もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

フードフェスタ

2011年10月30日 | Weblog

 広島フードフェステバル、オイラはこの手の行事が好きになれなかった。
 神事でも無く、民族の伝統行事でも無い、コマーシャルベースで造られた人集めの催し、これまで全く無視してきた。
 それがどうした風の吹き廻しか、広島城堀巡りの櫂伝馬に乗って、ガイドをすることになった。


 そろいの衣装に身を包んだ櫂伝馬の漕ぎ手さん達:広島県庁の職員さんだとか?
  作務衣に白足袋裸足の凛々しいいでたち、やる気満々です。
 鯉姫(漕ぎ手)6人に、漕ぎ手に合図を送る太鼓が一人、竹原から来られた船頭さん一人、
  それに私達広島城ガイド一人の9人で、1クルーを編成します。


 広島城表御門前に仮浮桟橋を設け、広島城のお堀を3/4周程遊覧します。
 10/29日早朝、最後のリハーサルを行う鯉姫達。


 午前10時、一番船がスタートしました。
  船中央にお客様12人程度が乗船されます。安全第一、全員ライフジャケット着用です。


 

 船上から仰ぎ見る広島城天守閣、ちょっと趣が違い威風堂々です。



 撮影ポイントに停船中、シャッター押しのサービスもあります。

 

 三の丸広場にグーンと接近して、陸上のお客様と親しく…
 私達のガイドは、天守閣直近と北側石垣周辺、南側石垣の刻印の3か所です。


 二の丸で併催されている、大菊花展の見事な菊を一輪どうぞ!

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白市

2011年10月28日 | 落合郷土史

 10/27日は、落合郷土史研究会の定例歴史探歩。
  今回は東広島市白市を訪ねる。


 町並み保存地域?入り口にある、さるお宅の垣根から覗いていた山茶花


 最初の訪問地は、浄土宗西福寺。庭に鎮座する阿弥陀坐像。
 奥に見えるのは厳島神社。此処でも陸管弦が行われると云う。神仏習合万歳!


 とはいうものの…阿弥陀仏の隣には、無残に放置された石造物が置かれている。


 古都奈良を思わせる風情のお寺:光政寺。階段の上にある寄棟の本堂がなんとも言えない趣

 

 光政寺は、土地の名士:木原家の菩提寺?
 墓石の上に祀られた石造仏は珍しいのではないか


 奥まった場所には六地蔵も祀られている。


 町の氏神様:土宮様。 参道の土止めに鳥居の、島木・笠木が流用されている

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落合歴史散歩

2011年10月25日 | 落合郷土史

 地元にある4つの公民館合同の行事で、タイトルは「里山ハイキング~玖村地区編~」
 10月16日、文字通り日本晴れのもと開催された。
 公民館主催行事であるが、我々落合郷土史研究会会員が解説と道案内を担当する。

 この日の参加者は40名を越えた。一大イベントである。


 本日案内をする場所の江戸時代の古地図、現在もこのままの地形が残されている


 上記古地図と同じ場所の航空写真、高陽ニュータウン開発前:昭和48年頃である。
  下側左寄りに見える上向き扇型の部分が、オイラの居住地:高陽B団地となった


 高陽ニュータウン開発前の長閑な玖村地区、車の走れる道はなく田圃ばかりである。


 団地開発がされたとはいえ、山城跡など自然は一杯残されている。
 城跡に登って、毛利の時代の勢力図を解説中。地元テレビも取材に来ている。


 山城跡に近接して残されている、弥生時代の住居跡。
  後方には、竪穴式住居も復元されている。


 ニュータウン開発時に撮影された山城跡:恵下山城。郭の形がはっきりとわかる。


 子供たちも歩けるよう整備されたハイキングコース。

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大内氏館跡

2011年10月23日 | 歴史探歩

 2泊3日の山口旅行最終日、大内氏繁栄の跡の残る“龍福寺”を訪ねる。
 境内に説明版がありましたのでご覧ください。

 

小じんまりとした山門が出迎えてくれました。

 龍福寺:大内氏館と表示されています。

 

 平成の大修理が継続中ですが、今回は建屋の全て基礎部分まで解体されて、境内を含めた発掘調査も行われた様です。
  発掘調査中の基礎部分。

 

