館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

中川イサト・宮崎勝之・古橋一晃ライブ。

2005-11-30 06:43:33 | 音楽を思う
僕は周知の如くコンサートを主催したりしている。このチケットを買っていただく苦労は故に分かる。知り合いがタイトル3人のコンサートを開いた。このメンバーを売る大変さはまたまた分かる。中川・宮崎氏は聞きたいという理由となんやかや、コンサートでお世話になる関係・義理もあって、出かけた。祝日だが、仕事の方は多いはずだ。妻も数のうちと誘う。この方は公務員なので休日だった。コンサートのタイトルはこの様であった。

小ホールに6割・100から130くらいの客かな。知り合いの顔もちらほら。最前列やや左端に陣取る。日本を代表するフィンガーピッカーの中川氏、ブルーグラスマンドリンでは結構な弾き手の宮崎氏なので、指使いが見える距離を選択した。もう一人は若手のギター弾き古橋氏である。古橋氏は聞いたことは無かったが、親指と人差し指にフラットピックを持ちながら、他の指も巧みに使い「クラレンス」的な弾き方であった。S席・最前列プレミアもんの位置である。以下感想を記す。
1・イサト氏のステージは高田わたるが逝去の年で関係も深かったからとも思うが、ほとんど高田氏のコピー「仕事さがし」「生活の柄」を含め歌物だった。インストなしのプログラムをさて、イサト氏を知って目当てにきた客が望むか?アンコールでまさか「自転車に乗って」ではないよなあ???などと思っていたらそれだった。まさか次は「靴が一足」か?なんて冗談に思ったら、予定調和だ。「やめろおおおお」ってかんじだったね。
2・オリジナルと言って「歌物」を数曲やったが、詩が話にならない。曲も演歌だ!
3・ブルーグラスピッカーのマンドリンとギターとイサト氏の絡みが合っていない。ミスキャストだ。
4・これは個人的趣味の問題だが、古橋氏の奏法に「ローデン」のギターは合わない。この楽器はフィンガー向きで無いか?
収穫?宮崎氏が今年ナッシュビルで録音してきたらしいCDが、デビット グリア氏プロデュースで彼もギターで参加した物だった。こちらが購入できたことかな?現在存命の僕の大好きなギター弾きなのだ。
帰りに妻は「金返せだった!」とのたまう。チョット待って!チケット代金は僕が立て替えているのではないか?おかげで妻から回収できないでいる。
コンサート会場では「写真撮影・録音はかたく御断りしています」とアナウンス。よってステージの写真はこれでご勘弁を!

(オ サム)
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あかんべ山2006を反芻す。

2005-11-29 19:21:05 | あかんべ山ログ
昨日は実行委員会だった。顔合わせ会・出欠確認・そして3点セット(ビラ・チケット・ポスター)の配布準備を行った。

今25年目にして、本番の時間・出演グループの数、こうした枠組み全体の矛盾が認識されはじめた委員会がある。
今年は2つの新しいグループから出演したいと連絡をもらった。パンフやポスターが出来てしまって以降なので、断らざるをえなかった。10月から始まって10月の末には枠が定まってしまう。そうするとおよそ20日しか、エントリーのチャンスが無い。遥か昔、出演してもらえるグループを探していた時代と隔世の感がある。量の変化と共に、質の変化もある。「1年しっかり活動して、その成果をあかんべ山に持ってきて欲しい」「日常の実体が無くあかんべ山だけで集まって、お客さんに責任が持てるか」などの意見はそうだ。あかんべ山が目前に迫って「これだけは」と出演することもあるかもしれない。その昔「館林ロスト」もグループの存在の維持に汲々としていた時代、「今年は4回しか練習しませんでした」などとお客さんに詫びていたテープが残っている。あかんべ山がそのグループを守っている実態。それでも僕は「歌い続けて欲しい」と思っている。他者に面と向かい、自分達の音楽を問え!と思う。
 他方、新しいグループを受け入れる力が無くて、コンサートが豊かになるとは思えない。「新しい風」は思わぬものを運ぶと思う。時代だってそこから見えると思う。向こう見ずで、只ただ若さで乗り切った時代があった。コンサートの主催者が20代の時代から、すでに僕らは40代、中には2006には50代になる僕もいる(貴方はすでに50でしたか?)。時々団塊の世代が「ベンチャーズやビートルズ」の音楽会を開いて気を吐いている新聞の記事など目にする。「親父ロック」など冠されてだ。それは、諸手をあげて拍手を送るし、「がんばれ!」と思う。しかしその記事の論調の如く「古きよき音楽・おやじ世代がんばる!」なんて僕はまっぴらごめんだ!老いも若きも当然いる。健常な者から障害者のバンドもいる。下手な物からプロ寸前もいる。男も女も、小さな子供もいて「記者がコピーに困る」してやったりのコンサートが素敵!と思っている。生活者の諸々が集まって、この地で「余興でなんか無い、歌の持つ、音楽の持つ力で、コンサートに参加したみんなの心がその日1日満たされる」そんなコンサートがしたいと思っている。
 今の各グループの持ち時間を少しずつ削って、新規枠を確保するか?どのグループも自分達の音楽を表現するのに、最低必要な時間があると思う。「小学校の学習発表会では無いのだ!」
 時間枠・・・スタッフ・グループ・アンケート、こうした声で今の時間がある。いま、委員会はその責任で枠を取り払おうと、考え始めている。長いが3時間。質を高めて、それでも「あっという間の素敵な時間でした」とアンケートで褒められる、そんなコンサートを目指すのも、よくないかい?僕はそのあたりに、今心の針が振れ始めている。
 このブログを読んだあかんべ山の関係者・来た事のあるお客様・今年もあかんべ山に来ようと思っている方、このあたり、良かったらコメントをお寄せ下さいませ。
*しかし!!!の多い文章だ!(オ サム)
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獏さん・谷川俊太郎そして館林ロスト。

