完全に童心に帰って、“かぶりつき”での花火見学。
個人協賛金なるものを払って、最高級の6人用桟敷席を奮発した。
もちろん開始前から超満員である。
今回ははなから写真撮影を諦めていたので、手持ちのコンデジで気の無いショットを少し…
なんとかまる~く開いたヤツを捉えた。
クライマックスの連発だが…全然美しく映らなかった。
やっぱり花火は瞬間の美しさを目に焼き付けるものです。
宴のあと、これから帰りのバス待ちがうんざりでした。
完全に童心に帰って、“かぶりつき”での花火見学。
個人協賛金なるものを払って、最高級の6人用桟敷席を奮発した。
もちろん開始前から超満員である。
今回ははなから写真撮影を諦めていたので、手持ちのコンデジで気の無いショットを少し…
なんとかまる~く開いたヤツを捉えた。
クライマックスの連発だが…全然美しく映らなかった。
やっぱり花火は瞬間の美しさを目に焼き付けるものです。
宴のあと、これから帰りのバス待ちがうんざりでした。
厳島神社の御神紋は“三つ亀甲剣花菱”で、色は赤。
回廊には講中が寄贈した提灯が飾られている。
当然のことながら、御座船も提灯の形こそ違え同じ御神紋が掲げられている。
だが江波の櫂伝馬の高張提灯には、真っ黒な御神紋が描かれている。
たしか出雲大社の御神紋は、黒の“亀甲剣花菱”だ! 何か曰くがあるのだろうか?
江波櫂伝馬の船体には、赤黒折中の御神紋が描かれている。
それにしても漕ぎ手の皆さんに注目! 半端な汗ではありませんよ! 本当の汗びっしょり!
祭りのあと、厳島神社祓殿には神様の輿だけが、ひっそりと置かれていました。
神社入り口にはまだ潮がこの通り、「お客様まだお帰りになってはいけません」と云っているのかな?
神社回廊入り口の料金所前です。
私達は客神社拝殿で一休みしてから家路につきました。
厳島神社の行事はすべて旧暦で催されるため、現役世代の方はお付き合いが大変。
オイラ達の様な退役人の天下じゃのう?
引き船と御座船が縄で繋がれて、さぁ~出発です。現在時刻は16時過ぎ
江波の櫂伝馬が一艘で御座船を引きますが、これが大変な重労働らしく、
スタート時ははっぴ姿も凛々しくですが、やがて…
しばらくすると沖で控えていた、阿賀の櫓漕ぎ船が二艘助っ人に加わります。
黄色の腹巻姿で、櫓を漕ぎながら助力を始めました。
江波の引き船を真ん中にして、二層の阿賀の櫓船がサポートして、ぐいぐいと前に進みます。
まだ宮島がくっきり島影を残していますが、既に漕ぎ手たちはいなせな法被を脱ぎ捨てています。
大小様々な伴船が廻りにびっしり!順番に位置取りを替えながらお伴して行きます。
いいえ? こちとらは一杯入って御機嫌で高みの見物です。
深夜0時近くになって、御座船は本殿近くまで戻ってきました。
8時間になんなんとする、船神事はクライマックスを迎えました。
この時満潮なので、厳島神社の回廊すれすれに波が寄せています。
神様たちの楽しい一日が終わろうとしています。
7・24日は厳島神社最大のお祭:管弦祭。
今年は友人の御好意で伴船に乗船できることになり、至近距離からバッチリ!
今年の管弦祭ポスターは、私達歴史探歩の会とは何かとご縁のある宮島在住のS.Kさんの作品が選ばれた。
イラストレーター?であり、宮島の伝統文化の担い手でもある彼女の作品。
午後4時、沖に停泊中の江波櫂伝馬の漕ぎ手さん達、準備に忙しい。
伝馬船に掲げる榊木を準備中。
たすき掛け姿も凛々しく、いざ出陣!
