もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

徳川園Ⅳ

2015年07月15日 | Weblog

泉のほとりをゆっくりと巡ると、様々な景色が見えてくる。

 

 起伏に富んだ園内は視点を変えることで「千変万化」する。ちょっと褒めすぎかな。

 

 スギゴケに囲まれた伝い石の上に、さりげなく「関守石」が置かれている。
 下から三つ目の石にプレートが…変な物を置かなければよいにな。

 

 さりげなく三つ葉葵を配したつもりだろうが、ない方がよほどすっきりする。
 作庭者が本当にやったのではないだろう。

 

 砂嘴(さし)を現しているらしい。天橋立を連想しなくてはと思うのだが…

 

 同じ場所から、後ろのビル群を画角から外してみたが先端が切れてはだめだね。
 これはカメラマンがおそまつでした。

 

街中の庭園にしては中々の流量です。地下水らしいのですが結構きれいです。

 

 流れの奥には「龍門瀑」も設えられ、鯉魚が今まさに滝登りを始めそうです。
 滝の石組が興をそいでいます。(石垣のように積んであるのだもの)

 

 岩の表面にさざ波状の文様がきれいに浮き出ています。こちらはgood!

 

 でもこれはないよね。矢穴が遊歩道側にくっきり。こいつはbad!

尾張名古屋の徳川園ゆっくり堪能しました。ちょっと辛口の感想になりましたが、当代の御殿様なにとぞ御寛容にねがいます。

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徳川園Ⅲ

2015年07月14日 | Weblog

園内には多くの花も植られているようだが、生憎この時期は青紅葉におされ気味…

 

 何故か存在を誇示するように一輪散り残っていた。

 

 湖上遊覧船が雁木の脇に舫っている。質素な屋根がかえって風情を増す。

 

 石を立てて造られた鶴島もいくつか?配されているが、島が大きすぎてちと趣に欠ける。
 島と陸を結ぶ橋も大きく立派すぎるのではないかな?

 

 これは石を坐り良く配しているので典型的な亀島。園内唯一の亀。

 


  水際の少々不思議な場所にあるが三尊石か?蘇鉄もちょっと相応しくないが…

 

 州浜の海側に飛び石を配するとは「如何なものか!」
 船着き場を想定しているのかも…

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徳川園Ⅱ

2015年07月13日 | Weblog

気になった「虎の尾」とは何か?その方向:東に足を向ける。

 

虎仙橋が跨ぐこの流れが「虎の尾」らしい。風水では白虎に相当するのかな?
深山幽谷の趣で緑が滴る風情、紅葉の時期が見ものだろう。

 

 

 「虎の尾」の奥まった辺りから、石飛の遊歩道がしつらえてある。
 流れ込む池泉と相当の標高差があるのだろう?清冽な流れが続く。

 

 やがて三段に砕け散る「大曽根の滝」直下にたどり着いた。
 滝上部と園中央に配された「龍仙湖」湖面の落差は11m、街中の庭としては大きな滝である。

 

 長閑な湖面が現れる。穏やかな水面にしだれ柳が、えも言われぬ風情を醸し出す。

 

 そして石造りの橋が湖面を跨ぐお馴染みの場所に出くわした。
 中国は杭州の名園:西湖堤で、代表する「跨虹橋」が配されている。

 

 森羅万象を意味する5色の傘が…否!1本傘が風で飛ばされたようだ。

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徳川園

2015年07月12日 | Weblog

尾張名古屋は徳川御三家の城下町、街のほぼ中央に位置するのが池泉回遊式庭園の徳川園。

 

 お庭と美術館にむかう薬医門と下見板張りの塀。
 大通りから少し小路を入ったところに武家屋敷風の門があり、さらに奥が出入り口となっている。

 

 尾張徳川家藩主の別邸跡だと説明書きがある。

 

 美術館内の坪庭にあしらわれたのは「鶴島と亀島」だろうか?
 藩主は道教の蓬莱思想に基づき「鶴は千年、亀は万年」と不老長寿を願った。
 鶴と亀の見分け方は御存知ですよね?

