とうとう大晦日がやってまいりました。
今年もタイトルの通り“探歩三昧”の1年でしたが、冬の青春18きっぷの旅が実行出来ずちょっぴり残念!
現在は精密検査の結果待ちで、アドヴァンテージを見られていますが…
もっちゃんの探歩三昧 ⇒ もっちゃんの療養三昧にならないことを祈るのみです。
宮島は弥山の霊火堂にふりかかる雪(資料映像)、来年はどんな年になりますかネ
皆さん良い年をお迎え下さい。来年も“もっちゃんの探歩三昧”にお越しください。
お待ちしています。
とうとう大晦日がやってまいりました。
今年もタイトルの通り“探歩三昧”の1年でしたが、冬の青春18きっぷの旅が実行出来ずちょっぴり残念!
現在は精密検査の結果待ちで、アドヴァンテージを見られていますが…
もっちゃんの探歩三昧 ⇒ もっちゃんの療養三昧にならないことを祈るのみです。
宮島は弥山の霊火堂にふりかかる雪(資料映像)、来年はどんな年になりますかネ
皆さん良い年をお迎え下さい。来年も“もっちゃんの探歩三昧”にお越しください。
お待ちしています。
春、夏、冬と3シーズンの“青春18きっぷの旅”毎年欠かさず続けていたが…
この冬は、先の事情もあり遂に断念した。
12/18日姫路から戻って以来、の~んびり自宅に籠城の毎日。
結構自然が残る“我が庵”には、可愛い来訪者が現れる。
子供の頃、故郷浜松の山で追いかけた“メジロ”懐かし~い。
結構長居をしてくれるので、様々な設定でカメラに納める。
名古屋のリニア・鉄道館に展示されている“ドクターイェロー”
こいつが日本の新幹線の安全を担っているのだ。
東海道・山陽新幹線の営業速度で走行しながら、架線と線路を同時にチェック出来る。
誰知れず深夜に出動し、人の安全を確保してくれる優れもの。
その名は“人呼んで!ドクターイェロー”
オイラは毎年“誕生月健診”と称して、12月に健康診断を実施している。
61歳で定年退職後、毎年欠かさず受診してきたが、今年はちょっと気になることがあった。
12/6:健康診断実施 ⇒ 胃に潰瘍が見つかったので、要精密検診の判定。
安佐市民病院を紹介してもらう。
12/19:安佐市民病院に出向く。胃カメラの検診を受けることになった。
12/20:胃カメラで精密検査
①胃の潰瘍は良性らしく、治療薬を投与をする事になった。
②潰瘍とは別に、胃の中に“しこり”が発見された。
12/20:CT撮影で“しこり”を再検査する。
この検査結果は越年することになった。
体の異常を早期発見するのが健康診断なのだから、精密検査をするのは至極当然だが
やっぱり気になることは確か、正月休みを挟むために最終結果は年越しすることになった。
ちょっとブルーな年末年始になったことは事実。
『起きがけに 南の窓を開けてみれば わが持芳庭に 雪は降りつつ』 芳孝
先日投稿した姫路城5重目の窓を塗り込めた話。
解体修理現場に詳しく説明されています。
左側が築城時計画されていた想像図で、正面の開口部(窓)が7枠あります。
右側が現存の天守閣で、左右の開口部が1枠づつ漆喰で塗り込められました。
4重目の千鳥破風に1枠分、窓が隠れています。
姫路城は5重6階造りであることを、図示して説明しています。
姫路城の石垣は散々けなしましたが、狭間や石落としは漆喰塗り込めで丁寧に造られています。
方杖もすべて塗り込めで、相当手が込んでいるのが分かります。
石落としは開口部の幅が狭すぎ、実用にはならないでしょう。
狭間から進入路を覗くと、このように見えます。
此処を駆け抜ける敵を、見事仕留めることができるでしょうか?
木目の風食状況が良く判ります。
行き止まりのように見せかけた、天守に向う通路。
この部分は下り勾配になっているので、天守から遠ざかるように錯覚させる造りになっている。
化粧櫓でくつろぐ千姫、国宝の建物にこの人形は如何なものか。
面白いのは脇に煙草盆を置いている処、千姫は煙草を嗜んだらしい?
平成の大修理は50年ぶりとのこと、5重6階の大天守に巨大な覆いが架けられて…
見学者は仮設のエレベーターで、一気に最上階まで上がると、唐破風付きの大天守が眼前に現れる。
瓦の損傷は意外に少なく、今回交換するのは5%程度とのこと。
平成の宮大工達は現在、縦方向に瓦受けを取り付けている処、体の横にある材料の上に半丸瓦乗せられる。
足元に細かく見える短冊状の処が野地板、土井葺きとも云われる。
この部分も傷みが少ないため、ほとんど修理の必要が無いと云う。
足場を1階降りた場所では、4重目の屋根と漆喰壁の補修が行われている。
瓦同様、漆喰壁も傷みが軽く、表面の2層分の漆喰を塗りかえる場所が大半だとか…
壁面左端部分にある開口部(窓)が、間柱と板で埋められたことが今回の修理で判明した。
当初窓にする予定が、埋めて壁にしたらしい?
