首都圏の自治団体、各地に平和の少女像を相次ぎ建設
今年の三一節に市民募金で安養・平沢にも設置
華城市「日本の蛮行知らせるために世界各地に建設」
京畿道内の地方自治体14カ所にすでに平和の少女像
今月8日、ソウル鍾路区の旧日本大使館前で両親と共に少女上を訪れた子供が、銅像を眺めている/聯合ニュース
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釜山日本領事館前の平和の少女像設置問題で、韓日関係が急冷している中で、韓国の首都圏地方自治体のあちこちで少女像が相次いで建てられている。
昨年6月に発足した京畿道の「安養(アンヤン)平和の少女像建設推進委員会」は今年の三一節(サミルチョル)に合せて少女像を建てる計画だ。推進委は「三一節の正午に少女像の除幕式を行えるよう、現在多様な方法で募金活動を繰り広げている」と13日明らかにした。特に、安養地域の10校あまりの高校生たちは、クラスごとに募金箱を用意して少女像建設基金を募金中だ。
推進委は除幕式を半月後に控えた来月16日、地下鉄4号線のポムゲ駅近隣にあるスカラティウムで平和の少女像製作費募金活動を終えるための後援喫茶店を開く予定で、すでに安養の市民社会団体を中心にチケット販売を始めた。
安養平和の少女像が設置される場所としては、安養市庁の向い側にある中央公園が有力だ。推進委は女性界と文化界、市民・社会団体、安養高校生連合会などの青年・学生、安養青年ネットワークなどが常任代表団を構成し、イ・ピルゥン安養市長など前現職の安養市長や前現職の市議会議長団、前現職の国会議員、道議会議長が顧問団として参加している。
京畿道「平沢(ピョンテク)平和の少女像建設推進委員会」も今年3月1日に合井洞(ハプチョンドン)の平沢市青少年文化センター前に少女像を建てることにした。昨年7月の創立以後、6カ月で5527万ウォン(約540万円)を集めた推進委員会の目標金額は6500万ウォン(約640万円)だ。
推進委は3月1日午後2時から除幕式と共に祝賀公演、平和の平沢のための宣言発表を行う予定だ。
また、市民の寄付で2014年8月に東灘(トンタン)新都市セントラルパークに平和の少女像を建てたチェ・インソク京畿道華城市長は「日本の反倫理的蛮行を知らせるために、今後世界各地に平和の少女像建設を継続推進する」と10日明らかにした。華城市は2015年11月にカナダのトロント、2016年10月には中国の上海師範大学構内に少女像を建設した実績がある。
一方、京畿道内には現在、水原(スウォン)・城南(ソンナム)・華城(ファソン)・高陽(コヤン)・光明(クァンミョン)・議政府(ウィジョンブ)・軍浦(クンポ)・烏山(オサン)・金浦(キンポ)・安山(アンサン)・始興(シフン)・安城(アンソン)・富川(プチョン)・広州(クァンジュ)に平和の少女像が設置された。
キム・キソン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
[インタビュー]「国民が取り戻した釜山の『国民少女像』、最後まで守ります」
「未来世代が建てる少女像推進委員会」マ・ヒジン代表
「未来世代が建てる少女像推進委員会」マ・ヒジン代表=キム・ヨンドン記者//ハンギョレ新聞社
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釜山日本領事館前の少女像設置
募金1年で市民からの寄付金8500万ウォン
「少女像を守る私たちを引きずり出すときに
婦人警官が泣いていました
同じ国民なのになぜこんなことをしなきゃならないのか…」
「どんな外圧があっても、国民の力で建てた釜山の少女像を守ります」
昨年の大晦日、釜山市東区(トング)草梁洞(チョリャンドン)の日本総領事館前の「平和の少女像」(少女像)の除幕式を開いた「未来世代が建てる少女像推進委員会」(推進委)のマ・ヒジン代表(24、釜山大学航空宇宙工学科3年・写真)はぐっとこぶしを握ってこのように話した。
マ代表は、釜山の少女像設置と関連し、韓日通貨スワップ協議中断など日本の強力な報復措置に対して「日本はいまだに日本軍『慰安婦』問題など戦争犯罪に対して心からの謝罪をしていない。加害国の日本が逆に大声を上げている。厚かましく無責任な姿勢」と批判した。さらに「日本軍『慰安婦』問題は私たちの歴史の癒えることのない傷だ。政府も日本のこのような態度を強く批判し、国民の意思を尊ぶべきだ」と指摘した。
マ代表は2015年12月28日の韓日日本軍「慰安婦」問題合意(12・28合意)の発表後、日本総領事館の前に少女像を建てることを決心した。彼女は「韓国の未来を導いていく青少年、若者が積極的に乗り出すべきだと考えて推進委員会作りに取り組み、昨年3月推進委が発足した」と話した。
推進委は、日本総領事館前の「人間の少女像」1人デモを率いながら、釜山の各大学と都心で少女像建設募金活動を繰り広げた。市民団体も昨年6月、サポーターズを作り推進委の活動を支援した。市民たちは推進委を支持し、寄付金を送った。このようにして少女像の製作支援金8500万ウォン(約823万円)が集まった。
しかし、管轄地方自治体である東区は道路交通法を理由に少女像建設を許可しなかった。数回の協議によっても東区は意向を変えず、推進委は12・28合意1周年である先月28日、日本総領事館前に少女像を建てた。
「当時、警察は少女像を守っている私たちを幾重にも取り囲みました。東区職員と思われる人々が集まって来て私たちを引きずり出しました。頑張ったけれど、力不足でした。これに抗議する時、一人の婦人警官の目には涙が溜まっていました。同じ国民同士がなぜこのようにしなければならないのか、胸が痛みました」。マ代表はその日公務執行妨害容疑で警察に連行されたが、翌日の先月29日に釈放された。
