もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

飯山線

2016年09月30日 | Weblog

次の乗り鉄は飯山線に乗車、長野から長岡を結びます。

 

涼しそうに見えるJR長野駅ですが、厳冬期にはどのように感じるでしょうか?

 

長野駅コンコースで見かけた「冬季長野オリンピックのエンブレム」
東京のやつが野暮ったく感じますが…この頃は何も問題がなかったのかな?

 

ちょっと疲れ気味の飯山線列車、これに3時間弱揺られます。

 

映画寅さんの主題歌に出てくる『…いつかは蓮の花と咲く』が思い出されました。

 

飯山線沿いを流れるお供は、大河信濃川です。

 

今度は日本最高積雪地点なる標識が、目に飛び込んできました。
これは何の予備知識もなかったので、本当に唐突でした。

 

コメどころ新潟に入って、こんなものがありました。稲架の一種かな ?

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善光寺Ⅱ

2016年09月29日 | Weblog

それにしても訳が分からない善光寺の成り立ちと生き方。

 

本堂正面から見た姿、このような写真は傾きに細心の注意が必要。何しろ性格が傾いているので…
建物形式は「入母屋造裳階付妻入檜皮葺」となるのかな?

 

妻部分の飾りは賑やか、上から金箔を掛けた鳥衾、唐草様鬼板、鉤十字、12耀紋、変形三つ花懸魚か。

 

 本堂は高床になっているので、山門を見下ろす感じになる。

 

参詣客がほとんど訪れない本堂裏、狭い場所に卵塔墓がぎっしり、戒名は読めない。

 

善光寺もとうとうこんなものを作ってしまった。よせばいいのにね。

 

山門を脇から眺めればこの威容、回廊がついていないので一層巨大に見える。

 

何故善光寺に絵馬、何のご利益があるのだろう。絵牛なら分かるが…
そんなものある訳がないだろ!

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善光寺

2016年09月28日 | Weblog

感動の小海線を降りて、間無しにバスに乗って善光寺へ向かう。

 

運賃はどうするのかな?と「きょろきょろ」すると…
「後払い、150円です」と鈴を鳴らすような声が…主はこの美しさでした。

 

美人運転士腕前も確かで、ごった返す善光寺の参道をすいすいと進みます。
何かめちゃくちゃ得をしたような気分。

 

善光寺表参道の脇に「長野市道路元標」を見つけました。

 

善光寺の門前に栄える長野市、何故善光寺市ではいけなかったのかな?

 

ウィークデーなのにこの人出、牛こそ見えねどさすがです。

 

壮大な山門を暫し眺めて…

 

永遠の秘仏:一向阿弥陀三尊をお祀りする本堂へ向かいます。

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姨捨駅(おばすてえき)

2016年09月27日 | Weblog

爽やかな高原列車の走る小海線にそろそろお別れ…

 

小海線の愛称は八ヶ岳高原線。
小海線終点の小淵沢で乗り換え、中央線から篠ノ井線経由で長野に向かいます。

 


姨捨駅、姥捨てではありません。3連スイッチバックの頂点に位置するところに駅舎があります。
姨捨(おばすて):全ての老人を捨てる ? 姥捨(うばすて):老婆だけを捨てる? 本当かな?どうかな…

 

此処の車窓から眺める「善光寺平」の眺めは日本一、何度見ても感動です。
朝良し! 昼よし! 夕暮良し!  夜景また良し! すべて絶景です!!!

 

スイッチバックで、行って戻って何度でも楽しめます。

 

此処のスイッチバックでは、運転手さんは席を変わらず、バックで切り返します。

 

善光寺平を堪能しました。もう一度来ることができるかな?

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小海線Ⅱ

2016年09月26日 | Weblog

小海沿線は山ばかりか、沿って流れる千曲川の流れも清涼感いっぱい!

 

車窓の右、左と位置を変えながら、付き合ってくれる千曲川。

 


プロの仕事とはとても思えないが…
この川はやっぱり千曲川だったと教えてくれた。「ありがとう!」

 

列車はあえぎあえぎ先へ進む。千曲川源流は近い。

 

爽やかな高原地帯に到達した。すでに秋の雲が拡がる。

 

そしてこの駅に到着、JR最高地点に位置する「野辺山駅」
1345mは凄い! 鉄道に関する、色々な日本一を見てきたよ!