 

 広大な濃尾平野に位置する名古屋ご城下は、起伏がほとんどない平坦な地に築かれた。
 だが園のある出来町一帯は、そこそこの傾斜地で日本庭園に相応しい場所である。

 

 渓谷に架けられた橋は虎仙橋と命名されているが、何故か「虎の尾」の表記もある。
 渡って良いものか、はたまた踏んではいけないものなのか、判断がつきかねた。

 

 新緑の間を縫う清流が心地よい風を運んでくれる。
  これからしばし、街の喧騒を離れて日本庭園を堪能しよう。

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名古屋科学館Ⅱ

2015年07月11日 | Weblog

色々見所はありますが、写真写りが良い星座をどうぞ!

 

 地球から遠い「冥王星」は細かく解明されていないのでしょうが、青が限りなく美しい。

 

 そして「天王星」こちらもなんとなく、このような姿かなの感じ…

 

 一番見ごたえのある惑星は「土星」その華麗さは群を抜いています。

 

 表情が豊かで見ごたえのある「木星」これは動画で見るべきでしょうね?

 

 詳細な探査が期待される近くて、夢が詰まった「火星」
 「火星人現る!」の一報を期待しますが、どうでしょう。

 少年時代に戻ったように、夢が一杯広がる名古屋科学館でした。

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名古屋市科学館

2015年07月10日 | Weblog

最近名古屋に出かけた時の宿泊は、伏見通り周辺のホテルが多い。
理由は言わずと知れたアクセスの良さと割安料金の宿が多いからである。

 

 チェックイン時は気が付かなかったが、朝起きてホテル前から南を望むとこの光景で息をのんだ。

 

 誘われるようにフラフラと近づいてみるとこの景色、道路はある施設の敷地に突き当たる。

 

 UFOかと見間違う球形の物体は、完全に建物に連結されており、プラネタリュームと判明した。
名古屋市科学館である。

 

 広場には先端部に「こうのとり」を搭載したH2ロケットも据えてある。

 

 傍らに置かれたシルバーの円筒形物体は「日の丸宇宙ステーションの居住棟」である。

 

 H2ロケットエンジンも展示されている。先日筑波で見た光景が眼前に再現された。

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伊雑宮の御田植式Ⅲ

2015年07月09日 | 歴史探歩

伊雑宮の御田植、いよいよ佳境に入ってきました。

 

 平安時代の装束に身を固めた稚児たちが、田楽お囃子として田に繰り出します。
 中でも「御太鼓」の姫は本格的な衣装に、厚化粧で大役です。
 でもこの姫役は歴代女形なのだそうです。今年も大層美形の女形でした。

 

 この日は薄曇りでしたが、それでも気温はかなり高く、日傘と大団扇で風を送ります。

 

 早乙女達も次第に慣れてきて、田植のピッチが上がり始めました。

 

 長閑な景色に溶け込んだ、伊雑宮の御田植神事でした。

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伊雑宮の御田植式Ⅱ

2015年07月08日 | 歴史探歩

いよいよ御神田で式が始まりました。

 

 紅白の衣装と、むき出しのふくらはぎがなんとも初々しい。
 重ねて云うが本物の早乙女たちが早苗を抜き取ります。

 

 代掻き男衆も両畦に対峙してスタンバイ、やっぱこちらはふんどしが似合うと思うがねぇ!
 実際のところ、男衆の参加者は年々減少しているようで、希望者はだれでも参加できるそうです。

 

 代掻きが始まりました。安芸地方の花田植では「着飾った牛」が主役ですが…

 

 頃や良し!忌竹も仰ぎが始まりましたが、この1回だけであえなく…

 

 仰ぐこと3回半目に忌竹は神田に倒すのですが、今回は1回仰いだだけで後ろ側に倒れてしまいました。
  この後田へ引き込むのに大苦戦でした。ここにも祭祀経験者不足が現れています。

 

 それでも五穀豊穣や家内繁栄を願って、神田を練り歩きます。
 このあと竹が小分けされて、氏子や観光客にも配られます。

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伊雑宮の御田植式

2015年07月07日 | 歴史探歩

伊勢神宮の遥宮と言われる「伊雑宮の御田植式」に行って来ました。

 

 御神田の畔に飾り付けられた1本の青竹が立てられています。
 太一は伊勢神宮を現すとも言われていますが、この竹を団扇の如く3回仰いで田に清風を送ります。
 今年は1回前に仰いだところで失敗し、後ろ側に倒れてしまいました。

