もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

懿徳天皇陵 畝傍山南繊沙渓上陵

2024年04月30日 | 歴史探歩

畝傍山西南(ひつじさる)の位置に、並んで存在する二つの御陵があります。

 

第三代安寧天皇陵を参拝した後、元の道に戻るとこの標識があります。
二つの天皇陵を同時に示す標識は、ここまで出会わなかったと思います。

 

程なく陵をめぐるお濠と思われる場所に出てきました。

 

そして茂みの間から、紛れもない御陵が姿を折らわしました。
続けて二つの御陵を参拝できるのは、正直疲れた体にはありがたいことでした。

 

本来の参道入り口まで廻り込んで参拝します。

 

第四代懿徳天皇陵、欠史八代の内の一人です。
初代神武天皇から、第二代綏靖天皇、第三代安寧天皇、第四代懿徳天皇までの四御陵が、畝傍山を取り囲むように配されていました。

 

御陵前は、公園のように整然と整備されています。

 

御陵形式は山形とされていますが、自然の山そのものが色濃く残っています。
此処も真新しい鳥居が建てられていました。

 

第四代懿徳天皇御陵印です。
慎重に押したつもりですが、全く不出来な結果となってしまいました。

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安寧天皇陵 畝傍山西南御陰井上陵

2024年04月29日 | 御陵印

畝傍山の東北(うしとら)方向にある神武天皇陵の対角方向、西南(ひつじさる)方向に位置するのが第3代安寧天皇陵です。

畝傍御陵内を流れる小川があり、その近くに陵内を横切る小道を見つけました。
方角からみて安寧天皇陵への近道だと推察して、思い切って足を踏み入れました。

 

鶯の鳴き声が聞こえてくる(聞こえたと勘違いしたのかも?)、なんとも爽やかな明るい散策路でした。

 

10分も掛からなかったと思いますが心が和む空間で、なんだか得をしたような気持ちななりました。

 

畝傍御陵の茂みを抜けたところに、この案内標識がありました。
前日はほとんど案内標識を目にすることがなく悪態を付きましたが、雨のこの日は何ともタイミングよく出会えました。

 

雨に煙る畝傍山を眺めつつ、長閑な田園地帯を南下します。

神武天皇陵から3キロほども歩いたでしょうか、塀に囲まれた御陵と思しき場所まで来ました。
伐採された樹木が作業中でしょうか放置されており、天皇陵としたら異様な光景です。

 

西南の角を東方向に曲がり込みました。

 

陵の周囲には庶民の暮らしの場が隣接しています。

 

一端陵墓の脇から離れ、集落の中の道を進みます。

 

ありました。欠史八代の一人で第3代安寧天皇陵の案内板です。

 

玉垣を隔てて遥拝しました。

真新しい鳥居に、手前の玉垣と生垣は正対していません。

 

安寧天皇の御陵印です。

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神武天皇陵 畝傍山東北陵

2024年04月27日 | 御陵印

皇家の中でも別格の知名度を誇る初代神武天皇陵を訪ねます。

 

綏靖天皇陵から南へ数分歩くと、宮内庁畝傍御陵管理事務所があります。
ここで管理されている天皇御陵の「御陵印」を、御陵印譜にいただきます。
初代神武天皇をはじめ33代の天皇陵が管理されています。

事務所内には10名ほど、黒服を着た事務官が詰めておられ、厳粛な雰囲気に圧倒されます。
恐る恐る、震え声で「御陵印を戴きたいのですが・・・」と伺うと、「はいどうぞ! そこに座って押してください」と明るい返事が返ってきました。

神妙に御陵印を押していきましたが、事務官の会話を聞くともなく聞いていると、柔らかな関西弁で日常会話を交わしていました。
一遍に肩の力が抜けてリラックス出来ました。

 

事務所に伺う前は緊張していたのか気付きませんでしたが、前庭には立派な桜の大木が咲き誇っていました。
天皇陵に国の花である桜が爛漫、意識した訳ではありませんが良い日にたずねられました。

