日朝女性たちの友好と親睦ツアー「歴史探訪」
“地底からの声に耳を傾け、手を携え歩もう”
日朝女性たちの友好と親睦ツアー「歴史探訪」(主催=女性同盟群馬県本部・群馬県朝鮮女性と連帯する会)が、5月31日に開催された。
06年から始まったこの企画は、「日本と朝鮮の埋もれた歴史を正しく知り、日朝の友好と交流を深める」ことをテーマに、これまで長野県の松代大本営 跡地からはじまり、東京大空襲・戦災資料センターや中島飛行機地下工場跡、足尾銅山など日本各地にある強制連行跡地や史跡を巡ってきた。
2万人が強制連行
10回目となる今年は、茨城県日立市の朝鮮人強制連行・強制労働慰霊塔にまつわる探訪に33人が参加。にぎやかな笑い声が車中に広がるなか、点呼をとりバスは群馬県を出発した。
まず最初に一行が出向いた先は、工業都市・日立の原点といわれた日立鉱山跡地、日鉱記念館。日立鉱山や常磐炭田一帯には、当時、2万人以上の朝鮮人 や中国人が強制連行され過酷な労働を強いられたという。しかし、「今となっては過酷な労働実態の事実は、一言も示されてない」と記念館について説明する、 茨城県朝鮮人戦争犠牲者慰霊塔管理委員会(以下、慰霊塔管理委)の張永祚事務局長に、参加者たちは耳を傾け熱心にペンをとった。
日鉱記念館を後にし、バスで県道36号線を下ると、目の前には、大きな一本杉が広がった。この一本杉は、日立鉱山に連行された多くの朝鮮人たちが、 過酷な労働に耐え切れず脱走しようとしたときに目指した場所だった。一行は、その場所から、当時朝鮮人が故郷を思い植えたといわれる、むくげの木がある一 帯、本山寺、火葬場跡地、そして朝鮮人慰霊碑を順に巡った。
山道の脇にある石段をあがった先に位置する本山寺は、その昔、荼毘に付すあいだの待合所とされていた。張事務局長の説明によると、この寺の先代住職が、身元引受人がない朝鮮人の骨が無縁仏になっているのを見かねて、寺にその遺骨を安置し、長い間供養してくれたという。
石段をさらにあがっていくと、何もない野原が広がる。「ここには何もないわ」「野原しかないけど」と参加者が口にしたその場所こそ、当時、火葬場となった場所だった。
火葬場跡地を前に、日立鉱山で犠牲となった朝鮮人を慰霊し黙祷した参加者たちは、そこから少し歩いたところにある、朝鮮人慰霊碑「朝鮮人殉難病没者諸精霊」をまわった。その後バスを走らせ、茨城県朝鮮人慰霊塔のある平和台霊園へと向かった。
海の見える見晴らしのいい場所に位置する慰霊塔。一行は、慰霊塔に手を合わせ焼香した。その後、管理委員の金松伊さんが、小説「三たびの海峡」(帚 木蓬生著)の一部を朗読。参加者たちは、慰霊塔を囲むようにして朗読を聞きながら、無残になくなった犠牲者たちに思いを馳せ目をつむり涙を流した。
あいさつをした慰霊塔管理委の権泰福委員長は、「慰霊塔の建立から37年。多くの人々が訪ねてきてくれたが、正直見せ物のようになってしまって本当につらい。一日も早く故郷の地へ返してあげたい」と胸のうちを語った。
朝・日の歌で合唱
日程をすべて終え、帰路へと向かうバスのなかでは、朝鮮半島の代表的民謡アリランと童謡赤とんぼなど、朝・日の曲を重ねて合唱。その後今日のツアーの感想を思い思いに吐露し締めくくった。
群馬県西毛地区日・朝婦人友好親善イップニの共同代表をつとめる広木美恵子さん(66)は、「日本と朝鮮半島の歴史問題は、いまだに解決していな い。きちっと歴史を見据え忘れてはいけない」としながら、「今を生きる私たちは、犠牲になった朝鮮人被害者たちの『地底からの呻き声』に耳を傾け、風化し つつある歴史をコツコツと掘り起こし、記憶していかなければならない」と感想を述べた。
この歴史探訪ツアーが、「市民レベルで何をしていくか考える場となっている」と話すのは、朝鮮女性と連帯する会の藤井多栄子事務局長(67)。藤井 事務局長は、「アリランの朗読を聞きながら、このまま何もしないではいられないと思った。政府がしないなら、私たちが底辺から、日朝女性たちが共に連帯で きる社会づくりをしていきましょう」と話した。
今回はじめて参加したう羽鳥美晴さんは、昨年9月に訪朝。日本のマスコミで騒がれている内容と朝鮮の姿との落差にカルチャーショックを覚えたこと が、連帯する会に入会するきっかけとなった。羽鳥さんは、「日本という国がした仕打ちについて、自国のことでも知らないで終わる人が多いと思う。だからこ そ私は、こうやって学んで本当に良かった。この輪が広がり少しでも大きな力になっていけば」と期待をこめた。
連帯する会の朝鮮側代表を務める女性同盟群馬県本部の徐任淑顧問は、「署名活動や総会などを中心に行ってきた活動を、『なにか形を変えませんか』と 提起したことがこの歴史探訪のはじまりだった。手をたずさえ歩んでいくには、なぜ私たちが異国の地に住んでいるのかを知らなければならない」とし、「これ からも、日朝の歴史を紐解き、互いの立場を理解する場になれば嬉しい」と語った。
(韓賢珠)