館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

お上り日記・・・妻にポイントを稼ぐのだ。

2015-08-31 06:22:56 | 旅は続く


六本木という場所は、館林からは、北千住まで急行・・そこから日比谷線なんだ。んだから、お泊りになる場合、その日比谷線沿いで、料金の安い場所を選ぶ・・・そして、最近はずっと「築地」!あたりのホテル。

仕事をはやびきし、チェックイン・・・ライブは8時からとかなので、腹ごしらえ・・・

ホテル近くのこの「安い・美味い」中華がお気に入り。




女房の食べた麺・・・僕の食べた中華丼。




ライブの後、11時ころに築地・・・地下鉄を出ると、すぐこのお店。

中華をつまみつつ、ちょいとひっかけるのがお決まりのコースなのだった・・・



朝は築地市場だわさ・・・



毎回店は替える・・なんせ、たくさん店があるからねぇ・・・人ごみを歩いていると、浜焼きの匂いと共に巨大な「アカマンボウ」が飛び込んできた。
昔、石垣島の港の店で、上がったばかりのアカマンボウに驚き、その刺身のうまさにも驚いた魚・・

これで、この店に本日は決めた。




女房の寿司。



僕は海鮮丼。ごはん少な目で、朝にはピッタリであった。



帰りながら、女房が行きたいという「深川江戸資料館」にやってきた(僕が推薦したのさ)。
僕はもう2度ほど来ている・・・が、初めての女房にため、ご案内・・・ポイントが貯まったに違いないのだ。

ここは、良いですよ。江戸の下町が再現されていて、ぜひ行ってみる価値があります。



さすが、3度目はいいかな?と、受付で、ここらのお散歩マップなどもらい、時間を決め、僕は別行動なのだ。



ここらは、お寺だらけなのだ・・・その中でも大きなここ・・・




松平定信さんのお墓がある・・・
写真では門が開いているが、偶然。清掃中(草刈)で開いていたが、入ることはダメと言われ、写真のみ撮ったのだ。



成等院。

まるで、寺とは思えない佇まいなのが、都会のお寺だよな・・・ここも近くには寄れないが…



紀伊国屋文左衛門さんの、りっぱなお墓が、門越しに拝める。




資料館の南を、ぐるりと回ると、次には間宮林蔵さんのお墓にたどり着いた・・・



そこから、資料館に戻るべく、方向を変え、しばらく歩くと、本立院・・・間宮林蔵さんの菩提寺にたどり着くのだった。

菩提寺と墓がどうしてこんなに離れてるかは不明だなぁ・・・察するに、墓までの広大な敷地があったのだろうが、大空襲とか、区画整理とか、様々な事情で、現在の寺は敷地を縮小し・・墓は、その場に残された・・ということではないだろうか?



こうして資料館に戻った・・・ここは、大鵬さんのコーナーがあって、ビデオなど流していて、時間待ちなども飽きないのだ。

そうこうして、女房が見学を終え戻る。



帰りの急行では、濃いめのハイボール!

ポイント?

稼いだかな・・・わし。
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戦争法案反対の集会にて・・・2名だがロスト。

2015-08-30 06:54:19 | ロスト シングアウト


8月29日・・・残念ながら、小雨。

今日30日は、東京で大きな集会・示威行動・・・全国でも行われるようだ。

行ってみたいが、心だけは飛ばしたい。

こんな雨でどれくらい集まるのだろうか?と、思ったが、70を超えて集まったか?




楽器は木で出来ていて、雨はやばいのだが・・・そんな状況じゃないので・・・

歌ってきた。

主催者からの連絡が遅く(集会も急に決まったらしい・・)ロストは2名しか集まらず、皆、思いはあっても、仕事であった。

「戦争入門」を歌った。

最近、この歌が多いのだが、皆、驚き、感銘を受ける。

「すごい歌ですね」「最近出来た歌ですか?」「感動しました」などと、言われるが、古い歌だ。

憲法が出来て70年間・・その、反戦の高まりの中、何度もこの歌が歌われることがあった。
それは、何度も「憲法9条が脅かされ」、つど、国民がその権力の策動を押し返してきたことに他ならない。



