もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

長崎・五島列島 旅の終わりに

2023年06月28日 | 歴史探歩

卓袱料理と昼飲みを堪能した花月ともお別れの時が来た。

 

座敷で料理をいただくのだけれど、そこはそれ現代風に座椅子が用意されているので、足がしびれることなくゆったり。

 

昭和生まれの男にはこのように、御用済となったような物が、大切にされていると感激する。

 

お座敷から俯瞰した、程よく手入れされたお庭。

 

流石、坂の街長崎の料亭、お庭の立体感も半端ではない。

 

なんとも殺風景な建屋、数寄屋風などの気取りは微塵もない。
狭い土地を効率よく利用したのだろうか。

 

高い場所に池は配置されている。

 

錦鯉も放たれているが・・・

 

長崎丸山花月が繁盛するのもむべなるかな。
地中から気がほとばしる水面。

 

五島列島「隠れキリシタン」と差別された方々の手になる竹炭石鹸「竹椿」
五島に群生する椿を加工した、椿オイルを含有した竹炭をお土産に頂いた。

 

そして記念になる軍艦島上陸証明書ももらったよ!!!

これで長崎・五島列島の旅は大団円。

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長崎花月 卓袱料理

2023年06月27日 | 歴史探歩

花月の座敷にあがっったが芸者はさすがに・・・

 

貫禄の床の間に、それらしいものが置かれている。

 

行儀の悪い侍どもが揉め事か?
床柱に残る刀傷が数知れず。

 

此処では片隅にひっそりと花瓶が置かれて…

 

これは花月の玄関だが、ジュディ・オングの手になる切り絵。

 

資料館の見学を終えて、イザ卓袱料理の卓袱台へつく。
しっぽく=卓袱=卓袱台(ちゃぶだい)なんですと、教えて頂く。

 

女将さんのご挨拶を頂く。
コロナも納まりつつあったが、やはりこの席ではマスク着用だ。

 

どの料理も美味だったが、オイラにはこれが何だか一番の感じ。

 

旬の野菜もちゃんと卓に並ぶ。

 

締めがこれです。

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長崎花月 玄関先で

2023年06月23日 | 歴史探歩

長崎で中華を手始めに、五島で海鮮炉端・五島うどん・五島牛を堪能して、長崎は花街丸山の花月で締め。

 

3泊4日の観光を堪能して、趣のある玄関先へ到着。

 

路地脇の簡素な植生も温かくお出迎え。

 

見越しの松こそ見えないが、粋な黒塀が遠来のオイラ達を歓迎してくれる。

 

広島所縁の、頼山陽も楽しんだとさ。

 

大袈裟ではない竹垣も良い感じではないか。

 

古風?由緒ある?何とも言えないやすらぎ感は半端ではない。

 

この場所に案内してくれた仲間の代表が、お出迎えの中居さんにごあいさつ。
この度も多くの方のお陰で楽しい旅が出来ました。
五島へ誘ったくれたYさん、五島列島ですべて面倒見てくれたIさん、軍艦島と花月をアレンジしてくれたAさん、皆さん本当にお世話になりました。

 

ここで大団円を迎えます。

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軍艦島Ⅱ

2023年06月22日 | 歴史探歩

軍艦島最盛期の人口は5,300人を数え、人口密度では東京都を越えること9倍だったと言う。

 

一般工員の居住棟、鉄筋コンクリート7階建てアパートは日本最初に建てられた。

 

床に残る白線の跡で、僅かにプールであったことが分かると場所。
島で真水は超貴重品であったことから、当然海水プールであった。

 

島の最も高い場所には幹部社員の社宅が残る。
間取りもゆったりで最高のオーシャンッュー。
一般工員と待遇の違いをこれでもかと見せつける。

 

痛みが激しいこの建物は小中学校跡。

 

そしてやはり此処は日本国内、切妻造りの端島神社は現在も健在である。

 