 上棟が終わり、平成の棟札が納められます。
 次世代に確かな記録を伝えます。


 外回りの修復はほぼ完了、現在は内部の工事が進行中とのこと。
 新旧の部材が巧みに組み合わされ室町文化が再現される。

 足利将軍や毛利元就親子も招かれた、池泉庭園の調査も終わり、一部は修復再現されている。


 方百間と伝えられる土塁も復元されている。
 華麗に開いた大内氏の文化は、西の京のそこかしこに残されている。

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大神宮

2011年10月21日 | 歴史探歩

 さらに山口市で珍しいと思われる神社を訪ねたので紹介しよう。
 ちょっと恐れ多いのかもしれないけど、大胆な映像を掲載するよ。

 神社の入り口には、竿の無い燈篭が配されており、神宮の名を記した幟が立っている。


 お伊勢さんもかくやと思われる石段があり、途中には神明鳥居と思しき鳥居がある。
 


 豊受大神を祀る外宮、白木造りで簡素な佇まい。


 外宮より一段高い位置に内宮があり、立派な千木・鰹木も見える。
 御祭神は言うまでもなく、天照大神である。


 両宮の間の位置に置かれた平らな大岩、“よりしろ”だろうか?


 内宮・外宮とも、式年遷宮を行うための敷地が確保されている。


 ちょっとばかり失礼をして外宮を背後から…

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国宝 功山寺

2011年10月20日 | 歴史探歩

 10/14日、篠突く雨の中、一路長府の“功山寺”へ向かう。
 雨に濡れる、桧皮葺きの功山寺をどうしても見たかった。


 雨降りで逆光!どのように撮影するのか?全く知識がありません。
 何方か教えて下さい。


 国宝本堂、裳腰と大屋根の照り具合のバランスが絶妙で、何時まで見ていても飽きない。


 堂内に灯りが見えたので、近付いて尋ねてみると、近くご開帳となる仏像のお身拭いだとか…


 裏側からみる国宝の本堂、雨脚は強くなるばかりであった。


 これも華頭窓と言うのかな?庫裏の内部から…


 これは補陀落船だろうか?


 境内側から見た山門は、趣が全く異なる。

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津和野 永明寺

2011年10月19日 | 歴史探歩

 連泊すると日程に余裕が出来、歴史探訪にはとても都合が良い。
 小雨そぼ降る中、津和野まで足を伸ばす。

 津和野ではメジァーとは云えない観光地、此処は“永明寺” 砂利道を踏んで山門前へ…


 山懐に抱かれた閑静な境内から、茅葺きの本堂を望む。なんとも云えない趣がある。


 扇垂木、華頭窓、ちまきなど、禅宗様式をふんだんに取り入れた鐘楼門。
 禅宗様を唐様とも云うらしいが、反日感情むき出しの、昨今の中国を思わせる唐様の呼称は使いたくない。


 大屋根は茅葺き、向拝のみ銅板で覆った本堂。とても趣がある。


 ウィークデーで閑散とした境内だが、手入れが行き届いたおり塵一つ見えないのはさすが…
 名古屋から来られた、御夫婦としばし歓談。名古屋からとはね!まいった


 墓地の一角にあの大阪城落城時、千姫を救いだした津和野藩主:坂崎出羽守の墓がある。
 墓石には徳川の威光を恐れて、坂崎ではなく坂井と刻まれているようだ。
 『本多忠刻めが!』


 明治の文豪、森鴎外の墓もひっそりと…

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常栄寺

2011年10月18日 | 歴史探歩

 山口では此処常栄寺も多くの観光客を集めます。
 庭は説明は必要なく、じっと、ぼうっと眺めているだけで安らぎます。

 前庭から楼門、庫裏を望む! 建物は何の変哲もないものだが、お庭は素晴らしい。


 南庭は素朴な石組でシンプルな構成。


 本堂に近い部分は芝生と石の配置で、日本と世界を表わす。


 池内には三尊石と見える島が…鶴島であろう。


 ぐるっとお庭を回遊して、裏側の滝上部から心字池を望む。
 滝の先方には、はっきりと鯉魚が見える。


 中央に見えるのは亀島か?


