もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

東北へⅥ(会津若松)

2018年04月30日 | Weblog

戊辰150年と喧伝する会津若松鶴ヶ城を訪ねた。

 

外観復元がなった会津若松城(鶴ケ城)の雄姿、五重塔(七重塔)を思わせる姿。
新しい城郭の典型、層塔型の天守を持つ。

 

石垣は加工の荒い石を積み重ね、入り口上部には冠木に代わって長大な石を冠く。
築城時からこの姿だったのだろうか? 石棺の蓋を連想させる。

 

戊辰戦争後倒壊寸前の姿、この後手入れされることはなく自然倒壊となった?

 

会津若松を守るかの如く、背後に悠然とそびえるのは会津磐梯山の雄姿。

 

 

手前左側が白虎隊で有名な飯森山、鶴ヶ城とは指呼の距離にある。
会津藩には年少順に白虎隊、朱雀隊、青龍隊、玄武隊とあったの知ってる?

「南鶴ヶ城望めば 砲煙あがる 痛哭涙をのんで かつ咆哮す」確か詩吟だったと思うけど…

 

訪ねた日(4月18日)はまさに桜花満開。

 

屋根瓦も創建当時の赤瓦に葺き替えられている。

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東北へⅤ

2018年04月29日 | Weblog

磐越西線で郡山から会津へ向かう。
今年は明治維新150年と言われるが、当地福島県では「戊辰150年」と呼称される。

 

熱海は温泉地の別名みたいなもの、もちろん静岡県だけに存在するわけではない。
昨日紹介した、地温泉の1湯に数えられている。

 

ほどなくして車窓には雪の残る山並みが見えてきた。
真夏日云々と言っている地域も多いこの時期、やはり日本は広いを実感。

 

発展期の日本各地に施設された「軽便鉄道」の記念碑が見える。
オイラの出身地浜松にも「奥山線」と言う、「軽便鉄道」が走っていた。
懐かしいね!ホロリ…

 

猪苗代期のほとりを走る磐越西線だが、湖面は全く見えない。
猪苗代湖は日本第4位の面積を誇る巨大湖、標高も500mを超える高さだが…

 

会津若松では俗だが桜の時期でもあり、会津若松城を目指す。

 

幕末の戊辰戦争にその名を遺す会津、歴代城主は誰だったかなと復習する。

広島と所縁のあるのは5代目の城主蒲生秀行、秀行の妻振姫は夫亡き後、広島3代目城主浅野長晟に再嫁した。

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東北へⅣ

2018年04月28日 | Weblog

水戸で思わぬ寄り道をしてしまった。常磐線に慌てて飛び乗る。

 

乗り鉄、湯治の旅では、どうしても食事はお粗末になりがち。
水戸駅中で食べた「かき揚げそば」揚げたてかき揚げがこの厚さ(熱さ)美味しかった。

 

水戸駅、古い駅舎に古い照明器具だが、管はLEDだよ!

 

常磐線「いわき駅」で乗り換え「磐越東線」に入る。

 

東北は名だたる温泉がそこかしこ「地温泉=THE ONSRN」と洒落たつもりかな?
このポスターには31の温泉がPRされている。
「さぁ~湯治じゃ!」

 

梅、桜、桃が同時に開花することからついた名が「三春」
「三春の滝桜」が有名だが、今回は温泉を優先して素通り。

 

 ついに磐越西線にたどり着いた。

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東北へⅢ(水戸徳川家)

2018年04月27日 | Weblog

乗り鉄で言えば、今回も踏破し難かった路線を巡るので効率が悪い。
水郡線の内「水戸⇔常陸太田」は盲腸線。

 

盲腸線の終着駅:常陸太田駅でこの表示を見かけた。思い出した!

 

西山荘は天下の副将軍:水戸光圀の隠居所だ。閑静な佇まいである。
記録を見ると1690年~1700年の間、光圀はここで過ごしたとあった。

 

雰囲気が良いねぇ

 

水戸と言えば弘道館だが今回は時間がなく、目的も違うので素通り。

 

日本三名園に数えられる水戸偕楽園、今回初めて複雑な建屋構造に気が付いた。
なんでこんなことになっているのだろう?近くにガイドが見当たらず聞きそびれた。

 

本勝手の書院だが、明り取りが額縁になっている。
床柱は竹製、水戸は竹の名産地?