島内には当然お寺も存在したが、1派1寺のみで、宗派を問わずすべての家庭の仏事を取り行った。
木造建築だった寺院跡(記憶が薄いが…)

 

上陸して見学後、クルーズ船は島の反対側も周遊してくれる。
当然のことながら、軍艦のイメージが皆無な角度もある。
軍艦島を船尾側から見たところ。

 

我々が乗船した船も5日ぶりに運行されたようで、欠航続きだった島に多くの観光便が訪れた。
少しの波でも接岸が難しく、観光船はしばし欠航するようだ。

 

高層ビルの残骸を見ていると、全体的に歪んで見えて、全壊が近いことを物語る。
世界遺産の島ながら、最後は何か息苦しさを感じてしまう。

 

長崎の観光地として著名なグラバー邸を遠望する。
素晴らしい景勝地に建てられたものだろうが、現在はその上にも何重にも住宅が重なっている。
長崎は本当に坂の町、複雑な居住空間が連なっている。
複雑な街並み形成が、原爆投下の一因となったのだろう。

 

軍艦島観光の帰途、長崎の街並みを眺めれば、あちらこちらに軍艦島様の景観があった。

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軍艦島

2023年06月20日 | 歴史探歩

長崎市沖に浮かぶ端島は、南北480m、東西160m、周囲1,200mの小島で、海底に多量の石炭が眠っていた。

 

島の周囲をコンクリートや天川工法で固めた姿が、軍艦に酷似していることから軍艦島と呼ばれるようになった。

 

外洋に面した小島は台風の通過場所にあり、風波被害防止のため強固な岸壁で補強されているのが分かる。
この為小舟の接岸は難しく、この日も直前まで上陸できない場合があるとアナウンスされていた。

 

遠景ではまさしく軍艦様の島だが接岸地点はこの通り、巨大建築物の廃墟そのもの。

 

細かいブロックを縞積してある箇所もある。
この辺りは戦国時代の城壁の方が積み方に工夫があり、崩れ難さに一日の長があると思う。

 

海底抗から堀取られた石炭を運ぶ、ベルトコンベァーの支柱。
説明を受けても、実際の稼働状況は理解できなかった。
予想取り数段、劣化が進んでいた。

 

島の形状に合わせて補強工事がなされており、工事の困難さが偲ばれる。

 

この赤土を使った基礎固め工法が「天川工法(あまかわこうほう)」と言う、独特の漆喰技術。
赤土+消石灰+にがり=3種類の材料を混ぜて固めたのが天川工法。
「にがり」は海水から採取され、一部には海草も織り込まれたと言う。
ガイドの説明では天川は、コンクリートより耐久性が高く、これが軍艦島を現在まで守ったと言う。

 

現在も猛スピードで倒壊が進んでいるようで、上陸しても見学できる場所はほんの一部に過ぎない。

 

天川、レンガ、コンクリートとあらゆる材料が使用されている。
資材が不足していたのか、適材適所に使い分けたか?

 

石炭鉱山閉鎖後造られた唯一の施設がこの灯台。
近海を通過する船舶の安全を守る。

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潜伏キリシタンと隠れキリシタン

2023年06月19日 | 歴史探歩

島列島の旅の最後に案内されたのが、「桐教会」⇒「山上神社」だった。
旅の工程表には、この場所だけ「桐古里集落・キリシタンの里」と書き添えてあった。

 

桐教会へ向かう我ら一行。
勿論上五島のガイドさんも同行されているが、何故か此処だけは桐教会の専門ガイドの案内だった。

先頭が桐教会の専門ガイドさん(布教の指導者か?)、ピンクのユニが上五島のガイドさん、従うのが我らご一行様。

 

桐古里集落・キリシタンの里はこの風情。
身を潜めて暮らすのには絶好と思われる佇まいがそこにはある。
此処は池ではなく、深い入江となっている。

 

階段の先にシンプルな教会の建屋が姿を現した。

 

ほとんど装飾品はなく、四角な窓枠にはアルミサッシの窓が嵌め込まれている。

 

