もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

近江八幡水郷めぐり

2017年10月13日 | Weblog

歴史探訪を終えて、近江牛も美味しく頂いて、その後ゆっくり水郷めぐり。

 

船頭さんたちが丁寧にお出迎えしてくださる。
この方たち60歳の定年後、和船の漕ぎ方を習得して船頭になったのです。

 

狭い水路の雁木から和船に乗り込みます。
右端に乗船準備中のオイラがいます。

 

幅の狭い和船なので、1槽に7人が定員です。

 

愛想の良い鴨が同行してくれます。

 

葦、蒲の穂、真菰がびっしり成育した狭い水路を長閑に船が…
生えている植物の区別がつきません。

 

やがて広い水面に出てきました。西の湖です。
櫓一丁で巧みに水路を進んでいきます。

写真提供:船橋市在住のKさんです。

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近江八幡城Ⅱ(村雲御所)

2017年10月10日 | 歴史探歩

近江八幡城跡には石垣こそ残されているが、建屋は昭和38年京都から移築された。
門跡寺院:瑞龍寺である。

 

樹木と石垣の間にひっそりと佇むのが村雲御所。
関白秀次の生母:日秀尼が、京都村雲の地に菩提寺として建立した。

 

京都村雲の地に建立された村雲御所(瑞龍寺)は壮大な規模の門跡寺院であった。
地図上朱色の囲みが瑞龍寺、右上空白部分が相国寺、右下部分が京都御所である。
広大さが一目でわかる。

 

昭和38年京都からこの地に、一部の建物が移築された。
門跡寺院には珍しく宗派は日蓮宗である。
因みに他の門跡寺院はすべて禅宗で、日蓮宗は此処瑞龍寺だけである。

 

瑞龍寺門跡の鬼板、いたる所に菊の御紋があしらわれている。

 

本堂の天井は最高級の組上げ小格子である。

 

皇族をお迎えする貴賓の部屋は、村雲の間。
襖には、そのものズバリ村雲が描かれている。

 

位牌堂には昭和天皇の御位牌も祀られている。

写真提供:船橋市在住Kさん

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近江八幡城

2017年10月09日 | 歴史探歩

関白秀次の居城:近江八幡城へは、ロープウェイで登城する。
本来なら歩いて登るんだけどね。

 

穴太衆の手になると思われる、打ち込み接ぎの石垣が随所に残されている。

 

近江八幡市街、条坊制がくっきりとわかる。

 

近江富士:三上山の勇姿、この形なら○○富士を名乗ってもいいね! この辺りを蒲生野と言うのかな?

『あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る』 額田王

 

中央左寄りの広い水面が「西の湖」で、一番手前の山の右端付近が安土城跡。

 

この掘割を起点に水郷巡りの船が出ます。次紹介するね!
鬼平か雲霧仁左衛門でも出てきそうな気がします。

蒲生野、見治めです。

写真提供:船橋市在住のKさん

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近江八幡Ⅱ

2017年10月08日 | 歴史探歩

関白秀次が開いた近江八幡は、日本を代表する水郷である。

 

街中にこんな憩いの場があるなんて、信じられな~い!

 

ほっとするような、痛々しいような、健気な感じもする丸ポストも今となっては懐かしい。

 

近江八幡が全国に誇る名物は「つぶら餅」だとさ! 甘党には無縁のオイラは蚊帳の外。
神社の境内に伝統的なお店が残るなんて感動。
城の内堀脇に無粋なアンテナを持つ放送局がある街、広島とは文化が全く異なる。

 

日牟礼八幡宮の総門に、珍しいものを見つけた。

 

珍しいでしょう? これは夢を腹いっぱい喰らった獏ではないか?
始めてみました。獏の全身、普通は鼻を強調した頭部だけしかありませんもの…

 

そして日牟礼八幡宮最大のお祭りが「左義長」
広島などでは「とんど」にこの名残が見られる。

写真提供:船橋市在住のKさん

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近江八幡

2017年10月07日 | 歴史探歩

彦根城下、関ケ原古戦場に続いて立ち寄った先は近江八幡。

 

JR近江八幡駅前から真っ直ぐ付き当たった先が八幡山。
近江八幡は西国33観音霊場の31番札所:長命寺に参詣して以来。
長命寺は、1,000段近い、きつい石段が記憶に残っている。

 

最近各地でブームになっている、カラーマンホール。
近江商人を連想する、算盤とお堀と蔵屋敷がデザインされている。

 

ご覧の通りの街並みが、当たり前のように保存されている。
もちろん現在も人々が暮らす、生きた街並みです。

 

豊臣秀吉の養子で、関白になった「豊臣秀次」が開いた城下町。
信長の開いた「楽市楽座」の遺志を継いで、近江商人発祥の地です。
計画された町らしく、碁盤目の街路が昔の町名(これが大切)と共に残っています。

 

街角で見かけたお地蔵様、半跏趺座で片足を地につけています。
困った衆生をすぐに、駆け付けて助けてくださるお姿です。

 

一幅の名画さながら、これが近江八幡の姿です。

写真提供:船橋市在住のKさん

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関ケ原Ⅱ

2017年10月06日 | 歴史探歩

昨今の歴史ブームの中、歴女たちの関ケ原は「石田三成」が人気の様です。

 

東軍布陣側から石田三成の本陣跡:笹尾山方面を臨む。
中央の幟部分が笹尾山の三成陣、右手前側の幟付近が決戦地となったところ。

 

三成陣跡は一際大きな石碑が立っている。
地元関ケ原の住民も西軍贔屓かな?

