もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

たけはら Ⅲ

2023年10月31日 | 歴史探歩

重伝建保存地区は景観維持に一苦労だろう。

 

明治時代に確立された日本の郵便事業、今は民営化されて四苦八苦の状態。
郵便事業が開始された当初の郵便ポスト、現在も現役続行中。

 

左側のお宅は令和に入ってから新築されたそうだが、古民家そのものの外観を装う。
それに比べて右側の家は、全く無頓着に建てられた。(エアコン室外機もむき出し)

 

国重要文化財の「高麗鐘(朝鮮鐘)」を写したつもりだが、二人の美魔女が映り込んでいた。
鐘そのものも閻魔様に見えるから不思議だね。

 

四国は愛媛の菊間産の壮大な鬼瓦だが、玉眼が嵌め込んであるのは珍しい。

 

お昼を頂いたお店の入り口に、この「とんち絵」が…
「かまわん はいれ」と読むのですよ!

 

お店の奥に入ったところは突如、映画の街青梅市の雰囲気になっていた。
中村錦之助(萬屋錦之助)と中村嘉津雄の兄弟が競演している。
チャンバラばかり制作していた東映の芸術作品。

 

日活の救世主、石原裕次郎は活劇物ばかりに出ていたイメージだが、文芸作品にも佳作がある。
この映画はオイラが高校生の時、羽田空港でロケしており、たまたま出くわした記憶がある。

 

松竹時代劇の看板スター高田浩吉は歌もとてもうまかった。
高田美和のお父さんの方が、通りが良いかな。
お富を演じた嵯峨美智子も若い頃から妖艶で、母:山田五十鈴に似ない綺麗な顔立ちが印象深い。

 

時代劇の東映は日の出の勢いだった。
悪役で存在感のあった月形龍之介の黄門様、東千代乃介と大川橋蔵の、助さん・格さんとは、まるでオールスターキャストだね。

 

大映の看板女優は、ミス日本の山本富士子だったね。
日本一の二枚目市川雷蔵や悪名の勝新太郎も大映だった。

昭和時代の映画界は「五社協定」なる、悪の協定が結ばれており、会社を越えたスターたちの競演が禁止されていた映画の暗黒時代、それでも映画館はいつも満員だったね。

 

日本最初のウイスキーで有名な酒造会社も健在、自社の看板に「高級清酒」とは、ちょっと感覚がおかしいのではないか。
品定めは愛飲家(お客)が決めるものではないのかな。

 

最後にもう一度、古都「たけはら」の佇まいをもう一度。

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たけはら Ⅱ

2023年10月29日 | 歴史探歩

そのままアニメのキャラクターになりそうな竹原のガイドさん、街中の説明もすんなり体に染み透る。

 

街中に連なる商家の懸魚も、中々凝ったものが多い。
透かし彫りの雲形に、立体的で天狗の鼻を思わせる細工があり、さらに蕪?もぶら下がっている。

 

玄関先には、お寺の本堂前に設えられる、茅の輪潜りの分身が飾られている。
ガイドさんの説明では、竹原では役目を終えた茅の輪一部を分けて戴き、軒先に飾るのが一般的だとか・・・

 

重伝建の維持に献身的に協力するお家が多い。
右手前の木箱は、大きいものがプロパンガスボンベ、小さいものは消火器の覆いだ。

 

屋根瓦の隙間に生えた〇〇杉、丁度この時期に開花するのだという。
雑草なら屋根を痛めるので抜かれてしまうが、上等な杉の一種なので珍重される。

 

「功なり名遂げた」お宅では、堂々と大きく間口を拡げたお屋敷を構える。
ケチの塊のような狭い間口の商家が連なる某都とは、竹原町民の心意気は異なる。
大屋根も、軒瓦も、壁屋根もすべて「むくり造り」である。
「粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の 洗い髪」の唄が聞こえてきそうだ。

 

道路沿いの間口が広いだけではなく、塀には優雅な透かし彫りが施されている。
瀬戸内海の波間に群れ飛ぶ千鳥が、行き交う人の心を和ませる。

 

街を荒らす害獣の筆頭は猪だが、それを図案化した壁の彫り物。
くり抜かれた💛マークは、猪の目の形なのだ。
害獣に対しても心優しい竹原の人達。

 

複雑な形の虫籠窓は、左官職人の心意気か。

 

裕福な檀家に守られたお寺の伽藍。
複雑な屋根の構造に、懸造まで造りこまれている。

 

