もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

広島駅周辺改装中Ⅲ

2014年09月20日 | Weblog

広島駅前南北に加え、二葉の里も大規模建築が工事中。

 

 二葉の里方面にもクレーンが建ち始めた。輸入家具のイケヤ、広島テレビ、放射線研究所などが出来るようだ。

 

 駅南在来線側は本格的に建物を建造中、一部は姿を現し始めている。

 

 福屋駅前店の屋上から覗いてみた。
 手前側斜めに掛かっている猿猴橋も、建造時のデザインに変更されるようだ

 

構想が持ち上がってから40年余、やっと重い腰が挙がって再開発が現実となる。

 

 存廃論争にけりが付き取り壊された愛友市場跡、結構複雑な形状をしている。
 新装なった高層ビルの中に、古風な面影を残した愛友市場が再現されるらしい。

 

 再開発から取り残されている、千福の看板があるビルはどうなるんじゃろ?
 広島電鉄も高架で広島駅ビルに入ることが決まった。完結は何時になるんじゃろ、この目で見ることは出来ないかな?

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広島駅周辺改装中Ⅱ

2014年09月19日 | Weblog

広島駅北口(新幹線側)はどうなっているかと言いますと…

 

 こんなに狭い所に大型の重機が入っている。どこからどのように入れたのだろう。
 昔漫才で地下鉄車両のネタがあったけれど、今も真面目に考えると眠れませんね。

 

 北口コンコースはどちらを見てもコンパネで通せんぼ、戸惑ってしまいます。

 

 息が詰まるので外へ出て見ましたが、やはり工事中の仕切りで視界は遮られています。

 

 仕切りの切れ目からチラッと覗いて見ましたが、何かやっていますとしか言いようがありません。

 

 

 こちらも同じ状況ですが、重機が動いているだけで作業者の姿はほとんどありません。

 

 広島駅北口は「こう変わる」というイメージ図、工期は2015年2月末とか…

 広島市かJR西日本の広報の様なブログになっています。反省‼

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広島駅周辺改装中

2014年09月18日 | Weblog

これでも政令指定都市か?と言う程お粗末だった広島駅と周辺、今改装まっただ中!

 

 在来線のすぐ脇を八岐大蛇さながら、無造作に転がされた仮設の電線、高圧注意と書いてある。
 在来線側から新幹線駅舎方面を眺めたところ。

 

 さらに新幹線側空きスペースには鋼材の加工半製品?が一杯。
 工事の概要が説明されないので、どうなっているのか見当がつかない。民間工事なら説明書きが掲示されるのになぁ。

 

 広島駅南北の入り口を繋ぐための新設通路(架設通路?)に大型の鉄骨加工物が搬入される。
 11/2日からこちら側が乗降客用の通路になるらしい。

 

 新設通路に繋がるエスカレータは既に設置済み、静かに出番を待っている。
 オイラが日常利用している9番ホームです。

 

 新規架設の通路を少し高い所から見てみる。左上部に見えるのが現在の広島駅舎。
 最終的にはこの駅舎も建て替えになるようだ。オイラの寿命が完成まで持つかな?

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福山城

2014年09月16日 | ボランティア

観光ボランティアの研修会で、準地元の福山城へ久し振りに行きました。
現在は同じ広島県でも、江戸時代は備後と安芸に分かれており、敵対していた?間柄です。

 

 福山城内に、福山きっての出世企業「福山通運」がお屋敷を作りました。
 結構な眺めで、この御座敷で福山名物“埋み御飯“をいただきました。

 

 お庭にはこのように矢穴が残された、巨大な石が置かれています。
 割り損なったと思いますが、贔屓目に見れば矢穴がアクセントになっています。

 

 禅宗寺院建築でもないのに、華頭窓が配されています。
 額縁に見立ててお庭を狙って見ましたが…

 

 焼け焦げ跡?が残る樹木が大切に養生されています。余程の由緒があるのでしょう。
 良く見ると“ひこばえ”が芽吹いています。無事に育てばよいのですが…

 

 初代福山城主は徳川譜代の水野勝成、一族郎党を引き連れて福山入りしたようです。
 それ故か備後弁≒名古屋弁と言う人もいるようです。
 水野家も広島入りした福島正則と同じ“沢潟紋”尾張地方はこの紋と関係が深いのかな?

