館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ミッキースペシャル・2019秋の沖縄・・・悲しい最終そして、拾遺物語。

2019-11-30 05:01:12 | 旅は続く


悲しい最終日はいつもやってくる。JAL908便、1時20フライト予定で、10時から2時間強の映画を観る計画だった。
観たら、速攻で空港・・保安を通り抜け、売店で昼飯を買って乗り込む算段だ。




その映画、あの「カメジロウ」の続編だ。彼の生い立ちから、育ち・・彼と言う人間のあらましに迫る映画だった。
良かったぜ!お近くでかかったら、観るべし!

チケット購入で並んだ時、一人前がおばぁであった・・そのおばぁ・・売り子ネーネから「何を?」と聞かれると「カメさん」と一言。
愛されてるんだねぇ・・・島の人に、瀬長亀次郎という男はさ。

写真・ミネさんの白髪頭!




11月、あちこち花盛りであった。
俺の大好きな「ホウオウボク」が市役所前で満開だった。



斑入りの葉のハイビスカス発見!欲しい!



この花の歌をせいごうさんは作ったらしい。俺も大好きな「トックリキワタ」。



ブーゲンビレアは1年中咲いている。



座間味の民家には「アサヒカズラ」が群れていた。



狂い咲き?寒緋桜が拝めた。こやつ、開花時期は、名護以北なら1月中下旬。那覇なら1月下旬から2月上旬なのだが・・・




島は、晴れると海が化ける。曇りの日は青い海なのだが、晴れると七色の海の色になる。





座間味の地層の露出を眺める面々・・・!
片状砂岩や千枚岩で、40~50センチの幅を置いて、石英の結晶が、浸潤して層をなしている。

この弱変成作用を受けた岩層は、褶曲構造が発達していて、見どころ抜群である。

どうも、化石が見つかっていないようで、地質年代は不詳なようだが、本島の類似地層から比定して、たい積年代は古生代二畳紀頃らしい。
古生代二畳紀(今はペルム紀か?)は、今から約2億9,900万年前から約2億5,100万年前までを指す地質時代だ。古生代の終わり、次にやってくるのは中生代だ。
裸子植物が繁栄をはじめ、巨大な両生類・爬虫類が闊歩していた時代である。
この時代の終わりには、地球史上最大規模とも言われる生物の大量絶滅が起こるのだった。
ロマンだよなぁ・・・!
ここで、化石を見つけたら、新聞に載るな!



地層の声を聴く、わし!



どうも本州ほどキノコに出会わないが・・こちらは泊港で見つけた「キクラゲ」。



こちらは読谷の民俗資料館前の切り株のキノコ。「シロハカワラタケ」だ。




こうした道端の碑など、大事にする島だ。
航海の安全を祈った碑のようである。



那覇で有名な「呉屋天ぷら屋」・・・必ず僕は帰る日に、その晩の酒のつまみに購入する。
今回は「マグロの天ぷら」「モズクの天ぷら」「インゲンの天ぷら」だ。結構な大きさで1個60円なのだ。



昔ながらのお菓子を買うなら、ここ、松原屋製菓!サーターアンダーギーも種類が多く、大きくて1個からばら売りする。
ミッキーが購入。



今年、ついにセブンイレブンが沖縄に上陸した。まずは10店舗・・・・朝の徘徊で偶然発見!おもろまち店だ。



なんっだか、すごいアメ車発見・・・車は地層ほど詳しくないので、名前不明。シボレー**とかじゃないかな?



座間味でちょいと有名な「マリリン」。
ウィキでは「『マリリンに逢いたい』(マリリンにあいたい)は、1988年公開の日本映画。
沖縄の阿嘉島の民宿で飼われていた雄犬シロが、対岸の座間味島にいる恋人の雌犬マリリンに逢うために3キロの海を泳いで渡った実話を元に製作された。

ちなみにその末裔のお犬様が飼われていた民宿に僕らは泊まったのであった。



ほぼ、僕の島での常宿と化しているビジネスホテルの玄関前。



悲しい最終日に僕を乗せて空港まで行く「ゆいレール」、こん回ついに終点首里ではなく、北へ延長されて浦添・西原まで行けるようになった。
来年1月末の「島・一人旅」で乗るんだ!!



こうしたものが実によく似合う3人であった。



今回のシーサー!

那覇市役所隣の公園・隣には指名手配の写真が・・・・・・・・大丈夫か?

どうも、シーサーが4匹にも見えなくもない。

これにて、2019秋の沖縄「ミッキースペシャル」終了だ!


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まだまだ、平地のキノコは続く。

2019-11-29 04:46:43 | 山菜・きのこ・釣り


今年は、冬が曖昧にやってきている。
上州名物、空っ風もまだ穏やか・・・

なので、晩秋から冬のキノコも、まだまだ、楽しめる・




あちこちで、「梶の木」をめがけて、向かうと、ヒラタケが鎮座している。



昨年から庭の、柚子の切り株から生え始めた「エノキタケ」を島に行く前日に発見!!!