 

雨でしたので、ちょっと後ろめたい気がしましたが、事務所の方にお断りして、監理事務所の脇道から神武天皇陵へ向かわせていただきました。。
砂利の敷かれた広大な広場が広がっています。

これまで参拝した天皇陵と違って、1の鳥居・2の鳥居・3の鳥居が一直線上に並んでいました。

 

斜めに歩くのは失礼かと思い直して真横に歩き、鳥居に正対してから参拝します。

 

神明鳥居の背後に付け柱が立てられており、大きな扉を支える形になっています。

門の形式で言うと「薬医門」の形です。

 

参拝後、監視している事務官にお礼を言って帰ります。
さすがに初代神武天皇陵、雨にもかかわらず数人の参拝客と出会いました。

 

朝通らなかった参道を逆に帰ります。

 

お馴染み宮内庁の標識を見つけました。
何時もと真逆の順での参拝となりました。

 

神武天皇畝傍御陵の表示です。
神武天皇は、紀元前660年2月11日生、紀元前585年崩御127歳でした。
現在2月11日は建国記念の日として、国の祝日です。
天津神の末裔で、国津神の末裔を皇后に迎えた神武天皇、実在したか否かは諸説ありますが、とにかく無事参拝終えました。

 

神武天皇の御陵印です。

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綏靖天皇陵 桃花鳥田丘上陵

2024年04月26日 | 御陵印

雨がそぼ降る奈良の都、国の起源と伝わる畝傍御陵に向かいます。

 

近鉄線で樫原神宮行に乗車して八木西駅で下車しました。
畝傍御陵前駅に急行電車も停車しますが、多くの御陵を効率良く巡るために、あえて神武天皇陵に先駆けて、第二代綏靖天皇陵から参拝します

奈良の街中三条通りとは全く趣が異なり、旧家の立ち並ぶ今井町が本日の実質的な出発点です。

 

今井町の外周道路は幅広で歩きやすく、趣があります。
篠突く雨でも歩道には水溜りが出来ません。
落ち着いた色調も共感できます。
歩き中心の旅人には、本当にやさしい造りで、とても助かります。

 

歩くこと数分で、畝傍御陵の森と思しき山が見えてきました。
旧家の残る風情ある街並みと神聖な御陵の間に、雑駁な生活臭のある道路が横切ります。

 

更を目を疑うのは御陵の森に隣接して、この種の建物が軒を連ねていることです。

 

やっと畝傍御陵の森に入ってきました。

やがて天皇陵と思われる場所が現れました。
目指す第二代綏靖天皇陵でしょう。

 

欠史八代の一人、第二代綏靖天皇陵でした。
神武天皇が崩御された後、兄を射殺して第二代天皇に即位したと伝わる綏靖天皇、力のあるものが皇統を継ぐことを正当化しているのでしょうか?

 

昨夜来から続く雨でさすがに天皇陵の参道も、この朝は落ち葉が散乱していました。

 

鳥居の背後にはこんもりとした森が続いており、円丘墓であることを確かめることは出来ません。

 

第二代綏靖天皇の御陵印です。
慌てたわけではありませんが、押印に失敗してしまいました。

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開化天皇陵 春日率川坂上陵

2024年04月24日 | 御陵印

畝傍御陵管理の天皇陵参拝2日目です。

 

早朝、雨の奈良三条通りは人影も疎らです。
長らく工事が続いていたが歩道が随分と広くなり、とても歩きやすくなりました。

 

奈良の目抜き通りに沿った場所に、第9代開化天皇陵はありました。

 

生垣で囲まれた参道の先に、こんもりとした林が見えました。
隣では某ホテルの改修工事が行われているようです。
陵の入口が参道と直交しておらず、多くの神社と似た形となっています。

 

