もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

高松城 玉藻公園

2022年08月04日 | 御城印

讃岐の国:高松に生駒氏の居城を訪ねる。

 

JR高松駅の至近にあるのでアクセスは抜群、これ以上は望めない場所にある。
入場口付近の石垣がこれ、野面積と言うのかな。

 

とにかくこの城の特徴?は石垣の積み方にある。
場所・場所によって、まったく異なる積み方になっている。
大小に石を混交しているが、何故かおさまりが悪い感じ、不安定とも異なり妙に落ち着かない。

 

天守へ向かう、屋根付き橋の際の石垣、様々な石をただ積み重ねたよう…
加工年代が異なるのだろうが、もう少し何とかならなかったのかな。

 

天守台に続く石垣は、さすがに石の形もそろっており、扇の勾配も見られる。

 

城内には珍しい屋根付き橋。
杮葺きなのだろうが、金属の覆いが掛けてあるのは残念。

 

天守台から、水門方面を臨む。
遠景は瀬戸内の島並みで、お堀には海水が導かれている。

 

現存建物である月見櫓。
お城らしい雰囲気に出会えて、何故かホッとする。

 

潮が満ちてくると水門を通して、瀬戸内海の潮が城内へ入ってくる。

 

お堀の内では、餌を求めて「クロダイ」が群がっていた。

 

現存する月見櫓は駐車場に面しているが、本来は海に浮かんでいたのでは?

 

復元された桜御門、桁は剥き出しの丸太がそのまま使われている。

 

御城印です。

生駒氏がお家騒動で没落後は松平氏が入封し、毛利氏や島津氏と言った、西の外様大名の押さえを担った城。
瀬戸内海の海上交通を掌握していたのだろう。

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徳島城表御門庭園 泉水回遊

2022年08月02日 | 御城印

蓬莱山を越えて北側に斜面を下ると、そこからは泉水回遊庭園なる。

 

庭園内(城内)に気が湧き出る場所があった。
徳島地方では産出されない花崗岩を、四角く繰り抜いて井戸枠としている。
深部は当地特産の緑泥岩を積み重ねているらしい。

 

松や躑躅が主体だった枯山水から、泉水回遊に替わって植生が変化している。
燈籠は加工を最小限にして、さりげなく置かれている。
何処までも自然石の美しさを追求する宗箇流か。

 

心字池と思われる泉水へへ流れ込む清流。

 

巨岩が林立する中流域の峡谷を流れ下って・・・

 

やがて心字池に流れ込む。

 

下流になると立石はなくなるが、どこまでも荒々しい石組は続く。

 

筋目がはっきりした緑泥岩を、これでもかと言わんばかりに重ねていく。

 

広々とした大海は芝生広場に接している。
岸辺はさすがに石を寝かせて穏やかさを表現か。

 

島も設えてあるが、鶴島・亀島の判別ははっきりしない。
庭園案内にも、鶴・亀島の説明はなされていない。

 

これは三尊石であろう。
新人深いオイラは、常に三尊石に飢えているのかも?

 

豪快な石組、ここに極まれり。
巨岩の下は潜り抜けることが出来そうだがとても狭い。
生みの苦しみが表現されているのかもしれない。

 

何処までも続くかと思われる、スケールの大きな庭園である。

 

徳島城の御城印です。

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徳島城表御殿庭園 枯山水

2022年08月01日 | 歴史探歩

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と三英傑の治世を巧みに生き抜いた、茶人で武将の上田宗箇の手になる名庭園を訪ねた。

 

まずは、入り口側に近い南側の「枯山水」庭園を拝見。
のっけから巨岩を大胆に組上げた、力強い石組が見られる。
徳島城内の限られた場所に設えられた庭園なので、決して面積は広くないはずだが、とてつもない広がりを感じさせるのはさすが。

 

いきなり眼前にくねるように配された石組は、阿波の国を守る神:龍をあしらったものだろう。
飛び石の先にある取付路も、一石で架けられた橋も複雑にうねっており、石の表面は龍の胴を想起させる鱗状の模様が走り、青みがかった色彩と相まってさながら生きているよう。

 

散策路から少し見上げた位置にはこの配石。
これはやはり、日本庭園に必ずと言って良いくらいに配される三尊石と見た。

 

白砂で表現された海上に、まさに漕ぎ出でんとする舟形石。
遠く彼方左側には、彼岸と思われる州浜臨まれる。

 

龍の胴体を模した橋を渡り切った先に、海上に突き出した懸崖の松がある。
臥龍が息を殺して潜む。紛れもない姿だ。

風水に叶う場所には守り神の龍が住む。
徳島藩蜂須賀家の武運長久を願って宗箇が策定したものに違いない。

 

庭園に使われている石はすべて、表面が緑がかって見える。
徳島地方で多く産出される「緑色泥岩」である。
ゴツゴツした表面に緑色が溶け込んで、さながら生き物の感じがする美しい岩だ。

 

上田宗箇の庭に好んで見られる蘇鉄。
豊臣秀吉が渡来人から献上されて気に入ったところから、しばし日本庭園に植えられるようになったは本当か。
少し場違いな感じもしないではないが・・・

 

こちらは徳島地方では産出されない花崗岩を、丁寧加工して橋を架けた。
先の龍に似せた橋とは異なり、これは渡り歩く橋であり、高価な御影石(花崗岩)を見せるのと、石工の加工技術を誇ったものであろう。

 

しかし利用場所に悩んだものか、一枚岩の途中に矢穴を施してあった。
結局割ることは叶わず、そのままこの場所に落ち着いたものだろう。
こんな巨石を移動するのはとても困難なので、利用場所を確定するのに悩み抜いた痕跡がありあり…

 

そして巨根がいきり立った様な一石と、これを迎え入れようとする穴の開いた一石が、向かい合わせに鎮座していた。
明らかにこの一対は「陰陽石」であろう。
阿波踊りに象徴される徳島の大らかさが、この写実的陰陽石に表れているようだ。

 

そしてその先には、秦の始皇帝も夢見た神仙蓬莱峡も、指呼の間に臨まれた。
ここに辿り着くには、いかなる辛酸を舐めれば叶うのか?

上田宗箇は仕えた武将の本拠地に、独特な表現の作庭をしている。
オイラが知る限りでは「名古屋城二の丸庭園」「和歌山の粉河寺」「徳島城表御門庭園」そして地元広島の「浅野の泉邸:縮景園」がある。

但し縮景園は他の三庭と趣が異なり、荒々しい石組は影を潜めている。
年を重ねるに従い宗箇の考えが変わったのか、他の庭師が手を加えた時に変容したのか定かではないが、荒々しい石組に心を奪われるのはオイラだけかな?

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