五島列島の旅の最後に案内されたのが、「桐教会」⇒「山上神社」だった。
旅の工程表には、この場所だけ「桐古里集落・キリシタンの里」と書き添えてあった。
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桐教会へ向かう我ら一行。
勿論上五島のガイドさんも同行されているが、何故か此処だけは桐教会の専門ガイドの案内だった。
先頭が桐教会の専門ガイドさん(布教の指導者か?)、ピンクのユニが上五島のガイドさん、従うのが我らご一行様。
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桐古里集落・キリシタンの里はこの風情。
身を潜めて暮らすのには絶好と思われる佇まいがそこにはある。
此処は池ではなく、深い入江となっている。
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階段の先にシンプルな教会の建屋が姿を現した。
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ほとんど装飾品はなく、四角な窓枠にはアルミサッシの窓が嵌め込まれている。
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教会前のモニュメントには、イエス・キリストを抱くマリア像がある。
これまで訪れた五島列島の教会は、すべてヨゼフが抱くイエス・キリスト像だったが・・・
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そして桐古里集落にキリスト教を導いた人たちの像。
中央が最初に大浦天主堂に出掛け、キリスト教の布教に立ち上がった与作。
右側に座っているのが与作の父で、信者であることを自白させるために、のこぎり状の板の上に正座させられている。
自白するまで、膝の上には重い石が何枚も重ねて乗せられる。
左側に立っているのは、布教活動に尽力した方で、後にこの親子と親戚関係になった。
この集落の信者達は、明治初期のキリスト教解禁後に、カトリックに復帰した方と、そうでない方に分かれて現在は暮らしているそうだ。
キリスト教の禁じられた250年間を潜伏期間を経て、解禁後にカトリックに復帰した信者は「潜伏キリシタン」で、禁教時の形を継続してカトリックに復帰しなかった信者は「隠れキリシタン」と区別された。
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隠れキリシタンの方たちが、擬装して信仰を続けていた「山上神社」。
ご神体は申だと聞いたが、天孫降臨で道案内をした、猿田彦に思いを馳せているのだろうか。
聖書はなく、口伝えでの祈りを継続している。
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禁教時の行事の様子を残した写真。
紋付の羽織袴で列席しており、キリシタンであることを微塵も感じさせぬ姿。
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潜伏キリシタンの関連施設・様式のみ世界遺産に登録され、隠れキリシタンと比定された集落は、遺産登録から除外されたことに「差別感を持つ」と、訥々と訴えたFさん、それでも若者達は「何のわだかまりもなく交流している」と語った。
私たちを涼しい日陰へ誘導し、自らは神社脇の日当たりで説明を続けるFさん、人柄がにじみ出て好もしい。
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帰り掛けに振り返ると、高台に堂々とそびえる「桐古里教会」が臨まれた。
「もう隠れて活動しなくてもいいんだよ」と言っているようだ。