階段と鳥居も正対していない感じです。
これまで訪ねた陵では分からなかったレイアウトでした。
この街中にあって、100mの長さを持つ前方後円墳ということです。

 

石の玉垣の外側にこの囲いが施されているのは、この陵が市街地に位置することが要因でしょうか?
隣接してお寺が建っているのも特異な感じです。

 

開化天皇の御陵印です。
第9代開化天皇も、没111歳で在位も60年と長く、実在に疑念が持たれている欠史八代の天皇の一人とされています。

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孝霊天皇陵 片丘馬坂陵

2024年04月23日 | 御陵印

欠史八代の一人、第7代の天皇とされています。

 

広大な武烈天皇陵をほぼ全周巡り、喘ぎつつ参拝を終えて、本日最後孝霊天皇陵を目指します。
武烈天皇陵⇒孝霊天皇陵は地図上では7キロほど離れていますが、奈良盆地の中央に位置するので高低差は少なく、平坦な道を夢遊病者の如く歩きます。

 

暮れなずむ住宅街から緩い坂を上った先にそれはありました。

 

寺社仏閣の参拝で戴く朱印や納経とは異なり、御陵印は到着した場所で戴くわけではないので、参拝した証としてこの標識を写真に納めています。

 

標識のある場所から更に敷石を施した緩い斜面を登り詰めます。

 

生年・没年は不祥で、106歳とも128歳で没などとされていますが、やはり実在か否かは疑問とされています。

 

山形墓と言われていますが、詳細は不明です。

 

陵墓のすぐ近くまで住宅地が迫っています。

 

孝霊天皇の御陵印です。

1日の工程は徒歩20キロほど、疲れ果てた体は保水液を欲して、無意識のうちににドラッグストアを目指していました。

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武烈天皇陵 傍丘磐杯丘北陵

2024年04月21日 | 御陵印

顕宗天皇陵から北へ2キロ程北に位置するのが、悪虐非道の暴君とされる第25代武烈天皇の陵です。

 

人家も疎らな郊外の道を重い足を引きずりながら歩き続けます。
バス路線がわからないので、JR線化か近鉄線以外乗り物が利用できません。

 

程なくして生垣に囲まれた、天皇陵と思しき場所に着きました。
宮内庁の表示板や鳥居が見当たりませんので、まずは突き当りを左手へ向かいます。

 

陵墓の西側と思われる場所に来ましたが、やはり入り口はありません。
それにしてもこれまで訪ねたどの天皇陵よりも、けた違いに広大な規模を誇っています。

 

最初に突き当たった場所まで戻り、陵の東側に回り込むことにします。
道路から見える陵墓内に竹林もあり、なんだか荒れた感じがします。

 

東側にも入り口はなく北側に回り込んでようやく、それらしい参道が見つかりました。
広大な陵墓を3/4周歩いたことになります。

陵墓のスケールに合わせて、長大な石垣と生垣が巡らされています。
曇り空で定かではありませんが、この御陵は北向きではなのですか。

 

法律に詳しかったものの裁きとお仕置きに終始した武烈天皇陵の石段、足を掛けるのがちょっと躊躇われました。

 

顕宗天皇の南陵に対して北陵ということのようです。

 

複雑な気持ちで黙祷しました。
自分自身何か後ろめたいことがあるのでしょうか?

 

鬱蒼とした森で、宮内庁では山形墳墓としています。
実際は古墳ではなく、自然の山であるという見方をされているようです。
悪行ばかりで善行は一つもないという記述は日本書紀、対して古事記では非道に一切触れられていないことから、この天皇も実在性を疑問視する説があります。

 

10歳で即位して18歳で崩御。
子供がないことから、16代仁徳天皇以降続いた皇統を断絶した天皇と言われていますが、真偽はどうでしょうか。

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顕宗天皇陵 傍丘磐杯丘南陵

2024年04月20日 | 御陵印

この日5陵目の顕宗天皇陵は、JR和歌山線香芝駅に近いので、取り敢えずJRに乗車して移動します。

 

