もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

広島造幣局花の通り抜け

2022年04月24日 | Weblog

閉幕前日、急に思い立って出かけた。

 

花だけをクローズアップしてみると桜とは思えない姿をしている。

 

もっとも多いのがピンク系の八重桜。

 

桜と言えばソメイヨシノと思い込んでいる単細胞には、どうしてもこの様な株に目が留まってしまう。

 

 

でもよく観察してみると、様々な特徴を持つ花があることに気が付く。
花びらが菊の様なものも・・・

 

葉っぱがなければ、牡丹と見間違うようなヤツもあるし。

 

見上げる空は花曇り、これ見よがしに枝を伸ばす健気さが愛おしい。

 

爛漫に咲き誇る豪華な花びらに飽きたら、質素で疎らに咲く可憐な白さで眼を休める。

 

少し引いて見ればこの景色がそこかしこ。

 

みどりの御衣黄はある意味で注目を集めるが、「うこん」と言うこの品種も上品。

 

豪華絢爛一本木だったら拍手喝采間違いなしだが・・・

3年ぶりに「花の通り抜け」堪能しました。

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赤穂花岳寺

2022年04月21日 | 歴史探歩

花曇りのもと、赤穂城跡から浅野家の菩提寺である花岳寺へ向かう。

 

花岳寺は、赤穂市街地の路地脇にひっそりと佇む。

 

さして広くない境内だが、凛とした空気感がある。
訪ねた日は、十数人の方々が清掃奉仕をされていた。

 

まずは浅野家の霊廟を参拝。

 

本堂外陣の天井絵を見上げる。
虎が描かれているようだが、容貌はなんとなくユーモラス。

 

「風さそう 花よりもなお 我はまた ・・・」の辞世を残した「令光院殿」を偲ぶが如き枝垂桜。

 

赤穂四十七士塚、戒名の頭に「刃」の1字が付けられている。

 

そして大石内蔵助名残の松が・・・

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赤穂城22-Ⅱ

2022年04月20日 | 歴史探歩

広々とした本丸跡をゆっくり散策してみる。

 

石垣と土堤をミックスして縄張りを形成している。

 

本丸御殿内にお庭があるのは珍しい。
こちらは、石の配置から見て鶴島だろう。

 

こちらが亀島、背後が天守の石垣である。

 

複雑に曲がったり、アップダウンがあったり、豊かな表情を見せる石垣にうっとり!

 

色の黒いのは埋もれていた石? 白っぽいのは新しい石。
苦心して復元したことが偲ばれる。

 

打ち込み接ぎの下部に水抜きを配している。

 

四角く黒いのが「鏡石」かな?

 

これは大手隅櫓、赤穂城で唯一復元された櫓。

 

赤穂城の御城印です。
討ち入り装束の袖柄がアレンジされています。

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赤穂城22

2022年04月19日 | 歴史探歩

忠臣蔵でお家断絶が伝えられる、あまりにも有名な悲劇のお城

 

その縄張りの特徴は一目で分かる。
全ての堀、城壁が地形に併せて複雑に曲がりくねっていることだ。


大石内蔵助屋敷(大石神社)から歩いて数分の場所が二の丸。
藥医門形式の簡素な門と低い塀で仕切られているのみ。

 

続いて内堀と石垣に囲まれた本丸に着く。

 

数多くの狭間を穿った本丸門だが・・・
よく見ると背後に重なるように、広い屋根が見える。

 

前門は、支柱部分に屋根を被せた高麗門である。

 

前門との間の狭い虎口を挟んで、石垣と塀に囲まれた堅固な櫓門が設えてある。

 

本丸は5万3千石とは思えぬ壮大な広さを誇る。
本丸御殿の建屋跡がしめされている。

 

本丸内には日本庭園が復元されている。

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赤穂大石神社

2022年04月16日 | 歴史探歩

姫路を後にして同じ兵庫県で、江戸の匂いが感じられる播州赤穂へ向かう。

 

駅改札を出るとすぐに、墨太くこの文字が駅構内に掲げられていた。
年末には必ず上演されたり、放送されたりお馴染みの演目「忠臣蔵」です。

 

