もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

井原鉄道

2020年10月31日 | 鉄印帳

準地元である三セク:井原鉄道に鉄印を求める旅に出る。

 

乗車予定の「特急さくら」が30分ほど遅れたお蔭?で、広島駅でこいつにお目に掛かれた。
日本最速を誇る「500系」、今は「特急こだま」に身をやつしているが…

 

それにしてもカッコ良いこの姿。
700系「かものはし」に駆逐されてしまったが、容姿は断然こちらに軍配を挙げる。

 

本日の目的はこちら、神辺駅始発の「井原鉄道」に乗車する。

 

神辺から清音までの13駅、全線に乗車する。

 

第三セクターと侮るなかれ、ほぼ全線にわたって高架を走る贅沢さ。
座位が高く、沿線の眺望が素晴らしい。

 

車両も比較的新しく、ホームもこの通り整備されている。

 

本社のある井原市は、文化勲章受章者「平櫛田中」の美術館が売り。

 

そして岡山県真備町は「吉備真備」の出身地だ。
残念ながら昨年の豪雨による浸水騒動で、この街が話題になったのは記憶に新しい。

 

井原鉄道の鉄印、サイズが大きく鉄印帳の枠をはみ出しそう。
日付印も頂けない。

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広島のお庭 縮景園

2020年10月23日 | Weblog

いつもお客様をご案内するお庭を、ゆっくりと拝観してみる。

 

紅葉にはまだ早く、コロナ禍は終息せず、ウィークデーとあって、園内の人影は疎ら…

余裕をもって観察できる。

 

「この橋は渡ってはいけません」のつもりだろうが、工事現場じゃないんだから…

 

橋の赤と紅葉の対称を狙いたいのだけど、紅葉はまだ先無理でした。

 

周囲の景観を水に落として、フレームに収めようとしたのだけど
さざなみに邪魔された残念!

 

いつも何気なく通り過ぎてしまう「明月亭」
裳階のような庇になっていたんだ!

 

正面から見ると、棟が段違いになっていて、これも再発見した感じ。

 

街中にあるこじんまりとした庭園が売りだが、この自然観がたまらなく好き。

四季折々、相応の風情が楽しめます。

 

花の少ない季節に存在感を示そうと、懸命に枝を下げている。

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秋の大潮 令和2年

2020年10月22日 | Weblog

瀬戸内海は有明海に匹敵するほど潮の干満差が大きく、多彩な光景が展開される。

 

秋の大潮と言われるように、10月の瀬戸内海はことのほか潮位の変動が大きい。

世界遺産宮島の表玄関である宮島口の、連絡船乗り場は鋭意改修中だが完成間近か?

 

参道を歩いて暫し、厳島神社が臨まれる処に来てみればこの景色。

文字通り海上に浮かぶ豪華な社殿に変容中。

 

朱塗りの社殿と海の蒼、背景をなす神の山々が一体となって、得も言われぬ光景を目の当たりに出来る。

 

客人社は完全に水没状態。

この日の干満差は約3m、秋の大潮時は最大4メートルに達するのでさらに圧巻。

 

秋たけなわ五重塔が眩いばかり、天高く紺碧の空が引き立て役。

 

この度、国重文に指定されることとなった「紅葉谷公園」の一画にも立ち寄る。

 

コロナ禍で休業中のお店も多かったが、飾らないこのお店は気に入った。
昼食と散策後の喫茶と、二度お世話になった。
店名のヒントは「弁天様」のヒンズー語読み。

 

同じころ広島駅前大橋付近では、このような光景が展開されているはず…

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吉田城

2020年10月10日 | 御城印

今シリーズ、旅の終わりに尋ねたのは、豊橋市の吉田城。

 

豊橋駅前から出ている路面電車に初めて乗車。
スリムで少し座高が高い印象。

豊橋では、路面電車が信号に差し掛かると、優先的に「すすめ」に変わると聞いたことがあるが本当かな?