 

 伊雑宮の早乙女は本物です。各地の早乙女は相当年季の入った方が居られますが…

 

 伊雑宮から街中を練り歩いて一行は御神田に進みます。
 鏡の如き水面に映える「御田植式」をご覧ください。

 

 早苗も綺麗に揃っています。

 

 苗代の周囲を3回半廻って、早苗を抜き取ります。
 早乙女達はしずしずと廻りますがそれでも水面は波だって、映る姿も乱れがちです。

 

 こちらは忌竹を仰いだり、田に入って代掻きをしたりする男衆です。
 昔は全員「6尺ふんどし」姿だったようですが、今ではふんどし姿は少数派です。寂しいですね!

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倭姫の旅をめぐるⅪ

2015年07月06日 | 歴史探歩

倭姫の旅最終は奮蹟地(旧跡地)を訪ねた。場所は伊雑宮(いざわぐう)のある上郷地区。

 

 代々伊勢信仰の御師(おし:伊勢信仰を全国に喧伝する役目)を務める家系の森先生にご案内して戴く。
 伊雑宮の御田植祭があるこの日、先生宅周辺は氏子や観光客でごった返していた。

 

 奮蹟地前で倭姫に纏わるお話を語る森先生、第二代斎宮:倭姫の旅を締め括るに相応しいお話でした。
 

 

 大正12年この地にあった楠の老木が枯れてしまい切り倒した所、中から「鏡・矛・剣」が出て来ました。
 そのt時、立ち会っていた地元の皆さんは一様に「倭姫様のお出まし」と口にされたそうです。昔からそのように信じてこられたのでしょうか?

 

倭姫が天照大神の御霊を伴って巡行し、最後に祀った場所が伊雑宮(いざわぐう:いぞうぐう)です。
この地は倭姫終焉の地でもあるので、今も御霊はこの地におわすのでしょうか?

 

 倭姫の巡行地をめぐる私達の歴史旅、最終日は神宮会館にお世話におなりました。
 それにしても、天照大神の御霊は伊勢内宮に居られないのでは?と考える一行が此処に泊まっても良いのでしょうか?

 

 伊雑宮近くに合祀された山神様達、荘厳な雰囲気が漂っています。

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倭姫の旅をめぐるⅩ

2015年07月05日 | 歴史探歩

食べ物の神様に拝謁した後、神宮の神田を尋ねる。


 青々と成長した神田の稲、今年も豊作が期待出来そう。
 伊勢神宮の祭事はほとんどが稲作に関係した行事である。
 宮内庁の人が居られたので米の品種を聞いたが何故か答えてくれず、我々は邪魔ものだとばかり追い払われた。

 

 無農薬農法ではないと思うが、カモが害虫を駆除するのか?

 

 内宮に向かう宇治橋のたもとにある「津長神社」。何度も内宮へお参りしたがこの神社の存在は初めて知った。
 昔この辺りは五十鈴川の川原だったらしく、川の神様が祀られているのだと…

 

 恒例の如く五十鈴川で身を清めてから参拝。

 

 何時来ても敷居が高い感じのする内宮本殿、神官たちが高飛車でこのお宮は本当にとっつきにくいのだ。

 

 今回は伊勢神宮の祭事に一生を捧げた倭姫を偲ぶ旅、当然の如く「お陰横町」は素通り。

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倭姫の旅をめぐるⅨ

2015年07月04日 | 歴史探歩

天照大神の御霊と共に各地を旅した倭姫の宮は、伊勢市の中心部にあります。

 

 何故か大正時代にやっと建立された倭姫宮、訪れる人も疎らでひっそりとしています。

 

 そして食べ物の神様:豊受大御神をまつる外宮へ…
 お伊勢参りは外宮から内宮へと一対の如く云われる事もあるが、その実内宮vs外宮の骨肉の争いがあったとも…

 

 外宮で社殿について注目して見ると幾つか気が付いたことがある。
 千木は俗に男神と言われる、縦に削ぎ落した形になっている。豊受大神は女神と思っていたが…
 茅葺きの屋根も軒にいくにつれて厚みが増し、むくりの形をしている。

 

 正面側から妻側の屋根を見ると、中央部分が微妙な感じで膨らんだ形となっている。
 年月を経ると直線に変形してくるのかな?

