伊勢街道ちょっと一服して持芳庭の紅葉をどうぞ!
たった1本の紅葉ですが、剪定が悪くすっきりしないです。
毎年当たり外れなく健闘する満天星つつじ。今年もまめ柘植と一対でそれなりに…
夕日が差し込むと状況は一変、辺り一面紅に染まります。
今年も常連のお客様がやってきましたが、ご機嫌悪いのか後ろ向きばかりで残念。
大きなお家は我が家ではありませんで前のお宅です。
伊勢街道ちょっと一服して持芳庭の紅葉をどうぞ!
たった1本の紅葉ですが、剪定が悪くすっきりしないです。
毎年当たり外れなく健闘する満天星つつじ。今年もまめ柘植と一対でそれなりに…
夕日が差し込むと状況は一変、辺り一面紅に染まります。
今年も常連のお客様がやってきましたが、ご機嫌悪いのか後ろ向きばかりで残念。
大きなお家は我が家ではありませんで前のお宅です。
三重県の県庁所在地は「津」日本一短い駅名。
車掌さんも何か車内放送がし難そうだ。
伊勢街道には一里塚や道路標が数多く残っているが、これほど見事な松は珍しい。
三重県も浄土真宗の信者が多いと聞くが、その中でも圧倒的に多いのが真宗高田派だとか。
道路案内標識も高田本山道と表記されている。
こちらは浄土真宗の聖地に、どっしりと根を下ろしたが如く立派な山門を持つ寺院。
なんと!曹洞宗の四天王寺だとか、ご住職の奥様が本堂に上げてくださり、おいしいお茶とお菓子まで…
さすがに県庁所在地、三重県唯一の五重塔がある津観音も、津駅から至近の位置にある。
奈良の寺院を彷彿とさせる、寄棟造りの本堂がうつくしい。
日本三大観音一つ津観音 「伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ」は伊勢音頭の一節。
そして珍しい地名を山号としたお寺 阿漕山(あこぎさん)そのものずばりです。
津の一つ伊勢寄りの駅が「JR阿漕駅」です。
先にアップした「不断桜」説明が足らなかったが、春・秋・冬と3シーズン咲き乱れるとか…
そろそろ鈴鹿宿とお別れという地にこの建物。
宝形造りの入口側に庇が突き出た面妖な形。
宝形に頭には通常の露盤に代わって「甕」が冠ぶせられている。
正面に回ってお参り、「甕釜冠地蔵尊」とある。
正確には露盤代わりに「釜と甕」が冠せられているのだ。
地域の特徴か、似たようなお堂が近くにあった。
そして遠方からも、多くの信者がお参りに訪れる社があった。
近づくと提灯にこの表記、下の病でお困りの方が救いを求めて訪れる。
昼食のために立ち寄った、痔神大明神近くの食堂のトイレはこの状況でした。
あまりメジャーな見所はないが、懐かしい時代の風情をそこかしこに残す伊勢街道。
此処にも明治天皇行在所の標記があるが、伊勢街道の特徴は地域名を碑に刻んでいること。
此処は「神戸」です。
ディスカウント店の攻勢ですっかり町から姿を消した酒屋さん、ここにはちゃんと現役で残ってます。
出会う人々の中には、乳母車にちゃんちゃんこ姿の方もおられます。
伊勢街道ではそれなりに名の知れたお寺:子安観音寺。
屋根中央に突き出たものは「千鳥破風」それとも「向背」
これも珍しいと思うのですが「細身の蟇股」の真ん中に「骨太の獅噛」がデザインされています。
そして極め目付は、国天然記念物の不断桜、左端に見えるのがそれ!
あまり期待しないで歩き始めた伊勢街道、どうして❔結構楽しいものが連続するよ!
古き良き風情をどうしても残したい?街道沿いにある倉庫のシャッターは木目調に化粧されている。
街道沿いの神社はやはり伊勢型の神明鳥居、柱に転びがあるのが特徴です。
左の柱際に「忘帰處」とあるが、明治の元勲が此処から眺める伊勢湾の景色に見惚れ、帰るのを忘れるほど感嘆した場所の意。
そして社殿は、千木、鰹木、棟持柱が3点セットで…
神戸の城下に差し掛かるところにあった、「神戸の見附」の古地図。
見附とは宿場の入り口に設けられた監視所のこと、赤坂見附など住所として残っている。
見附には古地図に記された通り、石垣と門が設置された居たようだ。石垣堤防のみ復元されている。
宿場に残る古い旅籠、四国遍路宿を思い出した。営業中かな?
さらにびっくり!「洗張り・しみぬき」ときたよ!
