もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

わたらせ渓谷鉄道

2021年10月30日 | 鉄印帳

第三セクターでは、日本最大の路線長を誇る三陸鉄道だが、今回は釜石でJR釜石線に乗り換でおさらば。

 

製鉄の街釜石、新日鉄釜石ラグビー部が日本選手権7連覇した栄光も過去のものか?
釜石駅前も、ひっそりと息を潜めているようだ。

 

此処から広島まで乗り継ぐ超ロング区間の切符を利用する。
釜石線(釜石))⇒(花巻経由)東北本線(仙台)⇒東北新幹線(仙台)⇒(小山)両毛線⇒(桐生) 途中「わたらせ渓谷鉄道」乗車を挟んで (桐生)⇒(高崎)新宿湘南ライン⇒(横浜)横浜線⇒(新横浜)東海道新幹線⇒(名古屋) 途中「中央西線」恵那経由「明智鉄道」乗車を挟んで (名古屋)東海道新幹線⇒(新大阪)山陽新幹線⇒(広島)芸備線⇒(玖村)

乗り鉄の旅で全国行脚を続けるオイラにとって、最長の1枚切符となった。

 

連日テレビで熱い報道がなされる大谷選手の母校がある花巻市駅で乗り換え。
もっとも彼の出身地は水沢らしい。

いろいろ工夫された駅の表示に出会うが、知らない土地では迷うことが多い。
東北本線一ノ関駅の表示はシンプルで分かり易く、大変気に入った。

 

東北本線と言っても、一ノ関駅1日の運行本数はこれだけですよ!
鈍行列車を乗り継ぐ旅は、新幹線が開業するたびに難しくなって行く。

 

両毛線桐生駅で途中下車し「わたらせ渓谷鉄道」に乗車する。

 

何の変哲もない「わたらせ渓谷鉄道」の車両。

 

此処でも大変分かりやすい表示に出会い感激。

 

途中駅の「相老駅」、相生町なのにあえて「相老」は何故だろう?
年寄りにはちょっと堪える駅名だった。

 

鉄印の旅も過半の路線を乗車し終えたが、駅構内や駅前に「鉄印帳」の宣伝がある駅に初めて出会った。

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三陸鉄道

2021年10月29日 | 鉄印帳

秋田新幹線と在来の田沢湖線が、同じ軌道を走る不思議な光景を間近で見た。

オイラが乗車する在来の田沢湖線は左側の軌道を走る。
対向する線路には秋田新幹線の「こまち」が入線してきた。
一般的にはJRの在来線は狭軌で、新幹線は標準軌と聞いていたが、此処では両方とも標準軌だった。

 

オイラが乗った田沢湖線の列車はこの表示。
後で確認したら標準軌の台車に乗った、在来線用の車両であることが分かった。
納得!

 

18時過ぎ盛岡駅で田沢湖線から山田線に乗り継ぎ宮古駅に向かったが、3駅目の上米内駅に留まったまま一向に動く気配なしとなった。
数分後車掌から、離合する対向車線の列車がクマと衝突して、復旧のめどが立たないとアナウンスがあった。
結果的には40分程度の遅れで、上米内駅から宮古駅まで代行タクシーで移動することになった。
残された乗客はオイラを含めて僅かに3人、夜中に運賃27,000円のタクシーでの大移動だった。
一時は後の計画は変更必至と思われたが、ほぼ予定の時刻に宮古駅に到着出来て、思わずバンザイ!
さすがJR東日本。旧国鉄体質が厳然と残るJR○○だったらどうなっていただろうか?

 

翌朝、気分爽やかに三陸鉄道宮古駅へ行くと、駅は移転しましたの張り紙。
ナントJR宮古駅と同居になっており、社員も一緒になってお客様に対応している。

 

左奥がJR山田線(運行停止中)、お客様がいっぱいの手前が三陸鉄道。
なんてったって三陸鉄道の方がJRの山田線より、運行本数は断然多いのだ。

 

車窓には至る所に真新しい防波堤や水門が見られる。

 

ふっと気が付くとこの駅表示が見られた。
三陸鉄道に乗車するのは3度目だが、初めて目に留まった。
本州最東端の駅ですって…

 

「海の見える海岸がひろがります」の車内アナウンスがあり、この景色が見られた。
震災前はどこでも見られた三陸海岸の美しい光景は、ほとんど防潮堤に遮られてしまったのだ。

 

鉄印帳の背景にある景色は今では本当に貴重な財産となっています。

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秋田内陸縦貫鉄道

2021年10月28日 | 鉄印帳

角館駅始発の秋田内陸縦貫鉄道、何か期待できそうな予感。

駅の佇まいが余裕を感じさせる。
遊び心があるとでもいうのかな?