教会前のモニュメントには、イエス・キリストを抱くマリア像がある。
これまで訪れた五島列島の教会は、すべてヨゼフが抱くイエス・キリスト像だったが・・・

 

そして桐古里集落にキリスト教を導いた人たちの像。
中央が最初に大浦天主堂に出掛け、キリスト教の布教に立ち上がった与作。
右側に座っているのが与作の父で、信者であることを自白させるために、のこぎり状の板の上に正座させられている。
自白するまで、膝の上には重い石が何枚も重ねて乗せられる。
左側に立っているのは、布教活動に尽力した方で、後にこの親子と親戚関係になった。

この集落の信者達は、明治初期のキリスト教解禁後に、カトリックに復帰した方と、そうでない方に分かれて現在は暮らしているそうだ。

キリスト教の禁じられた250年間を潜伏期間を経て、解禁後にカトリックに復帰した信者は「潜伏キリシタン」で、禁教時の形を継続してカトリックに復帰しなかった信者は「隠れキリシタン」と区別された。

 

隠れキリシタンの方たちが、擬装して信仰を続けていた「山上神社」。
ご神体は申だと聞いたが、天孫降臨で道案内をした、猿田彦に思いを馳せているのだろうか。

聖書はなく、口伝えでの祈りを継続している。

 

禁教時の行事の様子を残した写真。
紋付の羽織袴で列席しており、キリシタンであることを微塵も感じさせぬ姿。

 

潜伏キリシタンの関連施設・様式のみ世界遺産に登録され、隠れキリシタンと比定された集落は、遺産登録から除外されたことに「差別感を持つ」と、訥々と訴えたFさん、それでも若者達は「何のわだかまりもなく交流している」と語った。

私たちを涼しい日陰へ誘導し、自らは神社脇の日当たりで説明を続けるFさん、人柄がにじみ出て好もしい。

 

帰り掛けに振り返ると、高台に堂々とそびえる「桐古里教会」が臨まれた。

「もう隠れて活動しなくてもいいんだよ」と言っているようだ。

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五島列島 中通島 青砂ケ浦協会

2023年06月16日 | 歴史探歩

中通島の教会の特徴は、上五島出身の鉄川與助の手になる石造りの教会が多く残ること。

 

鉄川與助の代表作とも言える青砂ケ浦協会天主堂。
どっしりと重厚感がみなぎる。

 

多数のレンガを複雑に積み上げる、手の込んだ仕事ぶり。
確かこの積み方はフランス積だね。

 

棟降りも石を加工したもの。
精巧に彫りあげられた十字架も美しい。

 

正面アーチ型の装飾も、勿論石造り。

 

柱上の飾りは葡萄をあしらったもの。
葡萄 ⇒ 葡萄酒 ⇒ イエスの血か?

 

そしてこの扉は禅宗様式の扉:桟唐戸である。
鉄川與助は多くの教会を手掛けたが、生涯仏教徒を貫いた。
見事な和洋折衷だ。

 

何とも特徴的な小島、ガイドさんの説明は猫島。
上五島町の書き物には「トトロ島」と紹介されていた?

 

鉄川與助の手になる石造とは真逆、瀟洒な造りの中ノ浦教会。
ガイドさんは「私の好きな場所」と言って案内してくれた。
確かに重厚VS華奢の対比が実感できた。

 

美しい花に囲まれたルルド、案内された中では最もそれらしい雰囲気を持つ。

スケジュールには組まれていなかった場所も案内してくれて、なんだか気持ちが豊かになってきた。
東京オリンピック招致の時の、恩着せがましい「お・も・て・な・し」は不愉快だったが、こんな些細な「おもいやり」は、何時までも心に残る。

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五島列島 中通島 旧鯛ノ浦教会

2023年06月15日 | 歴史探歩

世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連資産」を巡っていて思うこと、それは何故協会内部の写真撮影が許可されないのだろうか? 宗教施設だからか? 撮影禁止の根拠はなになのか、理解できない。

