殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

結婚被害者

2009年01月17日 14時33分56秒 | 不倫…戦いの記録
 
同僚、綱吉は

離婚の際に子供たちを夫の元に残していました。

原因は嫁姑と、それを見て見ぬふりをした夫でした。


離れて5年…19才になった娘は

家出して来て、そのまま綱吉と一緒に暮らし始めました。

我々同僚有志は、それを我がことのように喜び

アパートを世話したり、引っ越しを手伝ったりと、はしゃいでいました。


しかし、引き取ってからわかったことですが

娘は引きこもりの上、摂食障害とリストカットを繰り返す

綱吉にとって、はなはだ都合の悪い存在に変わり果てていました。


想像の及ばない行動を取る娘を持て余しながらも

別れた旦那への意地から、持て余しながらも返品せずに

仕方なく養っている格好の綱吉を見てハラハラし通しでした。


中でも「日本のおっかさん」といったふぜいのマダム・リーと

自分の頭の蝿も追えないくせに人のことは気になる私は

つとめて母娘を食事や遊びに連れ出すようにしていました。


短大を中退してしまった娘に、何とかして就職か進学をさせたい…。

そう強く願う綱吉は

娘に「このままじゃダメだ」という種類の話をしてやってほしいと言いました。

気休めに遊びに行くだけでは手ぬるいということらしいです。


もちろん、断りました。

「他人の言うことより、母親の本音のほうがいいと思うよ」

「今は焦らずそっとして、心を癒やしてやるほうがいいと思うけど」


しかし、綱吉は

「私が気が狂いそうなのよっ!」

と言います。


症状をなんとかするような器量はありませんが

娘に叱責か沈黙でしかアクセスできない綱吉を

精神的に安定させてやらなければ

そのうち娘を責め殺してしまうような気がしました。


私たちは打ち合わせをして、説教がましいことは言わず

「やるべき時にやるべきことをやらなかった人間の見本」

としてお茶をにごそう…と決め

ケーキなんぞを持って、のこのこ綱吉母娘のアパートへ行ったのでした。


普通の会話から、だんだんその方面の話に近づいて来たので…

「Yちゃん、若いうちにちゃんと勉強しておかないと

 おばちゃんみたいに年取ってから

 キツい仕事しなくちゃいけなくなるんだよ」


「そうだよ。Yちゃんのお母さんは、調理師学校出てるから

 すぐ出世できたし、みんなに命令できる立場になったんだよ」

もちろん、精一杯の「おじょうず」です。

 
しかし綱吉は、このフレーズに着火しました。

いきなり目をつり上げて、テーブルをガンガン叩き

我々の仕事のやり方を非難したり指示したりし始めました。

離れていた娘に、自分の立派な姿を見せたいのだろう…と思いました。


さんざん怒られた末、私たちはほうほうのていで退散しました。

しかし、我々の尊い犠牲のもと、険悪きわまりなかった母子関係は

その後ひとまず、やわらいだようでした。


しかし数ヶ月後、娘はまた家出してしまいました。

綱吉のクレジットカードを盗んで…。

キャッシング機能のあるカードを何枚か持ち出し

ATMでそれぞれ満額、合計数百万を借り入れていたことがわかりました。

暗証番号を全部誕生日にしていたからでした。


すったもんだの末、出来た借金は元夫が肩代わりしてくれ

娘は、金を使い果たしてから父親の元へ帰りました。

娘から解放された綱吉は、心底ホッとしていましたが

その時に元夫から言われた

「やっぱりおまえじゃ無理だったな」

の一言は、相当悔しかったらしく、当分ブツブツ言っていました。


綱吉母娘に関わった月日は、私にさまざまな感慨をもたらしました。

いつまでも過去の仕打ちにこだわって、そこから抜け出せないでいると

結局は一番かわいい、一番大事なものが壊れていく…。


浮気されるのは確かにつらい。

しかし、それと引き替えにどれほどたくさんの恩恵を受けて来たことだろう。

満たされない、残念な一点ばかりを見つめ続けていると

どんどん深い淵に堕ちて行くばかりではなかろうか。


また、この頃には我が子も成長して

お嫁さんをもらってもおかしくない年齢になりつつありました。

この子たちがもし結婚して、嫁の気にくわないことをしでかしたら…。

嫁に嫌われ、冷たくされる息子と、それによって悲しむであろう孫を

私はどんな気持ちで見守るのでしょうか。

夫の浮気なんかより、ずっとつらいのではないでしょうか。


いつまでもうかうかと「結婚被害者」の身の上に甘んじていてはいけない…。

自分が「妻」というヒロインでなければ気がすまなかった人生舞台。