街道歩きの人気度から言えばマイナーかな? 伊勢街道。
広島から参戦となると、新幹線で名古屋駅⇒近鉄名古屋線で四日市駅⇒四日市あすなろう鉄道で⇒追分駅
「四日市あすなろう鉄道」会社の名前からしてユニーク。
ちゃんとした専用軌道を走る電車だが社内はこの光景。超ローカル線だが車体は新しい。
左右両側の席を一人掛けとして、通路を広く確保している。
スリムな車体に控えめなカラーリング、好感が持てます。
但しレール幅が極端に狭いため、走行中の横揺れは半端ではありません。
東海道と別れる伊勢街道の起点「日永の追分」に立ちました。
「右京大坂道」と刻まれています。したがって左手の道を進めば伊勢に着くわけです。
やる気満々の仲間たちと追分の地で…80キロ先の伊勢神宮を目指します。
日永の追分からの伊勢神宮遥拝所は、日永の名水の湧水場所でもあります。
軍港がテーマとあっても、酒飲みには此処が一番?
街歩きの終点は此処:三宅本店、呉市きっての大手酒造会社です。
新種の絞り出しには少し時期が早く杉玉は枯れています。残念!
軍港が主題なので、この絵皿はぴったりかと思う。あえてアップしましたが他意はありません。
更に描かれた地図に注目、朱塗り部分が我が国の領土ですぞ!
こちらは日章旗と旭日旗をあしらった盃。
シンボルとも言うべき酒造会社の煙突、耐火煉瓦に金属の補強付き。
「手酌で勝手にどうぞ」なんて嬉しいお言葉に甘えて、ついぐいぐいっと…帰り際にはカープ優勝記念の「Vパック」も頂いた。
紺碧の秋空を振り仰ぐと、心なしか足元がフラッと…
今回のテーマは「軍港呉」なので、それらしい処を巡るのはずだが…
海軍被服廠跡、10数回の空襲にも焼けず奇跡的に残った建物。
「なかなか遺産」に指定されている?
「なかなか遺産」とは世界遺産や国重文に指定されていないが、ユニークでそれなりに価値のある施設を指定する。
呉海軍工廠への第2ゲートのあった場所、今も狭い道路がそのまま…
別表神社なる表記は珍しい。県社らしいがあえて別表神社となっている。
別表神社は全国で300社ほど、神社庁内部での呼称らしいが、規模が大きく由緒ある神社が指定されているようだ。
八幡三神を祭っているが周囲に目障りなものがなく、絶好の場所に位置している。
呉随一の初詣客でにぎわう。
続いて呉海軍墓地へ
公園内で個人の墓は無理なので、軍艦ごとの慰霊碑がそこかしこ。
そして資料館には写真がいっぱいだが、オイラの目にはこれしか入ってこなかった。
いま全国で話題の「カラーマンホール」は、もちろんこのデザインです。
観光ボランティアの研修で、かっての軍港:呉の街歩き。
7月の集中豪雨で不通区間が残っていた、JR呉線も全通したので予定通り研修は開催された。
呉駅前に展示された巨大なスクリュウ、戦艦大和から受け継がれた巨大船造りは今に引き継がれている。
呉駅前から旧海軍工廠へと続く道に、今もガス灯が現役で…(最も最新型らしいが)
海軍工廠の第1ゲート跡、現在もその先で巨大船舶が建造中であった。
一般市民の目を隔絶するために、巨大な壁が聳えていたようだ。
大ヒットしたアニメ映画「この世界の片隅で」にも登場した青山倶楽部は保存が決まった。
軍人さんたちの社交の場だったとガイドは説明した。(ガードの向こうのエンジの建物)
呉有数の目抜き通りだと言うに、質屋が堂々と現役です。
呉命名の由来を説明してくれた。九嶺=呉だとか。
ガイドさんの少々皴っぽい指が哀愁を誘う。
祭りの宵宮に出掛ける感じでそぞろ歩き。
プロジェクションマッピングなるものを、直に見るのは初めて…
東照宮の石段にイベント名「和奏光夜」の文字が浮かび上がる。
実は只今、投写のリハーサル中です。
幻想的且立体的で荘厳な雰囲気を醸し出す。
冬なのにこの光景から連想したのは「怪談:牡丹燈籠」
けばけばしくなく最も雰囲気が出ていた、國前寺山門。
只、鐘楼脇のこの造形は何を表現しているのか意味不明。
伝統的な行事が乏しい広島の街、夜の催しともなると更にお寒い。
それでもと気を取り直して「和奏光夜」なるイベントへ出かけた。
浅野家ゆかりの饒津神社もライトアップされるとこの光景。
お隣の明星院は太鼓とドラムの共演で喧しいが、アプローチは結構楽しめる。
何処に行っても、どんな催しでも、夜景の撮影は大の苦手。
目まぐるしく変わる、色彩の変化にも付いていけない。
目の癒しにでもなればと思って…
見慣れた仁王様も夜の形相は本当におっかない。
でもこれが本来の仁王門の役目かもしれない。