牧師さんの奥様が、アピールなど・・・

保育関係者・学童の指導員・年金暮らしの市井の人・・・など、立場立場で、自分の憲法を話す。




すれ違い、デモ隊に手を振る人などいると、妙にうれしくなる。

こんな小さな集会でも、こればっかりは、やることに意義があるなぁ・・と、思った次第。



驚いたが、一泊で帰っていた息子が「俺も行く」という・・・
今まで、親のこうしたことへは、無関心だったが・・・彼を突き動かすほど、この法案はひどいのだろう・・・
シールズや高校生達と、新しい動きも、息子には「何か」を与えたのかもしれない・・・

一緒に歩く息子・・・・彼を戦場に送ることを、許したら、わし・・まだ・・死ぬわけにゆかん。
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ペンタングル・僕の育った音楽Pの仲間達その17。

2015-08-29 06:56:51 | 僕の育った音楽
今日は「戦争法案反対の集会」とデモで、歌う事になってるんだけど・・・
会場は、当然テントも無い野外・・・
外は、やみそうも無い「雨」・・・

ピンチじゃね?

楽器・・・木で出来てますから・・・どうしよう?どうしよう?


アカペラでやるほど、技量はないし・・・


って、わけで、悩みつつ、久々の「土曜は音楽だ!」が続く。






高校時代からずっと聴いている、イギリスのグループだ。

ペンタングルとしての活動はかなり短いわけで、2人のギター弾きがその後CDなど出し続けていて、今もって追っかけているわけだ・・

ウィキにはこのような記事

「ペンタングル (Pentangle) は、イギリスのフォークロックバンド。1960年代後半から1970年代にかけて活動した。

メンバーは、ジャッキー・マクシー(ボーカル)、ジョン・レンボーン(ギター)、バート・ヤンシュ(ギター)、ダニー・トンプソン(ダブルベース)、テリー・コックス(ドラム)。

1982年からペンタングルの流れを汲むバンドが活動を開始している。現在、当初のメンバーはジャッキー・マクシーのみとなっている。バート・ヤンシュは1982年から1995年の間、参加していた。」


「バンドの結成は1967年。バンドの中心は、ジョン・レンボーンとバート・ヤンシュである。ふたりは、当時、既にイギリスのフォーク・シーンで著名なミュージシャンであり、それぞれソロアルバムを製作していた。共同制作したアルバムには「Bert And John」(1966)がある。また、彼らはロンドンで共同生活をしていた。

ペンタングルはフォークグループに分類されているが、メンバーはそれぞれの持ち味を持ち、それが互いに影響しあっていた。ジャッキー・マクシーはトラディショナルの出身、テリー・コックスとダニー・トンプソンはジャズに傾注し、ジョン・レンボーンは古楽を学び、バート・ヤンシュは、ボブ・ディランのようなブルースおよびコンテンポラリーに興味を持っていた。また、ジョン・レンボーンとジャッキー・マクシーは、バンド結成の前にデュオとしてともに演奏していた。」

などと・・・

1974年の事実上の解散がすべてで、80年代には関わった数人と以外のメンバーなどでペンタングルを名乗るが、まあ、ペンタングルでは無いね・・僕には。

レンボーンとヤンシュという双璧なギタリストのルーツの違う音のコラボ・・・ヨーロッパの伝統音楽の香りと、ほかに類を見ない見事な音楽だ。

日本ではプロ好みの域を出なかったが、イギリスではタクシーに乗れば、必ず流れていたなどとの逸話も当時はあったねぇ。

フォークと言えば、アメリカンフォークが主流だが、ヨーロッパのフォークなら、その根底に流れるトラッドを消化しつつ、見事にフソフィストケートした彼らの音楽は、21世紀になっても輝きを失っていないから驚きだな。

代表作にして、僕の一番のお気に入り!


こちらもお見事!!

最後にヤンシュさんの「アンジー」など・・!
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琉球・ある日の晩酌テースティングノートその285。

2015-08-28 06:58:57 | グルメだ!


まだ、お天道様がでると、暑いんです館林・・・

こんな時にはさっぱりと「まぐろのブツのやまかけ」!



