もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

西国31番札所長命寺

2012年11月30日 | 西国33観音霊場

 階段道が長い事から、難所の一つに数えられている“長命寺”に登った。

 

 バスを降りると目前に、この光景が現れる。「本堂まで808段」
 何程の事やあらん?

 

 808段の中ほどに奇妙な格好の、門あるいは鳥居?
 説明版が無いのでよく判らないが、それより手前の石段を見て!このガタガタぶりは半端じゃないです。

 

 駐車場からの参詣道と合流した後は、石段も整備されているし、手すりも設置されている。
 境内入り口にある門も変わっていて、正面から見ると“冠木門”だが、裏から見ると高麗門風だ。
 門の形が、何処までも風変わりなお寺である。

 

 此処までの旅で紅葉の素晴らしさは満喫した。
 このような中途半端な色付きに興味を感ずる。人間とは何処まで我儘なのだろう。

 

 本堂裏に異様な石があった。命名は“六処権現影向石(ろくしょごんげんようこうせき)”となっている。
  解説には「当山開闢(かいびゃく)武内宿禰が祀る」となっている。
 武内宿禰(たけのうちのすくね)は三百歳の長寿をまっとうした男だ、さもありなん。したがって長命寺なのかな?

 

 武内宿禰が眺めた琵琶湖を眼下にして考えた。あの門とも鳥居とも見えるのは何?

 

 武内宿禰と神功皇后の子供が応神天皇という話もあるようですが…

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西国32番札所観音正寺

2012年11月29日 | 西国33観音霊場

 大阪在住のN先輩のお陰で前日、正法寺、三井寺、穴太寺と効率よく参拝できました。
 年初に癌を宣告された時には、もはやお目にかかることも出来ないかと観念しましたが、楽しい時間を共有できました。
 本当にありがとうございました。

 さぁてと!夏、暑さに負けて参拝を見送っていた、難所の二カ寺に挑戦します。時は11/17日です。

 これが32番札所:観音正寺の登り口、まさにこれから登山の始まりです。
 3年前は城巡りで観音寺城に、表参道:大手口(安土側)から登りました。 観音正寺=観音寺城です。
  今回は裏参道=搦手口からの参拝です。

 

 息を弾ませながら、階段道をひたすら山門目指して登ります。

 

 結構脇道もありますので、標識確認を怠りなく進んでいきます。
 神社側から登ってきましたので、既に中間点は過ぎています。

 

 山中にこのような看板を見つけましたので、パチリ!
 年中探歩三昧のオイラ、くすぐったいような、うれしいような、複雑な気持ちです。

 

 バス停から歩くことおよそ1時間、露座の仁王が出迎えてくれました。
 山門が無いお寺ということですね。
 本堂も真新しいもので、建屋には見るべきところはありません?

 

 本堂から眼前に広がる、蒲生野の景色を堪能しました。
 これから観音寺城跡に寄って帰ります。

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西国21番札所穴太寺

2012年11月28日 | 西国33観音霊場

 大阪在住N先輩の操る国産高級車の助手席で、降りしきる雨をぼんやり眺めている。
 先輩の御厚意によって、亀岡市郊外にある、穴太寺(あなおうじ)へ向かっている。
 それにしても日本語の読みは難しい。バス停は同じく標記で穴太寺(あなおじ)と読ませ、地名は穴太(あのう)と云う
 
しい
 穴太寺の涼麗な奥様から教えて戴いた。

 

 田圃の囲まれた小集落の中にある何の変哲もないお寺。山門から本堂を望む定番のショット。
 でもそこには、得も言われぬ佇まいがひろがっていた。

 

 大イチョウの根によって持ち上げられ、傾いてしまった練塀。
 前出の奥様は、あえてこの光景を見て帰ってと云われた。

 

 多宝塔を叩き突ける雨、境内の樹木にもほとんど手が加えられていない。

 

 自然の恵みを一杯に浴びて…文字通り紅葉である。

 

 こちら黄葉は少し盛りを過ぎてしまっている。敷きつめられた落葉で風情をどうぞ!