孝昭天皇陵からおよそ1キロ歩いて、御所駅から乗車し3駅先の香芝駅まで・・・
文明の利器のありがたさを改めて感じます。

 

香芝駅から約1キロの間は、庶民の町感一杯の道が続きます。

 

こんなに広い歩道?がありました。
突き当りの家の左側に、歩道より狭い車道が見えますが、この道が顕宗天皇陵への近道です。
古都奈良の街並み整備は困難が伴うのでしょうか。

 

何気ない川沿いに、季節の華やぎがありました。
棒のようになった体には何よりの潤いです。

 

JR香芝駅から1キロ強、突然道路沿いに天皇陵が現れました。

 

第23代顕宗天皇陵です。
やっと欠史八代ではない天皇陵かと思ったのですが、顕宗天皇も実在か否か議論が分かれているようです。

父を21代雄略天皇に殺された後、播磨国に逃れて牛馬の世話をする奴隷をしていた時、子供のいない22代清寧天皇に助けられ、23代天皇に即位した逸話が、信ぴょう性に乏しいというものです。

 

此処も真新しい鳥居と玉垣に囲まれていました。
前方後円墳ということですが、周囲からその形は確認できません。

 

陵内立ち入り禁止は勿論ですが、ここにも生垣に切れ目がありました。

 

顕宗天皇の御陵印です。
珍しくきれいに押印出来ました。

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孝昭天皇陵 掖上博多山上陵

2024年04月18日 | 御陵印

続いては第5代孝昭天皇陵を目指します。

 

孝安天皇陵の脇から孝昭天皇陵方面を展望すると、このような景色が広がっていました。
前方遥かな山裾迄歩かないといけないようです。

 

お参りを済ませた孝安天皇陵の傍らを歩きます。
すぐ脇迄庶民の生活臭が感じられるのに、陵内の研究がなされないのは何とももどかしい気がします。
欠史八代の天皇陵と言われ、その信ぴょう性が疑問視されている場所でも、発掘調査は出来ないとはなんということでしょう。

 

季節柄桜花爛漫でしたが、なんとも俗っぽい場所を通っていきます。

 

電柱には三室という場所表示、GSは御所SSと表記されなんだか歴史を感じさせますが、特に天皇陵との関わりは分かりませんでした。

 

田の中の道から、川土手へ上がるといきなりお馴染みの標識がありました。

何処にでも見かけられる里山風の一角に、玉垣に囲まれた孝昭天皇陵はありました。
鳥居も真新しいものです。
すぐ脇に民家が近接しており、荘厳さが感じられません。

 

欠史八代の一人第5代孝昭天皇陵は、何とも庶民感覚の雰囲気の中に存在します。

 

墳墓の一部は切り崩されたように見え、脇には休業に追い込まれた商業施設が放置されています。
開発の波に洗われて痛々しい状態でした。

 

第5代孝昭天皇の御陵印です。

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孝安天皇陵 玉手岡上陵

2024年04月17日 | 御陵印

記述によると、斉明天皇陵から4キロほど離れた場所に、第6代孝安天皇陵はあるようです。
JR和歌山線掖上駅から1駅の、玉手駅近くにあるようですが、運行本数が少ない路線ですので列車は諦め、そのまま歩いて尋ねることにしました。

 

斉明天皇陵から細くくねった集落内の道を戻り、県道と思しき幹線道路に出ました。
曽我川に架かる「郡界橋」を渡って歩を進めます。
幅50メートルにも満たない川ですが、古の民にとっては越すに越されぬ障害だったのでしょう。
郡の境となっていたようです。

 

当然のことながら、ここでも案内標識は期待できませんので、およその見当をつけた方向に歩きます。
長閑な田圃道をちょっぴり不安を抱えながら・・・

 

30分以上歩いた頃、前方に古墳と思しき影が見えてきました。
手前の山塊右端の、こんもりとした丘が目的地ではないのかしら?