つらいつらいと言いながらも、人には譲らず演じ続けたい。

主役にこだわればこだわるほど

事態はおかしなほう、あらぬほうへ転がって行きました。


私も年を取り、やっと

「村人A」「石ころB」でも充分…という気持ちになりました。

役どころは、木でも、草でも、何でもよくなったのです。

名も無い、生命の中継者。

    おお、これこそ、すばらしい人生ではないか…


病院の厨房に来なければわからなかったであろう

たくさんの気づきと学びによって、重いよろいを脱いだような気分でした。        

       で…達観したかって?

           なんの!


よろいは脱いでも、まだカブトが残っておりますがな。

今度はまた、ろくでもないことが起こり

私はさらに、とんでもないことをしでかすのでありました。

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14 コメント

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感銘しちゃいました (にしき)
2009-01-18 09:26:16
名も無い、生命の中継者。

うーん、良いですね、この響き。
私はそれを「命のリレー」と称しております。
私などは産みっぱなしで放棄した様なもんなので、偉そうな事は何一つ言えませんが。
自分のブログにも記載しておりますが、身内の交通事故とは、実は次男の事だったんですよ。
通学途中に友達とふざけて歩いていた様子で、思わず車道に飛び出してしまったところ、運悪く後ろから来た車と接触してしまったんですね。
大阪の道路って整備されていない箇所が殆どで、車道のわきに線を引いて、そこが歩道になっています。
ガードレールもないので車が突っ込んで来る事がしばしばあるんです。
幸い次男は頭部を数針縫い、手首を骨折しただけに留まりました。
本来なら私は知らされずにいるところです。
しかし元夫が出張中だった為に、先生は私に連絡して下さったんです。
親権者ではない私に、交通事故にまつわる交渉を図る権限はありません。
損害保険の担当者や、加害者が勤務する会社の上司が病院に駆けつけて来ても、私は何にも言えないのです。
その時つくづく痛感しましたね~
やっぱり私が責任を放棄したんだと。
処置が終わり次男を家に送り届けました。
家は結婚当初2人で買ったマンションを売って買い換えた一戸建てに変わってました。
私は知らなかったので愕然としたんですけど、まあそれは致し方のない事。
嬉しい発見もあったんですよ。
それは私の鏡台がまだあったんです。
私は何も持たずに家を出ましたのでね。
鏡台の引き出しを開けると、当時私が使っていた口紅もアイシャドーもそのままでした。
急いで出張先から帰宅した元夫に聞いてみました。
何で捨てないの?と。
元夫は子供たちがたま~に座っているんだよ、だから捨てられないんだよと笑っていました。
長男が小学2年、次男が1年の冬に離婚しました。
彼等は私がここに座り、お化粧をしている後ろ姿を眺めていたんだなあと、初めて知った瞬間でした。
そうこうしている内に長男も帰宅して、久しぶりに4人揃って早めの夕食を食べました。
私と元夫が穏かな顔で話ている様を見ていた息子達。
ニコニコしていましたね。
もう2人とも16歳と15歳なのに、まるで小さな子供の様な顔をしていました。
家庭とは、家族の景色とは、こういうものなんだと、失くしてから知った私です。
本当に情けなくお恥ずかしい限りです。

返信する
追加、綱吉について (にしき)
2009-01-18 09:32:49
ここの件は大いに笑えましたね。
なんだろう・・・
私もこいつ、あったま悪ぅ~しか思いつかないわ。
でもこの人も、まあ私と同じ立場の輩じゃないですか。
同じにされるとなあ・・・
はあ~世間的には同じだわなぁ・・・
返信する
鏡台… (みりこん~にしきさんへ)
2009-01-18 12:06:56
うぅぅ…泣ける話じゃ…。
かわいい盛りの子供たちを置いて家を出るには、言葉では説明ができない、よほどのことがあったと思います。
鏡台は女の命と言いますよね。
引っ越しでも、鏡台が移って始めて引っ越しという行為が成立するそうです。
息子さんたちの大切な存在として、にしきさんのかわりに成長を見守ってくれていたのでしょう。

事故、軽くすんで良かったです!
親子4人で食事ができるまでになったことを息子さんも喜ばれたことでしょう。
成人してしまえば、親権などややこしいことはあまり関係無くなると思うので、もう少しの辛抱ですね。
これをきっかけに、もっと親密になれたらすてきですね。これからですよ!

