もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

湖北五山:初山宝林寺

2013年10月30日 | 歴史探歩

このお寺は、隠元禅師によって広げられた“黄檗宗”のお寺。
京都は宇治の「黄檗山万福寺」が総本山である。
手の込んだ精進料理:普茶料理は絶品!一度は頂きたい料理である。

 

 階段を登りつめた処にある山門は杮葺きの堂々たる構え、白壁も綺麗に維持されている。
 山号は“初山(しょさん)”、右から左に書かれているのはめずらしい。

 

 整然とした参道の正面に、杮葺きの仏殿が端然と控えている。
 禅宗寺院の定法、山門から仏殿、弘法まで、一直線上に伽藍が配置されている。

 国重文の仏殿は、杮葺き屋根の傷みが目立つものの、見事な佇まい。
 境内も綺麗に掃き清められている。

 

 黄檗宗の宗祖:隠元禅師の御姿、隠元豆を日本の持ち込まれたこともつとに有名。
 説明をしていただいた御住職によると、黄檗宗のお経はすべて中国語で唱えるのだと…

 

 仏殿内には釈迦三尊像を初め、二十四天善神像など数多くの仏像が祀られている。
 さすが遠州地方随一の、黄檗文化を伝えるお寺だけの事はある。

 

 仏殿の奥、一段高い位置にある弘法は茅葺きの荘厳な建物。こちらも国重文である。
 昨年、京都は美山の屋根葺き職人が、一年がかりで、葺き替えたもの。
 




 弘法の裏手には、大きな枯山水庭園が広がる。
 荒れていたものを、近年手を入れて整備中とのこと。完成した暁には是非拝見したいものである。

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湖北五山:龍潭寺

2013年10月28日 | 歴史探歩

奥浜名湖に位置する湖北五山の代表格、万松山龍潭寺を訪ねる。
幕末に君臨した井伊大老を生んだこの地は“井伊谷”と言う。

 

 奥浜名湖の周辺はミカンの一大産地、“三ケ日ミカン”はつとに有名、全国ブランドである。
 そんな場所の一画に、ひっそりとした山門が現れる。

 

 門を潜ったお庭は既に綺麗に帚目が通っており、庭全体を作務衣の方が黙々と掃き清めていく。

 

本堂から眺める表庭、白砂が清められ美しい波紋が描かれている。
庭掃除を中断して、御住職が説明してくれた。(作務衣で庭掃除されていたのが御住職だった)
想像した通り、砂で浜名湖を現している。

 

 本堂の屋根は昨年葺き替えられたそうで、杮葺きの美しい紋様が見られるが、残念なことに表面を銅板で覆っている。
 優雅な奥庭と杮葺きが絶妙の対比を見せているだけに、本当に残念! でも後の補修を考えての事だと説明された。

 

 小堀遠州の手になる奥庭、池に築山を配し、後方の山を借景にしている。本格的な禅宗庭園。
 写真の手前側に石を多く配して近景を現し、奥に行くに従って石の数を減らして、遠近感を演出している。
 遠くに見える建物は、銀閣寺を模した開山堂。

 

 巧みな石組みによって造られた枯滝。
 松やつつじ、紅葉など多彩な植栽によって、四季を通じて楽しめる工夫も…

 

 帰り際、表庭から本堂と開山堂を一緒に納めようとしたが無理でした。

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湖北五山:摩訶耶寺

2013年10月27日 | 歴史探歩

此処では浜名湖の北にある古刹、湖北五山の内の一つ“摩訶耶寺”を紹介する。

 

 浜名湖:湖北五山の統一看板、今この地の観光名所として売り出し中。
 事実、地元浜松の住人にもあまり知られていない感じ、我がふるさとの古刹を紹介します。

 

 大乗山宝池院摩訶耶寺が正式名称、真言宗では院内の塔頭が寺になるのかな?
 平安末期の創建と云われ、遠江地方では最も古い、真言宗の寺院と言われている。
 創建時の面影は偲ぶべくもないが、風雪に耐えた山門は…

 

 本堂は江戸期の再建だが、総欅造りで組上格天井を有する立派な造り。

 

 天井が高く、広い内陣を有している。本尊は聖観音菩薩だが秘仏。
 国重文の“不動明王立像”と“千手観音像”は、本堂右手の収蔵庫に納められており、常時拝観可能。
 徳川家康の出世城のあった浜松だけに、徳川家の熱い庇護を受けていたようだ。

 

 庭は池と築山の各所に自然石を配し、後方の山を借景にした“蓬莱神仙”の幽玄境を現している。

 

