今回は宮内庁畝傍事務所で管理する陵墓を訪ねました。
二泊三日の旅程ですが、「青丹よし 奈良の都は 咲く花の 匂うが如く 今盛りなり」の桜もちょっと期待して日程を組みました。
何時ものことながらオイラの旅は、公共交通機関を使うことがほとんどなので、この移動順によって訪ねる順番が決まってしまうことになります。
最初は斉明天皇陵、JR和歌山線掖上駅が起点です。
何の変哲もない無人駅、この時下車したのもオイラ一人でした。
当然駅前には天皇陵への案内板があるものと決め込んでいましたが、何の手がかりもないばかりか駅前にお店もなく、途方に暮れてしまいました。
はやる気持ちを抑えて水分補給をしていると、犬のお散歩をしているご婦人が通りかかります。
詳しく説明してくださいました。とても分かり難い道順でした。
いきなりこんな農道のような道を行くことになります。
それでも歩き旅の老人には、こんな美しいご褒美も用意されていました。
麗しき古都奈良のイメージをぶち壊すかの様な、無粋な橋を渡れと教えてもらいました。
川の流れも澱んでいて、風流とは程遠い景色がありました。
何の変哲もない、旧街道と思しき道を進みます。
更に細い集落内の道へ入っていきます。
四国遍路での道行が思い出されますが、天皇陵への道は全く案内標識というものがありません。
でも奥の山は何となく、陵墓の匂いがしてきました。
やっとそれらしき石段が現れました。
さして立派な造りには見えませんが、綺麗に掃き清められていることから、天皇陵への道だと確信出来ます。
石段脇にこの標識がありました。
なんとも天皇陵に相応しいとは思われない、二次元バーコードの案内でした。
欲を言えば、この場所に至る前に案内標識が欲しかったです。
ジグザグと曲がる石段を踏みしめて進みます。
お馴染みの標識がありました。
斉明天皇は37代の天皇ですが、35代皇極天皇も同じ方で、34代舒明天皇の皇后であり、天智天皇、天武天皇の母でもあります。
お馴染みの神明鳥居ですが、斉明天皇陵は木製でした。
鳥居の先端は、腐食防止のカバーが施されていました。
墳墓の周囲には斜面に沿って玉垣が巡らされています。
飛鳥宮を造成するため、壮大な土木工事を行った天皇であり、百済救済のため白村江へ日本の軍隊を派遣した天皇でもあります。
そんな経歴をお持ちの天皇にしては質素な造りの陵墓です。
重祚・女帝・飛鳥京の造営・百済救済の朝鮮派兵など、積極的な施策を遂行した皇極・斉明天皇の御陵印です。