そして昨今流行りの古民家を活用したお宿。
たけはらでは、一部屋一泊二食で4万円程度が相場だとか。

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たけはら

2023年10月28日 | 歴史探歩

2014年の朝ドラは日本で最初にウイスキー作りに成功した主人公夫妻の物語だった。
その舞台が今回訪れた「たけはら」。

江戸時代北前船の港として賑わい、塩作りの町として栄えた竹原市。
首都圏在住の親友が揃ってお越しになるので、オイラはスケジュールのアレンジと「添乗員もどき」を引き受けた。

 

「友遠方より来るあり また楽しからずや」 粗相があってはいけないので、「竹原街並みガイド」さんをお願いした。
このガイドさん、落ち着いた語り口と嫌みのない応接でとても好感が持てた。

 

何の変哲もない街並みの一角で、いきなり知らないことをガイドさんは口にされた。
「竹原は『当て曲がり』の街並みです」と説明する。
1本の道路は必ず突き当りとなり、通り抜けができない造りになっているという。

 

古い街並みに入ってきたが、説明通り「当て曲がり」となっている。
なんでも、昔から害獣の出没が多く、被害を最小限に止める工夫だとか…
猪の被害が多かったようだ。

 

「当て曲がり」は当然、重要伝統的建築物保存地区(重伝建)に入ってきても、その考え方は踏襲されている。


たけはらの街並み、石畳の道路に土を敷きこめば、あっという間に幕末の市街地に化けてしまう。
「るろうに剣心」のロケもこの場所で行われた。

 

元塩田王の建物もそのまま残されており、無料で観光客に公開されていた。
欄間の透かし彫りが素朴ながら素晴らしい。

 

商売が繁盛して江戸時代さながらのおもてなしである。

 

たけはらの竹原である由縁は、やはり竹細工と竹の子らしい。

 

2階の天井部分は野物材が露出したままで、匠の技が垣間見える。
素材の特徴をを生かして、巧みに使われているのが良くわかる。

 

たけはら「当て曲がり」の街並みの様子がよくわかる。
ほとんどの道路が行き当たりになっている。

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くま川鉄道 Ⅲ

2023年10月25日 | 鉄印帳

鉄印帳収集の最終コーナー、くま川鉄道のあさぎり駅を列車は出発した。

 

最初は「東免田駅」に停車、東免田駅があるのであれば、当然免田駅があるはずだ。
これは前にも述べた通りで町村合併により、免田町があさぎり町と町名が変更になったため、併せて駅名も「あさぎり」駅と変更されたのだろう。

 

平坦な田園地帯を走行するのだが、場所によっては立木が今にも行く手を塞がんばかり。
民家か鉄道会社か、どちらのの所有物。

 

さらに次の「公立病院前」駅は田んぼのど真ん中にあり、公立病院と思しき建物は遥か彼方に見えた。
病院通いのお客様もなく、列車は淡々と先へ進む。

 

線路脇に彼岸花、刈入れ前の稲穂、野菜つくりの温床、酪農用の飼料が一帯に広がる長閑な田園風景。

 

しばらくすると、ちょっと人家の集積した場所に停車した。
多良木駅だが、ここでも乗降客の影はなし。

 

多良木駅改札の横に、近くの恵比寿神社の「出前おみくじ箱」が設置されていた。
九州内陸のど真ん中、海からは限りなく遠いが大きな鯛を抱えたえびす様。
こりゃぁ相当なご利益があるじゃろう。

 

さらに進んで「東多良木駅」、風雪に耐える傷んだ駅舎が痛々しい。

 

そして途中乗車のお客様がいた。
新鶴羽駅は終点一駅前の停車場、地域の学生さんの利用を見て、なんだかほっと一息。

 

そして終点「湯前駅」、左側はコンクリート作りの一般的なフォームがある。
右側には向かいの材木店の提供か?ウッドデッキの広場がある。
背景は雄大な九州の背骨が控える。

 

国鉄湯前線時代は多くの乗降客があったのだろう。
古い駅舎が立派な体を持て余しているよう。

くま川鉄道の終着駅、湯前駅前のロータリーがお出迎えです。

 

令和2年8月、山口県の「錦川鉄道」を皮切りに始めた鉄印帳の旅。
令和5年9月、熊本県の「くま川鉄道」で、全40社の路線を踏破し結願。

次は何を目指そうか、御陵印かな?

