オクラホマ州オケマーに生まれる。ウッドロウ・ウィルソン・ガスリー。
彼の名前は、ずっと・ずっと後にも、残り・語り継がれ、その音楽は、歌い継がれるだろう。
アメリカンフォークの父である。
親の死・日雇いしながらの放浪。
労働者のストライキの時の組合の集会などにかかわって、歌い、稼ぐ。カリフォルニアに移住するオクラホマ州人のオーキー(季節労働者)の後に従っての旅・そこでの音楽・それは、まさにスタインベッグの「怒りの葡萄」そのものだった。
その彼の音楽は、それゆえ、労働者階級が直面する状態に取材し、その立場に立つ歌を歌い続けたのだ。
彼の残した音楽・その姿勢が、後のフォークのすべての人に、何らかの影響を与えたとも、言って良い。
かの、ボブ ディランは、ウッディ ガスリーの放浪の道筋をたどって、旅をし、ウッディのように歌うことを始めたのだ。
ディランもまた、ウッディ無しに、ディランになれなかった、そんな気さえ僕はするのだ。
P/シーガー・J/エリオット・J/バエズ・PPM・キングストントリオ・E/アンダーソン・T/パクストン・オデッタ・ブラザースフォー・・数えてきりが無い、あまたのシンガーが、彼の歌をカバーし、「THIS LAND・我が祖国」はアメリカ第2の国歌とさえ言われているのだ。
我がフォーク!
その芯に、ウッディが聞こえる・・・そんなフォークでありたいと、思い続けている。