館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

フランク ハミルトン・今月の僕の新譜・その2(08・5)。

2008-05-11 04:45:21 | お勧めCD/LPなど
本日・「下見旅IN北軽井沢」
いまから、いってきますっ!





★ Frank Hamilton 「Sings Folk Songs」
1962年にフォークウェイズから発売のアルバムを、2007年スミソニアン フォークウェイズが、CD-Rで発売。


西海岸トパンガ・キャニオン(そういえばトパンガって、NGDBのバンジョー弾きのジョンが、コンテストで優勝した地じゃ無かったか?)。この地は古くからフォーク・ミュージックに親しむ人々が集まる。オデッタ、フランク・ハミルトン、デロール・アダムス、ガイ・カラワンといったフォーク歌手が、トラディショナル・ソング、自作の曲などを歌い、ミニ・コンサートをしばしば'開いていたというのだ。この地に、フランク ハミルトンも居を構え、歌い始める。


まあね、あちらでは、結構活躍したが、日本では、無名に近いんじゃないかな?
名曲「ウィ シャル オーバーカム」を広めた・・・で、少しばかり、名前が挙がる程度かも?

その・ウイ シャル~の下りは、以下だ。

■1940年代の終わりごろ、ピート・シーガー(Pete Seeger)が、ジルフイアから“We’ll Overcome Someday”を教わった。ピート・シーガーは“We will”を“We Shall”に変えた。「我々は必ず勝利するぞ!」といったものにすべくだ(習ったね~シャルとウイルの違い)。それ以来、この歌は“We Shall Overcome Someday”となっている。この歌はピートからフランク・ハミルトン(Frank Hamilton。)に伝えられ、1959年ロスアンジェルスよりハイランダーフォーク・スクールに歌の指導者として迎えられたガイ・キャラワン(Guy Carawan)によって、“We Shall Overcome Someday”は公民権運動の歌として広く歌われるようになる。ガイは命の危険をもかえり見ず、南部の州のすべてを廻り、この歌を広めるのにだれよりも貢献した。また、ピートはソ連邦を含め30カ国を廻りこの歌を海外に広めた。

である。

このアルバム・フォークブルース・トラッド・アイリッシュと幅広いレパ。なかなかの声と、ギターやバンジョーの演奏も、結構良い。

ただ、もうね、スタイルは古い。

俺も、神が、このような、素敵な声を与えてくれたら、このふるいスタイルで、歌ってたかも?

残念ながら、カエルの鳴き声のような「だみ声」じゃ、ロストの皆さんに、おすがりする以外に無かった!
コメント (4)
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