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くま川鉄道 Ⅱ

2023年10月24日 | 鉄印帳

鉄印帳の導入アイディアは、くま川鉄道の発案らしい。
その元祖の路線が集中豪雨の惨禍で、不通区間の復旧が遅れているのは皮肉。

 

あさぎり駅ホームに出てみれば、「田園シンフォニー」と命名された車両がスタンバイ。
深紅の車体に「田園シンフォニー」のロゴ、垢抜けたデザインが好もしい。

 

こちらは白(クリーム色)地に同じく「田園シンフォニー」。
球磨丘陵をさわやかに駆け抜けるイメージだとか・・・

 

シックな青色に、ヘッドマークはト音記号が記されている。

 

ベージュ、青、赤、白、茶と五色の車両が運行され、春、夏、秋、白秋、冬を表しているようだ。
茶とベージュの車両は、残念ながらお眼にかかれなかった。

 

車内は木製のロングシート、乗客は往復で7人だったと思う。
遠征客はオイラ一人、他の方は地元の方とお見受けした。

 

車内の仕切りを兼ねたショウケースには、地元の特産品が飾られている。
木材は地元の「球磨ヒノキ」が使われている。

 

シンプルな運転席、比較的新しい気動車が運行されている。
少なくとも、日頃オイラがお世話になっているJR芸備線の気動車より、はるかに新しいと思う。

 

運転席横から正面の視界が広がるのは、鉄オタにとっては何よりの喜び。

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くま川鉄道

2023年10月23日 | 鉄印帳

令和2年8月、山口県を走る「錦川鉄道」から始まった鉄印取得の旅、ついに最後は熊本県を走る「くま川鉄道」で有終の美を飾ることになった。
北は北海道から南は九州まで、地方に分布する全40本の第三セクター鉄道に乗車する、愉快な鉄印の旅も大団円を迎えた。

 

2020年の集中豪雨被害により、くま川鉄道の人吉温泉⇔肥後西村間は現在も不通、代替バスも変則的な運行で利用者を悩ます。
さらにJR肥薩線八代⇔吉松間も不通のため、くま川鉄道起点の人吉迄の鉄道利用も叶わず、やむなく今回はレンタカー利用で、くま川鉄道途中駅の「あさぎり駅」へ向かう。

 

あさぎり駅前広場にある鉄道開業60年の記念碑。
昭和59年の建立と記されているので、今年は通算100年になるのかな?

 

目指した「あさぎり駅」は比較的新しい駅舎で、綺麗に清掃もされている。

 

しかし待合室内に飾られているこの絵は如何なものか?
せっかく子供たちの力作なのだから、もう少し展示方法を考えてあげられないものかな。

 

発車時刻まで少し余裕があったので周囲を散策。
改めてくま川鉄道「あさぎり駅」を外から眺めたのがこの姿。
行政関連の事務所と同居なので立派だが、くま川鉄道社員は数人か?

 

「あさぎり」と平仮名表示なので新しい呼称ではないかと思ったが、次の駅が「東免田」なので、ふっと思い当ることがあった。
免田事件:忌まわしい冤罪事件が頭に浮かんだ。免田⇒あさぎりに変更されたのだな。
免田町⇒あさぎり町へと町名も変更されている。

 

球磨盆地をPRする看板だが、表示が剥げ掛かっているのではなく布製のため透き通ってしまいとても見難い。

 

全14駅間24キロほどの路線だが、人吉温泉⇔肥後西村間は現在不通。
肥後西村⇔あさぎり間は、適当な時間に運航便がないため今回は乗車を断念。
あさぎり⇔湯前間を往復乗車した。

 

退避場所=簡易整備場も屋根が付いている。
線路端の彼岸花も風情があるね。

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熊本水前寺成就園 Ⅱ

2023年10月20日 | 歴史探歩

このお庭は確か3度目の訪問になる。
今回はガイドさんを頼んでみようと探したが、ウィークディは帯同ガイドはしないとのこと。
鯉の餌を販売している方がガイドさんだったので、簡単な園の説明を入り口でして戴いた。

 

このガイドさんの解説によると、成就園は東海道五十三次を映しているのだとか???
それなら出発点は勿論、お江戸日本橋だ!!!