 

笹尾山、三成本陣から東軍側の布陣跡を臨む。

 

西軍の勇者、宇喜多秀家や大谷吉継の陣へは、やや険しい山道を登る。

 

大谷吉継陣近くから松尾山(小早川秀秋)の陣を臨む。
丁度、大谷吉継や宇喜多秀家の横っ腹に位置しており、横槍を指すには絶好の位置。

 

イメージと違う看板だが、如何でしょうか?

写真提供:船橋市のkさん

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関ケ原

2017年10月04日 | 歴史探歩

今、歴史ブームだし、映画「関ケ原」も公開中だし、関ケ原は旬の観光地です。

 

JR関ケ原駅は、不幸なことにあの横柄さばかりが際立つ、JR東海の管轄に入ります。
「不破の関」があったことから、関ケ原と命名されたということですが…

 

『汽笛一声新橋を 早我が汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として
から始まる鉄道唱歌が駅構内にありました。もう誰も口ずさむことはないのかな?

 

関ケ原駅直近の東首塚から、13km、正味4時間の歴史探歩の始まりです。
数万人の命が失われた関ケ原、後にこの地の民は首塚を立てて、手厚く葬ったのです。

 

東首塚のある場所は、今大河ドラマで放映中の徳川四天王の一人「井伊直政」の陣跡でした。

 

散策場所は石碑と幟のオンパレード、一人で歩いても迷うことなく巡ることができます。

 

それらしい形の残るのは、岡山烽火場です。
東軍についた黒田長政の陣跡でもあります。

写真提供:船橋市在住kさん

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彦根城Ⅵ

2017年10月03日 | 歴史探歩

彦根城に隣接する大名庭園が玄宮園。

 

免責も広く、建物も実際人が住んでいたものなので、規模は雄大だが…

 

玄宮園から遠くやや高台に、彦根城の北面が望まれる。
此処から見る天守は何かに似ていないですか?

 

無理して拡大するとこのように見える。
ここまでくれば何方でも判るでしょ!

 

そうです。角を付けると「ひこにゃん」そっくりになるのです。

 

玄宮園の東の端に田圃がありました。
この規模でしたらおそらく彦根藩の「検見田」ではないでしょうか?
実りの秋を迎えていました。

 

江戸時代の城郭をほぼ完ぺきに残す彦根城、間違いなく日本一の名城です。
お堀に写る城壁と緑を愛でつつ、暫しの別れを告げました。

写真提供:船橋市在住のKさん

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彦根城Ⅴ

2017年10月02日 | 歴史探歩

オイラが日本一と感嘆する彦根城天守の美を存分にどうぞ!

 

天守外観の勉強には最適なアングルの一枚、教科書にも使えそうです。
上から下へ順に「入母屋破風」「唐破風」「千鳥破風」「比翼千鳥破風」。
懸魚、華頭窓、蔀戸もバッチリ!

 

直下から見上げる天守はまた異なる優雅な風情。

 

内部の野物材も巧みに組み合わされている。恐るべし江戸の匠たち!

 

天守の華麗さに比べてなんともシンプル、機能第一西の丸三重櫓。
この建物も国重文です。

上4枚の写真提供:船橋市在住のKさん

 

こちらはオイラの写した資料映像、青空に映える天守は見事。

 

手の込んだ造りになっているのが一目でわかる。

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彦根城Ⅳ

2017年10月01日 | 歴史探歩

日本の築城は壮大な土木・建築の集大成。

 

右手側から上方に伸びる石垣は、地形に合わせて曲がりくねり、そして昇っていく。
このような石垣を昇り石垣と言うらしい。閑谷学校の石塀もこの形式ですよね!
更に石垣の左側は縦に堀をめぐらし、より堅固な城壁としている。

 

自然石を巧みに配し且、不規則な階段で敵の進撃速度を減じている。
仰ぎ見るのは彦根城自慢の天秤櫓。

 

天秤櫓に向かう橋、籠城合戦時にはこの橋を落とし、敵兵を寄せ付けない。

 

井伊の殿様になった気分で、彦根城下を睥睨する。

 

上の写真の光景をオイラが視線に捉えている処です。

 

時鐘櫓、創建当初は太鼓が時を告げていたが、城下に届かなかったため鐘に置き換えた。
この日は正午の時報を合図に鐘を撞き始めた。

 

彦根城の石垣はほんに穴太積みでした。
大きな石の周囲を細かい石で固める、穴太流がよく出ている。

写真提供:船橋市在住のKさん

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