少女像を強制撤去した東区は、国民的批判世論に押され、同月30日に日本総領事館前の少女像の設立を許可し、推進委はその日少女像を建てた。
推進委は、少女像を守るために少女像見守り活動を繰り広げている。見守り隊たちは少女像を見に来た人々に、少女像の意味と日本軍「慰安婦」問題などを説明する。推進委は少女像の公共造形物登録を進めている。マ代表は「釜山の少女像は国民が建てた少女像という意味で「国民少女像」というニックネームもついた。誤った歴史を立ち直らせるまで、若者や青少年は国民と一緒に行動して闘う」と約束した。
釜山/キム・ヨンドン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
日本、「釜山少女像」事態に超強硬外交的報復
日本、釜山少女像に報復措置4点発表
駐韓日本大使、釜山総領事の一時帰国
韓日通貨スワップ議論の中断を含む
“ろうそく集会の民心”と安倍政権が正面衝突
日本政府が少女像の設置に反発し、韓日通貨スワップ議論の中断と駐韓日本大使と領事召還など強硬措置を相次いで出した6日午後、釜山東区草梁洞の日本領事館前に設置された少女像の上に日の丸がはためいている=釜山/聯合ニュース
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日本政府が釜山の日本総領事館前に平和碑(少女像)が新たに設置されたことに対して、高強度の“報復措置”を発表した。朴槿恵(パク・クネ)大統領の弾劾を呼び起こした韓国の“ろうそく集会”を契機に、日本軍「慰安婦」問題に対する12・28合意の破棄、または再協議を要求する世論が高まった中で、韓国の“ろうそく集会の民心”と安倍政権の強硬な態度が緩衝装置を置かずに正面衝突している様相だ。
菅義偉・官房長官は6日の定例記者会見で「一昨年の日韓合意(12・28合意)で慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決され(両国が)それを確認した。にもかかわらず昨年12月30日、韓国の市民団体が釜山の日本総領事館に面した歩道に少女像を設置したことは、日韓関係に好ましくない影響を及ぼすと共に、領事関係に関するウィーン条約に規定されている領事機関の威厳を侵害すると考える」として、長嶺安政大使と森本康敬・釜山総領事の一時帰国▽韓日通貨スワップ協議の中断▽韓日高位級経済協議の延期▽釜山領事館職員の釜山市関連行事に対する参加延期など4項目の報復措置を発表した。駐韓日本大使の本国召還は、2012年8月李明博(イ・ミョンバク)当時大統領の独島(トクト)訪問以後4年半ぶりだ。
日本政府がこうした超強手を持ち出したのは、釜山少女像事態を放置すれば韓国市民社会の激しい民心によって12・28合意の運命自体が危険にさらされると判断したためと見られる。今回の合意を通じて慰安婦問題を“最終的かつ不可逆的”に終わらせることを願う日本政府は、今回の事態を容認し難い“合意違反”と見ている。菅長官は今回の措置をいつまで実施するかという質問に「状況を総合的に判断して対応していきたい。今回のような措置を取らざるをえなくなったことを遺憾に思うが、国と国が約束したことは履行して欲しいという強い思い」だと答えた。
日本はいちはやく米国の支持取付に動いた。安倍晋三首相は同日、ジョー・バイデン米国副大統領に電話をかけ、「韓日両国政府が責任を持って合意を実施して行くことが重要だ。これに逆行するのは建設的でない」と話した。
日本は強力な報復措置とともに釜山少女像の撤去を繰り返し要求したが、韓国政府はまともな対応を示せずにいる。国政を導くリーダーシップが存在しない状況で、日本との正面対決を選ぶこともできず、その一方で日本の要求を受け入れることもできなくて、儀礼的措置を取るに終わっている。ユン・ビョンセ外交部長官は同日午後、長嶺安政・駐韓日本大使を外交部に呼んだ。事実上、抗議次元の招致と解釈できるが、外交部は“面談”の性格だと明らかにした。
東京/キル・ユンヒョン特派員、チョ・キウォン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
「慰安婦問題は民族の痛み…南北間の連帯が必要」
2016統一人文学世界フォーラム‐痛みの連帯と共通の歴史
2016年一年間に亡くなった日本軍「慰安婦」被害者追慕祭及び第1263回日本軍「慰安婦」問題の解決に向けた定期水曜集会が昨年12月28日午前、ソウルの駐韓日本大使館前で開かれ、参列者たちが犠牲者に向けて献花している=キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社
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「2017年には従軍慰安婦問題に対する南北の連帯が必要だ」
昨年12月17日、京都の立命館大学で行われた「2016統一人文学世界フォーラム‐痛みの連帯と共通の歴史」で、韓中日の学者たちはこのように強調した。昨年3回目を迎えた統一人文学世界フォーラムは、韓国の建国大学統一人文学研究団や日本の立命館大学コリア研究センター、中国の延辺大学民族学研究所が共同主催した。2014年に開かれた第1回の統一人文学世界フォーラムの時から共同主催者として参加してきた“北朝鮮と綿密な関係を持っている海外の大学”である朝鮮大学校(東京所在)は、 2016年に断絶した南北関係の影響で、今回は共同主催者として参加できなかった。代わりに朝鮮大学校は立命館大学の招請で公式行事前のラウンドテーブルに参加した。これによって“間接的な南北学術交流”という統一人文学世界フォーラムの重要な特性の一つが今年も維持された。
6・15宣言後、ハーグで
南北の被害者ハルモ二たちが共同証言したが
2008年以降、冷え切った南北関係により