更のこちらの額はあまりに達筆で判読できないけれども、辞世句 大石内蔵助だけは読めた。

「あらたのしや おもひは晴るる 身ハすつる 浮世の月ニ かゝる雲なし」
赤穂駅の説明では、大石内蔵助の辞世句と説明されているが、討ち入り後泉岳寺に引き上げて、浅野内匠頭の墓前で詠んだとの説もある。

 

赤穂駅前から赤穂城へ向かったが、タクシーが勝手に大石神社まで運んでくれた。
少しでも実入りを良くしたいのだろが、観光地のタクシーとしては落第だ。

仁王門の扉には、赤穂浅野家の「違い鷹羽紋」が・・・

 

もう一方の門扉には、大石家の「巴紋」が掲げられている。

 

赤穂四十七士を祭神とした大石神社、真新しい建物だ。

 

そして討ち入りの太鼓には、火消し装束の文様と巴紋と忠臣蔵の文字。

「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残りを いかにとやせん」
は春3月に無念の切腹をして果てた、浅野内匠頭の辞世である。

 

赤穂事件当時の建物として、唯一現存する?大石家の長屋門。

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姫路城22-Ⅳ

2022年04月13日 | 歴史探歩

桜と白鷺城、堪能しました。

 

備前丸に咲き乱れる枝垂れ桜と天守。

 

西の丸登城路から、連結・連絡型天守の全貌を捉える。
これぞ日本の城!!!

 

西の丸百閒廊下からは、遥か彼方に霞む?天守。

 

百閒廊下に展示された滴水瓦、雨だれを上手に滴下させる匠の技。
「滴水型軒平瓦」とでも名付けられるかな?

 

帰途見つけたカラーマンホール。

 

白鷺城のシンボルマンホール。
これまで何度も姫路は訪れているが、初めて見つけた。

 

姫路城御城印、4・4・4は偶然です。

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姫路城22ーⅢ

2022年04月11日 | 歴史探歩

複雑な経路といくつかの門を通り抜けて、天守部分近づいていく。

 

門脇の石垣の加工に注目。
下から2段目の石は勾配を取るために、台形に加工したことがはっきりとわかる。
随分手間をかけているな。

 

連郭・連結天守の合間から、姫路御城下が眺望される。
複雑な構造の姫路城だが、あえてこのような場所も設けていたのかな?

 

仕切り塀も地形に併せて、微妙に曲がって築かれているのがわかる。

 

千鳥破風の内側に設けられた「破風の間」。
外部から見て想像したよりも、相当大きなスペースだ。

 

廊下上の野物材もしっかりと加工されている。

 

隅櫓と続きの塀も実に複雑な形で繋がれている。
堀の曲線部分も同様に、地形に併せて石垣が施設されているのだろう。

 

姫路城は五重の天守だが、中は6階+地下1階となっている。
敵を欺く構造もぬかりない。

 

各階に備えられた「石落とし」。
実際に使われたことはないのだろうが、堅固な造りで納得。

 

池田輝政の手になる「備前門」。
ひときわ目立つ巨大な石は、ナント石棺を流用しているのだとか・・・
如何に資材不足とは言え、ちょっとやり過ぎではないかな?

 

そして他のお城ではお目に掛かれないこの場所は…
「腹切丸」と案内されていた。

詰の丸⇒天守最上階をこのように称して、最後の時に此処で切腹すると聞いたことはあるが、そのものずばりの場所が存在したとはびっくり!

 

生臭い話はそれぐらいにして、改めて天守を仰ぐ。

備前丸からの雄大な眺め、日本建築の粋が結実したと言っても過言ではあるまい。

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姫路城22-Ⅱ

2022年04月10日 | 歴史探歩

何年ぶりかな? 姫路城に登城するのは・・・

三の丸から大天守を望む。
雲一つ見えないまさに青天だ!