サツマイモの蔓に守られ、ぐんぐん育っていた。

豆も付いているので、一か月は楽しめるかもしれない。

ルン!
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あかんべ山のスタッフ・出演者弁当!

2019-11-28 04:39:43 | グルメだ!


あかんべ山コンサートを行ってきた公民館の講堂は、あかんべ山が終わるのを待つように、老朽化で使用禁止になって、数年前取り壊された。
なんとなく見るのが嫌で、近くには行かない。

先週、あかんべ山の打ち上げは必ずここであった「茶館万里」のお世話になった店主が亡くなった。

あかんべ山の痕跡が消えてゆくなぁ・・・



そんなことを思っていた日・・

女房のいない夜ご飯・・・「そうだ!香月の弁当にしよう!」と買いに行った。



いくつも種類がある中、あかんべ山の当日のスタッフ・出演者の昼飯はこの「磯弁」だった。

値段も50円ほど高くなって、炒り卵の量は減った気がするが、ちくわの存在感はそのままだった。

思いでの味がした。




もう、出演グループ10組などの大掛かりなコンサートを企画・運営する力は僕には無い。

死ぬまで、音楽はやるけどさ。
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11月11日の百姓の記録。。

2019-11-27 06:10:36 | 生活雑感
11日・・・・島の前のやっつけ百姓の記録だ。

しかしまぁ・・暖冬?雨が多いし、おかしな2019の暮れだ。





イチゴの作に、いよいよ、防寒の覆いを付けた。

赤城おろしという、西風が、このあたりは猛威をふるう。

耐寒性が強いイチゴだが、地域にあった、育て方は大事かな?




食用菊・・・・別けても「もってのほか」という紫の(気難しい・・)菊が、何故か壊滅的と、過去記事で書いた。

根元の新しい芽立ちとかに防寒の藁を敷いた、危なっかしい部分は、ポットに移植し、苗にするべく・・・試行錯誤だ!!!!、




モロヘイヤの種採り。




2本目のイチジクを剪定した。

かなり、カミキリムシにやられていて、仕立て直しだわ・・・・・・参った。
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ミッキースペシャル・2019秋の沖縄・・本島に米軍上陸。

2019-11-26 04:38:36 | 旅は続く


美しい島だった。島影を背に受けて、10時出発、11時着の高速船は那覇を目指して海原を跳ねるように進む・・・



11時に泊港で、いつもお世話になるOさんのタクシーが待っている。島の個人タクシーは、多くの研修を受け、ガイドの勉強もしているので、安心なのだ。
僕は2人の個人タクシーと知り合いなので、事前に行程表など渡し、打ち合わせを済ませてある。長い付き合いなので、料金も安い。この日は11時から6時までで17000円。
1人当たりなら、4千円とちょっとだ。

写真・沖縄の大きな墓について、ミッキーに教えているの図。



3日目の行程は、1・本土上陸の地「読谷村」を体感・そして今に続く米軍基地を回る。2・文化遺産も立ち寄る。である。

まずは米軍の本土上陸地点、渡具知湾と比謝川を見学。

1945年4月1日、夜明け前の午前5時半。読谷・渡具知海岸に猛烈な艦砲射撃が開始された。約20分間で12センチ砲以上が4万4825発、ロケット弾3万3千発、迫撃砲弾が2万2500発が撃ち込まれ、午前8時半、ついに米軍が上陸した。
沖縄本島に米軍が初めて足を踏み入れたその地は、人口約1万8千人、沖縄本島の中部の西海岸に位置する読谷山(ゆんたんざん)村(現・読谷=よみたん=村)。爆撃に巻き込まれ、亡くなった村民たち。着の身着のまま逃げ回り、飢えにあえぎ、命を落とした村人。避難したガマによっても運命が分かれた。チビチリガマでは「集団自決」(強制集団死)で多くの犠牲者が出た一方、シムクガマではほぼ全員が助かった。

この事態を、従軍記者・アーニー・パイルはこう発信している。

米軍、沖縄本島上陸「ついにわれわれは、沖縄に上陸したのだ。しかも1発も弾丸もくらわず、足を濡らしもしないで」「おまけにわれわれは、砂浜に座り込んで、七面鳥の羽をしゃぶったり、オレンジ・ジュースを飲んだりしたものだ。それは、まるでピクニックのようなものであった」(従軍記者アーニー・パイル)





腹が減っては、戦は出来ない・・・12時をとうに回って、読谷で有名な店に入る。花織そば(はなういそば)だ。

運転手のOさん含め3人は、わらじのような「とんかつ定食」・・わしゃ、花織そば!
沖縄から帰ったら、体重が増えた諸氏が居るようだが、俺は1キロ減った。この食べ物が物語る・・・・




やがて、その「チビチリガマ」にやってきた。




そして、案内が不親切極まりない「シムクガマ」と、見学。




確かに、チビチリは立つだけで、空気が重いが、シムクは安心して、訪ねられる気がする。



近いので、ミネさんせいごうさんの行っていない、沖縄の世界遺産「座喜味城址」にやってきた。
ミッキーにも、この沖縄中世の、見事な築城技術と、民族の力を見てほしかった。