 

でもこの看板はさすがにいただけない。
始発駅らしく、駅舎に負けないよう早急に取り替えを進言します。

 

ここでもトクトク切符が用意されていました。
角館⇔阿仁合温泉間の片道運賃は1,360円なので、往復だは2,720円となるが、ナント1,500円でした。

 

角館を出発して間無しに、茅葺の曲がり家が現れました。
東北の内陸に来た感がいっぱい!

 

列車は結構垢抜けたデザインだと思うけどどうでしょう。

 

珍名駅もあるでよ!
アイヌ語の「オ・カシ・ナイ」で「川岸に小屋のある川」と言う意味らしい?

 

一番の見所はこの渓谷だとアナウンスされたが、違うのではないですかと言いたい。

 

この山容が一番の絶景と思います。
「秋田駒ケ岳」名前の通り、完全な馬の鞍型が遠望できます。

 

野生の獣が潜む感じの里山風景が車窓に続き…

 

この駅名が登場しました。
マタギの里なのでしょう。

 

これが鉄印帳です。

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角館

2021年10月27日 | 歴史探歩

次のターゲットは田沢湖線から枝分かれする「秋田内陸鉄道」だが…

秋田駅前に奇妙な構造物が立ち並んでいる。
近付いて確認すると、ナント木造のバス停留所の風雨除けだった。
自慢の地産秋田杉を使ったユニークな構造物だ。

 

もう一つ秋田駅構内で見付けたのがこれ…
数段の段差をカバーする「動く歩道」
わずかな傾斜だが、健常者にとっては体のバランスが崩れて乗り心地は悪い。

 

鉄印帳記帳の旅だが、運行本数に限りがある第三セクターだから、待ち時間が結構ある。
角館起点なので、徒歩数分の武家屋敷跡を訪ねる。

 

まずは腹ごしらえだが、あちらこちらで目に付く、秋田名物「稲庭うどん」を頂く。
付き出しのハタハタの煮物と、膳の端にある「いぶりがっこ」でまずは一杯!
季節外れの暑さに負けて、冷やし稲庭うどんにしたがこれは間違いだった。
やっぱり暖かいのが一番。

 

武家屋敷街入り口にこの建物、病院らしいが景観には相当のダメージを与えている。
何処にもこのような光景が見られるのは残念。

 

こちらは何の違和感もなく街路に溶け込んでいる人力車。
平坦で車の往来もほとんどない、この地に相応しい乗り物だと感心した。
コロナかにめげずにこの日も、実際何十台もが走り回っていた。

 

立派な冠木門の武家屋敷。

 

角館一の石黒家屋敷は、現在も当主が住んでいると聞いた。
欄間の透かし彫りが、壁に投射されてよい雰囲気。

 

こちらは茅葺屋根に庇付き、棟には鰹木?が乗っている。
維持管理など話を聞きたかったが、入場規制中で叶わなかった。

 

角館と言えば桜の名所、春にはこの河原に狂気の人出が現出する。
桧木内川だったっけ? 今は紅葉前で誰も訪れる人はいない。

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由利高原鉄道

2021年10月26日 | 鉄印帳

出羽三山の修行?を終えて、鉄印帳の旅に戻る。

 

ちょっと気になった米坂線米沢駅のホームの表示。
弱者優先なのでしょうが、少し違和感があるのも事実。

 

只今山形新幹線に乗車中ですが、離合のため某駅に停車中。
此処を特急つばさ号が走っているのですぞ!

 

羽越本線羽後本荘駅から矢島駅まで由利高原鉄道で向う。

 

サクランボがウリだった山形県から、「おばこ」を見ると秋田県だなぁ!

