館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

さすがに、これだけの野生の菜の花畑は見たことなし!!

2016-03-31 05:44:11 | 生活雑感


T市周辺では菜の花の盛り。

ちょっと、遊びで、絶景菜の花など検索したら・・・・渡良瀬川向こうだが、県境のすごく近い場所が「お金かからず・満足度100」と出ていた。

まあ、土手沿いに花が群れている程度の、よくある風景を想像したが、100%に惹かれ行ってみた。



いや~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!お見事!!



なんだこれ~って感じの、お花畑じゃござんせんか!

河川敷を利用した野球場なら3面ほどか?



栃木県佐野市のJA佐野の占有地・・・・牧草畑だったのが、牧草はいつしか使われず、菜の花畑になってしまったようである・・・
(占有地を示す国土交通省の看板から推察)



みとれるばかりの見事さであった。

ほんと、満足度100%であった。

鳥はモズだろうか?このような場所にはよく似合うぜ!

おにぎりでもこさえ、椅子などもって、まったりもいいかもな・・・・
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時々猫。

2016-03-30 06:21:56 | 生活雑感


時々やってくるぜ!エマ!



すっかり、息子にはなついているが、我が家には数か月に1度なので、警戒心はとかない・・・



撫でて欲しいときだけ、すりよってくるぜ!

わ・が・ま・ま・!


猫・・・・かわゆいなぁ・・・
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3月20日の百姓の記録。

2016-03-29 05:53:10 | 僕の菜園


ネギの栽培予定地を肥料を入れて耕した。

これで、10日後には、いつでも植えられる・・・・よさげな苗に出会ったら、購入するのだ。



おとなりの場所もついでに肥料を入れて耕した。



ここもネギの予定地なので、耕す。

一応作付の計画は、下仁田ネギ30本・子持ちでぎを50本の予定。



ズッキーニの予定地も耕す。ここと、あと一か所。
種まきは4月に入ってから。




夏に収穫期を迎える「こネギ」を蒔いた。
100円ショップでよりどり2袋100円のやつ。ネギとか葉物は100円ショップのやつでもいいが、大根はちゃんとしたのを買うべし。



サトイモ・八つ頭を植えるべく、ばあさん(俺の母親)のところへ、種芋をもらいに行く。
左がさといも・右が八つ頭。



すでに仕上げてあった予定地のマルチの穴のなかに埋める。




下仁田ネギはホームセンターをのぞいたら、いいやつがあったので購入。
下仁田ネギは苗間10センチほどの場所に「仮植え」・・・仮植えで育て、7月に本移植する。
1度掘り出す工程で、根を切る(いじめる)ことで、しっかりした太い下仁田ネギになるのだ。




花にらは昨年蒔いたのだが・・・日陰になる場所だったので、ひん死の重傷・・・

掘り起し、日当たりのよい場所に移動した。

やっぱし、ニラは場所が良くないと、いいのは出来ないと分かった・・・
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3月の経過報告。

2016-03-28 06:42:08 | 糖尿病とのお付き合い


春を告げるかふきのとう!

お山のように、淡く、香りが豊かなとはいかないが、庭のふきのとうも、早春らしいあじわいだ。

平地の山菜は4月10日が毎年目安で、姿を現し始める。

タラノメ・こごみ・ウド・のびると、庭もにぎやかになる・・・



3月の検査も、よろこばしき値です。
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雑花塾 Without 笠木透・コンサートの話。

2016-03-27 00:00:21 | ロスト シングアウト
か・・・・帰ったぜ!

寒いぜ!

んだが、花粉症は、かなり改善したぜ!桜が咲けば、スギ花粉は収まる・・・やはし・・3月末は南の島で、花粉症治癒だわなと・・確信。

学びも多かったが、旅日記は、後日ゆっくり写真整理などして、アップ。

このコンサートの記事は、僕にとって大事な記録なのだ・・・

と、記事が続く・・・




沢山弦があるものだから、チューニングは時間がかかる・・・一心不乱に音を合わせていると、音以外は何も考えない無心な時間がやってきて、やり終えると妙に心地よかったりする。