 

半信半疑ながらもガイドさんが、五十三次に比定した場所をカメラに収めていく。
元気に魚が泳ぎまわるこの湾は、もちろん江戸前の東京湾だ。

 

続いて階段状の上り坂は、天下の嶮と謡われた箱根に差し掛かる。
箱根峠と思えば、息が弾んでくるから不思議。

 

誰が見てもわかる霊峰富士は園の中央に聳え立つ。
それにしてもこれだけ大きく美しい富士は秀逸。

 

ちょっと苦しいが三保の松原はこの辺り。
三保の松原から望む富士は駿河湾を跨いでの雄姿だが、そのアングルは望めなかった。

 

そして街道筋でもう一方の難所鈴鹿峠。
「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」は鈴鹿馬子唄か?

 

さらにガイドのおじさん説によれば、伊勢は二見の夫婦岩だとさ。
東海道五十三次では伊勢は通らないと思うけど、ついでにお伊勢参りを楽しんだのだろう。

 

広々とした湖面は琵琶湖、先に浮かぶのは日本三弁天の竹生島だ。

 

長い旅の終わりが京の都。
無事になんとかたどりついて一安心。

それにしても肥後の国熊本の名庭園に、東海道五十三次が配されていたとは・・・

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熊本水前寺成趣園

2023年10月19日 | 歴史探歩

南阿蘇から戻ったその足で、休むことなく熊本観光では逃せない成趣園へ向かう。

 

街中の一角にそれとなく佇む名庭、ここにも多くの観光客が訪れている。

 

園内の案内図、典型的な「池泉回遊庭園」である。
熊本藩主細川家の肝いりで作庭された名園をゆっくり観賞しよう。

 

園内へ足を踏み入れた途端、展開されるのがこの光景。
遠景に障害物がないため、広々伸びやかなお庭が好ましい。

 

当然のことながら、松を中心とした植生も完璧に保全されている。

 

日本庭園ではお馴染み、多数の島が配置されている。
こちらは、ゆったり穏やかな姿から「亀島」であろう。

 

一転して岩が立って配置されるのは「鶴島」だと推測する。
不老長寿を祈願する鶴と亀の島、大名庭園では必須のものだろう。

 

そして穏やかな湖面は何となく心が和らぐ、「心字池」だな。

熊本地震の後一時、お庭の水が枯れてしまったという。
聞き洩らしたが、自然に回復したのだろうか?
眼前に、満々と清水が溢れかえっていた。

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南阿蘇鉄道 異聞

2023年10月16日 | 鉄印帳

南阿蘇鉄道旅の終わりに、思いがけないご褒美をもらった。

南阿蘇鉄道の復路、高森駅から立野駅まで戻ったところ、豊肥本線ホームには時ならぬ人だかりが出来ていた。
何も知らないオイラは、三脚を据えて構えている「撮り鉄」と思しき仁に、恐る恐る訪ねてみると、なんとこのホームにSLが入線するとのこと。

 

ほどなくして警笛が鳴り響いて、モクモクと煙を吐いたSLが喘ぎつつ、こちらに向かってやってきた。

係員が何度静止しても聞く耳を持たない輩は、ホームから乗り出して決死の撮影を続けていた。

 

でも何故? 豊肥本線にSLが運行されているの? 聞いていませんけど・・・
鼻に取り付けられた「列車マーク」にも「人吉」と描かれている。

 

車体にも謎かけのような記号で「ひとよし」と表記されていた。

 

そして決定的な表示が確認できた。

なんでも肥薩線 八代⇔人吉間は先の豪雨のよって線路が寸断され、復興の目途が立っていないようだ。それで休日のこの日、豊肥本線の立野駅にやってきたのだと言う。

さしずめこの日は「SL南阿蘇」に変身かな

 

SL人吉の乗客、撮り鉄、見学客が入り混じって、立野駅ホームはごった返していた。

 

後部には後押し役の気動車が連結されていた。
こちらに、興味を示す人はほとんどいない。

 

ピッカピカに磨かれた本体、あまりにまぶしくて「ピンボケ」になってしまった。

 

立野駅舎からホームを臨むとこんな感じになる。

 

最後に今ひとたび、雄姿を瞼に焼き付ける。

 

歓迎用の小旗を戴いて帰った。

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南阿蘇鉄道 Ⅳ

2023年10月15日 | 鉄印帳

南阿蘇鉄道は世界最大級の外輪山を眺めながら走る第三セクター
開放的な沿線風景が連なっている。

 

阿蘇五岳の中で最も特徴的な「根子岳」の雄姿。
独立峰に近い山容で、この造形美は素晴らしい。
どんな作者でも創造できまい。

 

根子岳に並んで阿蘇五岳最高峰の「高岳」
こちらは根子岳とは、うって変わってなだらかな山容。

さらに左手にあるのが「中岳」
特徴のない形からか名前も凡庸、もう少し気の利いた名称がほしい?

