秀吉の朝鮮征伐の道をたどって、九州からいよいよ壱岐に渡ります。本来なら名護屋城のある呼子の港から乗船するのでしょうが、残念ながら良い船便がありませんので、博多からジェットフォイルで壱岐を目指しました。
魏志倭人伝の記述や、元寇の来襲とは逆のコースになります。
ジェットフォイルに揺られること1時間で壱岐に到着です。実際はこの日、玄界灘はベタナギで全く揺れませんでした。
壱岐は写真の通り、平坦で高い山は見当たりません。
まずは壱岐随一の高地である“岳の辻”に登り、島全体の姿を見渡すことにしました。
展望台の脇には、古代の有力な通信手段である“のろし台”があります。
竹の辻からの展望を楽しんでいる時、突然燭光が射し込んできました。
元寇で多くの島民が殺されましたが、その御霊を慰めるかのような光でした。
壱岐は平地が多いため到る場所に水田が見られ、この日(10/26)も各地で脱穀が盛んに行われていました。
“ハザ”で乾燥させた稲を、脱穀機に掛けて、籾を袋詰めにしています。
数十年前、日本各地で見られた光景が、眼前で繰り広げられています。
秀吉が築いたと云われる大石垣が残る“勝本城址”へ登ります。
此処でも崩れた石垣の傍らに、一輪の野草が咲いていました。
風情のある紫です。