山の中腹に三尊石と思われる石組があるので、鎌倉期の作庭かあるいは同時期に手を加えられた可能性がある。

仏像、建物、お庭と三拍子揃っっており、心の休まる良いお寺である。 

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西国33番観音霊場:下醍醐寺

2013年10月25日 | 歴史探歩

准胝観音堂のある処が西国33番観音霊場であり、上醍醐寺と称するのと対して、三宝院等のいわゆる醍醐寺を、下醍醐寺と云っているようだ。

 

 醍醐寺と云えば豊臣秀吉が催した、醍醐の花見がつとに有名だが、行われた場所は下醍醐寺近辺ではなく、約20分程上醍醐寺に向かう参道を登った辺りの、槍山(やりやま)と云う所だったらしい。
 千畳敷きに多くの花見茶屋を建て、周辺に数百本の桜を移植して開催したのだと云う。
 現在その場所は、このような状態で残されていた。「…花見の事も 夢のまた夢」と云った感じ…

 

 これは有名な三宝院の唐門だが、この時は開門されていた。
 なんでも台風26号の強風で、門が痛むのを未然に防ぐためだとか…

 入り口を入って右手に位置するのが、清滝宮(せいりゅうぐう)で、醍醐寺の鎮守である。
 上醍醐にある同宮から勧請されたとある。

 

 そして国宝の五重塔、落ち着いた雰囲気で、背景にも良く溶け込んでいる。
 屋根の逓減率や九輪とのバランスが絶妙で、荘厳且優美である。

 

 こちらも国宝に指定されている金堂、台風一過の青空に映えて、威風堂々!

 

 帰り際に立ち寄る予定だった三宝院だが、唐門が閉じられているのを見て拝観を取りやめた。
 以前拝観した時、良い印象を持てなかったのがその理由かな?閉門⇒閉鎖的の連想だろうか…

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西国11番札所上醍醐寺Ⅳ

2013年10月24日 | 西国33観音霊場

観音堂へのお参りは済んだので一安心、ゆっくりと伽藍を拝見する。

 

 狭い山頂部に建てられた堂は御多分にもれず懸造、重厚な雰囲気である。

 

 薬師堂に隣り合うように建てられたのは如意輪堂、豊臣秀頼によって再建されたとある。
 やはり醍醐寺は、秀吉によるビッグイベント:醍醐の花見に因んで、豊臣一色である。
 徳川家の憎悪がここまで及ばなかったのは、真言宗の力なのかな?

 

 開山堂は柱も細く、装飾も地味で、質素な造り。

 

 山科の古刹:上醍醐寺から望む京の都、曇天の為ぼんやりとしているが、肉眼でははっきりと展望出来た。

 

 参詣を終えた下り道は余裕が出来たか、こんなものにも目がいく。
 「がんばれ!ひこばえ」やがてお山一の大木になる日を夢見て…

 

 参道脇の"滑ら滝"

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西国11番札所上醍醐寺Ⅲ

2013年10月22日 | 西国33観音霊場

昨日掲載した中間地点?と思しき所から、参道は更に急勾配となり、ほとんどが階段道。
「古来稀なり」に達したオイラの心臓はバクツキ、足先が階段で躓きそうになる。

 

 息を整えつつ、女々しく、通り過ぎた急坂を振り返る。
 苦しいけれど、この先には御利益が待っているのだから…と、心に言い聞かせて先へ進む。

 

 苦闘60分、やっと上醍醐寺境内に到着、女人堂で教えて戴いた“醍醐水”が眼前に…
 無愛想なこのお寺にしてはめずらしく、この水は必ず飲むようにと、親切に女人堂で教えて戴いた。
 この奥上部に、目指す“上醍醐寺准胝堂”がある。いやあったのだ。

 

 2008年火災で焼失してしまった、上醍醐寺准胝堂跡。
 焼失後は下醍醐寺で納経を行っているが、やはり此処まで登ってから納経すべきだと思う。
 更地となったお堂前で般若心経を唱えた。

 

上醍醐寺准胝堂跡から更に上に、多くの堂塔伽藍が残されている。
更に山道を15分登れとの案内標識。国宝・重文の案内にしてはブリキ板に描かれた粗末なもの。
もう少し神経を使えばよさそうなものだが、このお寺は本当に愛想が無い。

 

 

 国宝の薬師堂だが、狭い場所に建てられているため、全体を収めることが出来ない。
 超ワイドレンズに、丈高の脚立でも持参しない限り、全貌は収められないな。
 あの登り坂を梯子持参なんて、とても考えられない。

 