本番の当日、チューニングして、準備に向かった。不安や緊張・・わくわくする気持ちと、ごちゃまぜであった。

そして、この2日前に亡くなった音楽仲間への無念さが、こびりついたままだった。



音響を整え、椅子を並べ、会場が出来上がってゆく・・・・久々に、主催のコンサートだった。

並んだマイクの前に、今日のまだ奏者は立っていないのに、・・・そこに、居てもおかしくない人たちが、立ってるような妙な感覚がふつふつとわきあがる。

1年余りで、音楽を仲立ちに、僕を豊かにしてくれた人たちが、春を待たずに、いっちまったさ・・・

笠木透・木本志行・志賀正典・・・・・皆、ここに居ない違和感で悲しくなった。

人は、ため息の溜まっている場所を体に中に持っているに違いない。そこは、悲しみが同居していて、溜まったため息を使い果たすと、悲しみが膨れ上がって、また、ため息を溜め込む。

早すぎだよ、志賀さんよう・・・この日、寝袋持ってコンサートにやってきて、打ち上げで呑みまくる約束だったじゃないか!

そんなため息が、準備の僕をつつんだ。



手際の良いネーネたちが(おばぁ・・は居たか?)受付や物品販売の店を整えていた。

ちょいと、僕の手違いで、準備・リハーサルと、開場寸前までのバタバタであった・・・



やがて、1部の前座・・・我が館林ロストシティーランブラーズで華々しくコンサートは始まったのだった。




楽器陣・・そして、歌うたいベーベーな!

今日こそ、歌いたい歌をしっかり響かせた気がする。

僕の指は、滑らかな舌ほどには動かず、時々弾くべき弦をスカするのだが、ほかの面々は上出来。
ベーベー達は、本番に強いなぁ・・と、思った次第。
何十年もロストに寄り添ってくれているPAのS氏の、ミックスする音は、安心で、良いところをえりすぐって、スピーカーから流してくれているのだった。




2部の前座は、豪華にも、ウッドランド・リンギングだ。

PPMスタイルの、相変わらず洗練された音楽だった。新曲まじえて3曲。

打ち上げでは、「歌を間違えた」とか「アンサンブルの出来が良くなかった」などと、落ち込んでいたが、聴いているほうは、まったく、そんな印象は無い。技量の高い者たちは、理想も高いのか?

この地に大事なグループなのだ。もっとたくさんの機会に、歌うべき使命を持った人たちだと、僕は思っている。



さて、雑花塾がやってきた。とうとうやってきた!

1部2部と、メインステージであった。

「笠木さん亡き後、どうなるのだろう?」
「雑花塾だけのステージって、想像がつかない!」

が、多くの人たちの心の中だったんじゃないかな?

笠木透の圧倒的存在感・歌とうたの合間をつなぎ、歌に命を吹き込むような(その気にさせる?)語りのすごさ・・・

笠木透と言う男は、たとえゲストであっても、そのコンサートの「一番おいしい部分」をさらってしまう、そんな男だった。



雑花塾で・・どうなる?

は、杞憂であった。

笠木さんは、作詞の人だ。それを楽曲で支えてきたのは(あるいは集団的もみあいで)、この雑花塾の面々だ。

そしてまた、彼らは、自らのグループ(や、ユニット)をもち、生活の場、地元で、地に足をつけて、音楽を発信し続けているフォークシンガーたちであったのだ。

個性・スタイル・・・どれも、老獪な百戦錬磨の持ち味だわさ。

彼らは、これからも、自ら言葉を編み・♪をあやつり、創作してゆくのだろう。

だが、これからはもう1つ・・・笠木さんとともに作った「たくさんの歌」を広めてゆく使命を持ってしまったように思う。

彼の歌は、彼が発していた通り、「テレビやラジオから流れることはない」だろう。

それなのに、全国に広まったのは、発信することを止めなかった笠木透がいて、それを「これは僕らの歌だ~」と、抱きしめ、地方のアマチュアが、著作権も払わず、手渡しのように市井の人々に歌い続けたからだ。

ひとから人へ・・・その震源に、彼ら雑花塾は幸か不幸か居ることは間違いないのだ。まず、彼らが発信しなければ、埋もれてしまう「笠木透の歌」がたくさん生まれるに違いない。創作しつつ、今まで生んでしまった歌は、発信しなければならない・・・んじゃないかい?

まだまだ、うかつに死ねないわけさ~~~



久々に、夜遅くまでのコンサートだった・・・打ち上げが始まったのは10時半は過ぎてだ。

美味い酒だったねぇ・・・

打ち上げの酒が美味いときは、そのコンサートは充実してたってことさ。

よくまあ・・こんな遠くまで演奏に来てくれたぜ!

な!

今日も乾杯!
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