南北協力にも大きな進展見られず
朴槿恵政権の12・28合意は
「被害者治癒の精神を疎かにした」と批判
南北越えて被害国と連帯を求める声も
康成銀・朝鮮大学校教授//ハンギョレ新聞社
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「東アジア人の記憶から見た日本軍『慰安婦』問題」をテーマに行われたラウンドテーブルでは、統一人文学世界フォーラムが志向する「疎通・治癒・統合の人文学的問題意識」に基づいて、北東アジアの最も尖鋭な問題の一つである“日本軍従軍慰安婦問題”を見つめなおした。その結論は「深い傷を負った元慰安婦ハルモニ(おばあさん)たちを慰労し、慰安婦問題を解決するためには、東アジア各国の被害者連帯が必要であり、その中でも、韓国と北朝鮮の連帯が重要だ」ということだった。これは2015年末、朴槿恵(パク・クネ)政権と安倍政権の間で行われた「12・28合意」が被害者との連帯を疎かにした合意だったという批判でもある。
ラウンドテーブルに参加した朝鮮大学校の康成銀教授(朝鮮問題研究センター長)は「ぺ・ボンギさんに対する記憶」という題名の報告を通じて、「南北の断絶が被害者の声を大きく弱体化させてきた」と指摘した。1914年9月忠清南道礼山郡(イェサングン)新礼院里(シンリェウォンリ)で生まれたにぺ・ボンギさんは、第2次世界大戦末の1944年11月から1945年3月頃まで沖縄の小さな島である渡嘉敷島に連行されて慰安婦としての生活を余儀なくされた。終戦後には沖縄に残ることになったぺさんは1975年、自分が慰安婦だったという“隠したかった真実”を明らかにしたが、大きな反響を呼ぶまでには至らなかった。何より「南北分断の政治的対立が初めての慰安婦証言だったぺさんの証言を黙殺」したからだ。康教授は、これについて「当時、朝鮮総連の活動家たちがぺさんを積極的に支援したことが大きな影響を与えた」と指摘した。南北対決意識が強い当時の状況では、「日本の植民地被害を明らかにする重要証言」という点よりも、「総連と関連しているから、無視しよう」という意識が強く働いたということだ。
金哲秀・朝鮮大学校教授//ハンギョレ新聞社
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1970年代にぺ・ボンギさんの痛ましい証言を葬らせた南北の敵対関係は、その後どのように変わったのだろうか。2000年6・15共同宣言以降、南北の慰安婦被害者たちが同年12月4日、オランダ・ハーグで開かれた「日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷」に共に出廷し、日本の蛮行を一緒に証言したこともあった。しかし、2008年以降、再び南北関係が冷え切ってから、慰安婦問題と関連した南北の協力にも大きな進展は見られなかった。南北が別々に日本と慰安婦問題を協議している状況だ。このように被害者である南北の足並みが揃っていない状況では、加害者である日本が責任を回避する可能性は一段と高まらざるを得ない。
北朝鮮も慰安婦被害が大きく、慰安婦被害ハルモニが多く存在する。朝鮮大学校の金哲秀教授(朝鮮問題研究センター付属在日朝鮮人関係資料室長)は「(北)朝鮮では1992年5月21日、『日本の朝鮮強制占領被害調査委員会』が発足し、日本軍の性奴隷犯罪事件の調査を始めており」、「その結果、1993年8月『日本が敢行した従軍慰安婦犯罪事件についての中間報告書』を発表した」という。これによって「2009年末現在219人の女性が被害事実を申告し、そのうち46人が公開証言に応じた」。しかし、北朝鮮も慰安婦被害者が高齢で死去したことにより、現在「生存者は10人未満」の状況だ。ところが、金教授は最近、日朝関係が“断絶”した状況で、「朝鮮の被害事例はよく知られず、関連論文も多くない」と指摘した。南北が連帯して活動すれば、韓国がこのような日本の被害事実を伝える“通路”になることで、日本の真の謝罪を導くのにさらに強い力を発揮できるはずだが、南北関係も最悪の状況で、このような努力もほとんど行われていない。
許明哲・中国延辺大学民俗学研究所長//ハンギョレ新聞社
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こうした状況で、朴槿恵政権が安倍政権と個別に「12・28合意」をしたことについて、参加者たちは軽率だったと指摘した。延辺大学民族学研究所の許明哲所長は「慰安婦被害問題は決して韓日間に限られた問題ではない」とし、「韓国は今後、慰安婦被害者の国際連帯決議案などが提出されたら、独りで棄権し続けるということなのか、理解に苦しむ」と話した。慰安婦被害国が南北だけでなく、中国、台湾、インドネシア、フィリピンなど日本が占領した15カ国に達する状況で、“被害者の連帯”にもっと努力せずに合意したのは、被害者の声を自ら殺してしまう大きな失策ということだ。
立命館大学文学部の庵逧由香教授も「慰安婦問題は国際社会で関心が大きな事案だから、日本の右翼の攻撃も集中している」とし、「被害者が完全に不在な“12・28合意”が次期政権でどうなるか、興味深い」と話した。12・28合意が慰安婦問題の解決で最も重要な「被害者の治癒」精神を疎かにしたのではないかという指摘だ。
だとしたら、これからどうするのか。「疎通・治癒・統合」という観点で連帯を強化していく必要があるというのが参加者たちの共通の指摘だ。許明哲所長は「慰安婦問題は、個人の痛みであるだけでなく、被害を受けた民族の痛み」として、被害国間の積極的な連帯を提案した。
庵逧由香・立命館大学教授//ハンギョレ新聞社
