館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

冬の準備だ!僕の菜園。

2006-11-30 07:26:09 | 僕の菜園


霜が下りたら、冬準備である。
白菜は霜があたると、結球した葉は開いて、芯の黄色の部分が傷む。
そんなわけで、外葉を巻いて、鉢巻にする。
これで、冬越しである。来年2月位までOKである。

今年は、豊作で白菜・大根などは極めて安い。
産地茨木・そして群馬では、生産調整(つまり、収穫せず機械で砕いて、畑の土に鋤き込んでしまう)に入っている。

消費者はいいかもしれない。が、その無駄・数秒に1人餓死する世界にあって、悲しい話である。ミサイル増やす金あったら、白菜の漬物を贈って、世界に貢献するなんて、どうよ!総理大臣殿!



さて、話はそれそれである。僕らしい・・・
お世話になった、イチジクの木、これも、3分の1は剪定で、落とした。
すっきりしました。

PS・余計な話であるが、沖縄の「カジュマル」このイチジクの仲間であった。



食用菊はすべて摘んだ。茹でて、野球のボール位に丸めて、冷凍した。
これで、正月の酢の物はOKである。



例のサトイモも又、掘った。今晩のおかずである。煮っ転がし!



我が家・EM菌を使って、生ゴミはすべて、堆肥にしている。
専用のペール缶が3つ。2つ一杯になると、畑の適当な場所にあなを掘って埋める。
菌で程よく発酵した「生ゴミ」は酢の匂いがする。

下には、酢のような、液体がたまる。
ジョウロに取って、10倍位に薄めて、液肥として、プランターに撒きます。
百姓な1日であった。
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僕の育った音楽・Cの仲間達その5・ジョニー キャッシュ。

2006-11-29 07:35:52 | 僕の育った音楽


第二次大戦後の米国カントリー・ミュージック界で、最も影響力を発揮した方かも。
そのバリトンボイスと、パーカッシブなギターは、彼ならではの大きな特徴だ。
典型的なナッシュビル・サウンドではなく、ホンキー・トンクやロックン・ロールとも呼べず、ロックンロールの要素、フォークの要素、カントリーの哀愁の狭間で独自の世界を作り上げていったと言っても良い。

ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash, 1932年2月26日 - 2003年9月12日)は、アメリカ合衆国アーカンソー州出身のカントリー・ミュージック歌手・作曲家・ギタリスト。2003年に他界するまでに放ったヒット曲数は140曲以上。レコードとCDの累計売上がこれまでに5000万枚を記録、グラミー賞も11回受賞している。さらにロックンロールの殿堂、シンガーソングライターの殿堂、カントリーの殿堂に殿堂入りしており、ほかにも数々の受賞歴を持っている。いつも黒い服を着ており、"Man In Black"がニックネームだったそうである。
カントリー歌手のみならず、ポール・マッカートニーやリトル・リチャード、U2、ボブ・ディランなどから熱いリスペクトを受けている。

まあ、アメリカでは有名な方ですな。
昨年の「君に続く道」の映画は、うるうるでした。
なんたって、僕には、カーターファミリーに繋がる方です。

2003年5月、最愛の妻ジューン・カーター・キャッシュが73歳で他界。同年7月のライヴ・パフォーマンスを最後に、自身も妻の後を追うように9月に他界。享年71。

僕はね、彼自身のソングライトなる曲より、トラッドや他人の曲やったやつ、のが好きなんだな。ディランの「悲しきベイブ」なんて、ディランの数倍いいです。

晩年・凄みのあるCDの発売などあって、もっと創作を続けて欲しい方であった。
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「初霜」到来!11月24日の記録。

2006-11-28 07:07:32 | 僕の菜園


ちょっと前「あれ?霜下りたかな?」ってのはあった。

11月23日・いよいよ本格的な霜の到来である。
そして24日も盛んな、霜であった。

朝の菜園は、白い霜に覆われていた。
冬の準備をしなさい!と、教えてくれているのである。



ブロッコリー・白菜は美しい、霜美人である。

これで、ナス・ミニトマト・ピーマン・とうがらしは急激に葉が黒くなって、終わりになる。
片付けが仕事になる。

春菊・サトイモなども、霜には結構弱い。
春菊は少し、ビニールの覆いをして、芋は厚めに土をかけなければならない。

土日の仕事が想像されるのである。



庭の雨水のたまりには、薄氷が張った。

また、なんとなく、これはこれで、うれしい。

あと1ヶ月もすれば、霜柱の立った畑に困るのにね。

いよいよ、冬である。
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拾遺物語・もう冬か?!編。

2006-11-27 07:26:14 | 生活雑感


お隣さんの、おこちゃまは「七五三」であった。
で、「千歳あめ」を持ってきてくれた。
がきのころ・千歳あめ好きだったな。
金太郎飴だったり、不二家のミルキィーだったりしたぞ!