 

この眺めが、日頃の憂さを吹っ飛ばす。「ご機嫌です」

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小海線

2016年09月25日 | Weblog

小海(こうみ)線、今回乗り鉄で相当期待していた路線。

 

小諸=島崎藤村しか思い浮かばない陳腐な男は、早々にこの地を離れます。

 

離れ際、小諸駅前でこの看板が目に入った。
信州信濃の山奥に来ても、やはりウナギは遠州浜松なのです。エヘン!!

 

小海線は小諸発⇒小淵沢行ディーゼルカーに乗車、沿線風景に期待が膨らみます。

 

小諸駅を出てすぐに、この様な景色が広がります。

 

「ガッタン、ゴットン」揺れる車窓から、浅間山を捉えました。
『小諸出てみろ 浅間の山に 今日も三筋の 煙り立つ』小諸馬子唄ですか?

 

標高800mを超える高原列車、小海沿線に「うみじり、うみのくち、こうみ」など海が連発!不思議です。
これは9世紀八ヶ岳が爆発噴火したとき、付近に湖が出来たことに由来するようです。

湖が小海と呼ばれ、海尻、海ノ口が命名されたのでしょう。

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小諸城Ⅲ

2016年09月23日 | Weblog

2006年に開設した「もっちゃんの探歩三昧」累計訪問者が25万人を越えました。
皆さん、永~く付き合ってくださってありがとうございます。

 

小諸城から眼下に流れる千曲川を望みます。中央白く光って見えるのが千曲の流れです。

 

城は、急峻な断崖絶壁に位置しているのが分かりますか?

 

右手一帯の広場は馬場跡、左手の石垣は天守台です。

 

天守台の石垣、左側中央部が孕んでいるのが分かります。

 

最後に紹介するのが大手門、三の門とは直線距離で200mほど離れており、お城の規模が推測できます。
大手門と三ノ門の間には「しなの鉄道」が走っており、お城は完全に鉄道で分断されています。

 

大手門は巨大な野物材を使って作られており、頑丈さが売り物か?
節だらけの松材か?化粧っ気は全くない、実用一点張り…

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小諸城Ⅱ

2016年09月22日 | Weblog

信州片田舎の小城と思うなかれ、小諸城内は相当に複雑な縄張りで面積も広い。

 

二の丸から本丸方面に向かうと、突如谷に架かる橋が現れる。
当然合戦の時には落とされていたはずだ。

 

此処は、もみじ谷と命名されているが、一部は間違いなく人力で掘られているようだ。

 

多くの櫓跡を縫う様に進む。どこからでも矢を射かけられそう…

 

本丸跡は御多分に漏れず、桜の木でいっぱい!これはちょっと残念。

 

天守台の石垣には結構な巨石が使われている。

 

天守台から見晴るかす信州の山脈、間には「千曲なる川」が流れる。

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小諸城

2016年09月21日 | Weblog

この城は徳川軍と真田軍が戦った上田合戦の時、徳川の本拠地となった城。

 

しなの鉄道小諸駅から2~3分の処に三の門がある。
城門に向かって下り坂とは珍しいが、寄棟の城門もあまり見た記憶がない。

 


二の丸入り口付近の虎口、折れと言ってよい程に狭い。

 

石垣の石はほとんど加工されておらず、それを算木状に積み重ねている。

 

虎口を通り抜けた背後に二の丸は位置する。
攻めて側から見ると、横矢掛けならぬ背後掛けの状態になる。

 

階段幅は中途半端で歩き難い。戦闘に備えて意図的に造ってあるのだろう。

 

城脇は天然の要害、自然の地形が掘状に深く刻まれている。
写真の右手方向に千曲川が流れている。

小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ…』島崎藤村だよ!

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しなの鉄道

2016年09月20日 | Weblog

北陸新幹線が開通したため、地元には大迷惑な「しなの鉄道」が発足した。

 

横暴な?JR東日本お下がりの車両を、独自カラーに塗りなおして頑張っている。

 

軽井沢駅を後にすると、たちまちこの景色が広がる。高原野菜畑?

 

標高で言うとこんなに高いところを旅してる。
高原野菜が採れるのも道理。

 

御代田とはなに?…

 

到着した駅は何処じゃろ!