 

旧鯛ノ浦教会、旧が付くことでお判りでしょう。
現役をお役御免となった施設なので、内部撮影ができるのだ。
聴き間違いだったかもしれないが、レンガ造りの天主堂の一部に、長崎で被爆したレンガが使用されていると・・・

 

近くに寄ってみると、レンガや窓枠は潮風によって、相当ひどく傷んでいるのが分かる。
塩害から建物を守ると言いうのは、大変なのだと目の当たりにする。
祈りを込めたフラワー十字も歪んで見える。

 

現在は資料室兼、地域の子供の学習の場として活用されてる、旧鯛ノ浦教会天主堂。
広めの窓から陽光が差し込んで、柔らかな雰囲気を醸し出す。
教会としては明るい感じがする。

窓際に配置された書棚とパイプ椅子がなければ、今でも立派な天主堂である。

 

大きめの窓が明り取りとなって、内部明るくしている。

 

天井の飾りは日本らしさが随所に残されている。
天井飾りの一部には「菊の御門」を象ったと思しき文様もある。

 

これも十字架をデザインしたものだが、4枚の花弁があしらわれているのだろう。

 

一部の窓枠もこの通り。

 

ステンドグラス越しの光に照らし出される、ヨゼフに抱かれたキリストとマリア像。

 

木製の柱だが、上部の飾りはコリント風だ。

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坂本龍馬所縁の地

2023年06月14日 | 歴史探歩

五島列島にも坂本龍馬所縁の場所が語りつがれている。

 

坂本龍馬祈りの場所へ向かう前、振り返ったところに「頭ケ島教会」天主堂の全景が眼に入った。
最後に眼にした天主堂は、とてもコンパクトな造りで、入り組んだ山裾に隠れるように息を殺していた。

 

離れ小島の入り江深くに建てられた、潜伏キリシタンの頭ケ島教会を俯瞰する。
背後は小高い山、左右は突き出した半島、前方は人目を塞ぐように小島が浮かんでいる。

徒歩でしか移動手段が無い時代、誰もこんな場所に捜索には来ないでしょう。

 

そして東シナ海に突き出た半島の先端は、人を寄せ付けない岩礁だ。

 

潜伏キリシタンの悲惨な歴史を偲びながら次の目的地へ向かう。
五島列島にも足跡を残すのが、この男坂本龍馬。

土佐桂ケ浜の立像と同様、ここでも竜馬は遠く大海に向かって合掌している。

 

自らが興した、亀山社中の船がこの場所で転覆沈没したと記されている。
確かな記録がある訳ではないようだが、それらしき難所ではある。

 

沈没した船の「舵棒」は、さる場所に大切に保管されているそうだが、これはその舵棒のレプリカ。

 

この沖合で「ワイル・ウェフ号」が沈没した。

 

竜馬の遺徳を伝えようと、近くの岩盤の割れ目に咲く野ばら。
子供の頃育った、浜松市は三方ケ原古戦場跡にも、たくさんの野ばらが咲いていたなぁ!

野ばらが希少植物になっているなんて、五島列島まで来て教えられた。

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五島列島 頭ケ島

2023年06月13日 | 歴史探歩

五島列島5番目の島は上五島の中通島だと思っていたが、頭ケ島(かしらがしま)に案内された。
頭ケ島と中通島は現在は橋で繋がっているが、往時は離島であり、キリシタン信者が隠れるには絶好の場所だったのだろう。

 

朝ホテルから出て、バスへ向かうと元気な声が迎えてくれた。
聴きやすい柔らかなアルト、ガイドらしからぬ細身、個人の好みをぶつけているだけかもしれないけど、今日は良いぞ!。
TVのアナウンサーなどにも、キンキン声のはしゃぎ過ぎの輩が多く、気に入らないことが多いが、このガイドさんは落ち付いた雰囲気が好ましい。

 