伊江島の泥付きラッキョウは、ついに最後になってしまった・・・やはり本場の(沖縄の中でも伊江島ラッキョウはブランド)ラッキョウは旨い!
皮を丁寧に剥き・塩もみして、鰹節をかけるのだ。



我が家の終盤のゴーヤのチャンプルー。今年は、よくゴーヤを食べた。



箸休めに、きゅうりと(品種はさつきみどり・多産なきゅうりであった)みょうがの塩もみ。



沖縄最古の蔵の泡盛・・・その名も「琉球」。




琉球王府から泡盛職を許可され1864年に首里に創業。王朝時代には30人の泡盛職にのみ許されていた泡盛作りを代々受け継いで今がある。

「泡盛101号」という酵母を泡盛では覚えておいて欲しい!

醗酵時の泡の管理は煩雑・泡盛1号酵母の中に60億分の1の割合で存在する「泡無し酵母」の分離に成功し作業量の軽減・雑菌リスクの軽減・アルコール取得量の増大につながったようである。

1989年のことだ。その「泡盛101号」・・以来、多くの泡盛はこの酵母を利用して作られている・・・呑みやすい、すっきりした味だが、各々の蔵の個性が失われたのも事実だわさ。まあ、入門にはいいし・優等生ではある・・・
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六本木でJAZZ。

2015-08-27 06:48:24 | 音楽を思う


場所は六本木・・・・およそ、田舎者の僕にふさわしくない街だ・・・

そこのライブハウス「六本木イズミ」で、上等なライブがあるってんで、仕事をはやびきして向かったのだった。

イズミはさ、先月も山本剛さんと原田俊太郎さん(なんだか、ふだん、さんなどつけたことないので、ほんじつよそいきひょうげん)の共演があるってんで、すっ飛んで行ったのだった。おかげで、六本木・・・少しは恐ろしくなくなったぜ!



このようなセット!

大澤さんという、ボサノバを得意とする若い歌うたいのバックが、いかしたトリオで、そこに、ボッサといえば柳澤伸之さんが加わるのだから、仕事どころではないのだった。

ちなみに、「これなら私もいぐ!!」ってんで、女房がもれなく付いてきたのだった・・・・



開演間際に到着・・・まだ、音響の調整中であった。入るなりすぐ、俊太郎氏とばったり。その傍には、ギターの直居さんが居るではないか!
昨年、あさなみほさんのコンサートで直居さんのギターは堪能。俊太郎氏の紹介もあって「あの久喜のコンサートはすばらしかったです」などと、挨拶で来て幸せ。




インストのみの「ウエーブ」で軽快にはじまる・・・ボーカルも加わって、ノリの良い1SETであった。

若いベース弾き・仲石さんは初めて聞くのだが、若手はテクニシャンである。趣味の良いベースラインで、なかなか良かったねぇ。
そして、ピアノの北島さん・・・流れるようなメロで、かなり気に入ってしまったのだった。

俊太郎氏は、こうしたボッサは得意だわさ。バンドを鼓舞し、相変わらず美しいシンバルレガートを奏でていたぜ。

そして、柳澤氏・・・この日の夜の演目は、彼のチョイスだろうか?ノリの良い選曲で、ヘッドアレンジとは思えないバンドとの一体感も感じ、極上であった。

歌うたいの若い大澤ベーベーも、名うてのおじさん達にのせられ、小気味よい歌を響かせていたねぇ・・これに、色気が加わってくればいいんでないかい?



JAZZはモルトだんべ?

こうした場所で呑むモルトは旨い!



2SETは、お客さんだった、直居さんも加わってこれまた最高であった。

御大・・・老獪にギターを響かせていたのだった・・・・

普段とは、ちと違うジャンルだろうが、それでも、お見事に溶け込むのだからすごいもんだ。

こういうサプライズの演奏は、きっと東京のライブハウスならではなんだろうな。



太鼓叩きとは、箱根駅伝の宿敵だ!また・・・わしの大学は予選会からだけど・・・・

そして、ノブさんは隣町のご出身・・・そんなこんなで、仲よくしていただいている僕は幸せである。

「漫才でもできそうな写真」と、先日フェースにアップしたらコメントが入ったが・・・出来るかもしれない写真だわな。



東京はいいねぇ・・・・このようなライブがしょっちゅう聴けてさ・・・

んだが、相変わらず、六本木は慣れないなぁ・・・・

この後、僕は、東京の場末・・・築地のホテルに向かったのだった・・・・ホテルの前に、一杯ひっかけたけどさ。
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