館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ウッディー ガスリー・僕の育った音楽・Gの仲間達・その2。

2008-02-15 05:45:24 | 僕の育った音楽


オクラホマ州オケマーに生まれる。ウッドロウ・ウィルソン・ガスリー。

彼の名前は、ずっと・ずっと後にも、残り・語り継がれ、その音楽は、歌い継がれるだろう。

アメリカンフォークの父である。

親の死・日雇いしながらの放浪。
労働者のストライキの時の組合の集会などにかかわって、歌い、稼ぐ。カリフォルニアに移住するオクラホマ州人のオーキー(季節労働者)の後に従っての旅・そこでの音楽・それは、まさにスタインベッグの「怒りの葡萄」そのものだった。
その彼の音楽は、それゆえ、労働者階級が直面する状態に取材し、その立場に立つ歌を歌い続けたのだ。

彼の残した音楽・その姿勢が、後のフォークのすべての人に、何らかの影響を与えたとも、言って良い。

かの、ボブ ディランは、ウッディ ガスリーの放浪の道筋をたどって、旅をし、ウッディのように歌うことを始めたのだ。
ディランもまた、ウッディ無しに、ディランになれなかった、そんな気さえ僕はするのだ。

P/シーガー・J/エリオット・J/バエズ・PPM・キングストントリオ・E/アンダーソン・T/パクストン・オデッタ・ブラザースフォー・・数えてきりが無い、あまたのシンガーが、彼の歌をカバーし、「THIS LAND・我が祖国」はアメリカ第2の国歌とさえ言われているのだ。

我がフォーク!

その芯に、ウッディが聞こえる・・・そんなフォークでありたいと、思い続けている。
コメント (4)
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