 

 

 徳川家の出城とも言える福山城、天下普請に近い状況で短期間に築城したようで、礎石には刻印が…

 福島氏を川中島へ追いやり、浅野氏を紀伊から無理やり広島へ移し、備後地方の10万石を割譲して水野氏へ与える。
 浅野氏は42万石と言われるが、水野氏10万石と上下天領の3万石を差し引けば、福島時代の49万石ー13万石=36万石となってしまう。徳川氏の露骨な外様いじめと映るがどうであろうか?

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三国港のおもてなし

2014年09月15日 | 歴史探歩

その昔北前船で大いに栄えた福井県の三国港、往時の面影が残るお店で…

 

 昔芸妓のお稽古場だった場所で、美味しいお料理のおもてなし。
 風情のあるのれんを潜って見ると…

 

 玄関先では日本を代表する美男美女がお出迎え!
 “おかめとひょっとこ”だが、どちらもほっぺたを膨らませているところが共通点。どのような意味が???

 

 もちろん綺麗に清掃されて、お花も飾られて結構なおもてなし。

 

 おめでたい獅子頭や楽譜もならべられていて、結構ですが…

 

 都風の坪庭も配されています。

 

 料理は海の幸中心でとても美味、酒度:10度の清酒も“コクがあってキレもあり”最高。
 休日だったので、仲居さん?が…でした。残念!

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白山信仰Ⅷ 修験道を彩る花

2014年09月12日 | 歴史探歩

白山信仰参詣の入り口となる三馬場を巡り、先人の信仰心を探ろうとしたが、出るのはため息ばかり。
それでもそこかしこに咲いている花々に、心は癒される。

 

 美濃馬場長滝寺参詣道で見掛けたこの花、例によって名は知らないが存在感は確か。

 

 良く見ると額と思われる部分に、縦に白い筋が入っている。草花と言う形容が本当に相応しい花だ。

 

 葉にあるギザギザと尖った雄しべ?が特徴的なヤツ、一か所に群生していた。

 

 加賀馬場、白山比神社にひっそり…これは間違いなく河骨だろう。
 葉は神社仏閣の“釘隠し”にデザインされた。水分たっぷりの所から火災防止のまじないだろう。

 

 越前馬場は平泉寺境内にみたこれは?「キャラボクの苗」かな…

 

 最後は泰澄大師が入寂した大谷寺(おおたんじ)に咲く蓮。

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白山信仰Ⅶ 大谷寺

2014年09月11日 | 歴史探歩

泰澄大師創建の「越智山大谷寺」大谷はおおたんと称する。
本来は大丹の字があてられていたようで、この地は丹(に:水銀)が産出したようだ。

 赤色塗料により莫大な財産を得た泰澄大師の父親は、不動明王を本地仏とする三所大権現を祀る寺を開山。
 最盛期は堂塔一千有余の大伽藍を形成していたと云う。

 

 廃仏毀釈の嵐に翻弄され現在の本堂は、庫裏の一部を本堂に充てている。

 

 神仏習合の名残を残す「越智山大権現の額」、本堂の掲げられている。

 

 

 近年再建された?「泰澄大師を祀る大師堂」。

 

 この地で入寂された泰澄大師の御廟、九重塔は国重文である。

白山信仰を全国的に広めた祖:泰澄大師の廟所としては見る影もない。
越前の一私度僧であった事に起因しているのかもしれない。

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白山信仰Ⅵ 越前馬場

2014年09月10日 | 歴史探歩

白山信仰に登場する菊理媛命(くくりひめのみこと)とは?

