南(前方)を琵琶湖、北(後方)を山に挟まれた陸の孤島:菅浦。
都から指呼の距離にありながら「かくれ里」の雰囲気が十分、ここに悲しい話が隠されていた。
集落の西端近く、水際から北へまっすぐ伸びる須賀神社参道。
落ち葉一枚も見当たらない、清々しい参道を通って拝殿へ向かう。
二の鳥居から先の石段は裸足で参拝するように、地元住民から注意された。
御祭神は一殿に第47代淳仁天皇、二殿には大山祇神と大山咋神(どちらも山の神?)が祀られる。
淳仁天皇は孝謙上皇と弓削道鏡によって、まつりあげられた傀儡天皇。
最後は淡路に流された「淡路廃帝」と呼ばれた悲しい歴史を持つ天皇。
拝殿扉とお賽銭箱には天皇家の御紋が…
淡路に流されたはずの淳仁天皇だが、ここ菅浦では淡海に流され余生を過ごされた。
このことから須賀神社一殿に御祭神として祀られている。
地元の方からは「スリッパ」に履き替えて参拝するよう言われたが、淳仁天皇の悲しい歴史に敬意を表し、裸足で石垣を登り参拝した。
この日も集落住民が総出で?風で倒れた須賀神社寄進表を立て直していた。
お茶のお世話をしているご婦人に話を聞くと、猫の額のような土地の菅浦では、二世代・三世代の同居が当たり前で、1軒の建屋の中を上手に仕切り同居していると話された。
排他的と聞いていたが建前だけで、ここの人方は本当に親しみやすい人ばかり!
菅浦葛籠尾崎の右方の島が竹生島、島には何度も来ているのに菅浦のことは何も知らない…
隣の大浦集落と数百年に亘って領有権を争った「日指」の田圃、今年の収穫を終えていた。
更に大浦集落寄りの「諸河」の田、地元の皆さんは「もろこ」と呼び、文献では「もろかわ」となっている。
こちらはこれから収穫を待つ、豊作を祈りながら集落を後にした。