象徴ともいえる「菱の門」は大修理中、長屋門の如き「いの門」を潜る。

 

「はの門」へ向かう途次から西小天守が眼前に迫る。

 

石垣と塀に挟まれた狭い道、行く手を堅牢な門が待ち構えている。
攻め手側からしたら、生きた心地がしないだろう。
先へ進んだのに、小天守が遠ざかったように見える。

 

「にの門」唐破風上の鬼板は十字紋の瓦。
キリシタン大名である、黒田管兵衛所縁のものとか・・・

 

次第に大天守が近づいてくる。

 

頭上には不気味な「石落とし」が到る処に設えてある。

 

打ち込み接ぎの石垣には、定石通り排水溝が穿ってある。
黒田官兵衛、池田綱政など、名うてな城作りの手になる名城だ。

 

白鷺城は今春爛漫、これ以上ないほど輝いている。
左下に秀吉時代に築かれたと言われる「油塀」の端が見える。

この角度から見ると、瓦の黒さが少し戻ってきた感じで絵になる。

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姫路城22

2022年04月09日 | 歴史探歩

天台宗の古刹「書写山圓教寺」の参詣を終えて、国宝姫路城を目指す。

 

満々と水を湛えたお濠に、敵を寄せ付けないかの如く聳える石垣を遠望する。
雄大なスケールの国宝姫路城は見る者を圧倒せずにはおかない。
春爛漫、桜花満開、これ以上望むべきもない絶好の季節に訪れた。

 

石垣上からお濠に向かって懸崖状に枝が垂れ下がる。
一服の名画の如き風情が眼前に展開される。

 

対岸の堤もこの通り、まさに「春名城の花の宴」である。

 

桜に目を奪われて見失ってはいけない。
石垣にも目を向けないと・・・
古い形式の隅の積み方や、継ぎ足したと思われる部分、さらに近世に修理したと思われる右上部など、ただの石垣なれども様々な表情を見せている。


やっと大手門に辿り着いた。
お花見を楽しむ家族連れで賑わっている。

 

姫路城の大手門は、背の高い高麗門。
強固な感じではなく、お寺の門の如く優美感が漂う。

 

三の丸も今日のところは、匂うが如く咲き乱れる満開の桜が主役か。

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圓教寺Ⅱ

2022年04月08日 | 歴史探歩

魔尼殿の舞台から「はづき茶屋」方面を見下ろす。
今時、暫し語られる、ドローンからの眺めのよう・・・

 

魔尼殿を後にして奥の院方向に脚を伸ばす。
一帯は、深山幽谷の趣有りて、心が洗われるよう。

 

やがて大講堂前の広場のような場所に着いた。
大講堂軒下の組み物が、白壁から湧き出たように見えて壮観。

左手の建物は食堂。

 

大講堂と向き合う形に配置された常行堂。
唐破風の向背に棟瓦が乗せられており、鬼板もにらみを利かせている。

 

大講堂広場に面して本多家の墓所が存在する。
池田輝政の後、姫路城主となった本多忠政の墓などがある。

本多忠政の息子:忠刻は大阪城落城後千姫を貰い受け、姫路で暮らしたが31歳で没したとある。

 

どうゆう訳か墓所への立ち入りは禁止されていた。

 

正面から見た本多家の墓所。
壁が剥げ落ち、心なしか傾いて見える。

徳川四天王の一人、本多平八郎忠勝威光も姫路までは届かなかったか?

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圓教寺

2022年04月07日 | 歴史探歩

コロナ禍は何時鎮静化するのか、相変わらず多くの感染者が報告されています。
それでも観光地はお客様が激減で悲鳴を上げています。

 

スポーツ界や映画・観劇などは人数制限を撤廃して人を招いています。
3回目のコロナも接種したし、ちょっとばかりのお出掛けを敢行しました。

 

お隣の岡山県を跨いで兵庫県を代表する観光地、姫路市にやってきました。
気のせいか姫路駅に飾られた、お祭りの山車も少し華やいで見えます。

 

姫路駅前からバスに揺られて、やってきたのは天台宗の古刹です。
書写山一帯に荘厳な伽藍が多数残された聖域、書写山圓教寺です。

 

探歩自慢もすっかり足が衰えました。
ロープウェーの助けを借りて、山上を目指します。

 

山上駅からキツメの参詣道を喘ぎながら進みます。
少々汗ばんできた頃、仁王門が現れました。

アップダウンを繰り返して20分程で、懸造の荘厳な建物下に辿り着きました。
圓教寺を象徴する「魔尼殿」です。

 

せり出した舞台を下から・・・
釘を1本も使用せずに組上げられた舞台を仰ぐ、圧巻の眺めです。

 

納経を済ませて、ホッと一息!
久し振りの参詣は疲れもありますが、とても爽やかで心が落ち着きます。

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