離婚が子供との別れとなった人はたくさんいますし、私も中三と小三の大事な時期に1年近く離れていました。
生きるためには必要なことだったと思っています。

綱吉の場合は、実家の両親の干渉が尋常ではないことや、綱吉自身、本当は母親より親の娘でいたかったことなど、精神的に根深い様々な問題があり、多分、ひとくくりにはできないと思います(笑)いや、ひとくくりにしてはいけないと…(笑)

母娘を実家から引き離したことで、親からはかなり恨まれました。綱吉がかわいいからというより「足」が無くなったからですが。

実家からアパートに移って、娘がいなくなるまでの間、親はよく職場を見張っていました。本当に仕事をしているのか、自分たちをほったらかして娘と二人で過ごしてないかを見張るんです。
エゴと嫉妬が怖かったです(笑)
血筋…?





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Unknown (マキ)
2009-01-18 13:18:15
なんだかんだで皆さん仲良しなんですね!!

あの絵は笑いました(^O^)
何故こうなるの?って感じですよね(笑)クスクス

綱吉さんの娘さん三百万円も何に使い果たしてしまったんですかねぇ?
『お前には無理だった…』発言は悔しかったでしょうね気持ちがわかる気がします。


ところで、我が家は旦那以外みんなインフルエンザで寝込んでいました(*_*)
みりこんさんは大丈夫ですか?
12月も風邪で寝込んだしなんだか体が弱くなった気がします(悲)
返信する
どんなことぉ~?? (おかよ)
2009-01-18 17:08:46
最近少しづつ大人になりつつ
あるおかよでございます

そうよね・・・・
人生はいろんなことが起るものよね

だから楽しかったり悲しいことがあったり
するんだわっ

そんな人生を楽しんじゃいましょうよ

人生に翻弄されてるっぽいこの横綱さんを
みてごらん・・・・・・
おもいっきり人生に遊ばれてるじゃ

それじゃ楽しくないわよねぇ~

同じ人生楽しまなくちゃ損よっ

私も大人になったわねぇ~
って思っちゃった・・・・・

次のとんでもないことが気になるわぁ/m_0145/}

どんなことが起るのかしら~
ワクワク


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毎回凄いです~~ (南風)
2009-01-18 19:02:45
私の体験に勝るものなし!って思っていましたが、
現実って凄いですね~
私は 自分に起きたことをこんな風にまだ書けませんが、いいお勉強になります!
冷静に考えたいと思います!

で、この先どうなったの?早く読みたい~

にしきさん!
読んでて なきそうになりました。
我が家がちょうど15歳と16歳です。
そんな日が いつか来るんだろうか?
って思います。 未だに許せていませんから
まだまだ 未熟なんでしょうね!
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ごめん~~ (南風)
2009-01-18 19:04:01
我が家は 15歳と13歳でした!

ひえ~~年も間違うようになって お恥ずかしい限りです!
返信する
なりたかった (はな(^^♪)
2009-01-18 20:16:41
私も、「村人A」や「石ころB」でいいから
平穏無事な毎日が送りたい!!と思いました(笑)

何で、私ばっかりこんな目に遭うんだろう?と悩みました(^^;
ただ普通に生活したいだけなのに。どれだけ願ったことか。

ようやく今になって気持ちを乱されることのない生活ができるようになりました♪

>よろいは脱いでも、まだカブトが残っておりますがな。

このセリフには笑わせてもらいました(*^^)v
さすがみりこんさんですね!
返信する
楽しまなければ! (みりこん~マキさんへ)
2009-01-18 20:55:21
綱吉の思い通りに行っている時は、楽しく平和でした(笑)
金の使い道…旅をしたわけでもなく、何を買ったでもなく、ただ使い果たしてどうにもならなくなってから、今度は父親に連絡したそうです。そもそも最初は父親のお金を盗って家出して来たから…。ま、集金…?

おいらが風邪引いてるって、なんでわかったのぉ~??
寝込んでおりましたとも。
おそるべし、マキちゃん!

産後って、風邪引きやすいよね。お互いに気を付けましょう。
返信する
深い! (みりこん~おかよさんへ)
2009-01-18 21:04:56
深いぜ!おかよちゃん!
そうよ…極上の喜びと悲しみを味わうために生まれて来た私たちよ!

人生に遊ばれてる…すごい言葉です。
ただ生きてるだけでは、言えないです。

本当に、日々ご成長あそばされ、ばあやは嬉しゅうございますよ。
でもそれは、おかよさんが本来持っているものなのよね。

次はね…元気になったら書くね。




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