館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ベニー グッドマン・僕の育った音楽・Gの仲間達・その3。

2008-02-22 00:05:07 | 僕の育った音楽
小野満さんが亡くなった。(1月2日に亡くなったのが2月20日になって報道されました)
名前まで知らなくても、音は皆聞いている。
その昔・紅白歌合戦は、彼のバンド「スイング・ビーバーズ」だった。
そして、美空ひばりのバックとなれば、彼とそのバンドだった。

僕には、「ビッグ4」・中村八大、松本英彦、ジョージ川口らと組んで、日本の戦後JAZZを牽引した功績と音だな。

昭和のBIGが亡くなって行く時代だね。
お悔やみ申し上げます。





ベニー・グッドマン・(1909年5月30日 - 1986年6月13日)、さすがに、そのクラリネット演奏とともに、スウィング・ジャズの代表的存在として知ら無い方は居ないかも?

貧しいロシア系ユダヤ移民の家庭に育ち、教育は「ハル・ハウス」という福祉施設で受けているらしい。無料で音楽が学べる地元の音楽教室で学び。11歳のときにデビューしている。

1923年にコルネット奏者のビックス・バイダーベック(Bix Beiderbecke)と共演し、1925年にベン・ポラック楽団(the Ben Pollack Orchestra)に参加。1928年には本拠地をニューヨークへ移し、翌1929年には楽団から離れてソロ活動を始めている。

1932年には自ら楽団を結成し、NBCラジオに定期的に出演。1935年のロサンゼルスの有名なダンスホールであるパロマーボールルーム(Palomar Ballroom)での大成功、1938年にはカーネギー・ホールで最初のジャズコンサートを行うまでに至りスウィングの王様(King of Swing)の名声をほしいままにするのだ。

グッドマンの全盛時代は人種差別が激しかった。そんな中にあって、テディ・ウィルソン、ライオネル・ハンプトンをはじめとする黒人ミュージシャンを積極的に雇う。その黒人達、いずれも、ビッグネームになってゆく。
この、白人として、無謀とも思える、音楽について妥協しないJAZZが、グッドマンそのものの音楽も、豊かにしたと思う。

グッドマンの見事なノリ・やさしい音色・競演黒人JAZZマン達の、卓越した技量や、斬新なアイデアに、結構僕は参ってしまった時期がある。

今でも時々聴くね。

特に、ライブ音源は、今も色あせず、すんばらしい!

如何?
コメント (8)
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