もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

今年もありがとう

2012年12月31日 | Weblog

 波乱の辰年も間もなく終わりです。
 皆様にとって今年は如何だったでしょうか?

 

 今年が二度と訪れることはありません。
 “かえる”がそのように云っていますので、間違いはないでしょう。
自分の都合でやり直しの利かないのが人生、来年も悔いのない1年としたいものです。

 

 

 『冬来たりなば 春遠からじ』 この冬はことのほか寒さが厳しいです。
 本当に待ち遠しい春、松には雪がすっぽり!

 来年はどのような年になりますでしょうか?
 私の初仕事は“世界遺産 厳島神社”への初詣です。

 2013年元旦、日本人らしい姿の男が厳島の参道を歩いていましたら、一声お掛け下さい。
 それがオイラかもしれませんから… 

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広島城

2012年12月30日 | Weblog

 昨今の歴史ブームで、今年それなりの賑わいを見せた広島城。
お正月を迎えるお化粧が、ほぼ終わった状態である。

 

 三の丸から二の丸方面を望む、下見板張りがしっとりした雰囲気をを醸し出している。
 気になるのは地元放送局のアンテナ、本当に無粋なヤツ。

 

 天守閣を直下から展望、右側からドングリの木が覆いかぶさって、天守を隠していたが…
 オイラの要望を聞いてくれて、伐採されほぼ全容が姿を現した。

 

 雑草が生い茂っていた、昭憲皇太后の在所も綺麗に刈り取ってある。
 せめて草取り位は、随時実施してもらいたいもの…

 

 毛利輝元の手になる、112万石の広島城天守閣と本丸を一望に…
 幅の広い堀が、平城の弱点をカバーするかのよう。

 来年のお正月は元旦から登城出来るようです。

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タワーリングインフェルノ

2012年12月21日 | Weblog

 今は亡きスティーブマックィーンが、押しも押されもせぬハリウッドスターに駆け上がった映画。
 『タワーリングインフェルノ』競演のポールニューマンを完全に脇に追いやってしまった記念すべき作品。

 

 サンフレッチェの優勝祝賀パレードを見ている時、広島の市街地に爆音を轟かせて数基のヘリが舞っていた。
 ふっと思い出したのが『タワーリングインフェルノ』

 


 

  古い話で申し訳なし! でも本当にそう思ってしまったのだから…
  ドラエモンのタケコプターを見ているみたい!

 

 これは某放送局のビル、窓のカーテンが開いているのは間違いなくパレードを見ているんだ。
 ちゃんとへそ曲がりのカメラマン?は見ているんだから、お気をつけ遊ばせ!

 

 これは別のへり、各社必死の取材合戦です。
 翌日の報道では観衆は8万余だったとか、オイラが現場の関係者?に聞いた6万余を超えていたようです。

 

 250mm程度の望遠では、まったく手も足も出ませんね。
 降参です!

 でも本当に『タワーリングインフェルノ』でなくてよかったですね。来年はカープもやってくれないかな?

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サンフレッチェおめでとう

2012年12月16日 | ボランティア

 創立20周年のサンフレッチェ広島が今年は全国制覇、優勝パレードが賑やかに…

 

 広島市の上空を、トップガンよろしくヘリコプターが周回する。

 

 ひろしまカープ初優勝から30有余年、代わって紫のサンフレカラーが誇らしげにパレード。
 沿道は6万余のファンで埋め尽くされた。

 

 パレードもさることながら、町のアートに溶け込むへりは如何でしょう。

 

 何となく閉塞感の漂う広島、それを吹き飛ばすかのような市民の喜びが爆発した。

 連れ合い殿が二人目の孫の世話で留守、鬼の居ない間の選択ではないが、今週中までヤモメ暮らしを満喫中。
 麗らかな陽射しにつられてフラフラと出掛けて来ました。

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古来稀なりⅡ

2012年12月15日 | Weblog

 『贈られて ほんのりあたたか おらが冬』 今年の12月はことのほか寒く、病み上がりにオイラにはきついのですが…

 

 心のこもったものに囲まれて、ささやかな幸せを噛みしめています。

  来年は良い年にしたいですね!