天守閣南側、備前丸から見た石垣、算木状の石を3個並べて積んでいる。
美的感覚に乏しく、切込接ぎにするでもなく、石を長方形に加工した意味がない。
ことほど左様に、姫路城の石垣工法には疑問点が多い。
備前丸の端に造られた“枯山水もどきの庭”
石柱を何本が立てに並べて滝組みを現わし、その前面に鯉魚を配している。
とても質素な造り。
豊臣秀吉の後を受けて、姫路城主となったのが池田輝政。
現在の姫路城は、ほぼ輝政によって完成されたと云っても過言ではない。
池田家の家紋は、平家の流れをくむ“揚羽蝶紋” この図は蝶その物と言った感じで、ややグロテスク。
実際に使われていた家紋は、美しく洗練されたデザインとなっている。
一乗寺参詣の帰途、平成の大修理中の姫路城に立ち寄る。
現在は修理中の特別見学コースが設けられていて、エレベータで大天守まで一気に!
見学コースに沿って、興味のあるものを紹介します。
姫路城の大手は、黒金で固められた高麗門。
付随の櫓は無かったのだろうか?
高麗門に続く石垣に、頓狂な景色が見える。
7個も矢穴を明けたのに石が割れなかったので、諦めたのだろう?
なんともドジな石工も居たものだ。
続いて料金所近くに保管されている旧西本柱、昭和31年~の大修理まで天守閣を支えた大柱。
途中繋いでいる部分を、鋼帯でガッチリ束ねて補強している。
姫路城の石垣は、白亜の大天守に似合わず、結構雑な積み方をしている?
備前丸に続くこの部分も、石垣が大きく前に孕んで今にも崩れそう。
慌てて、前に補強の石垣を積んで崩壊を喰い止めている。
櫓の端(角)部分に造られた石落とし、頑丈なフタが付いた構造になっている。
腰の高さほどの位置に開口部があり、石を持ち上げるのに相当苦労しそう。
さらに開口部の幅が狭く、細かな石しか落とせない構造。実用的ではないようだ。
千鳥破風の突き合わせ部分(懸魚)に掲げられた“六葉紋”
水中植物である河骨をデザインしたとされ、水を象徴している。
本堂外陣の天井を見上げると、小格子枠の中にたくさんの札が打ちつけてある。
壮観でもあり、信心の凄さも感じるが、美観的にはどうかな?
順序が前後するが、正徳4年の記名が残る手水鉢。
底面は平らで、台座にはボタンと蕨手がデザインされている。
ずんぐりした感じの鐘楼と、ちょっとめずらしい擬宝型玉垣。
一乗寺最大の建物は国宝三重塔でしょう。
三重目の屋根に最大の特徴があるのです。良く見て下さい。
屋根の中央部は“むくり屋根”ですが、軒に行くに従って“てり屋根”に移行します。
三重目の屋根は、全体がうねるような感じで、葺かれているのがわかりますね。
このように葺かれた屋根には、初めてお目に掛かりました。
12月17日は、名古屋から広島に向う途中姫路で下車。
西国三十三観音霊場の内、26番札所:法華山一乗寺を目指す。
毎年冬も“青春18きっぷの旅”に出るのだが、今年はちょっとしたハップニングがあり断念した。
サンサンと陽光の降り注ぐ門前
階段を登って行くと最初に護摩堂、次いで三重塔、そして最後に本堂に到る。
天台宗寺院だが、この伽藍配置は珍しいと思う。
階段を上り詰めると、懸造り本堂の下に到る。
姫路にある、書写山園教寺同様の造りである。
舞台の幅は2間程でさほど広くはない。
平成の大修理を終えたばかりの本堂。
妻降りがあり、威風堂々としている。
新旧瓦による縞模様が、ちょっとしたアクセントになっている。
この施設最大の売り物は、巨大モニターを見ながらの新幹線の運転。
迫力ある周囲の景色が、一瞬に後ろに流れ去る様は圧巻!
東京駅を出発したN700系はあっという間に市街地を抜けてしまう。
東海道新幹線沿線では富士山と並ぶ景勝地浜名湖を渡る。
故郷浜松の街並みが出てこないのは残念。
やがて対向車線に列車が現れる。
新幹線に乗車しても絶対見られない光景を、目の当たりに出来るのが興奮を呼ぶ。
轟音と共に、対向列車とすれ違った。
ツインタワーの特徴ある名古屋駅が見えてきた。
ブレーキが架かると、見ている我々も体が前のめりになるから不思議。
転轍機を過ぎて大きくカーブしながらホームへ向かう。
この時は体に横Gを感じさせない。日本の鉄道技術は素晴らしいの一言。
急減速しながらホーム脇を進んで行く。
このモニターの操縦は抽選で、選ばれないとやらせてもらえない。
オイラははずれでありました。
大人も大興奮の体験であります。
館の名称とは裏腹に、レトロな面もたっぷり!楽しいです。
SLに取って代わった電気機関車のエース、国鉄此処にあり!のカラーリングが懐かしい。
車両の先頭部分に半生を捧げた企業名が…ついシャッターを押してしまう。
ちなみに昭和33年は、オイラが高校入学した年です。
さらに38-11は国鉄浜松工場で、大改修をしたことを表わす。
故郷浜松の誇りだった、国鉄浜松工場。一挙に青春時代に戻った。
三等車もピッカピッカで…
行く先表示板も各種、やっぱり浜松行きを探してパチリ!