 

こうゆうのは本当に嫌い! 徳川は特に葵の押し付けが多い。

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東北へⅡ

2018年04月26日 | Weblog

今回も湯治、乗り鉄、歴史探訪と欲張り旅を決行する。

 

まずは水戸へ出て、水郡線の一部が未踏破なのでやっつけにかかる。
水郡線は 水戸⇔郡山 の路線だが、車両はここでもピッカピカである。

 

広大な関東平野をひた走り、雄大な利根川とのどかな田園風景が広がる。
日頃は山が眼前に迫る、広島で生活する身にはなんとも羨ましいような光景。

 

途中上菅谷駅で、郡山行と常陸太田行に分岐するが、両方とも「水郡線」の名称である。
未踏破の常陸太田行きに乗り換える。

 

なんの特徴もない終着駅:常陸太田駅。

 

傍線に置かれたこの編成車両は雪上車であろう。
この辺りも厳しい寒さが到来するのだろう?

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東北へ

2018年04月25日 | Weblog

JR北海道&東日本パスなる乗車券が存在すると聞かされて、心はたちまち東北へ向かう。

 

それがこの切符で、どう考えても「青春18きっぷ」より優れモノである。
JR西も東海も九州も発行してくれないかな?

簡単に説明すると連続する7日間、JR北海道と東日本の普通列車がこの金額で乗り放題というものです。

 

東北へ向かうのだから、起点はなんと言ったって上野だ!
上野駅といえば、井沢八郎の「あゝ上野駅」が頭に浮かぶ。

「夜行列車に ゆられて ゆれて…」というような歌詞だったね

 

新幹線が開通した後の上野駅に、昔懐かしさを求めるのは無理かと思ったが…
ご覧ください!上野駅常磐線の発着ホームは昔さながら、レールの廃材?を使っています。

 

 

しかしさすがはJR東日本だけあって、運行される車両はピッカピカでした。

 

いつ見てもとても「あびこ」とは読めないですね。

 

「あれ?」JR四国の旅ではないのにこの表示、讃岐ならぬ佐貫駅でした。

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銀座TAUⅡ

2018年04月24日 | Weblog

みずほ銀行の隣に「TAU」はありました。

 

厳島神社の壁飾りと「ひろしま」とひらがな表記。
「ひろしまブランドショップTAU」

 

TAUはたうで、手が届く、足りるという意味の広島弁です。
因みに反対語はたわんで、手が届かない、足りないということになります。

 

2階にあるカープグッズ売り場、下水流選手のLサイズがない!と悲鳴があがっていました。

 

今季スタートダッシュに成功したサンフレッチェグッズも、広島酒も…

 

奥にカウンターがあり、クッと一杯ご機嫌です。

 

そしてこちらは夕方16時ころなのに満員でした。

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銀座TAU

2018年04月23日 | Weblog

東京銀座にある広島県のアンテナショップ「TAU」へ行ってきました。
全国のアンテナショップの内、北海道に次いで第2位の入場者数を誇ります。

 

山手線有楽町駅改札をを銀座側に出ますとこの景色。

 

有楽町駅を背にして左手に目をやると、この建物が目に入りますので歩道を渡ります。

 

そのまま進むと銀座インズ2と銀座インズ1の間を通り抜けます。
通り抜けたら銀座インズ2側へ左折します。

 

そし次の交差点で南側を見ればこの光景、この小路へ入ります。
柳並木の狭い道です。

 

二本目の交差点左手にこの建物があります。さらに直進すると…

 

三本目の交差点ではこの看板が目に入ります。
みずほ銀行とこの建物の間に、広島県のアンテナショップ「TAU」があります。

「さあ~中へ入ってみましょう!」有楽町駅から徒歩5分ほどです。

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かたくりH30Ⅱ

2018年04月15日 | Weblog

場所を移動して、地域の皆さんが懸命に保存活動をしているかたくりを鑑賞。

 

こちらもかろうじて残っているやつを見つけた。

 

三輪寄り添うように…

 

苔を主役に見立てて撮ったつもりですが如何?

