土曜日は音楽の日なんだけど・・・
息を潜めていた、推進したい人たちのたくらみが、着々進んでる。
大企業は原発マネーはすごく美味しいし・官僚は超巨大な天下り先だし・学者も研究費でどっぷりだし・地方の首町もこれが飯の種だし・・・と、原発再稼動にしっかり動いている。
今日は、批判覚悟で僕の思いのたけを語りたい。
明日は、お休みです。
何人かでも、こんな考えも有るか?と、あなた自身の考えを推敲する一助になれば、幸いだ。
アーサー・ビナード。
なかなかの男にして、良い詩を書く。
この男だ!GO!
>福島県民を傷つけるな・・とは
「絆」という、言い回しに似た、感傷に似た物言いだ。
すべては、あの爆発と、「直ちに人体に影響を与える値ではない(あのね・・直ちに影響がある場合、多臓器不全になって、体が腐ってゆくでしょう?あの、東海村の臨界よのように・・・)」という言葉とともに、組織され、ばら撒かれた「ウソ」から始まっているのだ。
その、言い続けた「うそ」を正当化するために、言い訳やら、こじ付けやら・隠蔽がなされなければならなくなってしまったのだ。
事故当初「メルトダウンに言及した保安院の審議官」はすぐ交代させるまでして、隠蔽したのだ。
そのことが
「帰れるかもしれない」という非現実的な幻想を生み。
様々な混乱を生んでいる。
燃料棒を取り出す方法さえ見つかっていなくて・廃炉の方法も見つからず・増え続ける核のゴミの最終処分の科学的方法さえ見つかっていないのだ。
何百年も、火照り続けるものを、電力さえ生まないそれを、何十人もの人びとが監視し続けなければならない状態なのだ。
せっせと除染して数値を下げた福島の保育園では、その後の雨風で、数ヶ月で数値が上がり、園長が頭を抱えたなんてのが現実だ。
線量が低い地域でそのざまで、息することさえはばかられる、高線量の地域で、除染は現実味を持っていないのだ。
原子力資料情報室の伴英幸共同代表が放射性物質の飛散状況を基に、広域的な除染費用は28兆円になると試算している。
福島の汚染されたゴミは、福島の東電に持ってゆく以外にない。
他県でも、汚染されたゴミは、同様な方法しかない。
汚染が確認されないゴミが、唯一、広域の処分対象だ。
もはや戻れない地域が広範囲にあると誰でも思っているだろう?
低く誤魔化そうとせず、ここは、50年・・・100年・・・戻れませんと言うことが、福島の復興につながる。
そして、人の住めない地域に、核の墓場を作る以外に無い。
除染を多くの国民は疑っている。
そんな場所に、店が・工場が・病院が・客が・戻るか?進出するか?
生活の手立てが整わず、老人だけ戻って、町が再生する幻想は捨てるべきだ。
そこは、限界集落(
限界集落とは?にGO!)だ。
そして、戻れない人々に、元の暮らしが展望できる補償を東電から1滴もらさず行わせ、新しい土地や、コミニティを国が用意すべきだ。
「絆」という、日本人らしい曖昧は、今回はふさわしいとは思えない。
「欲しがりません勝つまでは」「一億総玉砕」と叫んで、自滅したあの戦争の教訓は、自律した個や、本当の民主主義の大切さだったはずだ。
福島では、謂われない差別が始まっているという。
福島から避難した子ども達が、避難先の親から、一緒に遊ばせるなと要求され、結婚さえ、拒否されている。バカな話だが(その親をはりったおしたいほど・・・)、曖昧さが助長するのだ。
咲いたと表現し・裂いた・・と、訴えたアーサー・ビナードが、
「絆」に包囲され、語ることを拒否されるこの国の曖昧さが、破滅を生んでゆくと僕は思えて仕方が無い。