よくお世話になった準急:東海号のエンブレム。
ちょっと“どんくさい”
12/16日、今年最後忘年会に出席すべく名古屋に向いました。
入社した当時御世話になった先輩や、同期生たちとの懇親です。
急に冬らしくなった日本列島、伊吹山は早くも雪化粧です。
日本武尊の命を奪った伝説の山です。
朝早く家を立ったので、忘年会の始まるまでたっぷり時間があります。
オイラが名古屋に居たころはもちろん無かった“あおなみ線”に乗って終点まで…
そこには“リニア博物館”があります。
名古屋の変貌ぶりは目を見張るほどで、「それに比べて広島の行政は何をやっとるんじゃ」
リニア館に入るといきなりSLが目の前に現れます。
綺麗にレストアされて、今にも蒸気を挙げて走り出しそうです。
続いて一世を風靡した湘南型電車が…
でも、このタイプJR広島支社管内では、今でも現役で活躍していると思うんです。
初代0系と2代100系が並んで展示されています。
300系も退役したのかな?
そして今また鋭意開発促進中のリニア実験車両
腹に巨大な電動コイルが貼り付けられています。
この博物館には、まだまだ楽しいものが一杯展示されているヨ!
落合郷土史研究会は歴史探訪、時期に応じた懇親会、会誌:甲申の作成が3本柱。
今年も年末を迎え、更新の編集が佳境に入っています。
この時期の会員の心境は「、ヤレヤレやっと原稿を書き終えたワイ」の人。
「どうしよう 急がないと期限切れになってしまう」とちょっぴりブルーな人。
様々ですが来年3月『甲申第8集』が発刊されます。お楽しみに…
予告編のつもりだったのですが、文字が小さすぎて読み取れませんね。
もう少しお待ちください。決定稿はもうすぐ出来あがります。
12月3日掲載の『多治比猿掛城』の解説に誤りがありました。
「あまりの急登に本丸攻めを諦めた老将達」⇒「本丸攻めを果し息を整える精鋭達」でした。
お詫びして訂正させていただきます。
こんなに凄い堀切も残されていました。
昨12月13日はオイラの誕生日、古希目前の歳に相成りました。
この年になりますと誰も御祝いはしてくれませんネ
たまたま仲間たちと忘年会でしたので、行く道原爆ドームの夕景を納めました。
夕日をバックに撮りたかったのですが、ちょっと遅すぎました。
16時45分頃ですが…
残照に映えると云いたいところですが残念!
いかにも“負の遺産”の呼称がぴったりです。
2006年6月15日にこのブログを開設してから、今日で2000日目になるらしいのです。
生来が飽き性と言われるB型のこの男、我ながらよく続いたものだと感心しています。
でもこれは、一重に励まし続けて下さる皆さんのお陰、本当に感謝しています。
早朝、山麓に薄っすら霞み(雲か?)たなびく“阿武山”。我が家の真西に鎮座しています。
一説にはこの山が広島城の玄武に当たるとか? 玄武≒阿武の意味と解釈する。
12月5日、芸備線玖村駅ホームより 8:30頃撮影
広島城主浅野家の手になる大名庭園:縮景園の中心的建物“清風館”
文字通り東南の風:清風を屋敷内に取り込むべく、東南方向に玄関を設えてある。
屋根は権力者の私的建物に良く用いられる杮葺きである。
間口が広く明るい、とても開放的な佇まいの玄関。
陽光が燦々と降り注いでいる。
今日はこの御座敷内で、御茶を一服?
ではなく、ボランティアガイド仲間と、縮景園についての御話を聞く会なのです。
座敷も広々としています。
雪見障子を通して、額縁の名画を見るが如き景色をどうぞ!
本勝手造りの書院の間、今御殿様が廊下から現れても不思議ではありません。
これ又絶景でしょう! 御殿様になった気分をかいま感じる…
何故か鬼瓦には桔梗紋が…
何枚も板切れを重ねた“杮葺き”の端面が良く判りますよ!
毎度お馴染み、安佐北区落合の片田舎にわびしく佇むひなびた庭。
今年も錦秋?の頃を迎えました。
飛び石伝いに訪れる珍客を、むかえるひょうきん者と落葉達。
遂に今年は植木屋さんにも見放され、主が懸命に選定した樹木達。
これでも“紅葉のはしくれ”と、懸命の色付をアッピールしています。
水も滴る“ひいらぎなんてん”これでも一役買っているつもりでしょうか?
疲れ果てた実物も、健気に彩りを添えています。
洛北の祇王寺を思わせる光り輝く苔。
枯葉が醸し出す、ものの憐れさをとくとご覧あれ!
今年の秋もこれでみ納め!