 

 自然な姿がなんとも優雅、どんな庭師も及ばないのでは…

 

 こちらはめずらしい、黄色のもみじが懸崖に…

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西国12番札所正法寺・14番札所三井寺

2012年11月27日 | 西国33観音霊場

 11/16日昼食後、落合郷土史会員の皆さんと別れ、単独で大津市の宿に入る。
 在職時最も信頼できた上司のNさんと、一献交わしたくて同宿する。
 旧交を温めた後は西国観音霊場詣りを再開、Nさんも紅葉の撮影がてら同行して下さった。

 

 公共交通機関を下車後、6キロの山道歩行があることから、夏の参詣を見送りこの時期に先送りしていた難所の寺。
 はしなくも今回、先輩が車で同行して下さることとなり、この問題はあっけなく解決。
 本音は「ほっとしたが半分、ちょっと残念が半分、でも単なる強がりかな?」

 

 毎月17日は「観音供養祭」で、石山寺駅からシャットルバスが山頂まで出る日。
 これに乗るつもりだったが、先輩が前日お寺に問い合わせた処、早朝のマイカー参詣OKとのこと、ラッキー!
 ところが当日山頂駐車場前で、マイカー乗り入れ禁止と告げられる。

 観音供養祭の準備が整った早朝の“正法寺本堂” オイラが納経を済ませた直後、満員のシャットルバスから参詣客が
  殺到した。危機一髪!

 

 駐車場の係員に事情を話して参詣許可をもらった我々は、湧き上がる雲を撮影に挑戦したが…
 山上にあるお寺ということが分かっていただければ…

 

 ついで雨の中14番札所:三井寺(園城寺)へ、大きなお寺だが何となく散漫な感じ。
 寺男?の応接もぶっきらぼうで印象悪し。

 

 広大な境内の奥まった場所に、入母屋造りに裳越付きの観音堂があった。

 

 最も目を引いたのがこの場所、駐車場の一画にある“みやげ物店”の周囲の紅葉。
 雨に打たれて風情があったが、いかんせん看板類が邪魔で…

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石道寺

2012年11月26日 | 落合郷土史

 11/16日、落合郷土史研究会の旅最終日、湖北仏教文化圏一帯を散策しました。
 己高山山麓には、平安時代から室町時代まで仏教文化が隆盛を極めましたが、江戸時代になると地理的条件の悪さから次第に衰
  退し、仏像などは、“己高閣・世代閣”等に安置され現在に到っています。

 

 原発存続問題に揺れる敦賀市、私たち一行は湖北地方の旅前日、この地に一宿することになりました。
 東側を走る山並に遮られて、遅い日の出を待ちあぐねています。
 空は何処までも澄み切っていて、平和な世の幸せを感じさせます。

 

 湖北地方の仏像を集めて安置している己高閣は、與志漏神社(よしろじんじゃ)境内にあります。
 此処から石道寺(しゃくどうじ)方面に掛けて、快適なハイキングコースが続きます。

 

 石道寺境内には昨夜来の雨で濡れ落ち葉が一杯、でも朝日に輝いています。
 我々人生の“濡れ落ち葉族”もかくありたいですね!

 

 逆光に映えるもみじ葉といきたい所でしたが…

 

 何気なく、ひっそりと佇む宝筺印等・五輪塔など、往時の栄華は何処にも見当たりません。

11/14~16、3日間に亘った「落合郷土史研究会の旅」、なんとなく会の性格が分かるような訪問地であったと思いませんか?
私達はこれからも、この精神を貫いて進んでいくのでしょう。

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西明寺

2012年11月25日 | 落合郷土史

 奈良、瀬田、と巡った後、落合郷土史10周年の旅は湖東に向った。
 半端ではない氷雨の振る中、傘の中に身体を丸めて、西明寺参道を上る。

 

 二天文を頭上に頂くが如く急な階段道、降りしきる雨の中でも参詣客は後を絶たない。
 信仰心が篤いからではないだろう。
 賢明な読者の皆さんなら、お目当ては分かりますよね。