 

集落の中に入っていくと、やっと案内板が現れました。

 

陵墓の直近まで畑として利用されています。

 

汗ばむ陽気の中を歩くこと1時間、孝安天皇玉手岡上陵に着きました。

 

参道には丸い川石と平たい石が、びっしりと敷き詰められています。
でもこの手の道は結構歩き難いのです。

 

途中土砂崩れの跡は真新しい板で修復されていました。
さすが天皇陵ですね。

 

きっちりとした石垣で造成された孝安天皇陵を見上げます。
第6代天皇と言えば、「欠史八代」と言われる天皇の一人にあたります。
第2代~第9代までの天皇には事績の記述がなく、系譜のみの説明で生存年数などにも疑問があり、諸説ありますが、実在されたかどうか疑念を持たれています。

 

円墳であるとの説明ですが、直線的に玉垣が築かれていました。

 

孝安天皇の御陵印です。

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斉明天皇陵 越智岡上陵

2024年04月16日 | 御陵印

今回は宮内庁畝傍事務所で管理する陵墓を訪ねました。
二泊三日の旅程ですが、「青丹よし 奈良の都は 咲く花の 匂うが如く 今盛りなり」の桜もちょっと期待して日程を組みました。

何時ものことながらオイラの旅は、公共交通機関を使うことがほとんどなので、この移動順によって訪ねる順番が決まってしまうことになります。

最初は斉明天皇陵、JR和歌山線掖上駅が起点です。
何の変哲もない無人駅、この時下車したのもオイラ一人でした。

 

当然駅前には天皇陵への案内板があるものと決め込んでいましたが、何の手がかりもないばかりか駅前にお店もなく、途方に暮れてしまいました。

はやる気持ちを抑えて水分補給をしていると、犬のお散歩をしているご婦人が通りかかります。
詳しく説明してくださいました。とても分かり難い道順でした。
いきなりこんな農道のような道を行くことになります。

 

それでも歩き旅の老人には、こんな美しいご褒美も用意されていました。

 

麗しき古都奈良のイメージをぶち壊すかの様な、無粋な橋を渡れと教えてもらいました。
川の流れも澱んでいて、風流とは程遠い景色がありました。

 

何の変哲もない、旧街道と思しき道を進みます。

 

更に細い集落内の道へ入っていきます。
四国遍路での道行が思い出されますが、天皇陵への道は全く案内標識というものがありません。

でも奥の山は何となく、陵墓の匂いがしてきました。

 

やっとそれらしき石段が現れました。
さして立派な造りには見えませんが、綺麗に掃き清められていることから、天皇陵への道だと確信出来ます。

 

石段脇にこの標識がありました。
なんとも天皇陵に相応しいとは思われない、二次元バーコードの案内でした。

欲を言えば、この場所に至る前に案内標識が欲しかったです。

 

ジグザグと曲がる石段を踏みしめて進みます。

 

お馴染みの標識がありました。
斉明天皇は37代の天皇ですが、35代皇極天皇も同じ方で、34代舒明天皇の皇后であり、天智天皇、天武天皇の母でもあります。

 

お馴染みの神明鳥居ですが、斉明天皇陵は木製でした。

 

鳥居の先端は、腐食防止のカバーが施されていました。

 

墳墓の周囲には斜面に沿って玉垣が巡らされています。

飛鳥宮を造成するため、壮大な土木工事を行った天皇であり、百済救済のため白村江へ日本の軍隊を派遣した天皇でもあります。
そんな経歴をお持ちの天皇にしては質素な造りの陵墓です。

重祚・女帝・飛鳥京の造営・百済救済の朝鮮派兵など、積極的な施策を遂行した皇極・斉明天皇の御陵印です。

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えひめあやめ 令和6

2024年04月13日 | 山野草

今年も愛でに行きました。

今年は最初に出会った場所に戻って、愛らしい花を鑑賞します。

 