 

こちらは「烏帽子岳」その名の通り、尖った頂上が際立つ。
立野駅周辺では、一段と特徴的な烏帽子が俯瞰出来るようだが、あいにく雲が掛かって・・・

杵島岳は烏帽子の背後に位置するようで、南阿蘇鉄道沿線では捉えることが難しい。

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南阿蘇鉄道 Ⅲ

2023年10月14日 | 鉄印帳

再開南阿蘇鉄道は駅舎の建替えや改装に加えて、車両も新しいものが多くとても綺麗だ。

 

2023年全面復興を記念して運行を開始した「サニー号トレイン」
人気アニメのワンピースとコラボレーションし、車両外部はもとより内装もこれでもかのワンピースぶり。

 

長らく看板列車で今なお人気健在なトロッコ列車「ゆうすげ号」

 

そして今回訪れた二日間の間、走行する姿は見られなかった「MTー3001号」
1998年の熊本国体に合わせ、宝くじの助成金で製造された車両。
阿蘇五岳の「高岳」「中岳」「烏帽子岳」の雄姿を遠望できる。(右側の三座で立木の上部に高岳、列車車庫の上部が中岳、電柱の中間に烏帽子岳)

 

そして運行再開を機に新調された「MTー4000型気動車」
実質的に南阿蘇鉄道のエース。

 

なんと言ってもハイカラ斬新なデザインが目を引く。
インバウンドの外国人旅行客に対応する多言語化や、JR線への乗り入れも可能な新鋭車である。
窓も広く、阿蘇外輪山の雄大な景色が堪能できる。

 

新幹線や特急列車かとみ間違うような洒落たロゴマーク。
阿蘇五岳と外輪山に、南阿蘇鉄道全10駅をデザイン化したもの・・・

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南阿蘇鉄道 Ⅱ

2023年10月09日 | 鉄印帳

復興開通したばかりの南阿蘇鉄道、多くの駅舎が改築されており、鉄路の復旧と併せて大変な苦労があったと思うが、地元の方々はとにかく明るい。

 

線路側から望む立野駅、まっくろくろすけで落ち着いた雰囲気。
ホームから改札口へ向かう通路は、豊肥本線を跨がないと行けないのは仕方ないか!

 

道路側から望むと駅舎は一変、木地むき出しの平屋建て。
この日も駅舎前の、名物饅頭店はひっきりなしにお客が出入りしていた。

 

こちらの運賃表も真新しい。
第三セクターとしては安価な料金設定に思う。

 

立野駅を起点に全10駅すべてが阿蘇外輪山内にあり、絶好の景色が車窓を流れる。

 

古き良き時代の名残を残す長陽駅、ワンピースの影は薄かった。

 

阿蘇下田城駅、お城風仕立てとかで、石垣、下見板張り、漆喰塗り込め壁で装う。
当列車の運転手さん、ウイークデーでも満員の社内の乗客にお礼を述べたり、沿線景色の案内、駅舎の見所など、運転しながらのガイドが秀逸だった。

 

長い駅名で有名だった「南阿蘇 水の生まれる里 白水高原」駅、14文字だが。
平仮名では「みなみあそ みずのうまれるさと はくすいこうげん」で22文字。
相当なものだが、近年都会にやたら長い駅名(わざと長くしているとしか思えない駅名が多い)が増えたので興覚めだね。

 

駅名が長いだけではなく、駅舎も瀟洒なものだ。

 

「ワンピース」読者でないと理解できない中松駅。
「秘密基地ゴン」が別名らしい?
イベントを開催していない時は閑散としている。

 

九州に多いキリシタン教会をかたどった阿蘇白川駅。
ステンドグラスが嵌っていればなぁ。

 

白川水源駅では消防団が、祝いの垂れ幕を寄贈したのか?