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そのカギとなるのは、やはり南北の連帯だ。康成銀教授はこれと関連し、慰安婦被害者ハルモニのキム・ボクトンさんが2014年6月3日、東京の朝鮮大学校を訪問して行ったある講演を主要な事例として提示した。当時、キムさんは同年5月31日、東京で開かれた「第12回日本軍『慰安婦』問題'アジア連帯会議」に出席した後、朝鮮大学校で講演した。当時、キムさんは、学生たちに「我々と同様の被害者を出さない、戦争のない世の中を作ってほしい」と訴えた。康教授は、これに対して、ある女子学生が「ハルモニの意思を受け継いで“同志”として戦い、いつか先代の恨みを晴らすことができればと思う」という感想を明らかにするなど、学生たちが「ハルモニを慰めようと思っていたことに、むしろ元気をもらった」ような雰囲気だったと伝えた。
慰安婦被害者と関連した南北連帯は、このように被害者を慰めると共に、日本から真の謝罪を引き出す大きな力になると期待される。
キム・ボグン・ハンギョレ平和研究所長(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
韓国語原文入力:2017-01-04 18:10
釜山の日本領事館前「平和の少女像」強制撤去
28日、韓日慰安婦被害者合意1年に合せて釜山市民が設置
釜山東区は4時間後に少女像強制撤去、警察は13人を連行
ソウル旧日本大使館前では今年最後の水曜集会開催
28日午後、釜山東区草梁洞の日本領事館前に「平和の少女像」を設置した後、撤去を阻むため連座座り込みを行う「未来世代が建てる平和の少女像推進委員会」所属の市民を管轄地方自治体である東区庁職員らが引き出している=釜山/聯合ニュース
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韓日政府による日本軍「慰安婦」被害者問題関連12・28合意の1周年である28日午後、釜山東区(ドング)草梁洞(チョリャンドン)の日本領事館前に、釜山の市民たちが「平和の少女像」(少女像)を設置したが、釜山東区庁と警察が4時間後に少女像を強制撤去した。市民は「日本の警察官、日本の公務員たちか」として反発した。
釜山の青少年・学生・芸術家などが集まって作った「未来世代が建てる平和の少女像推進委員会」(推進委)の会員100人あまりは28日昼12時から釜山東区草梁洞の鄭撥(チョンパル)将軍銅像前で「日本軍性的奴隷問題に対する日本政府の公式謝罪を要求する水曜集会」を開いた。続いて日本領事館に抗議書簡を伝達し、昼12時40分頃に日本領事館前の歩道にリフト車を動員し重さ1トンほどの少女像を下ろした。管轄地方自治体である東区は少女像が道路法の「道路を占用できる工作物と施設の種類」に該当しないという理由で建設を許さなかった。東区は午後3時30分から少女像を取り囲んだ市民に解散を命じ、午後5時頃に少女像をトラックに載せて他の場所に移した。警察は少女像の撤去を阻もうとした13人を公務執行妨害の疑いで連行した。
推進委は少女像撤去に抗議するろうそく集会を鄭撥将軍銅像付近で午後7時30分から開いた。推進委関係者は「少女像が日本領事館前に建てられる時まで、ろうそく集会を開く」と話した。
これに先立って推進委は、昨年の12・28合意以後「平和の少女像建設は私たちの歴史を正しく立て直し被害者の名誉と人権を守る価値ある闘いだ」として、少女像建設のための市民寄付8500万ウォン(約830万円)を集めた。10月には日本領事館前の歩道に少女像の設置を許可してほしいという釜山市民8100人の署名を東区に提出した。この日、ソウル鍾路区(チョンノグ)の旧日本大使館前では約2000人が参加して今年最後の水曜集会が開かれた。参加者は今年亡くなった「慰安婦」被害者7人の遺影に花を捧げて黙祷した。
市民は慰安婦被害者7人の遺影を持って外交部前に行進した。キム・ボクトンさんは、外交部に向かって立って「大統領が道を誤れば、首が飛ぼうが止めるべきなのに、大統領の言葉だけ信じて言われたとおりにするのか。朴槿恵(パク・クネ)、ユン・ビョンセは今日にも退陣しろ」と叱責した。主催側は「韓日合意無効、朴槿恵・ユン・ビョンセ辞退」を主張する書簡を朗読した。
慰安婦被害者11人と、亡くなった被害者6人の遺族は日本政府に直接、法的責任を問い賠償を請求するためにソウル中央地裁に日本政府を相手どり損害賠償請求訴訟を提起した。韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)は、日本軍慰安婦被害生存者は現在39人だと明らかにした。
釜山/キム・グァンス記者、コ・ハンソル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
国定教科書、草稿で「親日は日本の強要により不可避だった」という詭弁
国史編纂委員会の草稿検討意見書を分析
李承晩の長期政権「優秀なリーダーシップ」と表現
セマウル運動も功績だけに偏った記述
露骨な親日・独裁美化を試みたと確認
国編、検討後2025件の修正要求
特委「学校で使用できない不良品レベル」
제주4·3희생자유족회는30일오전제주도의회도민의방에서기자회견을열고제주4·3사건서술축소·왜곡논란이이는정부의국정역사교과서를규탄했다.유족회는 교육부를항의방문하고이번주말 박근혜 정권 퇴진을 촉구하는 촛불집회에참가하겠다고밝혔다=허호준기자//한겨레신문사
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国定教科書の執筆陣が原稿本(草稿)で「維新憲法が民主化運動の憲法的根拠になった」などの記述をしただけでなく、親日行為は日本の強要により仕方なく行われたと記述しようとしたところ、国史編纂委員会(国編)によってブレーキをかけられたという事実が明らかになった。