懐かしさ・・・であるな。



この時期から僕は盛んに「松前漬け」を造る。

僕のレシピは、刻みするめ・刻み昆布・ニンジン一杯である。
味付けは、醤油大匙3・みりん極少量・日本酒少量である。
僕の、旨いで!
家族にいつも、褒められます。
褒められるって、うれしいね!(たぶん、おだてにのってるんだよな)



この時期、畑の収穫物を食べる。
食用菊の三杯酢・春菊のおひたしである。
うーム!?・春菊はこの時期が旬であるな。なら「秋菊」でないか?
鍋の季節到来でもある。春菊・・・貴方の出番です!



ゴボウはなんたって、きんぴらでしょう。
その他、けんちん汁、てんぷらも好きだね。

「おから」も大好きだ。素材費も安い!

僕のつまみそして、家族の「おかず」である。
つつましい・・・ですなあ・・・・
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F本観光で行く「沖縄」の旅・番外編。

2006-11-25 08:33:00 | 旅は続く


沖縄南部・摩文仁辺りは、白い石がごろごろしていた。
「琉球石灰岩」と運転手氏は教えてくれた。
コーラル(珊瑚)が堆積して、島を作っているのであるなあ・・・
見るもの・聞くものが全く新しい。日本は広いぞ!



昨年、沖縄みやげと「島バナナ」をもらった。
なんだ、モンキーバナナか、と思った。例の小さなバナナである。
ところがね、旨いんだなこれが。
濃厚な甘さ・しっとりとした食感である。
フィリピン産のモンキーでは無いのだ。
生ってるとこ、激写です。
夜・市場の露天で2本100円・おにいさんに100円渡したら、3本くれました。
歩きながら食べました。
沖縄・どうも産品に・島・或いは琉球が冠されるらしい・・・・

「琉球松」「島らっきょう」・座間味にはネコが沢山いた。僕らは「島ネコ」と命名した。



きのこはちょっと自信がある。少なくとも、広島辺りから、北海道は自信ありである。
沖縄・・・亜熱帯・熱帯は未知の世界である。

沖縄のきのこ・これには驚いた。
見たことは無い。
見た目、「ヒラタケ」の仲間か?
で、裏を見た。
ヒラタケ状の表、しかし、裏は不完全な「管口」であった。
日本は広い。行く機会があれば、沖縄の「図書館」だ!
新たな、課題がうれしいね!



沖縄県平和祈念資料館のモニュメント「平和の火」である。中心の三角屋根の下には、絶えることなく「火」が灯されている。
米軍第1歩の「座間味」から、採火したものと、広島から分けられた「火」が合わせられ灯っている。
下は、海を模し、そこには日本・朝鮮半島・中国・台湾・そして沖縄諸島が配されているのである(中の黒い模様部分を見て欲しい)。
「皆さん、気が付かないんですよ」と運転手氏はおっしゃっていた。



その名も「海きのこ」である。
こいつ、夜は触手をひっこめ、シメジやホウキタケそっくりであった。
ホテルの水槽である。
本当に、きのこそっくりなんだもなあ~驚いた。
イソギンチャク辺りの、仲間かね?



共同墓地を持たなかった、沖縄の有名な「亀甲墓」である。
女性の「子宮」を模したと言う。
中は6畳からの広さらしい。戦中「防空壕」などに、使われたらしい。
先祖の供養などには、一族が沢山集まり、御祭り騒ぎです。と運転手氏談。
一族は同じ門中(もんちゅう)を持っているらしい。明治の琉球処分以降、苗字を持つ(持たされる?)。たとえば運転手氏は内間さんであった。彼の門中は毛である。
貴方の門中は?と聞けば、出身など分かると、お聞きした。

そういえば「門中墓」というのもあった。



色んなところに、この、怪獣が鎮座していた。
このドギツイ色。沖縄では、見事にマッチします。
さすが、ゴジラの「キングシーサー」の島でございます。



海で「黄昏る」僕。

あきらかに、帰りたくないんだな・・・・・・・・・・・・・・・・・・
コメント (2)
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