全く無作法なオイラには、宝の持ち腐れになりかねない一品です。今回戴いたのはやや大ぶりな白い作品。
作家の一言『これは間違いなく百年後には百万円は確実』だそうです。
ひ孫に遺言しましょう。「なんでも開運鑑定団」に出品するように。
でもその頃は、中島先生も安河内先生もいらっしゃらないと思いますが…
『青春18きっぷの旅』はその名が青春時代を彷彿とさせてロマンを感じるが、実際に利用しているのは、オイラの如き老年層が圧倒的に多いのではないか?
時間に制約がある訳でなし、路銀が格安だし、窓外の景色は美しいし、ローカルの雰囲気を感じられるし、良いことずくしみたいだが、最近は普通列車のダイヤがズタズタで、乗り継ぎには本当に苦労する。
さらに一部区間が『第三セクター』に変更されていたりして、やりにくい時代になって来た。
夏の東北では盛岡⇔八戸間の第三セクター区間が高額運賃でびっくり!
今回はJR因美線から『智頭急行』に、割高覚悟で乗り継いだところ、これが『青春18期間』に合わせた、特別割引切符が発売されており感激!!!
さらに、ハードの特別切符でお土産として持ち帰ることができる。
ちょっとした思いやりだが、島根・鳥取の山陰両県、頑張ってるね!
せわしない師走にちょっぴり良い気分を味わいました。
豊臣秀吉の徹底的な兵糧攻めに会い、遂には人馬をも食む事態に追い込まれたという鳥取城。
急峻な登城道の上に築かれた本丸は、身一つで登っても途中何度も息継ぎが必要な大手道が続き、鎧・具足の兵士が場内に力攻めで突入するのは至難の業。
本丸直下には、滑めらの滝を形作るほどの清水が湧き出しており、食料さえ確保できれば何日でも篭城は可能。
その城を遠巻きにして、遂に食料の尽きるのを待って陥落させた秀吉の戦略は、まさに兵糧攻めそのもの、
武士の誇りと叫んで切腹した、城主吉川経家の心中いかばかりか…
現在の鳥取城は毎日登頂する人方の、憩いのハイキングコース(とてもきつい登りの連続)となっている。
昨年夏、蜂の来襲で充分探索出来なかった「尼子の本拠地」を再探訪しました。毛利元就がどうしても手中に納めたかった牙城:月山富田城。
頂上直下には今でも井戸跡が残されており、冬枯れのこの時期でも清水が蓄えられています。
残雪が残る大手道をたどる人は見当たりませんでしたが、この時期にこそ、この地の重要性が確認できるのではないでしょうか?
山陽に結節する街道や、海産物の恵みが約束される日本海も望まれる、絶好のポジション。今も兵どもの息吹きがそこここに残されています。
石垣もしっかり残されています。
12/18日は国宝犬山城へ…
此処の応接はひどい??? お客様はまるで邪魔者扱い、もちろんありがとうがある訳ではなく、いらっしゃいも全くなし。声を掛けるのを惜しむかのように、門番も、券売所も、登城口の下足番も、一様に客を睨みつけるだけ…
百名城廻りも犬山で92城目、これまで一番印象の悪かったのは「小田原城」だったが、ここで完全にワーストは「犬山城」に取って代わった。
お城の応接が最悪なのがうつったのか、城下のお店も軒並みシャッターを閉じており、全くのゴーストタウン状態。いかに冬とはいえ、この日は土曜日ですよ!
危うし 犬山の声が聞こえてきそう。
今冬最初にして最大の寒波が襲来した昨週末、百名城めぐりの残された城に出掛けました。公共交通機関と徒歩での登城を目指していますので、生き難い場所はどうしても後回しになってしまいます。
当初はこの冬は北陸の5城をターゲットにしていましたが、七尾城が冬季閉鎖中ということで、行き先変更、まずは丹波の篠山城へ。
この城は山頂にある訳ではありませんが、最寄りの篠山口駅から距離があるため(約5キロ)、先延ばしになっていましたが、意を決して…
山並の美しい平城です。
身近な場所から明治を偲ぶの続きです。広島市内のとある場所に出掛けてみました。色々な意味で有名な処です。
日清戦争の開戦時、鉄道が広島まで開通していたことと、清国に近くて港が整備出来ていたことが決め手で、軍都として広島は拡大していきます。
日清戦争の戦死者を埋葬した「陸軍墓地」を御覧ください。
地元の歴史研究家とは名ばかりですが、地元(住み着いた土地)を思う気持ちは人一倍です。
当然忘年会(年数回ある懇親会)も、地域のお店(毎回この店)で我儘一杯、盛大に開催します。
ちょっとした処に気遣いがされていて、気分が和みます。
私は、これまた気の付く仲居さんに懸想したのか、うっかり忘れものをしてしまいました。全く何時になっても男と云う奴は…
あと三回忘年会が予定されています。用心第一!