館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ロスト・シングアウト!・今年もご愛顧ありがとうございました。

2022-12-31 05:13:47 | ロスト シングアウト


地元の皆様!今年もロストを使っていただき感謝です。

貴重な演奏機会を頂き、1年、音楽を続けられました。



までいな村で4年・・・・今年は新曲を練習し始めました。

憲法です。



俺のギターがまだ、よれよれですが・・・他、ほぼ仕上がりました。

2023年・・・演奏の機会には、お披露目です。

そして、自分たちの主催で、音楽の場をと、必死に考えています。

コロナに対する、過度な反応もすいぶん収まってきているような・・・・

2023年も、変わらずご愛顧くださいませ。



メンバーからお菓子も集まり・・・・スイーツだらけの最終練習でした・・・

しかしまぁ・・・お菓子も箱が大きいだけで、見事な上げ底でした!値上げ・・上げ底の不誠実な・・・・でした。

ロストは、誠実に、上げ底のないフォークソングで、2023年も勝負!!!


30日の2m圏内接触者。

*足つぼべーべー・・・・・1名。
*風呂・・7・8名。
*ドコモにいにい・・・1名。
*濃厚接触・・女房・大沼・峯・・・3名。
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具志頭歴史民俗資料館はGOODだぜ!など寄り道なのだ・・2022冬の沖縄。。

2022-12-30 04:19:37 | 旅は続く




見学した白梅達の豪も富盛の獅子もここ八重瀬町にある。その民俗資料館は1度は訪ねたい場所だ。町立ながら、驚くほど立派で、見どころは満載だ。



白梅学徒の展示も充実。壕を見て、ここで資料を学ぶのは素敵だ。



そして何より「流産する沖縄自由民権運動」の展示が秀逸。沖縄自由民権運動の中心人物、謝花昇の出身地なのだ。(やがて薩摩からやってきた県知事・奈良原繁の迫害を受け、精神を患い失意のうちに亡くなる)
謝花の優秀さは、第一回県費留学生になり、学習院・帝国大と学び、郷土のために働くべく県庁に入るのだが・・・ここでも薩摩の迫害で無念のうちに死んでゆくのだ。
沖縄自由民権運動は、まだ僕は学習途中だが・・・語ると、長くなるので、ここでは割愛。



謝花の同志たる、沖縄移民の父、当山久三の紹介・・・・



我が、田中正蔵さんも紹介されている。

笠木さんの一声不平あり・・・♪田中正蔵と当山久三東京で巡り合った~~恋人のように抱きしめあって、先は長いの~♪が、ここにはあるのだ。



ここ八重瀬は、日本を代表する旧石器時代の人骨「港川人」の故郷でもあった。



2万2千年前・・・・・沖縄人のルーツ解明の重要な人骨の発掘場所が2年前公園になって、参観が楽になった(以前は資料館で鍵を借りて、民家の庭から門を開けて入らねばならなかった)。
今も調査研究が続いている。





小高い崖は石切り場だった。マチナト石灰岩(通称栗石)は柱や敷石、塀と建材に使用の石灰岩なのだが、その石切り場の岩の割れ目(フィッシャーと呼ぶ)から5体のかなり完全な人骨が発見されて、物語が動いたのだ。
この港川人について語ると、相当長くなるので、今回は割愛。 
およそ標高20mのこのフィッシャーの高台が、津波の避難場所になって、公園が整備されたようだ。高台まで階段も整備され、避難はしやすくなっている。
マチナトはこの場所・・牧港のウチナグチだわな。







公園を後にし、運転手大城さんのサプライズで、鍾乳洞の上に生活道路という、ハナンダー(自然橋)にやってきた。



者ども!



ミッキーが「崩れないのかぁ?」と・・・
そこで、重量級3人が、掛け声合わせ橋の上で、飛んでみた・・の図。
橋は、びくともしなかったぜ。





民俗資料館では、新しい情報が得られた!!
先の、第一野戦病院壕から、5名の白梅学徒が、この分院に配属され、奉仕に従事する。
やがて、戦況悪化で。6月3日分院閉鎖・・24師団第一野戦病院も4日に閉鎖。この分院では500名ともいわれる、負傷兵が青酸カリで・そして銃剣の処置(銃殺)で壕にむくろは置き去りにされ、糸満へ撤退する。白梅は、逃げまどいながら、大きな集団は、今の慰霊碑が立つ辺りで、自害する。





その、分院が、ついにガイド付きで、見学(入壕)できるようになった。

これは・・・まず、僕は行かねばならないなぁ・・・・・交通の便は極めて悪いので・・わし、レンタカーデビューかな?2月かな・・・かな?