 

往復切符を求めたところ、1日乗り放題のこの切符を進めてくれた。
運賃は片道610円、往復1,220円のところ830円と超お得、やったね!

 

鳥海山ろく線、羽後本荘駅の線路に敷き詰められた木の板。
なんの目的か分からないが珍しいのは事実。

 

第三セクターらしからぬ、小綺麗な駅舎が多い由利高原鉄道。
なんか楽しいことがありそう!

 

終着矢島駅に到着、期待通り瀟洒な駅舎で、落たショップも併設されている。

 

定番印刷済みとダイレクトに記帳してくれる2種類の鉄印があるとのこと…
勿論その場で記帳してくれる方を選んだ。
着物姿の麗人「まつ子先生」が、達筆で記帳してくれた鉄印がこれ。
まつ子先生は、ショップのオーナーでもあります。

 

満たされた気持ちで帰りの発車を待っていた時、窓の外から声がかかり「まつ子先生」が…
記帳して戴きながら交わした会話の後、広島から訪ねた爺さんを心優しくねぎらってくれました。

由利高原鉄道 鳥海山ろく線、これまで訪ねた第三セクターの、どのどの線より、どの駅より好きになりました。

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米沢城址

2021年10月25日 | 歴史探歩

出羽三山の修行?に続いて米沢で歴史探訪。

 

米沢駅から歩いて米沢城址を目指す途次、偶然見つけた米沢市の道路元票。

 

米沢城に向かう大手道。
何処の御城下より立派に整備されていると思うがどうだろう。

 

米沢藩初代藩主は上杉景勝、秀吉により越後春日山城から減移封されて米沢入り。
上杉謙信は生涯妻帯しなかったため、姉の子を養子として迎えたのが景勝である。

上杉謙信、毘沙門天の生まれ変わりとして、生涯女性を近づけなかったのは立派?

だが米沢に伝わる上杉家の名君は、第9代城主上杉治憲(鷹山)である。

 

碁盤目状の町割りと、幾重にも巡らされた堀が整然と配置されている。

 

幅50メートルを超えると思われる内堀、大城郭の趣である。

 

内堀に面した武家屋敷風の門、下見板張りの粋な黒塀に松が映える。

 

本丸内に残る碑も、やっぱり鷹山だった。

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出羽三山Ⅴ 月山

2021年10月24日 | 歴史探歩

前日雨の中、石の参道を2446段を登って、出羽神社を参拝したダメージが脚に残っていないかと心配したが、とりあえずは大丈夫みたい。

出羽三山の内残るは月山のみ、最終日で旅の終わりも間近、名残惜しさが朝からちょっぴり…
この景色は怒涛逆巻く日本海ではなく、月山八合目から下界を臨んだら雲海だったのです。

 

この日は羽黒山とは別の山伏ガイドが名調子で、紅葉と高山植物と月山の蘊蓄をたっぷり…

 

木道のその先に月山が姿を見せていたが、この日も小粒ながら絶え間なく雨粒が降り注ぐ。
誰が悪いのか、石段登りと山歩きの両日とも本降りの雨。
月山が遥拝できたのは奇跡的と言って良いのだはないか?

 

月山八合目一帯は高山にある湿地帯で、地元では尾瀬沼に匹敵する美しさと豪語する。
草紅葉の中に池塘が散在する光景は、標高1500m地帯とはとても思えない。

 

すっかり落葉して実だけになったナナカマド。

 

月読命を祀る月山中宮神社、寄棟、妻入りの神社はすでに閉じられて冬籠り。
出羽三山をすべて参詣したが、運悪く此処では御朱印を戴けなかった。

コロナ禍で例年より早く閉じられたようで、少し残念な気持ちになった。
過去、死後、夜の世界を差配する月読命にも意を通じたかったなぁ~。

でも幾ら豪雪地帯とは云え社殿の屋根が瓦棒とは、ちょっといただけません。

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出羽三山Ⅳ 羽黒山

2021年10月23日 | 歴史探歩

現生御利益の旅は、羽黒山随身門脇から山頂までの1.7キロの参道歩きから始まる。

修験道を極めた山伏の案内と聞いてちょっぴり緊張していたが、意外に穏やかな顔つきの山伏にちょっと安心。

 