五島列島は捕鯨が盛んな島だったらしく、いきなりクジラの顎の骨が建つ神社を紹介された。
後ろ側の細いヤツがクジラの顎の骨、手前の鳥居がヤケに、ずんぐりむっくりに見えるのが面白い。

 

捕鯨に纏わる話が続く。
この岩は捕獲したクジラを捌く前にこの岩に繋いで置き、クジラを弱らせてからゆっくり解体するらしい。
島では「クジラ弱らせ岩」と呼ぶようだが、この岩は使われなくなって久しいようで、岩そのものが崩れてしまいそう。

 

禁制時も信仰を続けた「頭ケ島教会」近くのキリシタン墓地、禁制が解かれた後の墓なので中央に十字を象っているが、ひっそりとした場所にそれはあった。
禁教時の影響がヒシヒシと感じられる。

 

教会内の撮影は禁じられているので、頭ケ島教会の説明用写真をアップする。
罪を告白して許しを請う告解部屋、ヨゼフに抱かれたキリスト、マリアを聖母と崇めるカトリック教会であること、神の永続的愛の象徴である聖体ランプなどが示されている。
五島列島のイエスは、ほとんどヨゼフに抱かれた姿だ。

 

小さな狭い教会の建屋内を少しでも広くするため、屋内の柱を日本の寺院建築などに使われる「跳出し梁構造」を取入れて柱を省略し、折り上げ天井と併せてゆったりとした空間を確保している。

 

石造りでコンパクトな佇まいが特徴的。
取り囲む樹木も丁寧に剪定されている。

 

石を巧みに加工して窓枠を嵌め込んである。

 

ステンドグラスの嵌め込み窓を用意していたが、高価なため入手することが叶わず石を嵌め込んだ跡だとか。

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五島列島 若松島

2023年06月12日 | 歴史探歩

4島目の訪問は若松島と言いたいところだが、この島には上陸はせずキリシタン弾圧の痕跡を船上から確認したのみ。

 

海上タクシー下段の席は船底にあるため目線が低く、展望が甚だ悪い。
晴天なのに台風2号の余波で波が荒く、ガラスが曇ってこの有様だ。

 

キリシタンの弾圧から逃れるため、4家族8人が3ケ月暮らした洞窟を船上から臨む。
炊事時の煙を通りかかった船に発見され、密告され捉えられたと言う。
こんな場所で3ケ月、どうやって暮らしたのだろう。

付近の崖には多くの洞穴が散見されるので、キリスト像を設置して分かりやすくしている。

 

人を寄せ付けない険しい地形だが、弾圧の恐怖から此処に必死で逃げ込んだのだろう。

 

洞窟内の一部が見える資料映像(ガイドさん提供の写真を撮影したもの)。

 

禁教を解かれた後、洞窟前でのミサの様子(ガイドさん提供の資料映像)。

 

半島をつき抜いた場所も随所にみられる。

 

砂岩の土壌は脆く、簡単に穴や亀裂が出来るようだ。

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五島列島 奈留島

2023年06月11日 | 歴史探歩

五島列島の旅、3島目の訪問は奈留島。

 

五島列島には多くの港があるが、桟橋があるのは極まれで、大半は岸壁に舳先を押し付けて上下船するタイプ。
だから先に紹介したように、海上タクシーの舳先には、しっかりと緩衝用材が括りつけてある。

 

奈留島を代表する江上天主堂。
鬱蒼とした、タブノキに隠れるように建てられている。
「やはり潜伏キリシタンの教会だ」などと、早まってはいけない。
これは禁教が解かれた後に、カトリックに復帰した信者が建立したものだから、隠れる必要はない。

 

瀟洒な趣の外観と言っていいのかな? 
表面板張りの簡素な造りとなっている。

 

内部は典型的な三廊式(中央が礼拝場所で左右に通路が設けてある)で、装飾も美しい。
ここでも堂内は撮影禁止なので、外に開示された看板の写真で紹介する

 

軒下にも丁寧に花十字架が施されている。

 

海風による湿っけ対策として、床下換気もぬかりなし。

 