厳島の神々が遊びを楽しむ?ためお乗りになる“御座船”の中をチラッと…
波乱を予感させる空模様だったが…
準備万端整った“御座船”後は引き手の船を待つばかりです。
サンフレッチェ広島のホームグラウンドは、陸上競技場併用のエディオンスタジアム。
オイラの活動場所はホームゲート:過半の地元ファンが、此処を通って入場する。
此処が競技場へ繋がる通路。
隣の山には猿、雉、イノシシなど桃太郎に登場する動物達が潜んでいるようだ。
でもこの場所から1万人ものお客様が入場するんですよ!
気分だけ涼しそうな送風機。
霧状の水滴が噴き出されるのだが、ちょっぴり涼しい気分を味わうだけ…
この日は2万人近くのサポーターが詰めかけたが、試合開始前にスコールの如き雨が…
ピッチまで距離があるので、迫力が今一かな?
この日はセレッソ大阪との死闘を制して、勇躍2位に浮上した。
1位大宮と3位浦和の埼玉両チームの間に、完全と割って入ったサンフレッチェ!今シーズンもやるよ!
雨上がりのお月さんも満足じゃかな?
今年は全国的に猛烈な暑さが、7月上旬から到来し各地で悲鳴が上がっている。
そんな中、広島は比較的暑さが穏やかで、猛暑日はまだ一日も記録されていない?
全国的に歴史・歴女ブームと云われて久しいが、相変わらずお城が人気らしい。
広島城ガイドの勉強会が、広島城二の丸入り口の表御門内で開催された。
熱いので蔀戸が上げられて、櫓内の人影が確認できる。
これはめずらしい光景!
表御門から二の丸を囲む多聞櫓と東端にある太鼓櫓を臨む。
前方のビルが邪魔だが、この角度からの眺めはお城らしい雰囲気がいっぱい。
表御門側の堀に向って建つ塀も、下見板張り(上部は漆喰で下部が板張り)で、迎撃用の鉄砲狭間が見える。
二の丸側から本丸御殿方面を臨む、中央鍵の手に曲がった先に中御門があった。
現在は石垣が残るのみだが、かき殻付の石や焼け焦げの残る石などを探してみるのも楽しい。
天守閣内で意外な人気を呼んでいるのが、鎧・兜や着物の試着コーナー。
外国人に特に人気が高い。
最近嫌味な東洋系ではなく、広島に多く来られる欧米人に大人気となっている。
この夏は日祭日中心に、多彩な行事が展開されるようなので乞うご期待!
どこかにオイラもいるかもしれない?突然の出会いがあるといいね!
大徳寺内の塔頭はほとんどが拝観謝絶だが、今回良き友の導きで“聚光院”に入ることが出来た。
欣喜雀躍!小学生のように胸躍らせて門をくぐる。
門内は禅の境域、当然のことながら清掃は行き届き、樹木の手入れも自然な感じ。
禅の修行場らしい凛とした雰囲気が漂う。
本堂前に拡がる“田積の庭”。石を一直線に並べた独特なもの。
特別に許可を頂いてお墓内に入れば、千利休の月命日行事がとりおこなわれた跡が残る。
隣接するのは、豊臣秀吉が織田信長のために建てた、“聡見院”である。
織田信長より前に京の都を占拠していた、三好長慶の菩提寺である“聚光院”。
和尚の御計らいで、お庭の隅々まで見せて戴いたが、非公開の場所なのでこれまで…
利休所縁の茶室:閑隠庵と枡床庵も案内して戴きました。
一休禅師や千利休で有名な大徳寺、20を越える伽藍塔頭を持っているが、そのほとんどは拝観謝絶である。
この日は拝観謝絶の塔頭の一つ“聚光院”を、友達の伝手で拝観できることとなった。
持つべきは友達である。
“聚光院”は図の上部中央付近に位置し、豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔った“聡見院”と隣り合っている。
広くはない境内には、興味深いものがいっぱいあるが、非公開とされている。
風格のある五条塀に囲まれた東側に総門がある。
何の変哲もない薬医門で、意外な感じである。
禅の境域である境内で、限られた拝観可能寺院の一つ“大慈院”で昼食。
司馬遼太郎の『街道を行く』にも紹介されているこの店で、精進料理を頂く。
質素な中にも心の籠った“おもてなし”が感じられる。わびさびの佇まいか?