 

 二天文(国重文)、三重塔(国宝)と共に、信長の焼き打ちを逃れた国宝本堂はどっしりとした重厚なもの。
 桁行、梁間とも7間、3間の向拝を持ち、鎌倉期を代表する和様建築とされる。
 

 

 境内至る所に見られる紅葉、黄葉、緑葉が織りなす光景は、巨匠たちの絵画を超えたと思わせる。

 

 散りゆく物も最後の御奉仕、なんとも健気なものです。
 苔が雨に洗われて、その存在を際立たせているよう。

 

 帰り際、薄日が差して来た。脇役達にも出番が巡って来たよ。

 

 湖東三山を代表する西明寺の秋。山は足早に冬を迎える。

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サンフレッチェ初優勝!!!

2012年11月24日 | ボランティア

 本日、2012年11月24日、サンフレッチェ広島初優勝!
 「うれしい~の一言」

 

 前売りですべての席が完売! 札止めの盛況です。
 

 

 広域公園内の樹木も紅葉しています。球場は紫一色に染まる筈ですが…

 

 試合開始前のセレモニー時には、生憎冷たい雨が降りそそぎます。
 サンフレ初優勝に水を差す無情の雨か?

 

 最上段まで紫一色! 10年に及ぶオイラのスポーツボランティア活動で、初めての光景が目の前に実現しました。
 このアングルでお分かりの様に、オイラは今日もボランティア活動中。控室から休憩中に撮影しました。

 

 サンフレの今年度地元最終戦が終了した“広島ビッグアーチ” 雲の切れ間から夕日が…
 この直後、勝利の煙火が高らかに鳴り響きました!

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石山寺

2012年11月23日 | 落合郷土史

 落合郷土史の記念旅行2日目は、大津市にある真言宗の名刹:石山寺。
 このブログ読者の皆さんなら、「あれ?石山寺又行ったの?」と思われるのではないでしょうか?
 その通り、9月11日掲載の緑滴る石山寺と対比しながらご覧ください。

 

 参詣客がほとんど見えない早朝の石山寺山門前、境内は真っ赤に色づいています。
 前回訪れたのは8月28日、今回は11月15日でした。

 

 本堂へ向かう参道も、これこの通りです。

 

 石山寺を象徴する硅灰石と、国宝多宝塔を望む。

 

 言葉はいらないでしょう。

 

 程良く色彩が混ざり合って、日本の秋を目の当たりにしました。しあわせだなぁ~

 

 何処まで行っても…

 欲を言えばこの時間天候は薄曇りで、目に鮮やかな紅葉もファインダーで捉えると、少しくすんで見えます。
 これは泣き言です。

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般若寺

2012年11月22日 | 落合郷土史

 いきなりがんの告知を受けてスタートした波乱の辰年も、あと僅かで終わりを迎える。
 本年最後?の歴史探歩に出掛けました。 
  感動の連続だった今回の歴史探歩、上手に伝えることが出来ますか、乞うご期待!

 4/14日~16日まで、2泊三日で「落合郷土史研究会 10周年」で、奈良、湖東、湖北の旅へ…

 

 最初の訪問地は、奈良平城京の鬼門を守るため、大般若経を納めた場所に建立された“般若寺”。
 国重文の楼門は、和様に天竺様を取り入れたもので、組み物が少ないのが特徴。
 奈良らしさが随所にみられる、簡素な楼門である。

 

 桁行5間、入母屋造りの本堂。平家の南都攻めや、室町期にも兵火に見舞われる波乱の歴史をくぐってきている。
 右手前にある燈篭は“般若型”と云われる名燈篭で、各部に獅子、牡丹、鳳凰などが彫刻されている。

 

 国重文、日本最古最大の笠塔婆で、平重衡の墓とも言われているが定かではない。

 

 般若寺のシンボルとなっている“十三重石宝塔”は国重文で、日本最大規模を誇る。
 十三重は十三仏に繋がり、十三仏は冥界において、無くなった人を裁く役割を持っている。