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古来稀なり

2012年12月13日 | Weblog

 12/13日誕生日です。
 このようなものが飾られました。『うれしさは ほとんどないね おらが冬』 詠み人しらず

 

 何処からともなく届けられた僅かばかりの花々、狭い家内に分けて…
 

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初冠雪

2012年12月10日 | 持芳庭

雪が舞っているなぁ~と思う間もなく、持芳庭は白く染まった。
今冬の初冠雪だ。

 

 12/10朝の持芳庭、庭木に綿帽子が出来る程度の冠雪。
 素人剪定の樹木たちを、さりげなくカムフラージュしてくれた。

 

 11/25日の持芳庭は、精一杯の紅葉だったのだが…
 これは俗称“ヤマニシキ”

 

 これでも一応紅葉です。

 

 これは“どうだんつつじ”一年に二度のお勤めです。

 

 名残の三本仕立て、まだまだ頑張っていましたよ!

 

 どんなもんです! それほどでもないか?

 

 見上げてみれば様になるかな? 青空が素晴らしい…

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舘山寺:浜松の奥座敷

2012年12月06日 | Weblog

 11/14~21まで7泊8日の多目的旅も、故郷浜松で大団円を迎えました。
 11/20日浜名湖畔:館山寺温泉で、高校の同窓会が5年振りに開催されました。
 今回は古希を迎えてのメモリアル開催でしたが、席上在郷の幹事から次回:75歳での打ち切り宣言が出されました。

 

 浜名湖を代表する長閑な風景。気候温暖波風の立たない我が故郷です。
 したがって人間も緩い性格の人が多いようで…

 

 JR浜松駅からも富士山が見えるのですが、なにせ10年物のコンデジで写したので…
 写真中央一番低いビルの上に、ちょこっと白いものが見えませんか? 富士山です。

 

 同窓会は館山寺温泉の、某有名女将の宿で開催されました。
 肖像権が厳しいので、女将を掲示するのは諦めて、代表を亀甲竹に代わってもらいます。

 

 浜松でも竹筒花火をやるんですね。知りませんでした。
 現在住んでいる、広島市高陽地区でもこの花火は盛んで、今でもお祭りで盛大に披露されます。

 

 館山寺の裏手にあるのが“館山”。山上に美しい観音様がいらっっしゃったのですが…
 右手に宝珠、左手に蓮は少し違和感が感じられます。

 

 館山寺本堂脇には神仏習合の名残か、秋葉大権現のシンボル:大天狗がで~んとちんざしています。
 あまり大きさが目立たないように、敢えて正面寄りから撮影して見ました。
 この気持ち男なら理解出来ますよね。

 帰り際に振りかえって、もう一度浜名湖をゆっくり眺めてみました。
 

 遠江(とおとうみ)の美しさを、しっかり目に焼き付けて、広島に帰りました。

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岡崎城

2012年12月05日 | 歴史探歩

 徳川家菩提寺:大樹寺から、3キロ南にある岡崎城まで歩く。
 市内中心部を流れる柿田川に沿って南下、日本一の清流と同じ名前である。

 

 家康産湯の井戸を発見、最近整理されたのかとても立派な囲いがされている。

 

 空堀(薬研堀)も残されている。
 薬好きの家康の事だから、おそらく薬研掘だったのではないか?

 

 復元された天守閣、三層で望楼付

 

 現在は通行止めになっているが、正面に鏡石が見えることから、こちらが大手だったのではないか?
 説明版は無かった。

 

 「五万石でも岡崎さまは お城下まで船が着く」と歌われたお堀。

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徳川家菩提寺:大樹寺

2012年12月04日 | 歴史探歩

 11/19日、義兄の49日法要を済ませ、名古屋在住の会社仲間との懇親会に出席。
 今回旅行の4っつ目の目的も達成した。
 浜松での同窓会に出席する11/20、行き掛けの駄賃に、三州は岡崎に立ち寄る。

 

 岡崎は徳川家康出身の松平村に近く、五万石の城下町。
 いつも通り、公共機関最寄り駅となる、愛知環状鉄道:大門駅を下り、真っ直ぐ東に向う。
 徒歩20分で見えてきたのが多宝塔、逆光に眩しい。

 

 重厚な二重門の内側から南を遠望すると、総門が見え、その先に岡崎城が展望できるらしい。
 山門の先に総門が小さく望まれるが、岡崎城は…
 次の写真で、それらしきものがチラッと

 

 山門⇒小学校のグランド⇒総門⇒岡崎城、総門の中央ぼんやり見えるのが岡崎城。
  南方一直線に3キロの位置にあると云う。

 