共に民主党の歴史教科書国定化阻止特別委員会は1日、国編から提出された「国定教科書原稿本検討報告書」を分析した結果を発表した。この報告書には原稿本の内容は書かれておらず、該当ページと「修正勧告事項」、「理由または根拠」が書かれている。
分析結果によると、国編は中学校の「歴史2」原稿本の親日派の記述について「現在の記述は一部の有力者の親日反民族行為が日本の一方的な強要によってのみ現れたというように誤解される素地が多分にある。親日行為の自発性についても言及する必要」と指摘し、「植民地支配や侵略戦争に積極的に協力した一部の韓国人の親日反民族行為があったことに留意する」という編纂基準を根拠に提示した。執筆陣は親日派の議論のある作曲家の作品を民族独立の意志の表現として記述しようとして指摘されたこともある。国編は「安益泰(アン・イクテ)の『韓国幻想曲』作曲を民族独立の意志の表現だと評価できるか検討が必要、親日派議論があるため記述に慎重になる必要」と意見を出した。光復(解放)以後の朝鮮半島の経済的困難に対する執筆陣の記述は、国編から「光復以後の経済生活の困難を、南北の産業施設の偏重性、食糧問題とインフレーションなどについての言及もなく、日本人技術者の(自国への)帰還などで説明するのは不適切」という指摘を受けた。
李承晩(イ・スンマン)政権についても否定的な部分を最小限に記述しようとして国編から修正要求を受けた。国編は「3・15不正選挙について内務部・警察動員など政府介入と反対デモの要求事項を明示すること」を指摘し、その理由として「3・15不正選挙に対する李承晩政権の責任を明確にしなければ、4・19革命と李承晩大統領の下野が説明されない」と明らかにした。さらに「3選改憲と長期執権は自由民主主義の秩序の毀損に対する問題であり、李承晩大統領のリーダーシップの問題に局限することはできない」という意見を出した。
執筆陣はまた、朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代を「維新体制の誕生」というタイトルで美化し、セマウル運動について成果だけを記述して修正要請を受けた。高校の「韓国史」原稿本について国編は「誕生という小見出しを修正し、独裁という表現をはっきりと明記すること」、「長期執権による独裁化で民主化の試練の過程を補完して記述すること」、「セマウル運動の成果だけでなく限界も指摘すること」などを要求した。執筆陣は中学校の「歴史2」で1997年の通貨危機の原因として「ストライキ」を取り上げ、国編から修正要求を受けてもいる。
この他にも検討報告書には「学界で通用する用語として見なせない」、「中学校の原稿と同一である」、「従来の教科書の資料を利用しないこと」などの意見が多数繰り返されている。中学校の「歴史」原稿本について国編は「高校韓国史(ミレエヌ編)250ページの段落と非常に類似し、盗作疑惑が提起される可能性がある」という指摘もした。
この検討報告書は5月、国編研究官24人が時代別に6つの分野に分け、各4人ずつ担当して作成した。中学・高校の3冊の検討意見は計2025件に上る。共に民主党の歴史教科書国定化阻止特別委員会は「5月に最初に作られた教科書には親日・独裁美化の傾向がもっと露骨だったという事実が確認された。検討意見で2025件を指摘されたというのは、いくら直したとしてもこの教科書が学校で使用できない不良品レベルであることを証明している」と強調した。
キム・ミヒャン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
[ルポ] 平等と連帯の階級「海女」
私たちが知らなかった済州海女のすべて
済州市朝天邑朝天里近海で漁をして、サザエ、アワビなどを獲る海女。2000年代初めの風景だ=海女博物館提供//ハンギョレ新聞社
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海女、酸素ボンベも持たずに素潜りで海に入る。一度の息で吸い込んだ酸素が、からだの中にみな溶けて流れる時まで、海底を探ってサザエ、アワビ、タコを引き上げる。それで海女は「孤独の精霊」だ。水面上で吐き出す呼吸で彼女たちは生きていることを感じる。
海女は韓国各地にいる。だが、私たちの心の中の海女は、済州(チェジュ)にいる。韓国政府と済州道がユネスコ人類無形文化遺産登載を推進している海女も済州の海女だ。正確には「済州海女文化」だ。大きな島に居を定めて、荒々しい海で命がけで漁をして、堂々とした人生を受け継いできた済州の海女は、独特の共同体文化、両性平等の主体者だ。文化人類学者らは、済州の海女を「女性生態主義者」と呼ぶ。
技量の優れた上群の指示には従うが
具合が悪くて漁に出られなかった人の取り分を用意し
高齢者は専用「ハルマンパダン」で配慮
自分の限界を越えた欲望には常に警戒
貧困と戦い、日帝に抵抗
済州市(チェジュシ)翰京面(ハンギョンミョン)に暮らす海女パク・ヤンスクさん(71)。「故郷はない」と話す。海女漁に出た母親は船で彼女を産んだ。3男5女の長女である彼女は、15歳で海女漁を始め弟妹を育てた。結婚後には栽培をする夫のゆとりがない収入の助けにと漁に通った。そんな風にして家族の生計を維持してきた。
済州のことわざに「海女は赤ん坊を産んで3日すれば水に入る」というのがある。済州の海女の歴史は貧困との戦いそのものだった。
家族の命の綱とも言える海女漁はいつ頃始まったのだろうか?「三国史記」、「高麗史」には「ソムナ(耽羅・済州)が夜明珠(夜でも光る珠)を進上した」という記録が残っている。学者はこれを根拠に、三国時代以前から海女がいたと見る。朝鮮時代、漁をする海女は潜女(チャムニョ)、潜手(チャムス)と呼ばれた。男の潜水夫もいた。彼らは浦作(ポジャク)と呼ばれた。