今年、最大の新情報を得た。

同じ場所だって、何度行っても、新しい情報や姿を見る。
苔が生え・蜘蛛の巣が張らない、いまだ生々しい、沖縄の戦跡だわな・・・・


29日の2m圏内接触者。

*丸木屋・・2名。
*とりせん・・多数。
*濃厚接触・・女房・海坊主。




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カップしるこなど・・・拾遺物語。

2022-12-29 04:33:17 | 生活雑感




昔からあるよね?

熱湯を注ぐだけのお汁粉・・・・まぁ・・そんなに美味しくは無いが、つい買ってしまう。



菜園の弟子のおばぁに、赤飯をもらった。しかも、栗入り!

こういう自家製の赤飯は、おばぁには叶わないねぇ・・・





昔、香川の知り合いから頂いてから、その美味しさにはまってしまって、以降、毎年ネットで注文のみかん。
「金時みかん・・・小原早生」。このみかんより美味しいみかんを俺は知らない。







雨がしっかり降ると、俺の平地の林に出かけて(歩いて5分)エノキタケなど収穫してくる。
来年2月くらいまで出るかな・・・
天然エノキは、汁が、ことのほか美味い。



今年最後のぼん天の「五目タンメン」を食った。美味いねぇ・・・・・

28日の2m圏内接触者。

*打合せ・・4人・狩・内・山・・合計7人。
*立ち話・吉・石・大・3名。
*濃厚接触・・・女房・斎藤。
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朝昼の沖縄・2022冬。

2022-12-28 04:20:02 | 旅は続く


そうだ!オバァスナック愛好会の面々を紹介しよう。まぁ・・俺の旅仲間・・・オサム観光御用達の面々さ。
茨城からやってくるせいごうちゃん!シンガーソングライターだ。すでにオサム観光も長く、沖縄にまつわるフォークソングも多数作っている。
20キロ近いダイエットに成功したが、80の壁の前で、現在立ち往生中。



最近長年勤めた栃木のフォークグループから離れ、さすらいのベース弾きになっちまった、雨男ミネさんである。今回は、雨男本領を遺憾なく発揮した(ばかやろ~~)
こちらも、今年の初頭から取り組んでいるダイエットで、7キロ程度のダイエットに成功。70の壁を破って70後半を定位置に確保したが、おなかの出が大きいのと、顔が大きいので、見た目それほどの効果が見えない悲しさ・・・・



そして長野のシンガーソングライターのミッキー!オサム観光の新参御用達。今回が4回目の訪沖だ。かれも、沖縄にまつわるフォークソングを生み出している。
現在育ちざかり・・・・割り勘負けしない男・鉄の胃袋なのである。

皆、ノリの良い面々なのだが・・・夜は、那覇の場末を必ず徘徊するやつらだ。



さて、、朝飯昼飯記録・・見事な与太記事に、旅日記は突入する。羽田の朝は、なんたって「しゅうまい弁当」さ~~



ホテルの無料朝飯。沖縄は米が美味しくない食堂が多い。この無料も、なのだが、そ奴をジューシー(炊き込みご飯)にしたこの日の朝は美味しかった。
マーボーもいけたし、味噌汁代わりのそばも上等だった。



コメの味なのだが、メニューがカレーか焼きそばの時は、うれしい。焼きそばなら、ご飯を選ばずパン&焼きそばさ。
ところがこの日、焼きそばとカレーが一緒だった。てんこもりもカレーと焼きそばで、旨かったぜ!





初日の昼は「せんべろ」!前回見つけて、すっかり気に入った店!





センベロはドリンク3杯と1品のつまみで1000円なんだが、ここのドリンクの泡盛は水などで増量してないので美味い!
泡盛は、菊の露だな。
写真・・生鮮マグロとヤギの刺身。





お尻に根が張ったように初日は堪能。軟骨ソーキの煮付けなど堪能。



2日目と3日目はコースがかぶるので、糸満(海人・・うみんちゅの町)は生鮮な魚が美味いので、ちょいと豪華な店に入る。
道の駅いとまんに併設の料理屋だ。



おれの食った「刺身定食」。



ミッキーの「マグロ丼」。



セイゴウたちの「海鮮丼」!!旨いぞ!