1400年代の沖縄の城跡・グスクだ。ここで、この築城をした「護佐丸」について語ると、見事に長くなるので割愛する。
琉球王朝が尚氏によって統一される1500年代、彼なしに語れないとだけは記しておく。面白い時代だ。




次の目的地の途中だったので、Oさんと打ち合わせていない、ここに、突然止めてもらった。
読谷村役場だ。門柱・役場に掲げられた」「心意気」だけで、圧倒される。



庭には、「トックリキワタ」の花が咲いていた。せいごうさんは「トックリキワタ」の唄を作ったらしい・・・聴きたいものだ。



さて、行程の「安保の見える丘」・・・「道の駅・嘉手納」にやってきた。
まずは、俺はここに連れてゆく!海洋貿易立国・琉球なのだ。

嘉手納町・・・野国いも宣言。1605年、我が町の先達・野國總管によって中国福建省からもたらされた甘藷は、野國總管生誕の地・野国を発信基地として琉球の全ての村々へ、そして、薩摩を経て全国へと広まり、人々を餓えや飢饉から救い、全国民が等しくその恩恵に浴することになりました。今日、甘藷は未来を希求する健康食品として注目を浴びております。甘藷伝来400年の節目を迎える2005年、野國總管の偉業を奉祝する「野國總管甘藷伝来400年祭」が全町民の手により挙行されました。この慶賀を機に、我が国における甘藷発祥の地・嘉手納を全国に広く発信するとともに、野國總管を称え、甘藷を「野国いも」の愛称で呼ぶことを高々と宣言します。

なんだよ!1600年の夜明け・・薩摩藩は琉球を侵略し、支配下に置き、貿易奪い・過酷な税を取り立てる。中国から手に入れ、沖縄で広まった甘藷は、薩摩に持ってゆかれ、名前さえも「薩摩イモ」と奪われた。

写真、その「野圀總管」の銅像の前のミッキー!



展望台からは、パノラマでない限り収まらない広さの「嘉手納基地」が目の前だ。





次にやってきたのは、運転手Oさんが、行ってみますか?と声をかけてくれた、米軍の娯楽施設にして、まぁ、日本人にも開放されている「知花ゴルフクラブ」だ。
俺も初めてで、コース・ドッグラン・そしてクラブハウスにはゴルフ関連の売店・ファストフード・そして・・・・・スロットを備えた博打場とあった。
せいごうさんはスロットを試みるも、ドルで購入し、ドルでしか返ってこない(ドルと言う現金は行きかう・・・一攫千金!!!)のであきらめる。

そして、トイレのきんかくしは、背伸びしないと出来ない高さであった・・・





この日の終盤目的地・「佐喜眞美術館」にやってきた。しばし唖然!
丸木さんの「沖縄戦の図」がここにあるのだが、全14部を観るには5年はかかる(年ごとに入れ替える)。それがまぁ・・今回は特別展で、一挙観られるってんじゃないかようぅ・・わしゃ、4・5年かけて全部見たのに、どうも、連日の晴れといい、ミッキーは島向きなのかもしれない・・・(ちょいと悔しい)。

あのチビチリガマとシムクガマの対比を描いた「読谷村三部作」も堪能したらしい・・(俺は何度も見てるので入らなかった)。




さて、旅最終版のところにやってきた。
普天間のヘリが墜落し、日本の警察も入れさせてもらえなかった「沖縄国際大学」のい墜落で焼けた「アカギのモニュメント」だ。

こうして、この日は沖縄戦開戦の入り口に立ったのだ。やがて嘉数の激戦・首里大本営陥落・南部敗走と女子学徒隊の悲劇・さ迷う住民の投身自殺などなど・・まだまだ、沖縄戦だけでも奥はずっと深いのだ。きっとミッキーはそれらを、これから体験・学びと行動を起こすだろう。そして、歌に昇華してゆくに違いない。



ホテルに戻り、2時間半の長い休憩、自由時間を宣言・・・・さすが3日目だ、疲れを癒し夜の那覇だぜ。



目当ての店は、改装または移転はたまた、廃業したのか・・・閉まっていた。看板もなかった・・・
こうなると、飛び込みしかない・・・なんせ、僕のゆく店は、ほとんど観光客相手ではないので、日曜は休みなのだ・・・




沖縄・・・店の売りは十勝の焼き肉・・ふと、北海道海坊主の北見でいつも食べる「焼き肉」がよみがえり、この店に入った。

そこで俺は、あの肉大好きのせいごうさんは「モツ」は苦手と知る!!!!

モツは旨い・・・美味いったら、うまい!

せいごう「ちゃんとした肉食べようよ~~」の声が響いた。



満腹になって・・・こやつらがこのまま終わるわけがない!

桜坂社交街を物色しながら歩き・・・・



おばぁスナックに消えて行ったのだった・・・・

俺は、おとなしくホテルに帰って、爆睡!

明日帰らねばならないので、悲しかった・・・・
コメント (2)
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