菊理媛命=白山比命だとされているが、ククリヒメと発音の似ている、高句麗(コウクリ)からの渡来神とか、水信仰の女神として潜る(クグル)とか、イザナギとイザナミの中をとり持った=括る(くくる)のいずれかが名前の由来と言われている。
此処白山では3番目の括るが真説とされているようだ。

 

 白山三馬場の最後に訪れたのが越前馬場、昔の参詣道が発掘されて注目を集めた。

 

 越前馬場は白山平泉寺が起点、白山修験道を開いた泰澄大師の廟があった。
 大師は白山平泉寺に現れた神女に導かれて、白山御前ケ峰に登った。

 

 白山平泉寺=白山神社で「白山三所大権現」が祀られている。

 

 奥州平泉の藤原氏所縁の寺だけあって、中尊寺に酷似した境内の佇まいである。

 

 このお寺にも最盛期には僧兵が8千人居たと言われ、僧坊跡がガン剤発掘調査中。
 一向一揆によって、織田信長に滅ぼされた。

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白山信仰Ⅴ 白山比神社

2014年09月09日 | 歴史探歩

“しろやまさん”の愛称で多くの信者を惹きつける「白山比神社(しろやまひめじんじゃ)」が加賀馬場。

 

 金沢から程近い白山市鶴来(つるぎ)に位置しており、交通の便が良いことから、白山三馬場では最もにぎわう場所。

 

 加賀一の宮の趣が感じられる表参道、此処から歩いて参詣する人は少ない。
 イザナギ命、イザナミ命、菊理媛命(くくりひめのみこと)を祀っているのだが、交通安全にも霊験ありとのこ
  とで、本殿直ぐ横まで車が入るこ
とが出来る。

 

 表参道脇に懸かる「琵琶滝」、此処にも白山信仰のシンボルである霊水があふれ出ている。

 

 この神社脇に馬を繋ぎとめても(馬場:馬を繋ぐ場所)、白山御前ケ峰は遥か彼方。
 参道を上り詰めたところにある「白山奥宮遙拝所」で我々も不本意ながら…

 

 白山比神社本殿、注連縄が出雲型なのはどうゆう事なのかな?
 神紋に亀甲があしらわれているところは、出雲大社と相通づるのだが…

 

 これも不思議な場所で、井戸のような処を神域としてある。

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白山信仰Ⅳ 御神水

2014年09月08日 | 歴史探歩

白山から流れ出る清流は富山へそそぐ庄川、金沢を潤す手取川、福井は三国港に到る九頭竜川、そして太平洋へ向かう長良川と人々に多くの恵みを与えてきた。

 

 白山修験道を開いた泰澄大師が、神女に導かれて発見したと伝わる“阿弥陀ケ滝”水量豊富な大滝である。

 

 裏見も可能だが、とび跳ねる飛沫が半端ではなく、裏側に回り込めなかった。
 何方の寄進か知らないが、不動明王も鎮座している。

 

 清冽な流れは大河:長良川となって飛騨、濃尾地方をうるおす。

 

 阿弥陀ケ滝を過ぎて更に修験の道を奥に進むと、突如集落が現れる。上・下在所である。
 此処は白山信仰を進めた御師(おし)達の集落で、現在も御師の子孫だけが暮らしている。

 

 白山修験道の結界(磐境)であろう。此処から白山御前ケ峰まで14時間の道のり。
 最盛期には多くの信者が行きかった。

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白山信仰Ⅲ 美濃馬場

2014年09月07日 | 歴史探歩

白山信仰の起こりは「霊峰白山の自然信仰」、人々が山に敬虔な祈りを捧げたのが始まり。

 標高2702メートル白山最高峰の御前ガ峰、一面白銀の世界である。
 白山と言う山は無い、幾つかの連峰からなる峰の通称。

 

 仏教の伝来と共に白山は修験道の道となっていく。
 白山へ修験道を開いたのは越前の僧:泰澄だと伝わる。
 白山修験道として最も人気を博したのが、東海地方からの入り口である此処「美濃馬場」である。

 

 神仏習合の姿がそのまま残されており、天台宗白山長滝寺とも言われる。
 最盛期には30余の堂塔と360坊を誇った。

 

 

 白山長滝神社拝殿、小格子天井で格式を感じさせる佇まい。

 

 白山長滝神社本殿、イザナギ命、イザナミ命、ヒコホホデミ命を祀っている。

 

若宮社家入り口、宮司は現在も天明年間に建てられたこの屋敷に生活されている。
白山長滝神社は木曽義仲が戦勝祈願した場所でもある。
現在の住所は:岐阜県郡上市白鳥町長滝

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白山信仰Ⅱ

2014年09月06日 | 歴史探歩

白山信仰の本質に触れる前に、世界遺産五箇山をもう少し紹介しよう。

 

 日本最大級5階建ての合掌造り岩瀬家、正面中央にも換気口兼明かり取の窓がある。
 障子貼りだが、豪雪など気候変化に耐えられるらしい?