 

脚が長くない?オイラは乗るのがちょっと心配だったが…
ドァーが開くのに同期してステップが降りてきたので、ほっと一安心。
でも「バリアーフリー」には程遠く、早晩改善しなくてはならないだろう。

 

吉田城の縄張り、背後の豊川を天然の外堀として、大手側に3重の堀を巡らしている。

 

北の守り、豊川対岸から天守方向を臨む。
以外に豊川の水面が高く、鉄壁の防備とは思えないが…

 

城内の各所に、石垣、土盛などが残されている。

 

孕んだ石垣を修復した箇所も散見された。

 

復元された3重の天守、資料館になっていて無料で入場出来る。

 

天守から見た豊川、右上方方向に向かえば豊川稲荷がある。
やはり結構な高さがあり、こちらから攻め込むのは難しそう。

 

結構な高さに積み上げられた土森、石垣の上に土を盛って強固にしている。
関ヶ原の戦いで勇猛を馳せた池田輝政も、吉田から姫路を経て岡山城主となった。

 

吉田城の御城印です、登城は令和2年9月22日でした。

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天竜浜名湖鉄道

2020年10月09日 | 鉄印帳

旅の終わりはオイラの出身地である、浜松市を走るこの路線。

 

東北の乗り鉄を終了して、列車で地元浜松へ帰る。
コロナを恐れて、東京は上野駅と東京駅のホームだけ足を付けて素通り。

 

浜松駅にも、今世界的に普及している「駅ピアノ」があった。
日本を代表する楽器の街とあって、グランドピアノが2台置かれていた。

 

天竜浜名湖鉄道、一方の起点は東海道線掛川駅に併設された、天竜浜名湖鉄道掛川駅。
掛川には現存4御殿の一つ、二の丸御殿が残されており、再建天守も木造作りで文化財の保存に熱心な都市の一つと敬服しています。

 

略称「天浜線」に掛川駅から乗車、終点の新所原駅まで全線乗車することに…
車両はお馴染みの、ディーゼル駆動の1両編成です。

 

途中駅の一つ遠州森駅は、浪曲でお馴染み「片目の侠客 森の石松」の出身地となっています。

 

且つて安全を守った、まねき信号機が残されていました。
写真の状態は停止の合図、進行は上部の板が下がります。

勿論手動でやっていたんだよね! 結構な運動だったのではないか?

 

鉄印記帳のため「二俣駅」で途中下車、この駅で転車台や給水塔など見学出来ると楽しみのしていたが…

 

見学会は予約で満員、自由に見学することは許されなかった。

それにしても、古い設備を売り物にお客様を集めながら、この扱いは如何なものか!
募金箱を置くなり、ボランティアガイドで指定場所からの見学など、実現出来ないのだろうか?

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常磐線

2020年10月08日 | Weblog

東北地方未踏破最後は、常磐線の岩沼駅⇔いわき駅間を残すのみ。
ここを乗りつぶせば、東北地方の乗り鉄も完乗だ!

 

仙台駅から、まずは原ノ町駅行に乗り込む。

 

結願目前で気が緩んだのか、長旅の疲れか、ウトウトしかけた時、相馬駅到着の案内が耳に飛び込む。

 

相馬と言えば「野馬追い」でしょう。
較べ馬の勇壮な看板が掲げられている。

 

写真をじっくり眺めていると、予想外に若者の参加者が多いように思う。
鎧、兜の下の顔が結構若い感じ。

『無残なや 兜の下の きりぎりす』も芭蕉の句でしたか?

 

原ノ町駅の壁に描かれたのは、陣立てを急ぐ武者たちの有様。
野馬追は7月最後の、土、日、月開催。

 

しばらくすると車窓の景色が一変した。
列車はやがて「浪江駅」に到着するところ。
2011年に発生した東北地震で、福島原発がメルトダウンし一帯は放射能汚染された。

 

放棄された耕作地と廃屋?が残され、無残な姿に変わっていた。
東北地方でこの路線が最後の乗り鉄になった訳は、放射能汚染で列車が不通になっていたからだ。
震災後およそ10年の時を経て、やっと2020年開通したのです。

 

双葉駅は改築されて新装なっていたが、駅前広場には除染された廃棄物が連なっている。
現在も防護服と思しき服装の作業員が、忙しく立ち働いていた。

 

畑も田圃も、住む家さえも、荒廃したままの被災地を目の当たりにして声も出ない。

同じ列車に乗車したお客の中に、コロナ対策で換気のために開けている窓を、慌てて閉める人がいた。
何ということを…

日本国政府や東京電力は、この地の方々の苦しさを、本当に理解しているのだろうか?