 更に足を延ばして五大堂を参拝する

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西国11番札所上醍醐寺Ⅱ

2013年10月21日 | 西国33観音霊場

折しも日本列島は台風26号が襲来、後で知ったが伊豆大島で大被害が発生。
そんな日に准胝観音堂の焼跡を訪ねるオイラ。

 

 下醍醐寺の最奥にある女人堂、やはり真言密教寺院なので、此処から奥は女人禁制か?
 此処の社務所で、上醍醐寺への入山許可とも言うべき参詣料:600円を支払う。

 

 入り口に台風で参道が荒れているから注意の立て札、今台風26号が関東方面を襲っているが、
  此処には早くも
注意書きが…
 いや、これは早とちり、良く見ると台風18号と書かれている。

 

 参道は快適なハイキングコースだ! 大雨の後でも綺麗な水が流れている。

 

 此処にも立派な丁石が設置されていた。まだ2丁目だよ!

 

 参道には荒れた場所があり、歩行注意だ。
 木のおかれた処は亀裂が走り危険。右端を慎重に歩く。

 

 40分ほど喘いだ場所に置かれた道路標識。ほぼ中間点になるのかな?
 でも良く見ると、准胝観音堂とすべきなのに準胝観音堂となっている。

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西国11番札所上醍醐寺

2013年10月20日 | 西国33観音霊場

西国33観音霊場詣りも終幕が近づいてきた。
本当は今回で結願の予定でいたが、台風26号の余波で、列車ダイヤに乱れがあり、施福寺が残った。

 

 山陽新幹線、東海道線、京都地下鉄東西線と乗り継いで、下醍醐寺を目指す。
 様々なアクシデントがあって、やっと正午前醍醐寺門前にたどり着いた。

 

本来の西国観音霊場札所は、此処から1時間以上山を登った“上醍醐寺准胝観音堂”にあった。
しかし准胝観音堂が火災にあったため、現在は此処“下醍醐寺観音堂”で納経する。
これはあくまでお寺側の都合なので、あえて山上にあった、准胝観音堂跡まで登ることにした。

 

 仁王門に醍醐寺参詣の受付(料金所)があるので、准胝観音堂までの道を確認する。
 受付嬢(婆)は、オイラの頭から足先まで一瞥後「納経時間は16時30分までだよ」と告げる。
 お前さんの脚で、時間までにお参りを済ますことが出来るか?と云っているのだ。

 

 「冗談じゃないよ!まだ12時40分だぜ」と颯爽と境内を通り抜け、上醍醐寺を目指す。

 

 程なく、上醍醐寺道の標識にとりついた。
 此処から“准胝観音堂”まで、1時間強の道のりだと表示されていた。

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名古屋港水族館

2013年10月15日 | Weblog

童心に帰って水族館に入った。

 

 巨大な水槽内を見上げるようにして、のびのび?泳ぐ魚達を間近に見る。
 それだけでもう子供の頃に戻ってしまう、至福の時間が訪れる。

 

 身体の護摩斑模様は見ようによっては不気味だが、水中を泳ぐ分には美しく見えるから不思議。
 子供たちから結構な人気を得ているのだ。

 

 1時間後にショウを控えて、イルカが最後のリハーサル中!
 中学生かと見紛う、かわいらしい飼育員の云う事を素直に聞く姿がいじらしい。
  心なしか、微笑んでいるように見えるでしょう。イルカの方ヨ!

 

 こちらはツインで猛特訓中? この後向こうに見える観覧席前で、得意技を披露する。
 名古屋でツインと云えば“ザピーナッツ”か? ふる~い!

 

 水槽の清掃もショウ化されていて、人気を呼んでいる。
 子供達にはそれなりのパフォーマンスを見せていた。爺婆にはこの通り、愛想なし。

 

 クラゲのヤツも一人前に、格好をつけている。

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南極観測

2013年10月14日 | Weblog

名古屋博物館の展示で、久し振りに南極観測のことを思い出した。

 

 南極大陸に向かう初代観測船:宗谷が氷に囲まれて進退きわまり、ソビエトの砕氷艦:オビ号だったか、グレイシャーだったかに助けられたことを思い出した。
嫌いだったソビエトが、この後一辺に好きになったことも…

 

 そして初代越冬隊が犬ぞりを連れて行って、物資輸送や観測に活用したことも昨日のことのように思い出す。
 実はこれが“タローとジロー”の伝説的な話を生んだことに繋がった。
 この犬達の多くは南極で悲壮な最期を遂げたことになる。

 

 近年の観測隊はこのような巨大な雪上車で、大量の物資輸送や観測を行っている。
 それにしても、南極観測隊の活躍は全く報道されないが、どのようになっているのだろうか?

 

 この輝く大陸の上空では、今も深刻なオゾン層の破壊が進んでいるのだろうか?

