息の日、
というのが私は実はかなり好きだ。
それで私も昼に、11月25日の広島交響楽団の券を買うために、
近くのプレイガイドまで散歩がてら行った。
エル=バシャがソリストでベートーヴェンの4番。楽しみだ。

・出先で、コンサートのチラシを何枚か取ってきた。
行くかどうか決めていないが、気になる演奏会がいくつかあった。
そのうちのひとつが、10月29日(金)高田匡隆ピアノリサイタル
@フェニックスホール、プログラムはショパン、リストなど。
実は昨年12月にこの人の演奏会に行って、私は体の具合が悪くなった(爆)。
ラヴェル『ラ・ヴァルス』のとき、見事な演奏なのは間違いなかったのに、
異常なほど重く長く感じられ、聴いている最中からシンドくなってきて、
翌日、頭位めまい再発と頭痛で寝込んだ。
問題というか才能というか、何と定義して良いか全然わからないが、
この人には『何かある』と私は思っている。
また聴く勇気が出るかどうか(^_^;)。なんだか怖いもの見たさ(逃)。
ポゴレリチを二日連続聴いても平気だった人間に言われたくないってか。

・もうひとつは横山幸雄ショパン全166曲2日連続リサイタル。
12月25日(土)と26日(日)、エリザベト音大セシリアホール、
一日が二部構成で、全体で四部という大規模な企画だ。
5月の初めに横山氏は東京でショパン全曲演奏会を成功させており、
今回はその広島版企画、もちろん協奏曲も1番2番ともに演奏される。
私は日頃、あまり積極的にショパンを聴きたいとは思わないのだが、
ここまで思い切った企画だと、一部くらい聴いてみたい気がする。

・来月、地元の某楽器店でグランドピアノ試弾会があり、
今回はヤマハCF4が初めて広島に来るというので、申し込んだ。
販売価格11,445,000円、『新しいコンサートグランドの音を奏でます』。
こいつでシューマン『楽しき農夫』を弾いたらどうなるか(笑)。
しかし真面目な話、C3あたりで私には充分だからグランドが欲しい。
十億円、いや大幅ディスカウントで200万、ころころと入らんかな。

・最近読んだ本
北杜夫『楡家の人びと』(上)(下)新潮文庫
奥田昭則『五嶋節物語 母と神童』小学館(再読)
中川右介『松田聖子と中森明菜』幻冬舎新書
曾野綾子『狂王ヘロデ』集英社文庫
佐藤愛子『結構なファミリー』集英社文庫
佐藤愛子『戦いすんで日が暮れて』集英社文庫
萩原葉子『誰が悪いのでもない 明子は何処へ』(海竜社)
このところテーマや脈絡は特になく、古い本新しい本関係なく、
出会ったものをその都度読んでいる、という感じだ。

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・娘の通うA高校で三者面談があり、一学期の成績を貰った。
英語・国語・社会は、抜群ではないにせよ失敗はしていなかったが、
理科と数学が例によって「どつぼ」だった。
文系か理系かの選択で迷うなど、娘にはあり得ないことだ。
さらに細かく言うと、娘は社会では歴史のみ、大変得意だ(汗)。
今年の授業は日本史・世界史の二科目なので娘には天国だが、
来年以降は、歴史はどちらか一科目だけを選択しなくてはならない。
つまりA高校では、社会が『地歴二科目』という入試の大学を志望する場合、
「日本史・世界史」という組み合わせで高3まで続けることは許されず、
高2以降、地理を組ませる以外にないカリキュラムになっている
(「地歴二科目」にこだわらなければ、地理でなく倫理や政経の選択は可能)。
一般的に「日世」を合わせるのは量が多くて不利とされているからだが、
娘は地理は全くお話にならないし、数少ない得意科目のひとつを、
学校の時間割編成の都合で強制的に捨てさせられる仕組みなワケで、
「地歴二科目」受験が事実上駄目になり、個人的には納得できない思いだ。

・ドストエフスキー『白痴』(木村浩・訳)を数日前に読み終えた。
衝撃的な結末だった。
作者はあのラストを描きたくて、この作品に取り組んだということだ。
そのあとチェーホフ『ワーニャ伯父さん』(浦雅春・訳)を再読した。
これは舞台を実際に観ているので、いつ読んでも思い出すことが多く、
単なる脚本という以上に私には興味深い作品だと思った。
それから、amazonで江川卓『謎とき「白痴」』を買った。
まだ読み始めたばかりだが、ドストエフスキーが些細な文章の裏にも、
様々な意味を込め、繊細な仕掛けをしていたことがわかり、
ストーリー以上のものを汲み取る読み方を手引きして貰えて面白い。
とてもロシア文学づいている、最近のわたし(汗)。

・話題の、菅伸子『あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの』
を買った。私は民主党の政策自体は全然良いと思わないことが多いのだが
(今回のキム・ヒョンヒの待遇なども私にはほぼ100パーセント疑問だ。
彼女は単なる犯罪者ではなかったのか?まるで日本の大恩人みたいだった。
私の認識がおかしいだけで、実は「よど号」の犯人たちも偉大な英雄だったのか)、
それは別として、伸子さんという人を私はとても好ましく思った。
彼女の気分、彼女の視点、彼女なりの愛情が、私にもすんなりと伝わり、
なんの抵抗もなく共感できる本だと思った。しかしAP通信の紹介記事
Japanese PM’s wife Nobuko criticizes him in new book
には呆れた。
英語国民には伸子さんの言葉のニュアンスは根本的に理解不能であるようだ。

