館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

年末・ちょいと大人しい買出し日記。

2015-12-31 06:04:59 | 旅は続く


何かと年末、者どもが集まっていて・・・・
坊主の友達達が、朝起きたら泊まっていた。K県など卒業旅行お世話になった小僧どもだ。
今から宮城に連泊で「旨い魚介」を食べに行くらしい・・・
まっとうに仕事をしていた、気持ちの良い小僧達なのだ。



きらちゃんも、元気だった・・・これから、こやつら(女房・ゆり・さくら・きら)は女房の実家に行くらしい・・・



僕は新宿と御茶ノ水に買出し。

久々にカロリーでジャンボを食った。相変わらず旨い!




カロリーを消費すべく、御茶ノ水・神田界隈を徘徊・・・・・

竹むらで、田舎しるこなど・・・・・これで、カロリー振り出しにもどるのかぁ・・・



なつかしい淡路坂を上る・・・・学生時代の思い出のつまった街なのだ。



やがて、浅草。

のような・・ビルの見える、隅田川沿いのカフェなどで・・・

実は行きつけの飲み屋がまだ準備中で、本日は大人しく帰ることにした・・・



東京は暖かい・・・野外でも暖かく珈琲が旨い。



急行に乗る。土産に芋羊羹と崎陽軒のシュウマイ。



ちょいと社内でハイボールなど・・・・



年末はポイントが12倍。

9階で洋盤を購入し、ポイントを貯めて・・・

8階で邦盤を物色・・・貯めたポイントで2枚くらいは、ただ、って寸法さ。

いよいよ新しい年かぁ・・・・

おじいさまは、もうすぐ、還暦だぜ!!!!!!!!!!
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南風・ある日の晩酌テースティングノートその294付き。

2015-12-30 05:46:11 | グルメだ!


ブリ大根・・・・



豊作の柚子を上手に加工してくれた御仁がいて・・・その「ゆず味噌」、まるで商品のような味。

いや?そこらの添加物たっぷりの物より、はるかに美味い・・・美味かった!

大根に十字に切れ目を入れ、米のとぎ汁で水煮・・・・たっぷり「ゆず味噌」のせて、食っただよ。



おらが作ったコールスロー・・・



大根サラダ!



冷凍保存した菊の三杯酢など好み。




沖縄県酒造協同組合

46社の組合員から提供された、蔵ならではの泡盛を長期保存し、県外に供給する役割を担い、業界の中心・先導の役割を担っている組織だ。

長期保存そして、そこから良質の古酒を造ることを目的にしているといって良い。

こちらは、そこから発信される、一般酒の「南風」である。

ドライでパンチのある酒だ。

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館林ロストシティーランブラーズ・今年もご愛顧ありがとうございました・来年もフォークだぜ!。

2015-12-29 05:50:45 | ロスト シングアウト


今年はあちらこちらから、お声がかかり、演奏の機会が思いのほかありました。

また、久々の単独コンサートもあって、充実の1年であったかなぁと、思います。

私達のフォーク・・・・暮らしの場で、使われ、歌う機会を得てこそ、価値があるってもんです。

戦争法案が通り、戦争に近づいたこの国。

あの福島を経験し、まだまだ、無念のまま必死に生活している人々が居て、それなのに、再稼動を許した国民が居て。

辺野古はますます、対立激しい場所になっています。


フォークは権力と、それに迎合する人々に謀反を起こす音楽です。
なぜなら、今だ権力が民衆の暮らしをないがしろにする時代にあって、その民衆の暮らしから生まれる笑いや悲しみの涙から生まれる音楽がフォークだからです。

来年もわがフォークを抱きしめ、人々の中へ飛び込んで、歌いたいロストです。

来年も、見捨てず、お声がけくださいませ。



最後の練習日は、文明堂の五三カステラとばーむくーへんであった・・・

監督は、飴は大事と・・・今日も行く!!
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実家で餅つきであった。

2015-12-28 05:53:41 | 生活雑感


実家で餅つきであった・・・・

キャストは、ばあさん(わしの母)・女房・帰省したてのユリであった。

僕は消費者にして、取材者。



10年位前までは杵と臼だったけど・・・もはや機械。



蒸かしたてのもち米をそのまま食いたくて、見張っていたわ・た・し!

もうね、沢庵があれば、旨いったら、うまい!



ゆりにダイコンをおろすように指示!



こうして、4回はつくのだった・・・・

正月は食い放題だが・・・・白いものは血糖値があがるでよ・・・

まあ、少しずつ味わうのだ。

いや?餅食って、徘徊のリフレインだな!



辛み餅がうまいねぇ・・・・・

北海道の食い方は、砂糖醤油だそうだ・・・・ゲテモノとは思わないが・・・・
あやつ、正月に我が家で、砂糖醤油で食うのかしら?
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ドン・リーノーとブルーグラスカッタップス 僕の育った音楽Rの仲間達その1。

2015-12-27 06:42:49 | 僕の育った音楽
こちらのシリーズ・・・しばらくご無沙汰。

しかも、Rに入ったとたん、ドマイナーな音楽なのであった。


やっと連休に突入。ちと、本日は計画など立てるかなぁ・・・・




ブルーグラスという音楽ジャンルが生まれたての1950年代 そして1960年代。

偉大なビルモンローとブルーグラスボーイズ・スタンレーブラザース・やがてフラット&スクラッグス・・・などなど・・・
その、ブルーグラス界をリードしてきた一つのバンド に、この、ドン・レノと レッド・スマイリーのテネシー・カッタップスがある。

カッタップスの解散は1964年だが、その後 ドン・レノと レッド・スマイリーが それぞれ結成したバンドがTENNESSEE CUT-UPSとBLUEGRASS CUT-UPSという二つのバンドになるのだった。

ブルーグラスという音楽は、それまでのバンジョーの奏法が一変するのだが、まあ、無くてはならない楽器で、バンジョーなしのブルーグラスは無いといってもいいだろう。そのバンジョーのスリーフィンガー奏法・・・当時は、スクラッグス・スタンレーそして、こちら、ドン・レノ辺りが、創始者は俺だぁ・・などと、言い合っていたのはまた懐かしい・・・

確かに3者とも、それと聴いて、分かる、自分のフレーズ(**節)を持っていたねぇ・・・

まあ、トリッキーなレノのバンジョーは確かにこのグループの特色ではあったが、わしゃ、共演の脱力系の名ボーカルの方々が好きだったな。

スマイリーしかり、ビル・ハレルしかりだわさ。スマイリーさんの、特徴的なDランを、必死にコピーした懐かしい思い出があるぞなもし・・

1972年1月2日、レッド・スマイリーは糖尿病のため47歳で亡くなってしまうのだが、全く惜しいのだった・・・

こういう、時代のブルーグラスはほっとするし、飽きないのだった・・・・


いいねぇ!


こちらもいいねぇ!
コメント (4)
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