 

 飾ることなく、何処までも自然の有り様を残す境内。
 これを奈良らしい姿と称えるか、手入れ不行き届きと嘆くかは、皆さんの判断次第。

 

 境内の片隅にこのんなものがひっそりと置かれていた。
 「原爆の惨禍に遭われた方を慰霊する平和の塔」と説明され、千羽鶴が奉納されていた。

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2012年11月12日 | 持芳庭

 先輩に刺激されて菊作り、それなりに努力しているのだけれど、今年もうまくいかなかった。

 

 まだつぼみは堅いけど、ちょっと期待を持たせる感じ…

 

 さらに大輪の乱舞が期待出来る状態まで来た。

 

 それが3本立てになるとこの状態、咲く時期が揃っていないんだなぁ~。

 

 なんとか揃えようとして見たが、これがベスト。今年も育てきれなかった。

 

 でも花に罪は無い! 健気に一生懸命咲いているんです。

言い訳をすれば、探歩三昧を優先して、タイムリーに花達の御世話が出来なかったことに尽きる。
水やりや、摘心や、病害虫の駆除など、全てに後手に回ったことを反省!

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呉酒祭り

2012年11月11日 | Weblog

 地元の行事に全く関心が無い訳ではありません。
 準地元でもある“海軍さんの故郷”が自慢の呉にある、大手酒蔵の酒祭りに出掛けました。

 

 瑞々しい杉玉が誇らしげに飾ってありました。
 何時も枯れたヤツばっかり見ていますものね。

 

 酒米の束が展示されていました。一目「こりぁ栽培が難しそうじゃのう」。意味分かりますね?
 ちなみにこの酒造会社の主力米は「八反錦」だそうです。

 

 今や世界中で一番嫌いな国になり下がった此処でも、醸造していたのだそうです。

 

 なつかしいなぁ~ この漫画知っている人は、結構な人生経験を積まれている筈です。
 この会社結構な品々をお持ちですよ。

 

 今もこの街は“海軍さんの威光”に頼り切っています。
 今年の夏、ライバルの舞鶴市に行って来ましたが、呉とタイアップしてお互い賑わいを取り戻したいと云ってました。

 

 貧しかった青年時代、あちらこちらの飲み屋さんに“つけ”で飲ませてもらっていました。
 この看板は今見ても、身に染みますな。

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対馬Ⅴ

2012年11月09日 | 歴史探歩

 10/25~28日に掛けて3泊4日で慌ただしく駆け抜けた、名護屋、壱岐、対馬の旅。
 今日の掲載で一区切りです。
 大陸に近く位置するところから、様々な渡来文化が栄えた地域、現在も中韓両国の影響が大きいようです。

 

 海上交易で栄えた対馬藩、最もふさわしい遺跡が此処“御船屋”でしょう。
 右下から左上に伸びる水路は人工で掘削したもの、波静かな湾内の更に奥に造成されました。

 

 このような船が運河を通り抜けて、御船屋に向ったのでしょう。

 

 現在も4台の船渠が残されています。
 このような施設としては、萩藩の御座船用船渠が思い起こされます。

 

 波静かな入江、薄い石の摂理が斜めに走る地形、何処までも深い自然林。
 対馬を代表する景色を最後のお届けします。

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対馬Ⅳ

2012年11月08日 | 歴史探歩

朝鮮半島から至近の位置にある対馬、当然文化は韓半島を経由して伝搬してきます。

 穏やかで一見湖の様な海面ですが、この地にも多くの渡来人が渡ってきました。

 

 これは8世紀新羅の時代に鋳造された“銅造如来坐像”で、国重文に指定されています。
 「女神様」として御婦人から崇められ、安産のお守りとして多くの出産に立ち会って来ましたが、鑑定の結果極めてすぐれた鋳造技術
 で造られたものであることが判明しました。

 

 こちらの像は14世紀韓国の高麗時代に鋳造されたものと云われています。
 「男神様」として親しまれていますが、火災に遭遇しており、一部が熱によって溶けて居るのが分かります。
 