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青葉城

2020年10月07日 | 御城印

東北の要と言うより今や日本有数の大都市に発展した仙台、青葉城を尋ねる。

 

仙台市のシンボル?広瀬川。
 広瀬川 流れる岸辺に おもいではかえらず~」で全国的に知れ渡った。

 

広瀬川を越えるとすぐにお城の縄張りに入る。
ここは且つて大手門のあった処。

 

豪壮な大手門、在りし日の姿。
伊達者が築いた、伊達の城門。

 

城内へ脚を踏み入れるとすぐに、この看板に出くわした。
仙台きっての繁華街、青葉通りから歩いて十数分の場所に、こいつが出没するご時世となった。

 

城内の所どころに、往時の面影を思い出させる石垣が残る。

 

仙台城(青葉城)の縄張り図、遺構らしきものは何一つ残されていない。
広瀬川沿いの青葉山に、東北の覇者伊達氏が築いた夢のあと。

 

本丸跡の基礎が示されている。
いわゆる天守は築かれなかったようだ。

 

多くの方が登城記念の写真をこの像を背にパチリ。

 

中秋の仙台青葉城から市街を見下ろす。
吹き抜ける秋風が頬に心地よかった。

 

オイラの登城記念日は、令和2年9月20日でした。
4回目かな?

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陸羽西線…

2020年10月06日 | Weblog

乗り鉄未乗車路線を順調につぶして、これから陸羽西線に入る。

 

あちらこちら鉄道の旅をしていると、変わったものに出くわすことも多い。
階段の手摺だがこの波型、何か役に立つのだろうか?
因みにオイラには全く役に立っていない。

 

酒田発⇒新庄行の陸羽西線、1日たった5便しかない。
乗り鉄泣かせの路線の一つだが、ついに本日攻略できる。

 

この路線愛称は「最上川ライン」。
言わずと知れた「五月雨を あつめて早し 最上川」の名句にあやかったもの。

最上川下りで船頭さんの名調子を、盃片手に聞き惚れたのはいつのことだったか?

 

この沿線にわらぼっちが…昭和の光景に戻ったよ!

 

そして新庄で乗り継ぐ陸羽東線は、幾多の温泉地を貫く為、そのものずばり「湯けむりライン」。

 

今シリーズ二度目の仙台入りは、運賃表中央ににある二つの盲腸線に乗車するためである。
仙台⇔あおば通り間と、岩切⇔利府間の2路線、併せて3駅間が未乗車だった。

 

行く日も来る日もJR路線を乗り続けているが、必要なのはこのきっぷたった1枚。
7日間連続JR北海道と東日本の普通車に、乗り放題できる優れものである。

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米坂線経由村上へ

2020年10月05日 | Weblog

今日は乗り鉄未踏の「米坂線(米坂⇔坂町)」を征服した後、鮭の村上でちょっと遊ぶ。

 

これは米坂駅の新幹線ホームだが、在来線ホームでもある。
広島が本拠地のオイラにとっては不思議な感じだが、地元の皆さんは「違和感なし」なんだろうね。

 

右側ホームに山形新幹線特急つばさ、左側ホームに米坂線鈍行列車。
当然オイラは鈍行に…

坂町で米坂線から羽越本線に乗り換えて、鮭で有名な村上市で途中下車。
駅名表示がレトロ調でいいね!

 

駅前広場には、さっそく街の顔が釣り下がる。

 

駅前から循環バス利用で、乾燥鮭のお店へ一目散。
列車の到着に併せてバス便が用意されているらしい?
だって帰りは都合の良い便がなく、30分ほど歩いて帰った。

 

古風な造りの屋内工場に鮭は吊り下げているが、部屋を吹き抜ける風が心地よい。
村上は年中?乾いた風が吹く為、鮭の加工に絶好の場所となるそうだ。

 

確か頭を上にして干す工場もあったと思うが、首つり感を避けるためこの店では頭を下に干す。
鮭の形相があまりに凄まじいためか、手が震え完全なピンボケショットになっている。

 

左が鮭工房、右が造り酒屋「鮭と酒」がいっぺんに調達できる。
日本語面白いし、むづかしいね!

この先も数日旅は続くので、「酒浸し」なるものを求め、お隣で酒を買って、準備万端整った。

 

村上鮭が遡上してくる「三面川」です。

 

村上で時間を費やしたため、夜遅く酒田に到着「駅名印」をゲット!