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名古屋港博物館

2013年10月13日 | Weblog

名古屋港なんて何十年振りだろう? 昔築港と云っていたけど今は名称が変わったのかな?
色々詰め込んであって結構楽しかった。

 

 敷地内に一歩足を踏み入れた時、この光景が目に入った。
 一瞬、SF映画にでも登場しそうな、バトルシップと見紛う景色。南極観測船:ふじと後方は併設されている展望台。

 

 現役の南極観測船は「しらせ」だが、この「ふじ」も今でも活躍できそうな姿を見せている。
 飛行甲板を備えているので、威風堂々とした姿。

 

 広場の前には樺太犬:タローとジローの像が建てられている。
 第一次南極観測越冬隊が引き揚げるとき、連れ帰ることが出来なかった十数頭の中の二頭だ。
 真冬の南極に放置されながらも、厳寒の中生きながらえて、日本中に感動の嵐が巻き起こった。
 つい昨日のことのように蘇る。

 

 風雪にさらされた「砕氷艦ふじ」のエンブレム。誇らしげだ!

 

 そして昭和34年名古屋地方を襲った「伊勢湾台風」による、名古屋市の惨状。
 此処には、いろんなものがいっぱい詰まっています。

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国東半島修験道

2013年10月12日 | 歴史探歩

天台宗の仏教文化が、順次伝搬して行ったと云われる国東半島。
宇佐八幡に近い“本山”から始まって、半島中央の山岳地帯にある“中山”に拡がり、更に海岸地帯の末山まで、半島全体に拡がって行きました。

 

 六つの郷にまたがることから六郷満山と称され、ここに修験道が残されています。
 仰ぎ見るだけで、気後れしそうな山塊が連なっています。

 

 修験道の中で最も有名なのが、左方に見える今にも落ちそうな太鼓橋です。
 “無明橋”と名付けられたこの橋は、少しでも迷いがある人は渡れないとの、言い伝えがあります。
 右端の岩上には、東屋らしきものも残されています。

 

 何処までも続く試練の道、修験道場は10年に一度行われますが、前回が平成22年でしたので、次回は平成32年でしょうか?
 一般人の参加もOKですから、一度挑戦されては如何でしょうか?
 私は年齢的に考えて、既に挑戦の機会を失ってしまいました。

 

  テーブルマウンテンを思わせる岩場もあります。

 

 全行程150キロを4日間で走破する修験の道。達成した時の充実感はどんなでしょうね?
 夢を見つつ山を後にしました。

 

 各所見見られる半島独特の供養塔、地名から国東塔と命名されています。

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国東最大の磨崖仏

2013年10月11日 | 歴史探歩

駐車場から直ぐの、取り付き登りを喘いで進むと、更に胸突き八丁とは此処ことかと思える石段が続く。

 

 登りきったらぱっと眼前に現れた不動明王、巨大な岩盤にその威圧的な容姿がぴったり!

 

 真下に近づいて振り仰げば、なんともユーモラスな御顔をしています。
 仏の教えに逆らおうとする不遜なヤツには猛々しく、足下に膝まづく信者にはかぎり無い慈愛を施す。
 何方の手になるか分かりませんが、見事に仏教の教えを具現しているようです。

 

 横顔は思ったより彫りが深く凛々しい!

 

 不動明王のお隣には、真言密教の御本尊「大日如来」が鎮座しています。
 天台宗の修行場である国東に、真言密教も入り込んでいるようです。

 

 こちらは柵が廻らされていて直下まで近づけませんが、半眼に閉じたやさしい御顔立ちです。
 羅髪なども実に丁寧に、手間を掛けて彫られています。

 

 そして大日如来の頭上には、真言密教の教義である「曼荼羅」が刻まれています。

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国東半島:富貴寺

2013年10月02日 | Weblog

国東で最大の売り物?国宝の富貴寺を訪ねる。

 

 山門の仁王様も当然の如く石造りであります。
 それにしても16時過ぎだと云うのに、参詣客が多いです。

 

  

 歴史探訪マニアを自称していますので、少しマニアックなヤツを紹介しましょう。
 燈篭の火袋に当たる部分に、何やら十王らしきものが彫られています。
 左側に数人人が写っていますが、被写体は仏像の方です。

 

 左右一対の燈篭?に十王様は勢揃いしているようです。

 

 結構彫が深く、はっきりと十王様であることが確認できました。
 それにしても天台宗の修験場に十王様、双方の結びつきは何なのでしょうか?

 

 国宝:富貴寺本堂、宝形造りの質素な建物です。

 

 そしてこの地独特の国東塔です。

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