えひめあやめ自生地に続く道沿いに、行儀良く咲いてい此の花は何でしょう。

 

先へ進む順に1輪、2輪、3輪と花数を増していきます。

 

まるでえひめあやめ鑑賞の「露払い」の如く、細やかに咲いていました。

 

真打の登場です。

 

小ぶりの花弁で、心なしか紫が淡白に感じられます。

 

奥に進むのしたがって「そんなことはないよ」とばかり、大輪の奴が顔を出しています。

 

太陽光に光り輝く一団もありました。

 

地元の皆さんの愛情に育てられ、随分と株が増えています。

 

えひめあやめ、その名の通り近づいてみると、しっかり綾目の斑が確認できます。

 

周りを取り囲む笹に負けまいと、懸命に太陽の光を浴びていました。

 

今年も十分楽しませてくれました。
紫色は良いね!

 

太刀持ちはこれかな?

 

こんな姿もあるよ。

 

怪しげな昆虫も取りついていました。

案内されなければ誰も気づかない谷間に、ひっそりと咲いているのです。

今年は、最初の此の花に出会った三原市の山中を訪ねました

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桜見納め 令和6

2024年04月10日 | 山野草

広島市近郷で最大の桜の名所を今年も訪ねました。

 

ソメイヨシノ一点張りなのは気に入りませんが、豊かな自然をバックに咲き誇る姿はたまりません。

 

ダム湖の水質保全の噴水が、シテに華を添えます。

 

半端ではない数の桜が艶やかさを競います。

 

街中の桜と異なり、この圧倒するボリュウム感は如何でしょう。

 

背景の山河もこの時期はかすんでしまいます。

 

湖面をぐるっと取り囲んで咲き誇る姿は圧巻です。

 

これ見よがしの懸崖も風情があります。

 

彼岸も此岸も春爛漫、匂うが如く今盛りなり。

 

水面を彩る・・・

 

いずれがあやめ、カキツバタではありませんが、至る処に華はあります。

 

青の水面、緑なす山、どこまでも晴れ渡った紺碧の空、でも春の主役は私でしょう。

 

空の青と対比すると色鮮やかに変身します。

 

何年か前、偶然通りかかって見たこの光景が、オイラの心を鷲掴みにしました。

華は毎年裏切ることはありません。

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名前を知らぬ花々

2024年04月09日 | 山野草

八幡湿原に命を育む山野草たちは、色々と多彩です。

 

白い花弁に縁取りは薄紫の可憐な奴。

 

茎が半透明の神秘的な草花、ギンリョウソウってのとは違いますよね?

 

枯葉を褥にまさに芽吹きの風情。
たくましい生命力を感じさせます。

 

ひょろっと伸びあがった茎の先端に、頼りなさげな花弁が一房。

 

これはショウジョウバカマというのかな?

 

これは確かユキワリイチゲ。
違ったか!

 

野菜のようにも見えるけど?

 

湿原の草花に命を吹き込む清き流れ。
美しい光景の源泉となっています。

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水芭蕉 令和6

2024年04月08日 | 山野草

水芭蕉とくれば、思い出すのは尾瀬かな?

 

でも広島県でも各地で見られます。
もっとも地域の方々が、懸命に管理しているからでしょう。
ここは県北にある湿地帯の一角です。

 

尾瀬の大湿原にあれば、可憐な小ぶりの花かと思いがちですが、結構大振りで豪華な感じです。

 

田んぼ状の場所にもたくさん花開いています。

 

山からの湧水が流れる湿地帯に群生している感じ…

 

明るい森に純白の苞が光り輝いています。

 

近づいて観察してみると結構個性的で、様々な容姿を見せてくれます。

 

静かな山里にこの季節は、千客万来となっています。

 

水際の難しい場所に、存在感を発揮するへそ曲がりもいますね。
何故かこんな奴に惹かれてしまう、オイラは異端児か。

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