 

 お祓い場の真ん中には小振りの石が置かれているが、寄りしろだろうか?

 

 改めて外宮の境内を見て見ると、意外にコンパクトであることに気が付く。

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倭姫の旅をめぐるⅧ

2015年07月03日 | 歴史探歩

倭姫御巡幸の旅は三重県松阪市にある神山神社に着きました。
近い場所に船着き場となった「佐佐牟江宮」も伝承されているが、はっきりした比定地は不明?

 「神宮カケチカラ」とはどのようなことでしょうか?
 神社の由緒には、「カケチカラ=稲穂を茎のまま抜いて青竹(玉垣)に懸けて、神に奉納した」とある。
 また「カケチカラ=懸け税」と表記されることもあるようだ。

 

 伊勢に到る最終の巡行地と目されるのは磯神社だが、境内には伊蘇(いそ)の表記も見える。
 神代の時代の話は理解するのが難しいね。

 

 ようやく伊勢にたどり着きました。最初に立ち寄ったのはこのお宮。
 御祭神は「天照坐皇大御神御魂」とあります。

 

 遷宮の終わったばかりのお宮にめずらしい仕掛けがありました。「もっと近寄って見てみましょう」

 

 昔から伊勢神宮の摂社は頓宮(仮設された)なので、簡単に組み立て分解が出来る工夫がなされていたらしい?
 この黒い金具を引くと、建物は簡単に分解できる仕組みだったとさ。


 このような話は神官に尋ねても決して話してくれない、御師(おし)と言われる方が話してくれたのです。

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倭姫の旅をめぐるⅦ

2015年07月02日 | 歴史探歩

倭姫の旅をめぐる歴史散歩もやっと三重県に戻ってきた。

 

 後世俗に歌われた「その手は桑名の焼き蛤」の本場桑名に鎮座する野志理(のじりじんじゃ)神社。
 玉垣の代わりに板塀とはなんとも排他的なつくりだこと?
 そして伊勢が目と鼻のこの場所に、4年も斎いたとはなんでだろう。

 

 この境内には一向一揆で信長の焼き討ちにあった、一向宗信徒の千人塚がひっそりと佇んでいた。

 

 続いては日本武尊の后:弟橘姫の生誕地でもある押山神社。
 現在の住所は亀山市「世界の亀山モデル」のキャッチコピーで売り出した、某電機メーカーの工場がある所。

 

さらに南に下って加良比乃神社は三重県の県庁所在地:津にある。

 この神社を訪れたときはとっぷり日も暮れて、新しい鰹木だけが暮れなずむ夕日に輝いて…

 

 日本は天皇を中心とした神の国、国家神道を進めた明治政府の定めにより、こんな山神様も合祀された。
 俗に言われる「一村一神社」のお触れによるもの

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倭姫の旅をめぐるⅥ

2015年07月01日 | 歴史探歩

倭姫の斎王群行もとうとう近江の国までやってきた。琵琶湖畔に位置する「坂田神明宮」である。

 

 このお宮は境内の中央を無残にも、北陸本線によって真っ二つに割れれている。
 御祭神は伊勢外宮の主祭神である豊受大御神と倭姫が合祀されている。

 

 斎王群行はさらに富有柿発祥の地で、その原木が残る美濃の国は瑞穂市に入りました。

 

 古代の神様は、山や自然の石などが信仰の対象とされてきましたが、伊久良河宮(いくらかわのみや)では人手が加えられた石が祀られていました。これがさらに立派な社殿へと移っていくのでしょう。

 

 違った角度から見て見ると、なんと陰陽石とも見えるではありませんか?
 天照の御霊をお鎮めする斎王とは、少しギャップが感じられますが…

 

 伊久良河宮の本殿には棟持柱が無く、金剛力士像の様な力持ちが棟を支えています。
 倭姫の存在が薄らいでいくようで、複雑な心境にさせられます。

 

  尾張の国中嶋宮(酒見神社)にいたっては、鳥居に転びが入り(柱を内側に傾ける)、本殿は妻入りになっています。  さらに注連縄も出雲型に替っておりました。
  本当に倭姫群行が継承されているのかな?

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