 低く仕立てられた植生は、綺麗に選定されている。

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阿弥陀寺

2011年10月17日 | 歴史探歩

 10/13~15日は、又々もって連合い殿慰安の旅でござる。
  今回もゆっくり、湯田温泉連泊で体力の回復が主眼。

 初日に訪ねたのは、周防の国司であった俊乗坊重源所縁の“阿弥陀寺”

 茅葺きのどっしり重厚な仁王門がやさしく迎えてくれる。


 本堂へ向かう参道はゆったりとした石段。


 山門から本堂を望む。平家による南都焼き討ちで灰燼に喫した“東大寺”再建の勧進元となった重源上人。
  此処周防国徳地の山林にあった巨木を切出し、奈良の都に送り届けた。
  現存する東大寺の南大門は、俊乗坊重源の労無くして今日の雄姿は無い。


 阿弥陀寺本堂、向拝部分の装飾は極めて繊細な彫刻がなされている。
 雲型の様な懸魚の奥には透かし彫り様の蛙股、その奥には笈型も見える。


 境内の奥まった場所にはひっそりと、宝形造りで桁行4間の念仏堂が佇む。


 念仏堂から仁王門に下る道は、自然石が巧みに配置されている。


 東大寺再建の為に切出された山口産の巨木。


 材木切出し、運搬に汗を流した労働者の疲れを癒すための石風呂。
 現在も稼働中、薪代を払えば入浴可能です。とっても気持ちの良いものです。

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大国主伝説Ⅱ

2011年10月15日 | 歴史探歩

 10/8~10日に亘った大国主命を追いかける歴史探訪、八上姫に迫って見ました。

 

 大国主の命の奥方:八上姫を祀るこの神社、なんという神社名でしょう?

 

 売沼神社本殿、八上姫命(女神)を祀っているのに…千木に注意

 

 さすが鳥取県が産んだスター神:八上姫命、巨大な石柱に紙芝居が埋め込まれています。

 

 さらに霊峰大山の麓に分け入り、大国主命が祀られる大神山神社を訪ねます。
 参道中ほどにどっしりとした神門があります。

 

 神門から遥か上方にある拝殿を拝む。朝の冷節な空気に佇む神殿は荘厳です。

 

 大神山神社から望む霊峰大山

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大国主伝説

2011年10月12日 | 歴史探歩

 山陰と言えば大国主命である。
  10/8~10の三日間、神話伝説の地を巡ったのです。


 「大黒様は誰だろう 大国主の命とて…」小学唱歌にも歌われた大黒様:大国主命のルーツを探す旅。
 まずは「因幡の白ウサギ」で有名な、白兎海岸を訪ねる。


 大国主命はお嫁さんとすべき八上姫を求めて、ここ因幡の国にやってきました。
  八上姫は因幡は八上の里(現鳥取市河原町)に住んでおりました。
  鳥取市のお家芸:砂の芸術で造られた、大国主と八上姫。


 話は少し横道にそれますが、これは日本で最初にお札に刷り込まれた神社で、因幡一宮の宇倍神社です。
 明治時代、1円や5円の裏側に刷り込まれました。
 お伊勢さんや厳島神社を差し置いて、日本で最初ですヨ。


 大国主命は兄弟神達の謀事によって、伯耆の国手間山で、真っ赤に焼けた赤猪岩を山頂から落とされ、体が焼けただれてしまいます。
  大国主命第1の受難です。
  此処赤猪岩神社の受難碑をカメラに納めましたが、この通り正体不明の光が写っています。


 大国主命が第一の受難にあった、伯耆の手間山です。


 赤猪岩(あかいいわ)神社の本殿、壁面の文様は独特のものです。


 木の幹に挟まれて死んだと伝わる、大国主命第二の受難地:大石見神社のある、上石見の里の夕景。

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鳥取

2011年10月11日 | 歴史探歩

 鳥取市は歴史的史跡が何となく少ないと思い込みがちであるが、なかなかどうして一度は巡ってみたい町である。
秋らしい日和が続く10/7日、ヨイショっと腰を挙げての散策ととなったのです。
 ところが広島から鳥取までの道中が、思いも懸けぬ公卿で、高速バスを利用しても5時間半の大移動となってしまうのです。
近くて遠い鳥取でありました。


 鳥取城のお堀は城内の堀側に、犬走りがあると云う一風代わった作りになっている。
 現在も周囲の石垣を整備中で、着々と昔の面影を回復しつつある?