 

 望楼型のお城のように、1階部分(総欅造り)と重層部分(松材が中心)は天と地ほどの開きがある。

 

 合掌造りは横からの眺めが一番絵になる。

 

 60度近い急勾配の階段は、手摺があっても昇降に難儀する。

 

 養蚕室にされていた三階部分、1階とは比べるべくもない貧弱な素材を使用。

 

 お寺の本堂も茅葺きの合掌造り?
 華頭窓が無ければ、寺院建築とは気が付かないかも…

 

 近くの民宿で山菜料理の昼食、ほとんど田の無い集落なのにご飯が美味しかったらしい。
 オイラは料理で満腹で、ご飯は食べることが出来なかった。

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白山信仰

2014年09月05日 | 歴史探歩

今年の夏は北陸のかくれ里?白山信仰をちょっと旅した。

 

 北陸の表玄関金沢市、現在は来春開業の「北陸新幹線金沢延伸」の話題でで持ちきり。
 「辰巳用水取水口」の説明版だが、タイトルに注目して見てください。
  国史跡 辰巳用水 附(つけたり) となっているでしょ。つけたりとなんとも優雅な表現ですよ!

 

 金沢市を離れ白山信仰のかくれ里に向かう途中、ダム湖が現れた。

 

 理不尽なお上の沙汰によって湖底に沈んだ集落の悲劇が語られる。
 石板にありし日の集落の記録が残されている。

 

 白山信仰探求の途次、せっかくなので世界遺産五箇山の合掌を尋ねた。
 江戸時代加賀藩の塩硝(黒色火薬のもと)を生産していたのがこの集落。

 

 国重文の岩瀬家住宅、一回は柱も床もすべて総欅造りの豪邸。
 床面は磨き抜かれて鏡の如し。

 

 当家主のお話を、いろりを囲む車座になって拝聴する。
 囲炉裏には薪がくべられ、湯釜のお湯でお茶を入れてくれる。全てが現役で或る。

 

民謡:こきりこに使われる「ささら」がさりげなく置かれている。

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26夏乗り鉄Ⅴ

2014年09月02日 | Weblog

この夏青春18切符による乗り鉄の旅も終幕近し、
この後、信越本線、八高線、相模線、御殿場線を乗り継いで完。

 

 花の都東京さ走るのも、この雑草をかき分けてホーム入りする列車も共にJR東日本の在来線。
 車両も半端ではなくレトロですよ!

 

 上越地方のスキー場銀座?を抜ける列車の旅。
 この後、鉄道ではめずらしい、ダブルループ場所があると云うので期待したが…
  なんとトンネル内でループを描くので、まったく何が何だかわからぬ間に通り過ぎていた。

 

 如何にもローカルだ!八高線、乗車ホームを見付けるのに一苦労。

 

 ここまで大書しなければいけない内容だろうか? 美的センスゼロだ。

 

 JR東日本は、他のJR各社とは文化が違う、普通列車にもグリーン車が連結されている。

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乗り鉄寄り道 国宝瑞龍寺

2014年09月01日 | Weblog

城端線起点の高岡市には前田家二代利長の菩提寺:国宝瑞龍j寺がある。
ここで立ち寄らない選択ははない。

 

 門前にある広大な中庭、綺麗に帚目が残されている。

 

 どっしり重量感のある山門は、まさしく戒律の厳しい禅宗の威厳を感じさせる。

 

 山門から本堂を臨む、本堂の後ろには講堂が置かれており、一直線に伽藍が配置されている。
 典型的な禅宗様式の伽藍配置である。

 

 建物も禅宗様式そのもの、桟唐戸、華頭窓、粽などにその特徴がある。

 

 本堂の屋根瓦は鉛製、北陸の厳冬に耐えるためとも、鉛を砲弾に転用するためとも伝えられる。

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