生計と進上の責任がそっくり海女に転嫁されたのは朝鮮末期だ。朝鮮末期には、戦乱を避けて他地域に逃げたり海で死ぬ男たちが増え、済州の男の数は激減した。海女だけが漁をすることになったのもこの頃からだ。
元々は海女は済州島の外で操業することはできなかった。ところが1876年に日本と結んだ江華島(カンファド)条約以後「出稼ぎ漁」(他の地域に行って収入を上げる漁)が可能になった。相手国の海で操業できるという条項が入れられたこの条約を根拠に、日本は済州の海に潜水士を投じた。日本が雇用した潜水士は、禁漁期間にも漁を止めず、海産物を総取りした。漁場は荒廃した。生計が不安定になった済州の海女は、島外に目を向けるほかはなかった。済州の海女は1895年に釜山で初めて出稼ぎ漁をした。その後、朝鮮半島の南側、日本、中国の大連、青島、ロシアのウラジオストックにまで進出した。最盛期には出稼ぎ漁をする海女が4千人余りに達した。1930年代には独島でも漁をした。
日帝は1904年に露日戦争が勃発すると、火薬の原料であるカジメを確保するために済州の海女を絞り取った。海女の権益を守るために作られた海女組合は、日本と手を握って海産物の買い入れ価格を激しく値切り、すべての女性を強制的に組合に加入させ、組合費をむしり取った。
海女たちは抵抗した。青年知識人が運営する夜学に通い、目方の量り方、読み方、ハングル、私たちの歴史などの民族教育を受けた一部の海女を中心に、生存権闘争が始まった。1932年1月、島の東側の下道里(ハドリ)、終達里(チョンダルリ)、細花里(セファリ)、始興里(シフンニ)、吾照里(オジョリ)、牛島(ウド)の海女1千人余が立ち上がった。「済州潜女抗争」の始まりだ。海女のキム・オンニョンらは、日本の横暴と収奪に対抗する海女会を組織した。人が多く集まる五日葬を利用して、ホミやピッチャン(アワビを獲る時に使う鎌やカギ)を手に、大規模示威を続けた。捕えられた海女はひどい拷問を受けた。だが、海女たちの抵抗は一層大きくなった。計238回、延べ1万7千人余りの海女が抗争に参加したという。海女の抗争は1930年代に済州で起きた抗日運動の中でも最大規模のものとして記録されている。
海女の危機は1970年代中盤に再び訪れた。内地でワカメの養殖に成功し、命をかけて採取してきたワカメの価格は大幅に値崩れした。収入が減った海女は、ミカン畑の働き手になったり、観光業に転業した。この頃に普及したゴムの潜水服は、海女1人当りの作業時間を増やしたが、海女の減少は防げなかった。1965年に2万3081人(済州女性人口の21.2%)だった海女の数は、1975年には8402人に急減した。2013年には海女の数が4574人に減った。
高齢化も深刻だ。2013年基準で50歳以上の海女は、海女全体の98%と調査された。60歳以上の海女の比率も81.5%に達する。
済州市朝天邑朝天里近海で漁をして、サザエ、アワビを獲る海女。2000年代初めの風景だ=海女博物館提供//ハンギョレ新聞社
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ハルマンパダン、プルトク民主主義、ムルスム
海女は鯨のような大きな海の生物は恐れない。海女たちが本当に恐れるのは、網、釣り糸、碇だ。からだが引っかかり抜け出すことができなければ命が危うくなる。如何に老練な海女でも、海草にからだが巻かれれば一人で抜け出すことはできない。水中メガネが割れようものなら、陸に出る道も分からなくなる。海女を助ける「スーパーマン」は、同僚の海女しかいない。それで海女は一人では漁をしない。互いに頼って、規律が厳しい共同体文化を作ったのは、このような現実が影響を及ぼした。
海女にも階級がある。息の続く長さと潜水できる深さにより上群、中群、下群に分かれる。潜水時間は普通1分以内だが、上群は2分以上息を止めて15メートル以上も潜っていく。上群のうちでも人望があつく技量が傑出した海女は大上群と呼ばれる。中群は8~10メートル、下群は5~7メートルの深さの海が仕事場だ。海女志望生や潜水能力が低下した老いた海女は糞群と言われ水深5メートル未満で作業する。
上群の指示はきわめて厳粛だ。60代の下群海女が年齢を盾に40代の上群海女の指示を無視することはない。許可無く1センチでも先に海に入れば罰を受ける。6~9月の禁漁期を守らずに海に入っても同じだ。収穫した海産物も上群の指示により分ける。
能力中心の階級だが、この関係には平等と弱者に配慮する哲学が隠れている。収穫物を分ける時は、具合が悪くて漁に出られなかった海女の取り分も残す。年上の海女が息が続かなくなり体力が低下して糞群になれば、水深の浅い「ハルマンパダン」(ハルモンは済州島方言でハルモニ・おばあさんのこと、パダンは海底を指す)に行く。他の海女はそこへは入らない。ハルマンがお小遣でも稼げるようにしようという配慮だ。
済州市(チェジュシ)朝天邑(チョチョンウプ)朝天里(チョチョンリ)近海で漁をしてサザエやアワビを獲る海女。2000年代初めの風景だ=海女博物館提供//ハンギョレ新聞社
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海女の「プルトク民主主義」は、研究者にとって興味深い素材だ。プルトクはかつて海女たちが服を着替えたり、火を焚いて凍えたからだを暖めた所だ。海に入る前、海女はここで波や水温、採取する海産物、潜水領域などを議論して決めた。潜水技術を伝授する場所でもあり、1年に2~3回行う海の清掃「ケッタッキ」日もここで決めた。1985年以後、現代式の更衣室が設置され、プルトクは徐々になくなり、現在は20個所余りだけが残っている。