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仏検に行ったり、呉の演奏会に出かけたり、漢詩の会に出たり、
夜は夜で、毎晩のように娘と「夜のお散歩=本屋のハシゴ」をして、
・・・と、このところ暑さに負けじと出歩いていたら、
どうも、とうとう夏バテが来た気分だ。

別に今のところ寝込むような事態にまではなっていないのだが、
昨夜から気配のあった定番の扁桃炎が、今日はハッキリして来て、
プラス、お腹もごろごろと大腸炎っぽく動いている。
さらに今年は口唇炎が起きたらしく、ここ数日、
唇とそのまわりに、ごく軽くだがヒリヒリと違和感がある。
とりあえず手持ちの抗菌剤と整腸剤を飲んで、
唇にはリップクリームを塗って、今夜はゴロ寝で読書でもしよう。
読むのは、ドストエフスキーの『白痴』(木村浩訳)下巻(爆)。

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私は、ドストエフスキーをちゃんと読んだのは、
昨年の『カラマーゾフの兄弟』が最初で、
今回の『白痴』は自分にとってやっと二作目なのだが、
この人の描く、美しい女性というのはパターンが限られるのか?
ということを、『白痴』を読んでいてふと思った。
設定はともかく、人物像の点で『白痴』のナスターシャもアグラーヤも、
『カラマーゾフ』のグルーシェニカも、皆、結構似ているような気がする。

男性のほうは、カラマーゾフの三兄弟にしても、ムイシュキン公爵にしても
それぞれ別個の魅力があり、全く別の人物として私は心惹かれるのだが、
女性像には、そこまでの描き分けが感じられない。・・・すみません(汗)。
ドストエフスキーの理想像が、結局、グルーシェニカ的な女性、
ということだったのだろうか。

それにしても思い出すのが、80年代の初め、登場時のポゴレリチを
『ムイシュキン公爵のよう』と書いた海外の雑誌があったことだ。
実際に『白痴』を読んでいると、演奏家としてポゴレリチの存在感は、
音楽界やその「権威」と呼ばれるような人たちにとっては、
ムイシュキン公爵がいきなり登場したかのようなものだったかもしれない、
と想像できるような気がする。

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『検診で寿命は延びない』(岡田正彦)PHP新書
『娘と私と娘のムスメ』(佐藤愛子)集英社文庫
『憤怒のぬかるみ』(佐藤愛子)集英社文庫
『日本人の一大事』(佐藤愛子)集英社文庫
『サルの正義』(呉智英)双葉文庫
『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』(亀山郁夫)光文社新書

岡田正彦先生は、過剰な健康診断の弊害を説かれているお医者様だ。
以前の『がん検診の大罪』(新潮選書)も説得力があった。
身内の闘病から私が感じた、早期発見早期治療の限界を、
専門家の目で各種データから実証されており、興味深かった。
近藤誠医師の主張とも一部通じるものがあるが、
検診や早期治療によって総死亡率が下がることは、実は証明されていない。
ドックや検診で「異常なし」と言われれば、素人としては大変に気分が良いが、
実は、無症状の人間が血管を傷つけられたり被曝させられたりしたうえで、
「本日のところ、検査で確認可能は病変は無いように思われる」
という程度のことを言って貰っているだけだ。
本当に健康体だとしたら、無用な侵襲を加えられたに過ぎず、単にマイナス行為だ。
問題は、そこまでして「万が一」を発見する努力を続ける意味が、本当にあるのか、
そして長年延々と受け続ける検査が本当に無害なのか、ということだ。
まあ、これだけ「早期発見早期治療」を刷り込まれた素人としては、
「異常なし」と年に一度言って貰えば精神安定剤として非常に有効、
ということだけは言えるけれど。

佐藤愛子先生の随筆には、溜飲の下がる思いがする(笑)。
ここに挙げたもののほか、『我が老後』シリーズは全部読んだ。
昭和ヒトケタ生まれの超保守派の母親を持つ私には、
佐藤先生の憤りは、とてもよく理解できるし、
「戦後教育」以後の世代である我々の反省すべき点も多々感じる。

呉先生のは再読。
90年代初め頃に書かれたものを今読むと、
まるで予言が当たったみたいになっている箇所があったり、
政治に関する箇所など今でもそのまま当てはまる箇所があったりして、
二十年も経っているからこそ面白いところがたくさんあった。
それにしても呉先生は痛烈で、いつ読んでもイイなあと思った。

亀山先生のカラマーゾフ続編の提案は素晴らしく読み応えがあり、
同時に、哲学や思想史に関してはこれから勉強しなくては、
と痛感させられる部分もいろいろとあった。

それで、目下ドストエフスキーの『白痴』(木村浩・訳)新潮文庫、
に再挑戦している。
高校生のとき岩波文庫か何かのを読み始めて簡単に挫折したので
トシ食った今なら、読めるのではないかと考えたのだ。
その昔、どうして挫折したのか不思議なほと今は物語に引き込まれる。
私の読書力が上がったのなら有り難いことだが、
訳文との相性もあるかもしれない。

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