2005-11-28 12:29:12 | ロスト シングアウト
26日はロスト定期練習。ビジュアルは仕事で休み・ホーボーは風邪で休みだ。あかんべ山も近いが、恒例「母親大会」のシングアウトが4日にあり、だらだらが許されない状況。あかんべ山は選曲を話し合う。「小さな手のひらの貴方に」「あわてなさんな」「涙にくれる日々」で女性ボーカル曲は決まる。男は高田わたる氏が逝去の年、この5年この方の曲にお世話になった僕らはこれを歌ってしばらく高田氏はお休みと「生活の柄」「仕事さがし」を決める。4日の母親大会は「自由の中に」「歌を歌ってる」「あなたが夜明けをつげる子ども達」を選ぶ。
谷川氏の詩である「あわてなさんな」は4年ぶりか?青年期の子どもと親がテーマ。ボーカルはこの詩真っ只中にある。まさに自分のことが歌になってるのである。力が入る。K・Rの不動のボーカルだ!オリジナルはサファリンゲールを従えた高石ともやだが、オリジナルを越えていると思う。獏さんには男がお世話になる。歌になってない獏さんを沢山読んで、獏状態になって歌うことがいいのかな?などと思っている。
練習特記・「あわてなさんな」はギターの短音でイントロだが、2小節目2拍目にサイドG・ベースがドンと入る。うまく行かなかったこれが、今回ははまる。ターンタタン タララのラにアバウトの5弦とフラットのソがドヒャーンと入るのである。うまくいって、やつらはこれでもか!とピッキングしていた。おお!偉大な練習の成果なり。次回練習は10日だ!母親大会は郡山総一郎氏の講演会がお楽しみ。僕らがブッシュの報復戦争に怒って作った「歌をうたってる」を歌えることは、うれしいことである。
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きのこは平地にも住んでいる。

2005-11-26 07:08:40 | 山菜・きのこ・釣り
キノコは山で採る。大方のきのこに関するシェーマ(図式)と思う。そうでない方はきのこに足を入れて長い方か?と思う。山が10月で終わって、僕のきのこは平地に移る。「山菜は山を登り、きのこは山を下る」のである。11月はヒラタケ・ハタケシメジ・ムラサキシメジ(正確にはウスムラサキシメジ)そしてエノキタケを狙って散策がはじまる。先週お決まりのフィールドへ行った。こんな物とご対面とあいなった。

ハタケシメジは今回も元気だった。

おまけのきくらげ。

これは、ニガクリタケ、猛毒のきのこである。ここにはこんな看板が立っていた。そばの滑り台(結構大掛かりな滑り台である)では、お子さんが遊んでいました。昔キノコに北軽に行って、知り合いの大きな方がスズメバチと仲良くなって、僕が休日の病院をさがして連れて行ったことが、思い出されたりした。
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It‘s the time to love.

2005-11-25 10:11:32 | ゆきこちゃんずログ
なかなか捨てがたい身辺の本等、思い切って整理しようと物置に入ったが、またもや決心が鈍ってしまう。手に取ったファイルに挟み込んでいた詩を見つけてしまった。平和を願うまさに「女性」の書いた詩である。感動して、身近な人にコピーを配り歩いた思い出深い詩だ。忘れないように、ここに 書き込んでおこうと思う。 

        声
                     高鶴礼子

    もう二度と
    大事な人を見送って泣く女のないように
    もう二度と
    帰らぬ骨を待ち続ける母のないように
    もう二度と
    ひもじい思いをする子のないように

    理不尽を耐えなければならない人がいなくなる
    ように

    押し付けられた価値の転換に
    誠実な人が苦しむことのないように
    誰も殺されないために
    誰にも殺させないために
    
    鳥が鳥でいられるように
    花が花でいられるように
    人が人でいられるように

    あなたがあなたでいられるように
    私が私でいられるように

    女であり母であり妻であり人間である私は
    声を上げることにしよう
    小さく無力ではあるが
    たしかなひと声を

    鎮魂の時がいつしか夜明けへとつながるように
    逝ってしまった人たちの言葉を
    聞き違えることのないように
    間違った現実に合わせて
    たいせつなものを変えてしまうことなどないよ
    うに

    花は花たちの言葉で
    鳥は鳥たちの言葉で
    訴えているその傍らに立って

(K ユキコ)
コメント (5)
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