参道脇を流れる秡川は清冽そのもの、神域に立ち入った感、満載である。

 

昨夜、荘厳さに胸を打たれた五重塔は普段の姿に立ち帰っている。
素木造り、杮葺き、方三間、ありのままの佇まいがそこにあった。

 

お世辞にも素行が良いとは言えないオイラ達を、羽黒山は本降りの雨で歓迎してくれた。
テレビなどでお馴染みの羽黒山参道、こんな階段道なら「へっちゃら」だ。

 

樹齢300年~600年とも伝わる巨老杉が参道脇に迫り、参詣者を異次元の世界へ誘う。

 

一の坂、二の坂、三の坂、みんな強敵だった。
急勾配、加工の荒い自然石、一段毎の高さがバラバラ、さらに踏み面の幅が狭い四重苦の上、雨ですからね。
それにしても案内の山伏は急勾配に喘ぐこともなく、淡々とガイドを続けていた。脱帽!

 

1時間弱で登り切ったそこに、茅葺き、入母屋造り、向背付の三神合祭殿があった。
標高が1,500メートルを超える湯殿山と月山は冬季閉鎖されるため、冬の時期は三神を祀っている羽黒山にお参りして、三山を参拝したこととしている。

 

羽黒山も元来、神仏習合なので四足門の大鐘が残されていた。
明治政府の弾圧を逃れて、よくぞ生き残ったものである。

 

この御朱印で三山のお参りが済んだことになった。

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出羽三山Ⅲ 羽黒山五重塔

2021年10月22日 | 歴史探歩

出羽三山の内、現生御利益を叶えてくれる羽黒山へ夜間参拝に出掛けた。

 

随身門から足元に注意しながら、御利益を求めて参道を進む。

 

下り参道の上、石段の歩幅が狭く、ライトアップされているとは云え足元不安。

 

樹齢600年にも及ぶ老杉が生い茂り、荘厳な雰囲気を醸し出すところはさすが羽黒山。

 

写真でが幾度となく鑑賞している五重塔が眼前に現れた。
まさに息を飲むとはこのことか? 
言葉がでない。

 

丑年御縁年でもあり、コロナ禍をものともせず、東北地方の山奥に多くの参拝客が…

 

参道の一部はご覧の通り川原石を敷き詰めた箇所もあり、細心の注意をして帰途に着く。

 

午年のオイラも人の子、現生御利益を期待して御朱印を…

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出羽三山Ⅱ 湯殿山

2021年10月21日 | 歴史探歩

いよいよ出羽三山詣りが始まる。
最初は奥の院とも称される「湯殿山」をお参りする。

ガイドの案内で「月山」や「鳥海山」などの山並みを遠望して間もなく、いきなり朱塗りの大鳥居前の駐車場に着いた。

出羽三山縁起
 第32代崇峻天皇が敵対する蘇我馬子に暗殺されると、崇峻天皇の子:蜂子皇子は政争を恐れて東北の地に逃れ、羽黒山と月山を593年丑年に開山したとされる。さらに12年後の605年には湯殿山を開山したことから、出羽三山として人々の信仰を集め、丑年のお参りを「丑年御縁年」と特別の年として崇めてきました。
 長らく仏教寺院として庶民の信仰を集めてきましたが、明治政府の発した廃仏毀釈により、湯殿山神社へと神道への転換を余儀なくされました。因みに御祭神は「大山祇命」「大己貴命」「少彦名命」の三神。

 

駐車場からは小型のシャトルバスに乗り換えて参道を登り湯殿山本宮を目指す。

 

丑年の開山なので牛なのでしょうが、建物と言い、この牛の像と言い、荘厳な雰囲気を感じない。
「語るなかれ、聞くなかれ」と伝わる、修験道の聖地らしくない佇まいは何故。

奥の細道紀行で訪れた松尾芭蕉は、霊山の神秘さに感動して下の句を残したと伝わるが…
「語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな」

 

ありがたいご神体は、この山裾を流れる梵字川の流れのほとりに鎮座している。

 