 対馬島内にはこのような渡来の仏像が数多く残されており、鑑定次第では貴重な文化財が眠っている可能性があります。

 

 此処は文永の役(第一次元寇)の時、元の大軍が最初に襲ってきた小茂田集落の佐須浦。
 宗氏主従80騎で迎え撃つも、全員壮絶な討ち死にをした場所です。


 元寇の記念碑が建てられていますが、中韓両国ときな臭い話が飛び交う昨今、心穏やかに見ることはできません。

 

 ふと!大空に目を転ずれば「とんびがくるりと輪を描く景色」が見られました。
 最近、都市近郊では滅多に見られなくなった光景、長閑な日々が何時までも続くよう念じたのでした。

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対馬Ⅲ

2012年11月07日 | 歴史探歩

 韓国色一辺倒に見られがちな対馬ですが、とても興味深い文化が継承されているのです。
 島内をゆっくり巡ってみれば、本当に心安らぐ場所が一杯!

 

 海の神として最もポピュラーなのが“和多都美神”、その名に相応しく海中遠くまで鳥居が建てられています。
 九州には延喜式内社が107座ありますが、その内対馬には29座、壱岐に24座置かれているのです。

 

 そしてめずらしいのがこの“三柱鳥居”、三本脚で三つの鳥居を造り、一つの石を囲んでいるのです。
この石は満潮時には水中深く没し、干潮時には海面に全容を現します。
潮の満ち引きはなんとも神秘的であります。

 

 同じ形の三柱鳥居は神殿脇にも建てられており、並々ならぬ信仰心を伺わせます。
 この石は「安曇磯良」(あずみいそら)という、海の神様だと云われているようです。
 別名は「磯武良」(いそたける)で、神功皇后の海の道案内をしたとも伝えられています。

 

 これも対馬の石文化の一つで“ヤクマの塔”と言われるもので、木坂地区にのみ伝わる伝統です。
 海神と日の神が結び付いた信仰とされ、夏物食料の収穫と男児の厄払いを兼ねているようです。

 

 更にもう一つ、石で囲われたこの建物は“藻小屋”と言われるものです。
 海岸に打ち寄せられたり、船で収穫した藻を保管する小屋で、藻は肥料として使います。
 島固有の授かり物を有効に活用していますね。

 

 美しい山並みが連なっていますが、この頂上近くに日本国土防衛のため築かれた山城があります。
 白村江の戦いに敗れた日本は、斉明・天智天皇の時代大陸からの攻撃に備え、各地に山城を築いた内の一つです。
 前夜来の雨で道がぬかるみ近くまで行けませんでした。(うそです!最初から行くつもりはありませんでした。)

 

 こんな偶然にも出くわしました。何か神がかっていますよね!
 私の乗っているバスの社名が、太陽に反射してガードレールにぴったり写っていました。
 鏡ですよ!なんと読めるでしょうか?

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対馬Ⅱ

2012年11月06日 | 歴史探歩

 対馬は壱岐と異なり面積も広いが、なんと云っても起伏に富んだ島で、海山の自然美は秀逸。

 

 この荒々しい岩峰をご覧ください。島内到る処に絶景が拡がっています。

 

 対馬藩主宗氏の菩提寺で歴代藩主の御霊室へ向かう階段。
 秋雨に濡れそぼった石段道は、幽玄の世界を醸し出す。

 

 初代藩主:宗義智の墓。
 一般人の檀家が無いお寺なので、維持管理に大変な苦労をなさっているようだ。

 

 階段状に岩が重なる対馬の地層、まるで人が積み重ねたかに見える。

 

 板状の自然石を屋根に利用して造られた、高床式の倉庫。
 最近は瓦屋根に葺き替えられることが多く、次第に石屋根倉庫は減少して行く。

 

 入り込んだ海岸線が作り出す入江の美しさに息をのむ!
 此処は遣唐使船が船出をした“西漕手(にしのこいで)”左上方が唐の方向。

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