 

隣に咲くこいつが、やけに輝いて見えた。

 

忘れてもらっては困ると、必死にアッピールしているようだ。

 

 

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かたくりH30

2018年04月14日 | Weblog

桜も異常に早かったが、かたくりもまた早咲きだった平成30年。

 

4月第2週~第3週が例年見ごろなのに、今年は第1週がピークだったようだ。

 

それでも数輪が遅れて駆け付けた、ドジなオイラを待っていてくれた。

 

花びらのそり、微妙に異なる色彩、めしべとおしべの形など、どれ一つ同じ花はない。

 

人の手が入らない(勝手にオイラが思っているだけかも?)自然に育つ、健気さが愛おしい。

 

周囲の土が掘り返された、イノシシの爪痕がそこかしこに見られたのは心配。

 

でもイノシシが、カタクリの根を食べた形跡がないので一安心。

 

来年は何が何でも、最盛期に来るよ!

 

三次市にあるこの神社の境内に咲いています。

 

お社の妻側にある彫り物は一見の価値がありますよ!
懸魚、手挟、獅嚙、斗手など、手の込んだ細工が施されています。

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医光寺Ⅲ

2018年04月13日 | 歴史探歩

島根県益田市にある医光寺の雪舟庭園、ここに一挙公開です。

 

背後の山を借景とした池泉庭園だが、一説によると雪舟庭園の特徴は石の置き方にある。
それは三角形の石を、逆三角に置くのだという。でもこの庭にはその光景はない。
しいて言えば、つつじが逆三角形に剪定されているが…まさか!

 

池の中央にあるこの島は「亀島」と説明されているが、どちらかといえばこの石組は鶴島ではないか。

 

何気なく置かれたこの石が「亀島」と思うがどうだろう。

 

医光寺庭園もう一方の売り物がこの枝垂桜だが、残念ながら葉桜の状態。

 

医光寺の説明では池の形が鶴で、これが亀島だという。
更に亀の背中の石組が蓬莱峡でもあり、三尊石であると説明されている。

 

中央には枯山水で滝が設えられており、鯉魚も配されていた。

 

この半島状に突き出た部分は「鶴出島」とも言うようだ。
するとこの部分が「鶴島」かもしれない。

 

亀島の背中に位置する三尊石をアップで…左石は植え込みの下に隠れるように存在する。

 

表側庭園に、それとわかる三尊石が配されていた。

中国地方の雪舟庭園は、山口の常栄寺、そして益田の医光寺と萬福寺だ。

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医光寺Ⅱ

2018年04月12日 | 歴史探歩

益田市は柿本人麻呂の終焉地とも言われており、この切り口で訪れる人も多い。
オイラ、今日のテーマは雪舟なので、人麻呂所縁の場所には行かない。

 

医光寺方丈の入り口に飾られた滝登りをする鯉魚、枯滝にもこの姿があるかな?

 

板戸を鉄板で飾っており、ちょっと興味をそそられるが…
実はこの戸、一枚板ではなく継ぎ目があり、これを隠すためのデザインらしい。
昔はこのような幅広の一枚板を引き出すのは容易ではなく、苦肉の策らしい。

 

おなじみ釈迦涅槃図が掲げられていた。

 

方丈の欄間にも矢じりを模したような透かし彫りがある。
矢がこのお寺、益田に関係あるのか聞き漏らした。

 

こちらは当山所縁の雪舟像、左膝に「泣きネズミ」

 

何気なく祀られた三体のお地蔵様、縦に三体並ぶのは見たことがない。

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医光寺

2018年04月11日 | 歴史探歩

思い立って即、島根県益田市にある雪舟ゆかりのお寺を訪ねる。

 

益田市街へ入った途端目に飛び込んできた総門、探すまでもなくそこが医光寺。

 

それと分かる修復跡が痛々しい柱。それとも格調高い柱?

 

こちらの山門は一目新しい。

 

益田市は島根県西部の都市で益田氏の居城があった。
これは17代藩主「益田宗兼の墓」とある。医光寺は益田氏の菩提寺の一つ。

 

臨済宗の古刹なので御本尊は薬師如来。三尊形式になっており脇侍は月光菩薩と日光菩薩。

 

経蔵が焼失したのか?経典が珍しい引き出しに納められている。

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