 吉川経家の時代、豊臣秀吉にこの城外を十重二十重に取り囲まれ、世に名高い壮絶な兵糧攻めにあった。
 語るもおぞましい戦いは、城主経家の切腹で幕を閉じた。


 お城を囲むお堀の近くに、鳥取が産んだ江戸時代の英雄:荒木又衛門の記念碑がある。
 世に名高い日本三大仇討の一つ、決闘鍵屋の辻で渡辺数馬を助けた又衛門が祀られている。


 鳥取藩主の多くは、烏帽子親に歴代の徳川将軍を戴いている。その故かお城近くに壮大な東照宮が造営されている。
  その門の一角に、釘がむき出しの部分があった。はずれた乳金物の跡がくっきり残っている。
  この程度の柱でも太い釘が打ってあるよ!


 数百メートルの参道を抜けて左に曲がると、随身門がある。
 広島の東照宮とは比べるべくもなく、圧倒的なスケール、何故ここまで徳川に忠誠を誓う必要があったのか?
 先の秀吉による兵糧攻めの悲惨さが跡を引いているのだろうか?


 東照宮本殿、葵三つ葉オンリーの装飾はいただけない。

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下弦の月

2011年10月05日 | 歴史探歩

 先月彼岸の中日の頃、広島市東区双葉の里界隈を散策していた。
 何気なく昼天に目をやった時、空に浮かんでいたものは…


 この月でした。 薄ぼんやりとしていますが紛れもなく弦が下向きの月がそこにあります。
 「やったぁ! 遂に下弦の月を捉えたぞ!」

 

 散策コースに含まれていた禅宗寺院。
 境内中、所狭しとあらゆるものを配置したこのお寺、でも禅宗寺院らしさが僅かにこのお庭に。

 

 もう1か所訪ねたのはは此処、加賀前田家ゆかりの日蓮宗国前寺。
 落ち着いた佇まいで、心を和ませてくれます。

 

 その2日後、更に欠けた月を捉えました。
 真っ青な空に、薄っすらと…
 でも、これは下弦の月ではないんですってね? 残念!

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世界遺産厳島神社Ⅱ

2011年10月04日 | 歴史探歩

 回廊スレスレに水の上がってくるのを計算しつくした、厳島神社建立の匠達。
 これを指示した平清盛の美学! 凡人には思いもつかない大胆さと緻密さ、私達は堪能するまでその場にとどまって…


 両部鳥居支えの中ほどまで水に浸かっているので、鳥居が低くどっしりと安定したように見える。


 連絡船から遠望したらこの景色!


 鏡が池も満水状態


 神官たちが総出で回廊の監視に当たる


 人っ子一人見えない厳島神社

 

 やっと参詣が許された。何処から見ても絵になる、限りなく美しい厳島神社

 

 綺麗に塩を洗い流し、本来の姿に返った回廊

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世界遺産厳島神社

2011年10月02日 | 歴史探歩

 国宝であり世界遺産でもある厳島神社、この度秋の大潮により社殿が冠水する事態となりました。
 例年この時期話題になりますが、今年は黒潮が本土により近く蛇行したことにより、圧巻の景観と相成りました。


 連絡船が宮島に近付くとこの状態が迎えてくれました。
 宮島に行かれた方は思い出して下さい。通常は連絡船の接岸する側が島より低いのですが、
 今日は真逆で島側が低くなっています。


 参道を進んで御笠浜に出るとこの状況、浜にも波が掛かってきました。
 自然現象とは言え慄然とします。


 満潮30分位前の厳島神社入り口。完全に水没しており拝観は中止中!
 遠来のお客様はしきりに残念がっていましたが、これは間違いで、
  今日は厳島神社が最高に美しく輝く時なのです。


 望んでも得られることの叶わぬ至高の情景が眼前に展開されます。
 残された最後の寝殿造、海上に浮かぶ鮮やかな朱塗りの厳島神社を御覧ください。


 国譲り神話に登場する天照大神の息子:天穂日命を祀る客社も、幽玄の世界にあります。
 手前は“鏡け池”、極め付けの命名だと思いませんか?


 やがて回廊板の僅かな隙間から海水がせり上がってきます。
 建物全体が浮き上がらないよう計算されつくした、平安建築の極致を
 目の当たりに出来る至福の“ひととき”です。

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