順次鉄鉢に盛られた料理が運ばれる。
“聚光院”の門前から仰ぎ見る大徳寺の山門:金毛閣。
わびさびとは真逆の、豪華な丹塗りの門は何を表わしたのだろう?
最後のチャンスとばかり、新幹線車中から富士山を狙う。
薄曇りながら、やっと富士山がおぼろに姿を現した。
もちろん静岡県側からですよ!
頂上は雲が掛かっているが、愛鷹山ははっきり捉えている。
お上りさんに最低限のサービブだったのかな?
名古屋を過ぎてから又車窓に美しい山が見えてくる。
『かくとだに えやは伊吹の さしもぐさ さしもしらじな 燃ゆる思いを』
間違っていないかな?
伊吹山も機嫌が悪かったです。
名古屋の後、今回の旅の本命である伊豆へ出掛け、母親のルーツを探るが…
さしたる収穫は得られず、御殿場を経由して東京へ出た。
東京駅の近くに宿を取ったので、腹ごなしに近くを散策。お上りさんはこの姿を見ると何となく安心。
端から端まで赤レンガの建物を、隈なくカメラに納める。
ちょっと俯瞰した角度から見ると、さながらジオラマのようだ。
東京駅も周辺のビルも、なんだか造り物っぽく見えるから不思議。
続いて話題の“KITTE"にも寄って見た。
お客の平均年齢は結構高そう、何故かほっとする。
丸の内にあるのにこんなお店や…
これはどう見ても、信州は松本ではないじゃろか?
徳川御三家の尾張名古屋の名城を、けなすばかりでは申し訳ない。
目を皿のようにして、見所をさがしてみた。
天守閣地階に当たる部分に、城内の井戸跡が残されている。
ふっと、家康の出身地は岡崎名物:八丁味噌の漬樽を連想したが、関連があるのだろうか?
さすがは天下普請の城だけあって石垣は立派、随所に刻印入りの石が使われている。
お堀なんぞ見ずに、石垣だけを見て歩けば満足できるかもね。
石垣作りの基本である排水溝も万全、芸術的な仕上がりである。
藤堂高虎と双璧をなす、築城の名手:加藤清正の手になる石垣。
表御門わきにある“たこ石”は巨大!
『名古屋にお城があるきゃあも 金の鯱鉾あるきゃあも…』
自慢の鯱鉾をアップで納めました。
ありし日の国宝名古屋城。
それにしても名古屋城の保存管理状態はいただけない。
河村市長はじめ関係者は、何を考えているのだろうか?
内堀の様子をご覧あれ!まるで廃棄物の処理場の如き様相である。
完全に手入れを放棄したとしか思えない。
国重文辰巳櫓や表二の門付近もこの有様、復元本丸や金の鯱鉾が泣いています。
国重文の表二の門もこの通り、無粋な鉄門でガードされている。
まるで自衛隊の施設かと見まごうばかりだ。
内側から見ても高麗門らしいとやっと判別できるほど醜い覆いとなっている。
本丸御殿を案内する係に問いただすと、お客が触らぬようにガードしているとのこと。
文化財の価値を失うような保存方法にあきれ返ってしまう。
二の丸庭園入り口の築山も、崩落防止に“土嚢”を積んであるぞ!
まったくこの感性の無さはどうなっているのだろう?
久し振りの名古屋、ちょっと時間に余裕があったので名古屋城へ行ってみた。
外堀は現在空掘りの状態、雑草が鬱蒼と茂っていて、尾張徳川の威光は何処へやら…
名古屋市はこの維持管理に相当手を焼いているようだ。
僅かに残された現存建屋の一つ“辰巳櫓”は国重文だが、傷みが目立つ。
今鳴り物入りでPRされているのが、復元の本丸御殿。
面積にして全体の1/4程度が完成しているのみで「なぁ~んだ」
本丸御殿内の障壁画の復元されているが、内部の照明が不自然で今一さえない感じ。
狩野派もこの状態を望んでいないと思うが…
もう一枚撮影して見たがやはり…
帰り際立ち寄った“二の丸庭園”もこの通り、手入れが出来ていない。
本丸御殿や金の鯱鉾ばかりが、名古屋の売りではないだろうに…