 

何の変哲もない「見晴台駅」。
運転手兼ガイドの説明では、キリン午後の紅茶のCMの舞台になったとしか・・・
本当は阿蘇五岳の秀峰:烏帽子岳が見晴らせる場所だとか。

 

終着の高森駅に控えているのは、フランキーだとか。
ワンピースでは船大工だそうだが、南阿蘇鉄道では高森駅再建の責任者を務めた。

 

帰路も立野駅のホームはお客様で一杯。
南阿蘇手集いの前途は明るいかな。

立野駅ホームの立派な案内板。
もっともこれはJR豊肥本線立野駅のものでした。

 

南阿蘇鉄道の鉄印ゲット。

これで未取得の鉄印は「くまがわ鉄道」一社のみとなった。

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南阿蘇鉄道

2023年10月05日 | 鉄印帳

鉄印収集の旅もようやく最終章、九州中央部の南阿蘇鉄道を目指す。

 

熊本駅で九州新幹線から豊肥本線へ乗り換え、この線に乗車するのは2009年3月「日本100名城」巡りの時以来14年ぶりだ。
豊肥本線と言う名称だが、熊本⇔大分を直行で結ぶ普通列車は皆無、僅かに特急列車が上下線とも3本運行するのみ。普通列車はこの行先表示にある「宮地駅」で、熊本側と大分側に分断されている。

 

今回は熊本から立野駅迄、宮地より熊本よりの駅なので、乗り換えなしで到着。
この駅も地震の影響で損傷したのだろう?
真新しい駅舎に代わっている。

 

熊本地震で橋脚が落下し、大打撃を受けた南阿蘇鉄道だが、足掛け7年ぶりで全線開通となった。
西の起点となる立野駅にも、沿線住民の喜びがあふれているようだ。

 

当日私たちを迎えてくれたのがこの列車、アニメのキャラクターで満艦飾状態。
この時何を表現しているか皆目わからなかった。

 

座席の背もたれもこの状態で、落ち着きのないこと甚だしい。
実は、このキャラクターたちが人気アニメ「ワンピース」の、主役達だとは、家に帰って調べてやっと理解できた。
時代遅れの爺にはちょっと違和感がある車内装飾。

 

それでもアニメキャラクターから少し目を逸らせば、こんなしっとり感も備えている。
超人気アニメ「ワンピース」の関係者並びにファンの皆様ごめんなさい。

 

南阿蘇鉄道立野駅を発車すると間もなく、いきなりこの光景が眼前に現れた。
一級河川白川に建設中の「立野ダム」で、令和5年中に完成予定だと紹介された。
JR沿線に隣接したダムは、あちこちダムカードを求めて旅するオイラだが初めてだ。

 

列車から眼下を流れる白川の清流を臨む。

 

山肌を突き抜くように姿を現す滝もある。
絶景の地に建設される立野ダム、景観だけは壊さないように願いたい。

 

反対側の車窓に目を転ずれば、こちらも深い谷間に架設された自動車道の橋脚が見える。
やはり熊本地震で落下した橋を、新しい場所に架け替えたものだ。

こうして熊本市と阿蘇地方を結ぶ、鉄路も自動車道路もめでたく復興した。

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熊本城23-Ⅱ

2023年10月02日 | 歴史探歩

地震による石垣のダメージは想像以上だが、建屋の損傷もそこかしこに散見される。

 

特別公開南口から望む熊本城天守。
内部はエレベーターもあるし、空調も完備でバリアフリー。

 

本丸御殿は修復中で入場禁止となっているが、本丸御殿下の通路は見学者のメイン通路となっている。

 

本丸御殿地下通路から見る床下の野物材。
梁の太さに目を見張るが、支える柱が化粧材同様に加工されているのにも驚く。

 

平成になって復元された本丸御殿も、地震の影響で漆喰が剝げ落ちている。
入場禁止となっているので、他の部分も損傷しているのだろう。

 

天守と付属する櫓は屋根の形を見てもわかる通り、複雑な形で連結されている。
これも連結式天守と呼ぶのかな?

 

付属櫓の唐破風の間の下部は、よく見ると三方向に石落としが設けてある。

 

天守への登城口は御覧の通り狭い。
暖簾に染め分けられた蛇の目紋は加藤氏、九曜紋は細川氏の家紋である。

 

天守から望む本丸御殿、何のダメージも受けていないように見えるが・・・

 

天守軒丸瓦に焼き付けられているのは桔梗紋だった。
加藤氏の裏家紋?だと言われている。

 

熊本城を代表する宇土櫓は大規模修理中で、姿は全く見えない。
こちらは修復が終わった未申櫓(ひつじさるやぐら)、帰り道に臨むことが出来る。

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