2日目も那覇に帰ってから、せんべろ。
この日は、酒を控えめなので、せんべろはやめて、各々飲み物とつまみをチョイス。







おれの大好きな「ウズラの卵串」「豚の串揚げ」そして「牡蠣の酒蒸し」だんべ。





3日目も同じ料理やだが、この日は「マグロの解体ショー」など行われ、せいごうちゃんが、掛け声で大いに盛り上げる。





俺が食った「ミックスフライ定食」そして「アカマチの刺身」刺身が美味い。アカジンは沖縄の高級魚だ。



やつらの「海鮮丼」。



最終日の10時のコーヒーブレイク。俺が10年以上も使っている「コージー」だ。
モーニングコーヒーが250円で美味しいよ。



本土テイストの立ち食いソバが一昨年出来た。県庁前の人が多い場所。出来た当時は、行列ができたようだ。
俺は、1度は食わねばと思っていたので、今回フライト前の早い昼飯にここを選んだ。



昼から、ざるそば&オリオンのミッキー!



セイゴウちゃんの「とり天そば」。



俺は、贅沢に「天玉そば」だ。
汁は甘辛で上等。麺のコシもそこそこで、この店は、毎回のアイテムかもしれない。

美味かった!

27日の2m圏内接触者。

*きしもと眼科・・医者・看護師・・3名。
*香月べーべー・・・・・1名。
*濃厚接触・・・・女房。

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白梅学徒隊とバクナーの死。

2022-12-27 04:59:02 | 旅は続く




3日目のメイン企画は沖縄第二高女「白梅学徒隊」の足跡を追うだった。ひめゆりもそうだが、整備され資料も多いので、戦跡巡りでは、俺の温めている企画の柱の一つだ。今回は、後述つするが、新しい発見もある、うれしかった。
今は松山公園になっている場所が、彼女たちの学び舎が有った場所だ。



いつもお世話になっている、個人タクシー運転手氏の大城さん。



有名な写真・・・獅子に隠れながら、日本軍陣地を攻撃する米兵だ。





弾痕の跡生々しい、その獅子に立ち、日本軍の陣地を眺める。







第24師団第一野戦病院豪跡・・・・周辺に陣取る日本軍・・この壕ではその日本軍の負傷兵の、手術やら介護が行われていた。
従軍の看護は「白梅学徒」が行っていた。



階段下右が、病院豪入り口。遠方(ったって・・直線距離で300mか?)小高い森が、先ほどの、米軍が占拠した「富盛(ともり)の大獅子」が地座するばしょだ。
こんな距離で、狙われたら、ひとたまりもないだろう、戦慄が走る場所だ。









僕らは、南部へ敗走した第24師団と、従軍した白梅を追って、「白梅学徒隊終焉の地」へ向かった。
その終焉の地のわずか3・400メートルの小高い丘にやってきた。

バクナー中将(没後大将となる)・・・沖縄米軍の最高司令官が24師団に属する、「山形の部隊」に狙撃されたのだ。6月18日・・・日本軍の組織的戦闘が終わる6月23日までわずか7日の時であった。そのバクナーの慰霊碑に登る。
1945年、バックナーは沖縄方面連合軍最高指揮官たる第10軍司令官となる。2ヶ月以上に渡り第10軍は日本陸軍第32軍(司令官・牛島満中将[)を基幹とする日本軍沖縄守備部隊と激烈な戦闘を展開した。
このバクナーの死は、「弔い合戦」を誘発し、恐怖の7日間で、沢山の住民や学徒隊の悲劇を生むのであった。







バクナーの丘の米軍陣地に対峙した、山形の部隊の慰霊碑。歩いて3分ぐらいの場所だ。







山形の碑から、東へ2分・・200mか?ここに「白梅の塔」・・彼女たちの自決の壕などが、口を開けている。
大きくて立派な「白梅の塔」に隠れるように、戦後ほどなく、生き残った白梅たちが、材も物もない時建てた、本来の碑がある。
「生き残ってしまったことの贖罪」・・・が、碑からこぼれ出ている気がするのだ。





塔のわきに下の壕と呼ばれる、終焉壕。





山形の碑から、左奥の荒れ地を進むと、林の中に「上の壕」がある。

ひめゆりを訪ねたら、車でわずか20分ぐらいか?ここも、現地に立ってみることを僕は勧める。のだ・・・・

白梅学徒隊・・動員数46名・犠牲者17名。


こうして、3日目のメイン企画は終了したのだった・・・・

26日の2m圏内接触者。

*打合せ・・4名。
*立ち話・吉・高・・2名
*タバコ屋べーべー・1名。
*ワクチン医者・看護師・4名。
*濃厚接触・・・女房。
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