海女が作業する時に海辺を歩けば、「ホーイ、ホーイ」という声を聞くことができる。海女が水面に浮び上がって、こらえていた息を吐きだす時に出す「息の音」、海と陸地を分ける境界の音だ。「ムルスム(水息)」とは自身の息の限界を越えた海の息という意味だ。海女が水息を飲めば、それはすなわち死を意味する。自分の息の限界を忘れて、目の前のアワビをもう一つ採取しようとする欲望に捕われれば、水息を飲むことになる。それで済州、牛島(ウド)の海女の一生を扱ったドキュメンタリー映画『ムルスム』には「欲を捨てなさい」という言葉がしばしば出てくる。母が米粒をぎゅうぎゅうと噛んで幼い子供の口に入れるように、老いた海女が後輩の海女に言う言葉だ。
「畑仕事は一日中できる。日の出から日の入りまでは長い。海女は自由だ。以前は卑賎な仕事と思われたが、,今は高く評価する社会的雰囲気もあってうれしい」。翰林邑(ハンリムウプ)で会った海女イ・ジョンソンさん(66)は、「生まれ変わっても海女になりたい」と話した。
参考資料「2016済州海女文化アカデミー」、「済州海女生涯史調査報告書」、「ムルスム」、「済州海女」
助言:カン・グォンヨン済州海女博物館学芸士
済州/パク・ミヒャン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
大阪で韓国人相手に無差別暴行
2016年10月12日07時35分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
「大阪を訪問する場合は安全に注意するように」という内容を掲載した駐大阪韓国総領事館のホームページ。(ホームページキャプチャー) |
総領事館によると、5日、観光客のシンさん(46)の家族が道頓堀で暴行を受けた。シンさんの家族4人はこの日午後9時45分ごろ、宿舎付近の飲食店に行っていた。シンさんはインターネットに掲載したコメントで「日本人青年2人が近づいてきて、1人が息子(13)の腹部に回し蹴りをした」と説明した。シンさんも息子を守ろうとしたところ左腕を殴られて負傷した。20代とみられる日本人の青年は暴力を加えた後にも拳を振り回すなどして威嚇した。
シンさんの家族は翌日、総領事館に行って被害を申告した。シンさんの暴行事件が伝えられた後、有名な日本旅行インターネットコミュニティーには「私も道頓堀で暴行を受けた」というコメントが追加で掲載された。総領事館は公示を通じて「道頓堀で夜間に韓国国民が被害を受ける事例が申告されている」とし「夜間に観光地を訪れる方々は安全に特に注意してほしい」と呼びかけた。
大阪の南海電車は10日、「外国人客のお客様が多く乗車し、ご不便をおかけしております」という車内アナウンスをするなど、最近、大阪で外国人嫌悪事件が続いている。
扶余で2200年前の国宝・重文級青銅製遺物を大量発見
管玉と石矢尻 =国立扶余文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社
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太陽光発電施設の建設工事中に発見された約2200年前の土坑墓から国宝・宝物(重要文化財)級の青銅製遺物が大量に発見された。
青銅工具類 =国立扶余文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社
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青銅武器類 =国立扶余文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社
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青銅鈴 =国立扶余文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社
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国立扶余文化財研究所は昨年8~9月、忠清南道扶余郡世道面青訟里一帯の紀元前2世紀頃の土坑墓1基を調査したところ、細形銅剣、牛蒡縞鏡(多鈕細紋鏡)、青銅製鈴(竿頭鈴)などの青銅遺物15点を確認したと3日発表した。 朝鮮半島で紀元前の鉄器時代青銅器遺物は全羅南道和順(ファスン)大谷里(テゴンニ)、全羅北道完州(ワンジュ)葛洞(カルトン)で大量出土した前例がある。 しかし、今回出土した青銅器遺物は武器類、工具類、祭器類など種類が多様で装身具(管玉)、石矢尻まで一緒に出てきた珍しい例なので一層注目に値する。 土坑墓は昨年7月に太陽光発電施設の建設工事中に発見され、研究所が緊急発掘調査を行い遺跡と遺物を収拾した。
忠清南道扶余の紀元前2世紀の土坑墓から大量出土した青銅器遺物 =国立扶余文化財研究所提供 //ハンギョレ新聞社
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土坑墓は平野に挟まれた低い丘陵の頂上部(海抜17メートル)にある。 岩盤を約1.5メートル掘り下げ木棺を安置した構造だ。 工事で毀損され現在は一部の土坑だけが残った。 出土した青銅器遺物の相当数は加工状態が精巧な高級品なので、この地域のかつての首長が埋められた墓と見られる。
青銅牛蒡縞鏡の模様面 =国立扶余文化財研究所提供 //ハンギョレ新聞社
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研究所が青銅遺物12点の腐食生成物の鉛同位元素を分析した結果、遺物の原料産地はそれぞれ異なる地域だった可能性が大きいことが分かった。 牛蒡縞鏡は忠清道・全羅道の方鉛石(鉛の原料)鉱山で、青銅製鈴は太白山(テベクサン)盆地境界地点の鉱山で、その他の遺物は慶尚北道と江原道の鉱山でそれぞれ原石を掘り出した確率が高いと研究所側は説明した。 遺物がそれぞれ異なるところで作られたり原料が採取されていることから、交易がなされたと推定される。