この島には1日数便の定期バスが運行されている。
手作り感満載のバス停標識。

 

奈留島を去るとき、俄かに雨が降り出した。
涙雨か?
中央山腹に、白く横たわる建物は長崎県立奈留高等学校と紹介された。

そしてガイドさんが「今 瞳を閉じて」を熱唱する。

風がやんだら 沖まで船を出そう
 手紙を入れた ガラスビンをもって

 遠い所へ行った友達に
 潮騒の音がもう一度届くように

 今 海に流そう

霧が晴れたら 小高い丘に立とう
 名もない島が 見えるかもしれない

 小さな子供にたずねられたら
 海の碧さをもう一度伝えるために

 今 瞳を閉じて
 今 瞳を閉じて

この歌は1974年、長崎県立五島高校奈留分校の生徒が本校の校歌ではなく、奈留島の学校に相応しい校歌作ってほしい、とラジオ局に投稿した処、荒井由実時代のユーミンが、作詞作曲して学校に贈った曲だった。

1988年、長崎県立奈留高等学校となっていた学校の校庭に歌碑が建てられた時と、2015年学校創立50周年記念の2回ユーミンが同学校を訪問したエピソードが語られた。

この曲を聞いた時、オイラは直ぐに思い出した。
この話はNHKテレビ「新日本紀行 ふたたび」の放送を見て、柄にもなく感動していたから・・・

結果的には校歌にはならなかったが、今も奈留高校の卒業式はもとより、島を離れる子供たちに、港で送別の歌として流されている。

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五島列島 久賀島

2023年06月10日 | 歴史探歩

福江島観光を終えて、お隣の久賀島へ渡る。

 

海上タクシーと称する小型船で久賀島へ。
まるでタグボートのように、舳先に大量の緩衝材を付けている。

 

海上タクシー内は床が二段造りになっていて、下段から前方を見た景色。
相当な老朽船で下段の床下直下にはエンジンがあり、足元からエンジンの振動が強烈に伝わってくる。
窓外を臨めば、目線は海面すれすれで、波頭が目前を走る。
前日のジェットホォイルとは異なり迫力満点(本当はどうか揺れないようにと祈るばかり)

 

40分程で久賀島五輪港に到着、下船してもまだ足元がバイブレーションを起こしている。
日本最古級の木造の旧五輪教会。
明治初期、キリスト教の禁教が解かれた時期に信者たちが建てたもので、資産価値が高い。
海岸に面している為、潮風による劣化が著しい。

 

地元の大工が木造で作り上げた教会の内部。
こうもり天井と呼ばれるアーチ形のカーブも、木材を曲げ加工して表現している。
五島列島の教会の建物では唯一、この建物だけが内部の写真撮影が許可されている。

 

聖母マリアが飾られているのは、カトリック教会だと説明された。

中央に抱かれたイエスキリスト像、背後の窓から光が注がれている。
曲げ加工された木材が随所にみられる。

 

窓を透して臨む青空が神々しい。

 

木製の窓枠に縁どられたステンドグラス。

 

島の大工の手になる、渾身の透かし彫りが施された手摺。
此処にも島民の信心深さが顕著に現わされている。

 

現在の五輪教会、島内の道路事情が厳しいため、今でも遠隔地から船でミサに参列する信者がいる。

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五島列島 福江島Ⅱ

2023年06月09日 | 歴史探歩

正直な話、福江島がこんなに大きな島とは全く思っていなかった。
何の予備知識もなしに訪れる気ままな旅。

 

二日目はバスに乗っての福江島観光、最初に向かったのが「井持浦教会」。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」と長ったらしい名前、五島列島の五の字もないのはどういうこと。
五島列島のキリシタン信者は、全てカトリック信者だとガイドさんから説明された。

 

塔上の十字架は何方もご存じの通りですが、正面のマークはなにを現すのか初めて聞くことだった。
「万物の最初から最後を意味し、すなわちイエスキリスト」を現すものだと・・・
ギリシャ文字のアルファベットで、最初の文字アルファ:αと、最後の文字オメガ:ωを図案化しているのだと4・・・