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霞城(山形城)

2020年10月04日 | 歴史探歩

山形には、伊達政宗の宿敵である最上義光の手になる「霞城」がある。

 

山形駅から徒歩10分程度の場所なのでぶらりと…
街角のモニュメントもサクランボ、ここでもフルーツ大国をアピールしている。

 

やがて二の丸のお堀に着いたがこの景色にビックリ。
なんと二の丸のお堀に奥羽本線が走っている。
此処を山形新幹線も突っ走るんだよ! 最上義光もびっくりだろう。

 

奥羽本線と二の丸の堀を跨いで、東大手門をくぐる。
二の丸内から東大手門とその先の虎口を見る。
支える梁の頑丈さに注目。

 

復元部分と公園として整備された部分が調和していて見事。
お客様の動線がちゃんと確保されているのが素晴らしい。雨でも大丈夫でしょう。

 

本丸を囲む堀を二の丸側から臨む。
空堀だが綺麗に除草されていて美しい。
本丸の大部分は土盛だったようだ。

 

堀の脇に、石割の仕方を示すモデルが置いてある。
矢穴にタガを打ち込んでいて、石を割る様子が手に取るように分かる。

 

内堀に架かる本丸一文字橋は、敵に侵入されたら落とすように簡素は作り。
石垣は切込み接ぎになっているが、築城時のものではなかろう。

 

本丸は復元工事中のため、入場制限があるようだ。
それでもちゃんとした竹矢来で仕切っている。

 

南大手門方向から本丸方向を臨む。
最上義光の手になる?霞城57万石の復元工事は本格的で立派。
我が町112万石広島城の整備状況は比べ物にならず、恥じ入るばかりです。

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左沢線

2020年10月03日 | Weblog

今シリーズ2線目の乗り鉄潰しは、只見線に続いて「左沢線(あてらざわ)」

 

山形駅始発で、山形県内の西北方向へ路線は伸びている。
乗り鉄踏破が遅くなっているのは、何時も愚痴っている遠地にある「盲腸線」だから…

広島から見ると遠地と言うことです。

 

さすがJR東日本だけあって、利用者が少ないように思うここでも車両は小綺麗である。

 

くだものが豊富な東北だが、中でも本場山形を走るラインなのでこの名称がぴったり!

 

運行中、途中の寒河江駅で車両の切り離し作業が行われた。
転轍手がいる訳ではなく、車掌さんと思われる方が作業を開始。

 

子供の頃、地元浜松の遠州鉄道で転轍作業をよく楽しんでいたので興味津々。
おもむろに車両が離れ始めた。

 

連結部分を注目して見てみると「あれぇ?」
これどう見ても両方ともオス(♂)じゃん?

 

ご安心アレ、よく観察するとこの車両は「両性」でした。
納得したけれど、何か「モヤモヤ」が残るシーンでした。

 

山形を代表するくだものは「さくらんぼ」と思いますが、新興勢力の「ラフランス」もアピール。

左沢の語源は、左沢駅西方5㌔ほどに位置する日光山の山頂から眺めたとき、左手にある沢が明るく輝いていたので「あてら沢(あかるい沢)」とした。(※左沢駅の解説から)
因みに右は「かてら」だそうです。

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阿武隈急行

2020年10月02日 | 鉄印帳

会津若松から郡山を経由して福島へ、此処から仙台の手前まで「阿武隈急行」線が走っている。

 

東北本線から予定した列車への乗り継ぎ時間が短く、息せききって「阿武隈急行」駅へ駆けつける。
ところがこの線も豪雨被害のため全線復旧しておらず、やむなく一区間のみの乗車となる。
それにしてもめちゃくちゃ可愛い車掌さんがいるものだ。

 

案内板まで継ぎ接ぎだらけで、ほんとに大丈夫かいな?
早期の全線開通を祈念致します。

 

やむを得ず福島駅に戻って、東北本線に乗り換えて仙台へ向かうことにした。
おにぎりを頬張りながら、福島駅前で時間待ち。

 

現在放送中の朝ドラ「エール」の舞台は福島。
古関裕而は想像していた感じだが、奥様はちょっと違った?

 

更にこの像まで…福島は古関裕而の街と化していた。

 

みちのくと言えば不滅のスター松尾芭蕉も、今年ばかりはちょっと霞んでいた。

 

東北本線のこの駅が「阿武隈急行」の終着駅、此処で仙台行きに乗り継ぐ予定だった。
東船岡と黒字で示されているのが「阿武隈急行線」
「つきのき」と読むんだ。

 

一駅の旅だったが、それでも鉄印を入手した。

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