出土した遺物は10~11日、扶余研究所で一般公開される。 電話(041-830-5649)で観覧を申し込めば解説士の説明と共に見ることができる。
ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
慰安婦へのおわび書簡 安倍首相「毛頭考えていない」
2016年10月03日15時39分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
安倍首相は3日の衆議院予算委員会で、昨年12月の韓日慰安婦合意の「追加措置」として日本側が慰安婦被害者におわびの手紙を送る可能性があるのかという野党議員の質問に対し、「合意した内容の外だ」とし、このように答えたと、共同通信が報じた。
これに先立ち岸田文雄外相も先月30日、韓国政府が前日に慰安婦に対する日本政府の「追加の感性的措置」を期待すると明らかにしたことに関し、「合意はなされていない」とし「日韓合意は昨年12月に発表された通りで、それ以上でもそれ以下でもない」と述べた。
安倍首相のこうした発言に対し、韓国のネットユーザーからは「日本首相があんな発言をしても、政府はまだ日本が慰安婦問題について謝罪したと考えるのか」「最初から日本当局の謝罪を受けることを考えるべきだったが、どうしてお金を受けたか」「あれが日本の本性だ。朴槿恵(パク・クネ)政権は慰安婦合意で過去の歴史をすべて解決したかのように主張しているが、我々がもてあそばれたと言うべき」「我々も少女像の撤去は毛頭考えていないから期待するな」などの声が出ている。
あるネットユーザーは「安倍首相はただ『考えていない』と話すこともできるのに、わざわざ『毛頭』と強調したのは、自分の支持層である日本極右勢力に対するリップサービスということ以外に解釈することはできない」とコメントした。
日本の外相、韓国側の慰安婦問題追加的措置への言及に関連し「一切合意されていない」
2016年09月30日17時08分 [ⓒ 中央日報日本語版]
30日、時事通信など日本メディアによれば岸田外相はこの日の会見で「日韓合意は昨年12月に発表した以上でも、以下でもない。その追加的な措置は一切合意されていない」と明らかにした。
趙俊赫(チョ・ジュンヒョク)外交部報道官はこれに先立ち前日に日本国内の民間団体が安倍首相名義のおわびの手紙を慰安婦被害者に送ることを要求したことについて「日本側が慰安婦被害者
一刻も早く遺骨を遺族のもとへ/東京・祐天寺で朝鮮人戦争犠牲者追悼会
「浮島丸事件」(1945年8月24日)などで犠牲になった朝鮮人の遺骨が安置されている東京都目黒区の祐天寺で24日、第28回朝鮮人戦争犠牲者追悼会が挙行された。
会場には、金昌鎮、小林喜平、鈴木公一、梁大隆さんら追悼会世話人と、東京朝鮮人強制連行真相調査団関係者、総聯関係者をはじめとする同胞、「浮島丸事件」時に乗船していた小野寺和一(87)をはじめとする日本市民ら約40人が参加した。
祐天寺に安置されている遺骨は、1970年に厚生省(当時)から祐天寺に移管され、現在、本籍が朝鮮半島南部の275体(すべて「浮島丸事件」のも の)と本籍が朝鮮半島北部の425体(このうち5体が「浮島丸事件」のもの、4体がB、C級「戦犯」刑死者)の計700体の遺骨が安置されている。国家間 交渉により、南には2008年1月から2010年5月まで4回にわたり、遺族が判明しない遺骨(219体)を含む423体の遺骨が返還されたが、北には1 体も返還が実現されていない。
この日まず、法要が営まれ、住職が読経するなか、参加者たちは犠牲者の冥福を祈り、焼香した。
追悼会では、主催者を代表して世話人の金昌鎮さんがあいさつし、「最近の政治は71年前のずさんな戦争を忘れて、そこに1歩2歩近づいているように感じる」と警鐘を鳴らし、絶対に戦争が起こらない平和な世界にしようと呼びかけた。
続いて、青木英二・目黒区長、厚生労働省、「浮島丸殉難者を追悼する会」から寄せられたメッセージが紹介された。
その後、追悼会では参加者3人が発言。日韓合同授業研究会の藤田直彦さんは、犠牲者たちが誰で、どこでどのように亡くなったのかを明らかにしないこ とは、その者の存在をないことにしていると強調。「日本政府がきちんと事実を明らかにし謝罪することが大事だ。祐天寺の遺骨一つひとつが遺族のもとに帰る ことを願う」と語った。
東京朝鮮人強制連行真相調査団事務局次長の金哲秀さんは、2004年、南北の遺族を招き祐天寺で追悼会を行う際、北側の遺族2人が日本政府から実質 的に入国拒否されたことについて触れながら、「遺族は今でも当時のことを思い出している。この問題は一刻も早く解決しなければならない」と語った。
東京都歴史教育者協議会会長の東海林次男さんは「このような追悼が今後、新たに生まれないような社会をみんなで築いていこう」と呼びかけた。
1回目から追悼会に参加している山村茂雄さん(84)は「祖国に帰ることのできない遺骨が、どんな思いでいるのか」と思いを馳せ、「(遺骨は)故郷に戻ったほうがよい」と語った。
1回目から追悼会に携わっている世話人の鈴木公一さんは「加害の歴史を日本の人たちに知ってもらおうと私を含めた日本人有志3人で始めた」「返還も 謝罪も追悼も日本人の責任だ」と語った。また、鈴木さんは5、6年前から追悼会に参加する若者が少なくなっていることを憂慮している。
そんななか、今回初めて参加したという留学同西東京の金誠明さん(22)は、戦争により朝鮮人がどんな辛い思いをしてきたのかを改めて感じたとし、「年配の参加者が多かった。(若い世代が)歴史を忘れず、引き継いでいかなければいけない」と語った。
追悼会の後、懇親会が行われた。
「浮島丸」が爆沈した京都府と、出港した青森県でも追悼会が行われた。
(高英俊)