 

この教会には、フランスはピレネー山脈の麓にある聖地:ルルドの泉が設えてある。
聖母マリアが現れて、難病の少女をし救ったと伝わるルルド、ここから湧き出る聖水が、不治の難病を克服する奇跡をおこしたと伝わるものだ。

信ずる者は救われる。そうでない者は… オイラはこの聖水を飲まなかった。

 

宗教の話から一変して、我々無信心な一行は島内一の絶景へ案内された。
東シナ海の波頭が岸壁を洗う「大瀬崎灯台」だ。
妻夫木聡と深津絵里主演のアカデミー賞受賞作:悪人のクライマックスシーンの撮影場所でもある。
映画観ました。思い出しました。

ガイドさんは昔の映画「喜びも悲しみも幾年月」の主題歌を熱唱された。
歌ったのは若山 彰ですぜ! ご一行皆この歌を知っていた?

 

長崎県は島の数が日本一多い県でトリッキーな地形だが、五島列島福江島も又素晴らしい景観が至る所にある。
何処も筆舌に尽くしがたい大パノラマだ!

 

ガイドさんも五島は津々浦々なんてものではなく、裏(浦)ばかりで文字通り「おもてなし」だとダジャレた。

 

起伏が激しい地形のせいか、天候の変化も目まぐるしい。
つい先ほどまで見えていた先端の灯台は、あっという間に姿を隠した。

 

それとは対照的に懐深い入り江は波頭一つ立たず、絶好の海水浴場となっている。

 

全島ほとんどが砂岩で出来ている五島列島、「ブラタモリ」に絶好の地と確信する。
何方かタモリさんかNHKのスタッフに繋いでもらいたい。
松の木一本で、しっとりとした日本庭園の態に早変わりだ。

 

 

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五島列島 福江島

2023年06月08日 | 歴史探歩

いよいよ本来の目的地五島列島は福江島へ上陸。

 

いきなり伊能忠敬の天測地へ案内された。
日本全国に彼の足跡は点在しているが、長崎沖の離島にまで来ていたとは知らなかった。
あまり興味がないとは言え、知らなかったのはちょっと恥ずかしい。

 

五島列島はさすが観光地、街角至る処に楽しい表示板が設置されている。
ガイドの話では、福江島住民最多数の職種はサービス業だと言う。

 

武家屋敷町を散策すると、各戸にこの風変わりな石垣が眼に入る。
下部は加工度が高い打ち込み接ぎだが、上部に丸い川原石が積まれている。
侵入者が越えようとするとガラガラっと崩れ、異常を知らせるのだそうだ。

 

当地を支配していた五島氏の居城:福江城の跡には五島高等学校がある。
この学校の生徒のお行儀の良いことには感心させられた。
すれ違えば当然のこと、後ろからでも大きな声で挨拶してくれる。
とても清々しい気持ちになった。

 

福江城の石垣とお堀も残されている。
閑静な環境で勉学に勤しむ高校生も、やがて就職や大学進学で島を離れていく運命にある。

 

今時の旅人にもてはやされそうな一つの石垣。
心優しい石工が加工したのかな?

福江城は幕末に外敵(黒船)の脅威に対処するため、幕府の肝いりで松前城と共に築城された。

 

街中で目に付いたこの樹木はフェニックスだそうだ。
やはり南国の面影が随所に漂っている。

 

お堀の中に勢いよく湧き出す清水、福江城安泰の気がほとばしっているのだろう。
この伏流水が続く限り、五島氏は永続する。

 

福江島の夜、隠れ家の様な茶屋に案内された。

 

鮮度抜群の魚介類、採れたて島の野菜の数々、五島牛に五島うどんと、夕餉は島の珍味を満喫した。

 

十三夜の月が足元を照らす。
千鳥足の一行は、上機嫌で帰途に就いた。

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