 本堂内陣の両脇に「欣求浄土 厭離穢土」の文字が…
 徳川家康の旗印に掲げられた言葉であり、意味は文字通りで、面白くもおかしくも無い。

 

 これは経蔵と云うには、あまりにも小振り。教車とでもいうのだろうか?
 教本が収められているのは確か。

 

 墓地の奥まった一角に、松平家7代の墓がある。
  無縫塔あり、五輪塔あり、宝筺印等ありで、真偽の程は定かでない。

この後、菩提寺:大樹寺の真南3キロにある岡崎城まで、徒歩で向かうことにした。

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大垣城

2012年12月03日 | 歴史探歩

 11/19日、午後義兄の49日法要で名古屋に向かう束の間の時間、大垣城に立ち寄る。

 

 表御門は、多聞櫓か?と思わせる様なめずらしい造り。

 

 野面積みの低い石垣だが、場内の地面(ぢづら)が高いので、水門が設けてある。

 

 地元の有力者:大垣氏の居城と云う事から、大垣城と呼ばれるようになった。
 江戸時代の縄張りを見る限り、堂々たる城郭である。

 

 石垣作りには苦労したようで、あり合わせの石を無造作に積み上げている。

 

 下から2段目の石垣に横線が入っているが、明治29年の大洪水でここまで水に浸かったとある。
 大垣の町中が水没した未曾有の大被害。輪中ならではの災害である

 

 この塀の支えは何と呼ぶのだろう。凝った作りになっている。
 狭間が多く造られていて形も〇☐△と多彩だが、鉄砲を指し込むと視界が遮られ実用にならないのでは…

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龍潭寺

2012年12月02日 | 歴史探歩

 井伊家の本貫地は、浜松市引佐町の井伊谷(いいのや)で、ここに龍潭寺(りょうたんじ)はある。
 後に井伊家が佐和山城主となった時、彦根にも龍潭寺が建立された。
  臨済宗妙心寺派の名刹である。

 

 簡素な冠木門をくぐれば、境内は鬱蒼とした樹木に覆われ、荘厳な雰囲気を醸し出す。

 

 さらに先へ進めば、どっしりとした薬医門が現れる。
 門は開かれているが柵止めが置かれており、脇戸から出入りするようになっている。何故?

 

 自慢のお庭、東庭は枯山水で、補陀落浄土を現す、中央に配置された三尊石。
 海を現す部分にも、綺麗に帚目が入れられている。

 

 今まさに船出せんとする、補陀落浄土に向う船石も…
 分かりやすい配石である。

 

 南庭は一転して、植生豊かな池泉庭園で、中央手前は亀島である。
 奥側の石組は龍門瀑で、鯉魚石も据えられている。

 

 苔むした巨大な仏足石、本当に有難味を感じさせる風情。

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井伊家菩提寺:清涼寺

2012年12月01日 | 歴史探歩

 ①落合郷土史仲間との旅行を終え ②大阪在住の会社先輩と旧交を温め ③難関の西国霊場5カ寺参詣も済ませた
 今回の欲張り旅行は更に、義兄の法事や同窓会などに続く。

 11/19日、スケジュールの合間に幕府大老:井伊家の本拠地彦根を訪ねた。

 姫路城に先を越されたため、どうしても世界遺産登録が成就しない彦根城。
 天守、お堀、大名庭園と3拍子揃った、完璧な日本を代表する城郭です。
 世界遺産などになる必要はありません。このままでいいんです。

 

 オイラは利用しなかったが、こんなやつが御城下を巡っています。
 運行日を確認して利用すれば、結構便利なようです。

 

 石田三成の居城:佐和山城へ向かう途上、一匹のはぐれ猿に出会いました。
 ところがこの後、数十匹の猿集団に出会ったのでです。怖かった。
 猿たちは民家の軒先にある、青いイチジクの実を貪り食っていました。

 

 井伊家の菩提寺:清涼寺、この太い柱をご覧あれ!すべてケヤキだと云うから驚き。
 小さな人間と比べてみてください。

 

 これは古い鬼瓦を保存しているつもりらしいのですが…
 桜田門外の変で凶刃に倒れた井伊大老を思い出してしまいますね。崩れた“井の字”が悲しい。

 

 

 井伊家歴代の墓、これは新しく造られたもので、武家の墓としてはめずらしく卵塔型。
 井伊家は浜松市の出身、本当の歴代の墓はこちら井伊谷にあるようだ。

 オイラも浜松市の出身、一度訪ねてみたいもの。

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