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信越本線

2016年09月19日 | Weblog

関東から信濃を経て越後に繋がる信越本線だが、今は無残な姿をさらす。

 

取り敢えず高崎から横川までの列車に…
関東一円を走っている車両とは、明らかに年代の違いを感ずる。

 

なんとも山らしい山、衰えた体だが少し登山意欲が頭をもたげる。

 

あまりにも有名な"峠の釜めし”を売っている横川駅。
信越本線と言っているが、高崎から僅か7駅目の横川が終点である。

 

横川から軽井沢に向かってレールの名残が…「軽井沢はあの山の向こうだよ!」
北陸(長野)新幹線のために、廃線となった線路が未練たっぷりに残されている。

 

北陸新幹線軽井沢駅は、しなの鉄道(元の信越本線が3セク化)の起点となった。

 

金持ち貴族の別荘地軽井沢に、青春18きっぷで70歳台の爺がやってきた。
無粋な新幹線が、風光明媚な自然を無残に破壊した。
一陣の涼風が心地よい軽井沢駅周辺だが、周りはアウトレットの買い物袋を持つ人がひしめく。

 


この長閑さはもう望むべくもない。

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両毛線と吾妻線

2016年09月18日 | Weblog

足利を中心としたこの地域は両毛地方と呼ぶようだ。だから両毛線。

 

少しレトロ感漂う足利駅を朝旅立つ。
両毛線は小山⇔新前橋間を繋いでいるが、高崎まで乗り入れており、実質的には上越・東北新幹線を結ぶ路線である。

 

新前橋で乗り換えて"吾妻線(あがつません)”へ乗りこむ。またもや盲腸線だ。
右手奥側に湘南型の列車がスタンバイしているが、なんとも懐かしい。

 

実はこの沿線風景にはひそかな期待を持っていた。
万座・白根など有名な山岳地帯を連想する方面へ向かう路線だから…

 

でも期待された風景は現れず列車は万座口まで、その先はバス路線であった。

 

復路はこの列車、この型は広島でも姿を消したのではないかな?

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足利氏館Ⅱ

2016年09月17日 | Weblog

鑁阿寺の山門をくぐる。

 

関東有数の真言密教寺院:鑁阿寺が足利氏の拠点。
夕刻に訪れたので人影はまばら、かえって荘厳な雰囲気を感じて緊張感が増す。

 

御本尊:大日如来を祀る本堂。

 

日本史上ただ一人"日王”を名乗った足利尊氏。
本堂の棟には「菊の御紋」「五七の桐紋」そして足利の「二引紋」が燦然と…

 

国宝の大御堂

 

真言寺院らしい多宝塔と巨大なご神木が見る者を圧倒する。

 

袴腰の鐘楼も国重文である。

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足利氏館

2016年09月16日 | Weblog

あの足利氏発祥の地に"足利氏館”は往時の姿をとどめている。

 

関東平野の一角に足利市はあり、高層建築のない町並みは中世の面影を偲ばせる。

 

郷土の英雄は、なんと言っても室町幕府を開いた足利尊氏。
官位束帯の姿で町の中心に立つ。

 

館は現在、真言宗金剛山鑁阿寺(ばんなじ)。
周囲に堀をめぐらし、その内側に土塁を築いており、武家の館に相応しい。

 

正面に見える唐破風は堀に架かる太鼓橋の屋根。
その後ろに見える入母屋屋根が鑁阿寺の山門である。

 

斜め横からはこの姿、荘厳な造りである。

 

 堀、土塁と二重の仕切りに植生があり、街中と一線を画している。
堀にも土塁にも丸い川石が利用されているのが特徴、これが要塞とは異なる雰囲気を醸す。

 

現在は真言宗寺院そのもの、まさに鑁阿寺である。

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足利学校Ⅲ

2016年09月15日 | Weblog

学問所の中心の建物なので講堂かと思いきや、足利では方丈となっている。

 

上がり口が唐破風で、間口の広い構造となっている。
客間としての使用頻度が高かったのだろう。

 

方丈と棟続きの庫裏は同じ構造、内部は天井が高く開放感がある。

 

土蔵は漆喰作りで防火体制は万全、書籍以外の器物を保管する。

 

道教を開いた孟子(向かって左端)をはじめとする、孔子の弟子たちの立像が飾られている。

 

方丈の裏手には北庭園が造られている。緑豊かな池泉庭園である。
中央に亀島を配し、立てた石組で鶴をあしらった南庭園と合わせて、不老長寿の鶴亀信仰を表す。

 

溝に丸石を配した雨落ちや漆喰の塗り込め塀、庭木の剪定も見事!

 

学校の周囲は土塁で仕切られている。
もちろん防御と言うよりは防火を主眼としているようだ。 

儒教の殿堂足利学校、閉門時間を5分すぎて訪れたにも拘らず、係の方は気持ちよく遠来の客を招じ入れてくれた。
感謝感激である。何度も何度も礼を言って、急ぎ足で見学させていただいた。足利の思いやりに感動!

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