訪れたこの地はすでに紅葉が始まっていた。

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出羽三山へ

2021年10月20日 | 歴史探歩

首都圏の仲間に誘われて、出羽三山ツァーへ出かけた。

首都圏のお客様が対象の行事なので、当然オイラは前泊での参加となる。
夜の東京は道不案内なので手堅く、よく知った東京タワー近くに前夜の宿をとる。
ここなら集合場所である、東京駅八重洲口まで確実に辿り着ける。

 

東京駅から東と北へ向かう新幹線は実に数多い。
東北・山形・秋田・北海道・上越・北陸+東海道新幹線と7路線もある。

 

今回は山形新幹線の「つばさ」で米沢まで…
東北新幹線の「やまびこ」とペァーで東京を出発し、途中福島から「つばさ」単独運行となる。

 

JR東日本は全体的に、カラフルな装いの車両が多い。
ベニバナとサクランボがデザインされているのかな?

 

2時間ほどで米沢駅に着いた。
米沢牛がお出迎えである。(よその方が牛の前を中々離れないので、ちょっと失礼した)

 

東北地方の穀倉地帯をバスはひた走り。
ほとんどの農家で刈り取りが終わっていた。

 

月山?と思われる頂を捉える。
真っ青な晴天に、ぽっかり浮かんだ雲一つ…(美空ひばりの歌にこんな歌詞があったよね!)

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しなの鉄道

2021年10月18日 | 鉄印帳

コロナの奴めに痛めつけられてずっと家に逼塞していたが、ついに意を決して他県へ出かける。

今回は訳あって他のツァーと途中合流するため、ちょっと工程を組むのが難しかった。
でもこれも一つの楽しみだからね!
広島から新幹線で名古屋経由中央西線特急で篠ノ井まで一気に…
途中お気に入り、善光寺平の愁色を楽しむ。

 

篠ノ井駅で「しなの鉄道」に乗り換えるが、この案内表示にビックリ…
そしてこの画の壁一つ右手を北陸新幹線が走り抜けていく。
これなら無理に「第三セクター化」しなくても良いのにと思ってしまう。

 

しなの鉄道沿線、小林一茶のふるさとは「ハザ」に稲を干すのが主流らしい?
今年も目出度く刈入れが終わったようだ。
豊年だったのかな?

 

これが「しなの鉄道」の標準カラー。

 

でも今だこの色:湘南カラーの車両も健在だ。

 

小諸駅で鉄印帳に記帳を終えて軽井沢に向かう途次、御代田駅でこの表示を発見。
これがあまり売り物にならないのか、塗装がすっかり剥げ落ちている。
この駅の標高は820.43mだと書かれている。

 

善光寺平では秋のうろこ雲が見えたのに、軽井沢は濃い霧が立ち込めていた。
視界がほとんど効かず、秋から初冬の気温になっていた。

 

濃霧を切り裂くように、北陸新幹線の「特急あずさ号」が軽井沢駅ホームに滑り込んでくる。
やがて冷たい雨も降り始めた。

 

しなの鉄道の鉄印は、朱印と同じく直接記帳される本格派でした。

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鞆の浦 令和3年

2021年10月08日 | 歴史探歩

思い立って10年ぶりくらいに尋ねた。

 

遅い出発だったので到着、即お昼の腹ごしらえとなった。
チョットお洒落なヤツが眼に留まったので…

 

鞆の浦の中心にある、沼久前神社門前は秋祭りの準備中。

 

その門前町の一角に、何故か尼子の勇将:山中鹿之介の首塚があった。
尼子(山中家)と言えば、鴻池の先祖ではなかったか?

 

勇壮な「お手火神事」が繰り広げられる、沼久前神社の参道。
今日は人っ子一人いない。

「お手火神事」のお松明、これを氏子が担いで階段を駆け上がる。

 

潮待ち湊、鞆の浦を代表する景色。
多くの北前船が行き交った往時の姿をそのまま残している。
当地の行政長が沖合に橋を架けろと、広島県知事に強談判したのは少し前のことである。

 

北前船の時代から今に残る防潮堤。

 

朝鮮通信使も逗留した対潮楼観音堂の階段に残る「盃状穴」。

 

対潮楼からの絶景!
坂本竜馬所縁の「いろは丸」が、多宝塔のある弁天島を背景に進む。

 

坂本龍馬が「いろは丸事件」の談判をしたのがこの建物?

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